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擇木道場

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東京都台東区
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   笠倉奈都

慧日庵笠倉玉溪老禅子(えにちあん かさくら ぎょっけい ろうぜんこ)
 
 
こんにちは。アクセスしてくださってありがとうございます。
禅にご興味がありましたか?ようこそいらっしゃいました。
あなたをお待ちしてました!
 
私たちは禅に学び触れあうことで、自分を知り、世の中を見る目を養い、多くの仲間と出会い、社会人として育っていこう、そして少しでも良い世の中作ることに参加したいと考えています。
 
   
 
 
 
 
それには皆さんとお互いの持っているものを分かち合い、一緒に学ぶ場がほしいと思いました。私たちからは、素晴らしい禅の世界を提供します。そのかわりあなたの考えていること、取り組んでいること、したいこと、いろんなお話を聞かせてくださいませんか?
 
禅フロンティアでは一方的に講義をしたりはしません。現代社会への課題を元に、その分野の専門家や、今まさに格闘している人達をゲストにお迎えしますが、あくまで双方の交流を大事に、皆で考え、話し合い、その中から生み出される何かがあることを信じ期待しています。
 
 禅とは?
 
ところで禅は古いもの、と思っていらっしゃいませんか?いいえ、今何よりも新しい発想、求められる発想に満ちています。
 
たとえば、ここに塩があったとしましょう。
ある人にとっては塩分の取り過ぎはよくないので毒だと思っています。ある人にとっては塩はなくてはならないものなので薬だと思っています。双方がお互いの主張を信じ曲げなかったとしたら? きっと永遠にわかりあえる日は来ないでしょう。
禅はこのような時、「では、なめてみようではないか」とするのです。「あらら、しょっぱい!これはどうやら取り過ぎは毒、しかし同時になくてはならない大事な薬だ」と知ることは、どちらかに偏った執着をさっぱり洗い流して心を自由にし、どちらでも場面に応じてこだわりなく使いこなせるようにしてくれます。
どちらかに偏るということは、立場や時代の流れなど、流動するものに影響され移り変わっていくもの、いわば不確かなものです。しかし塩の本当の姿は永遠に変わりません。どんなことであっても、その確かな姿を見られる目を養うことは、生きていく上でブレずに不動であると同時に自由になることでもあるのです。
 
 
座禅・参禅                
明治期に私たちの道場に縁が深い鈴木大拙氏が禅をヨーロッパに紹介した時、ヨーロッパではこの発想に大変興味を示し、多くの思想に影響を与えました。
ご存じのように西洋の発想は常に、善か悪か、神か悪魔か、という考え方が主流でした。そこにどちらにも偏らず、しかも自由自在の立場でありながら両方を認めた上で使いこなそうという東洋の発想は大変新鮮で大きなブームになりました。
時を経て、今、世の中は大きな発展を遂げながらも、いまだ良いか悪いか、敵か味方か、などの観点から争いを脱却できずにいます。
 
社会問題とは究極個人のあり方が反映されたものでもあるのですから、結局ひとりひとりが自分自身をどのように扱っているか、というミクロが問われることになると言えるでしょう。禅の発想はあらためて今、新鮮なものだと思うのです。
 
                                                                 
日本の精神文化と禅
 
禅は鎌倉時代に日本に入ってきてから、日本人の精神の根底に流れてきました。たとえば武将が小さい頃から禅僧に鍛えられてきた例があります。古くは元寇を退けた北条時宗は最後の決断に幼いころから師事していた円覚寺の禅僧に相談していますし、武田信玄、上杉謙信、直江兼続など実に多くの武将がそうでした。それはなぜかというと、戦場で明日命がないかもしれない、あるいは大きな決断をしなければならないとき、揺れる気持ちを不動にして、正確に正しい道を選択しなければならない、そういういざという時の心のあり方の指針になってきたのです。
これは決して昔の話ではありません。
現代の私たちも常に選択を迫られています。会社で新しいプロジェクトを任される責任、リーダーシップとはどうあるべきか、あるいは仕事で失敗してしまった時の心の持ち方、転職するべきか留まるべきか、あるいは最近特に多い鬱の悩みなど、あらゆる仕事上の悩みにも、禅の発想はとても役に立つはずです。
 
