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擇木道場

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トップ  >  6.大乗仏教の人間形成
 お釈迦さまは、「衆生病むが故に我病む」といわれておられます。これは自他不二の見地から必然的な方向であり、大乗仏教の精神であります。

 「四弘の誓願」は仏の誓願でありますが、またこれは修行者が、最初に仏縁があった時以来の己が誓願でもあります。最初に仏道にこころざした当初から、自利のため利他のための両方のために、この道を進むのであるというのが、自然の正しい発菩提心といわれるものであります。

 先程述べましたように、見性入理、見性悟道、見性了々と修行が最後まで全うされるには、最初に正しい発菩提心がなければ、終わりを全うすることはできないと云われております。すなわち当世風の自分のためだけ、自己中心の尺度だけでは、正しい菩提心とは云えません。これでは、人間形成を全うするということができないと云うのであります。

 「衆生病むが故に我病む」の意味する所は、人間形成というものは、四弘の誓願とともに転じて行くことを意味しているのであります。すなわち四弘の誓願は本来、「衆生無辺誓願度」から始まり「仏道無上誓願成」でおわると、また初めの「衆生無辺誓願度」に返って行き、ぐるぐると転じて行くものであります。迷える病んだ衆生がいるかぎり、それは止むことなく転ぜられて行くのであります。

 白隠禅師の法を嗣いだ東嶺禅師は、宗門無尽燈論の中で、四句の中で最も大切なのが、最初の「衆生無辺誓願度」であるといわれ、後の3句は、最初の1句のためにあるものであると言い切られておられます。

 したがって、人間形成というものも、四弘誓願と共に転じられて行き、人間形成の終わりということは、限りなく先に継続され、一人の人間としても死ぬまでが人間形成の途上ということになり、死ぬまで修行最中となるのは当然のことであります。これが大乗禅の人間形成の全貌であります。

 最初に申し上げました、当世の世風である「チョイカル」は、99%じぶんのためでありますが、それでは身に付きませんし、自分で納得する人生には繋がらないのであります。
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