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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

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擇木道場 

人間禅 東京支部




人間禅 東京支部は、昭和42年(1967年)に人間禅 第一世総裁耕雲庵立田英山老大師により正式に許可され、妙峰庵佐瀬孤唱老師が担当師家に補任され、同年11月12日から福島独歩支部長以下、20余名の居士、禅子によって第一回目の摂心会が厳修されました。以後、今日まで37年以上にわたって磨甎庵白田劫石老師、青嶂庵荒木古幹老師を拝請して年3回の摂心会を厳修してまいりました。

東京支部が活動しております擇木道場は、大正4年に田中大綱居士によって建立され、鎌倉円覚寺管長である楞伽窟釈宗演老師の法嗣で「両忘会」を主催されていた両忘庵釈宗活老師に寄進されたものです。擇木道場は、各宗派に属さないわが国初めての、居士禅の専門道場として全国に知られ、大正14年には、財団法人「両忘協会」の認可も受けて、社会教化団体のひとつとして、正々堂々居士禅挙揚の中心的役割を担う道場に発展いたしました。

擇木道場は「両忘会」、「両忘協会(昭和15年に、人間禅教団の全身である、両忘禅協会に名称変更)」の本部道場として、若き日の平塚らいてう(慧薫禅子)をはじめ、後に臨済宗大学(花園大学)の学長、妙心寺派・大徳寺派の管長となった蔭凉軒後藤瑞巌老師や、人間禅教団・第一世総裁耕雲庵立田英山老大師、現在、ニューヨークを中心に活動している「アメリカ第一禅堂」の礎を築かれた曹渓庵佐々木指月老師、大正末年、私立明治専門学校(現在の九州工業大学)の倫理学の教職にあって、ドイツ語版『禅』(副題、日本における生ける仏教)を出版され、擇木道場の初代主管者で、多くの学生を指導し初代擇木道場学生寮の寮長でもあった一夢庵大峽竹堂老師や、東京高等師範学校の倫理学教授、文部省教学官などを歴任し、幾多の学生達を禅に導かれ、後年、93歳まで毎夏ドイツへ坐禅指導の行脚に出られた長屋哲翁居士など、大正から昭和にかけて日本の禅会だけでなく外国でも活躍された多くの人材を輩出しております。

その後、道場の建物が老朽化したため、多くの関係者による寄付金によって、昭和63年に第一期改築工事、平成4年に第二期改築工事が完了して現在にいたっています。東京支部は大東京への「人間禅」の布教を目的とした発信基地として支部員をはじめ、禅を志す人々が日々、修行に精進しています。


 
(註1) 「擇木(たくぼく)」とは「良禽(りょうきん)は木を擇(えら)ぶ」という中国古典 「左伝」の中から採られました。修行者が正しい師家を求めて参禅弁道すると言う意味です。
(註2) 居士禅とは、従来僧侶にしか許されていなかった禅門の修行を、職業を持つ社会人に認め、佛法の正脈を伝える事を認めた新しい禅佛法を言います。

道場内のご案内

禅堂            
 

年譜
明治 初年 「両忘会」設立。
明治34年 日暮里で両忘庵釈宗活老師が「両忘会」を再興 。
大正 4年 田中大綱居士が谷中に道場を建立し「両忘会」に寄進。ここが「両忘会本部道場」となり、昭和11年に本部道場が市川に移されるまで、両忘庵老師と耕雲庵老居士が指導にあたる。
大正14年 財団法人「両忘協会」設立。
昭和11年 「両忘会本部道場」市川の新道場に移転。
 谷中の道場は「擇木寮」となる。
昭和15年 「両忘禅協会」設立。
昭和23年 「両忘禅協会」を解散し、「人間禅教団」設立。
昭和42年 「人間禅東京第一支部」設立。妙峰庵老師が担当師家となる。
昭和52年 磨甎庵老師が担当師家となる。
平成 4年 擇木道場落慶(建替え)
平成 8年 青嶂庵老師が担当師家となる。
平成 9年 第一支部30周年。
平成21年  支部名称を「埼京支部」に変更。 
平成27年  擇木道場が完成してから100周年(大正4年から数えて)
平成27年  支部名称を「東京支部」に変更。 

詳しい文章がこちらにあるのでご参照ください。100周年記念ページ 「擇木道場の歴史」
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