また、文化でいえば千利休は禅の修行で得た悟りを元に茶道に深い宇宙観を現したといわれていますし、剣道では宮本武蔵も禅僧沢庵和尚の下で修行しています。日本の精神文化は禅をベースにしたものがとても多いのです。もちろんこれも現代に大いに活かせる発想に満ちています。ぜひ国際社会だからこそ日本の豊かな精神を学び味わい、誰もが真の国際人として世界に自信をもって羽ばたいてほしいと願うものです。
 
提供できるもの・・・座禅・参禅
 
双方の交流を大事に、共に学ぶ、と申しましたが、ではこちらが提供できるものをご紹介しましょう。
ここは座禅の道場です。今から130年程前、江戸から明治へ時代が大きく移り変わる激動の真っ最中に、流れに飲み込まれずにどう生きるべきか、引いては新しい日本に自分は何ができるか、と真剣に問うた人々が、円覚寺の師家(禅の指導者のことです)を拝請してこの場所に座禅会を開きました。
禅の修行は出家してするもの、と思っていらっしゃる方もおられるでしょうが、社会人だからこそ、どう生きるか、何が正しいのかと問うた時、自分自身の中に答えを見いだしてゆく積極的な道を選びたい人にも、またストレスやいろいろな悩みに心を乱された時の癒しとしても、禅は昔から社会人にとって大きな支えになってきたのです。
 
人間の悩みのほとんどすべてが、物事に対し自分がどのような感情を選択するかで起こるものです。
人は常に五感を通して外界に心が反応して、そのたびに心が揺れます。好きか嫌いか、正しいか誤っているかなど、一説には人間は1日に2万回の判断をしているといいます。これでは時に心が疲労しても当然です。座禅はこうしたやじろべえのように常に左右に揺れている心を真ん中に定めることを目的にしています。真ん中の地点はいってみればゼロのようなものですから、そこにはなんらエゴや心配は起こりません。安定した状態は心を穏やかにさせ疲れを取り去ります。
私たちからは伝統ある社会人の禅の道場で座禅をしていただくことを提供できます。
 
もうひとつとても大事なものを提供できます。
私たちの禅は、先に円覚寺から師家を拝請したと申しましたが、ということは臨済禅に属しています。これは大変特徴がありまして、いわゆる禅問答をするのです。これを参禅といいます。ひとりひとりの心の状態に合わせて的確に成長させる問題集がもう何百年も受け継がれています。この本格的な出家しか本来許されなかった禅問答がこの道場ではできるのですが、これは実はかなり貴重なことなのです。
現在、学生から年配の方まで多くのいろいろな職業を持った社会人、あるいは女性も参禅をしています。ぜひ私たちの素晴らしい仲間たちにもいずれ会っていただきたいと思います。楽しい方々ばかりです。
禅フロンティアに参加されるすべての方は、この参禅を体験していただくことができます。
参禅するとは、最初にご紹介したように、塩を丸ごとなめてしまうようなもので、知らず知らず自分の手に握りしめて自分の可能性を限定していた観念から自由になることです。ぜひともこの禅フロンティアならではのメニューを味わっていただきたいと思います。
 
私たちから提供できるものは以上です。
もし興味を持たれましたら、ぜひ一緒にいろいろな課題について学びながら、お互いに成長していきましょう。様々な問題多い現代の中で未来は自分の手でつくるものと信じ、ご縁がありましたら楽しみながら何かを生み出す可能性ある時間を共に過ごしたいと願っております。
お会いできるのを心から楽しみにしています。では。

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