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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

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「東京第一支部30年史」に記載されている文章から擇木道場の歴史を掲載します。


両忘会を再興した釈宗括老師は明治33年山谷の湯屋の二階に住まわれ、10数名の居士、禅子に法話をし参禅を聴きながら、自ら毎日巡錫されました。

その活動により会員も増えて日暮里の田圃の中の一軒屋に居を移しました。海外への巡錫などもあり、たいへん多忙だったようです。

明治38年頃には平塚らいてうが禅の存在を知り、日暮里にある禅の道場「両忘庵」(現 擇木道場の場所ではない)に通い始めるようになり、公案修行で見性を許され、慧薫(えくん)という道号を授かっている(Wikipediaより)。

大正4年に現在の地に両忘会会員の田中大綱居士によって、両忘協会の本部道場として、現 擇木道場の地に道場が建てられ、宗括老師に寄進されました。

昭和12年に両忘協会本部道場を市川国府台(現 本部道場)に建立し、日暮里の建物は両忘協会本部から擇木道場に譲渡されました。

したがって大正4から15年、昭和元年から12年まで23年間、ここは両忘協会本部道場であり、在家禅の挙揚の中心でした。


旧擇木道場の禅堂(当時は1階に禅堂があった)

その後、擇木道場は一夢庵大峽竹堂老居士が指導する擇木寮となります。

「意志の自由はあるか?」という問題を解決するためにドイツに留学した長屋喜一先生は4年間ハイデッガー教授に新しい哲学を学んだが、「自由になる方法」を得ることができず、帰国する際に大峽秀栄先生著『禅?日本における生ける仏教?』のドイツ語訳をルドルフ・オットー教授に紹介され、大峽秀栄先生の仲介によって釈宗括老師に入門した。

その後、長屋先生は擇木道場主管として禅の挙揚に努める。ご自身は、文部省に入省された。

『長屋哲翁老居士について』
http://takuboku.ningenzen.jp/modules/pico02/index.php?content_id=10


長屋先生と藤井紹滴さん

昭和21年から40年は坐禅普及活動(日曜、火曜座禅会)、捧誠会の指導、鹿野山国際禅道場の運営寄与、日大、専修大学教授として学生を教化し昭和41年から62年(70?90歳まで)は、毎年半年間をヨーロッパの人々への座禅指導を行って、毎年8回?10回の摂心会を開催して、毎年300?400人の同士道友が育っていった。

(今の組織である人間禅は昭和23年にできています 心印補足)

その後、道場の老朽化に対応して昭和63年に一期工事、平成3年に二期工事を完了して現在の道場に至ります。

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