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擇木道場

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トップ  >  5.臨済宗の人間形成教育システムについて
 臨済宗の場合は、公案を用いて、先ず相対界の対局にある絶対界の存在を覚知、徹見させます。この段階では、先程の道元禅師の修証一如からは離れております。修すなわち徹底した公案三昧(公案以外の念慮は全て切って、一念が不生の境地に入る)になり、絶対界の存在すなわち、時間(過去現在未来)も空間(東西南北)も生死(あらゆる差別、あらゆる相対的尺度)をも超越した切り口を、はっきりと徹見する。そして、それが正しくそれを見ているかどうか、未だ不徹底であるかを、正脈の師家によって鑑別してもらい、正しければそれを証明していただく。これを見性といい、悟りを開くといい、これが臨済禅の修行であります。(これは修があり、そして証がちゃんと無ければならないとするものであります。)

 達磨大師は、これを見性といい、お釈迦様は見性した時に、「嗚呼、奇なるかな奇なるかな!山川草木悉皆成仏!」「天地と我と同根、万物とわれと一体!」と思わず叫ばれています。そしてこれが仏教の起源になったのであります。

 禅に入門して最初につかむのが、このお釈迦様がつかんだ絶対の切り口の悟りであり、同じ悟りの端的をはっきりと見ることができます。自分も掴むんだという強い願望と三昧に成りきってゆく多少の骨折りがあれば、老若男女10人が10人見性(悟り)することができます。
これは、釈迦牟尼が、キリストが、老子が、孔子が、ソクラテスが覚知して切り開いた宗教の根源の同じ切り口であり、それを自分も覚知し掴むのであります。

 この絶対の切り口の徹見までは、他の宗派、他の宗教でも不可能ではありませんが、真理の究明、人間形成の全貌から見ますと、この最初の見性入理の段階は、最初の一段であって、それだけでは真理の究明においては一つの切り口を観たと云うことであって、全体から見ると偏ったものであります。人間形成の面でもまだまだ差別の妙所をあきらめ得ていない一枚悟りの段階です。このままですと宗教的にいいますと偏った危ない状態であります。(修行を途中でやめるくらいなら最初からやらない方が良いと云われるのは、此処のことであります。)

 臨済禅の、世界に冠たる人間形成教育システムは、悟後の修行の階梯を、低きから高きへ段々と登れるように用意されている点です。本日は詳しくはお話ししませんが、修行の階梯は、大きく分けて見性入理、見性悟道、見性了々と位置づけがなされており、人間形成の最終段階での仕上げ、すなわち自我(エゴ)を最終的に空ずる末期向上の教育課程までも完備しているのであります。当に人類の最高の文化が継承されていると申し上げなければならない所以です。

 そしてこれら大きく分けて三段(見性、差別の妙所の徹見、末期向上)ともに「修」があり、そして正脈の師家による「証」がきちっとあるのが、臨済禅の特徴であり、道元禅師の「修証一如」と一見正反対のようになっています。
一見と申したのは、臨済禅も最終的には、公案を離れ、深い三昧の行取によって、「修証一如」になってゆくものであり、なってゆかねばならないのですから、最終到達点は全く同じであります。

 公案禅においても、その人の香りは、長年積まれた数息観による深い三昧力が基盤となって発するものであり、公案禅を一通り終わっても、本格の数息観三昧を深め、聖胎長養を行うことが不可欠なのです。これが禅による人間形成というものであります。これは修証一如をまさしく行じているのであります。
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