メインメニュー
擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

検索
トップ  >  4.何かの機縁があって、坐禅を始められた人へ
 先ず結論を述べますと、「こころの教育」の基盤形成は、集中力・三昧力の養成であります。また、自己中心のエゴを根本的に叩き潰すには、本当の宗教に因らなければなりませんが、自己中心の滑稽さ、むなしさを自覚させ、自己中心を押さえるための方途として、自分の呼吸を整えることから入って行くことができます。それに最適なものが数息観法であります。そして、人間の自然の感覚を取り戻し、感情的に切れやすいのを落ち着かせ、精神的ストレスを根本的に軽減させる有効な手段が、こころの波立ちを鎮め、人間の自然の感性を取り戻すことのできる古来(釈迦牟尼誕生以前のインド)から、こころを磨く観法として洗練されてきた数息観法であります。

 相対的な価値観(特に金の尺度)のみが異常に肥大した現代社会の中にあって、そのバランスを意識的に図るための対応が不可欠になってきています。それは心身の自然の感性を磨き、本来の慧のひかりを呼び覚ます方途でなければなりません。その方途を自己教育の中にしっかりと位置づけ、実践して行かねばなりません。

 それは、知の領域ではなく(知で推し量ったり、デジタル(文字・言語)で表現出来ない)、慧の世界(感性の領域)のことであります。すなわち、「知る」から「感得する」への大きな転換がなければならなりません。

 そして大切なことは、頭脳を働かせるのではなく、体をそしてこころを働かせ動かしての実践、すなわち行を伴わなければならないと云うことであります。

 これらに共通するキーワードは、精神集中(三昧)であり、その具体的方途が「数息観法」であります。

 数息観法は汲めども尽きぬ深さがあります。すなわち数息観を徹底して行ずることによって、深い三昧にどんどん入って行けます。数息観は誰でもでき、そして簡単なようですが、実は容易ではなく、気力を充実させ維持するために大変な努力をしなければなりませんが、学歴も知識も必要としません。ただ志があり年月を厭わず努力をすれば、正直にその行の深さと長さに比例して、三昧力は付いてきます。本当の人間力が自然と身に付いてくるのであります。人間力のみならず、汲めども尽きぬ効用を得ることが出来ます。

 どういう効用かは、自分で冷暖自知しないと判らないもので、その効用もこれまた本質的には、言語で伝えられるものではありません。

 数息観を本気でとことんやって三昧力を付けると、その骨折りに比例して集中力、人間力が付きます。しかし、それは3年、5年、10年、20年、30年と継続しての実行・実践を通じて付いてくるものです。

 剣道・弓道などの技芸道をやっている人は、その道に深く通達するには、やはり集中力のレベルが高くならなければ到達できません。いくら技を習得しても名人の域にまで達することは出来ません。それぞれの道の行取に合わせて数息観法を取り込んで併行して打ち込んでゆけば、上達は早くまた深く到達するものであります。

 技芸道だけではありません。会社に入って研究や技術を担当する仕事においても、その持てる力を十二分に発揮するためには、集中力、人間力が不可欠です。事務系の営業畑の仕事でも同じと思います。

 人それぞれ、その人の人間的香りというものを持っているものでありますが、長年にわたって数息観を積んでこられた人は、この香りが違います。数息観法を徹底して究極の三昧にまで身につけると、これだけで人間形成は終わりという所まで(理論上)行けるものです。曹洞宗道元禅師の「修証一如」はそれを指し示しているのです。曹洞、臨済を問わず、禅宗の究極は「修証一如」の境涯であります。ただ()付きである所以は、なかなかこの域に、いくら正師の導きがあったとしても、数息観法だけでは、不可能とは云いませんが、極めて難しいものであります。そして、その難しさを克服するために、先人は、すばらしい人間形成のための教育システムを現代にまで伝え残してくれているのであります。
プリンタ用画面
前
3.今求められているものは何か?どうすればそれを得ることができるのか?
カテゴリートップ
禅の修行を志した方へ
次
5.臨済宗の人間形成教育システムについて