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擇木道場

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擇木ブログ - 最新エントリー

お雛様

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/3/12 13:39

228日から33日まで、擇木道場にて第一回女性部接心会が行われました。
総裁老師の指導の下、蓮昌庵老禅子、慧日庵老禅子に御教授いただき、参加の皆様もとても熱心で大変楽しい接心会でした。
円了日は3日お雛様の節句にあたりましたので、
女性部お役の方々の心づくしでお雛様やお花も美しく飾られました。
 

お雛様
 

こちらのお雛様は擇木道場にて禅修行をされている陶芸作家山田妙玲禅子の作品です。
接心会中、妙玲禅子作のお雛様は三種飾られまして、最終日にご希望の方々のお宅へと行かれました。
新たにご依頼して本日(10日)我家にお迎えすることが出来ました。
 
ふっくらとしたお顔立ちも可愛く、土人形の素朴でかつ力強い美しさをしみじみと感じます。女性部接心会の思い出が深いお雛様です。
御節句は過ぎましたが、もう数日お飾りして接心会の緊張感を忘れずにいたいと思います。

合掌 妙翠 拝
 

 
 
 
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座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/3/12 10:13

3月3日 朝 日曜座禅会

初めての参加 0人

2回以上参加 5人

会員     3人

 

5分休憩を挟んで37分の座禅を2回、後半の座禅中に10分間の経行を行い、終了後に『般若心経』『坐禅和讃』を読経した。

終了後は居士寮で20分程度の茶菓子で座談会を実施した。質疑の後、

久しぶりに「茶掛け一行物」を読みました。「陰森夏木杜鵑啼」を読んで

味わいました。杜鵑の声について色々な意見が出て有意義でした。

「陰森夏木杜鵑啼」

陰森たる夏木 杜鵑啼く(いんしんたるかぼく、とけんなく)

「兜率の三関」の一関である、「撥草参玄は只だ、見性を図る。即今、上人の性いずれの処にか在る」に対する、張無尽居士が添えた偈頌の一句で、この一句で宗旨を表しているとのこと。公案の意味は「禅の修行目的は見性して成仏することにある。しからば、その見られるべき、お主の本心本性は今どこにあるか、探してこい」とのことです。

「薄暗い夏木立の中で杜鵑が啼いている」暗闇の中を夢中で歩いているとき、突然杜鵑の声を聴いて「ハッ!」として我に返り「この自分」に気づくのではないでしょうか。

暫く座禅会に来ていなかった方が、久しぶりに参加されたのは嬉しかった。龍泉 

 

3月3日 夕方 日曜座禅会

初めての参加 0人

2回以上参加 0人

会員     1人

 

日曜日の夕方は訪れる方は少ないですね。広い禅堂を独り占めして坐るのもいいものです。読経の後、早々に下山しました。龍泉 
 

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電通にて講演

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/3/7 21:46

電通にて、全国の新聞社の東京支社長さんたちに、禅の現代における必要性をお話しました。

持続性社会のための様々な議論がなされる今、自分と外界との関係性を軸に、自分とは何か、世界とはどう成り立っているのかを詳細に考察していき、最終的なライブデザインとそのための実践を提供する禅は、必ず役に立つと私は確信しています。

実際に企業の顧問として禅の見方を企業に応用展開した講座を行っていますが、これまで就業後に行っていた講座も、4月からは終業時間内に行うことになり、いよいよ本格的に始動するところまで来ました。世界の大企業がマインドフルネスという呼吸法を取り入れている中、まだ日本はその効果を企業が正面から認知しようというところまでは来ていないのですが、ようやくそのような企業が出てきたということは大きな一歩と思っています。

また幼稚園や小学生を持つ若いお母さんたちへの「子育て禅講座」をやっているのですが、話だけでなく坐禅をもっとしてみたいというお声から、別途実践講座も始まりました。子育ては究極の関係性ですので、禅の理論は非常に有効です。子どもへの見方、対し方がわかった、変わった、という声が出てきており、本当にうれしく思っています。

 

今回は時代を見ることが専門の方々に、鎌倉以降明治まで武士の基本的心の教養として皆が修めてきた禅の精神は、現代においても、企業ではパフォーマンスを上げる、ストレスを無くす、人間関係を成長させるためにかならず役に立つこと、現代のぼんやりとした宗教アレルギーに引きずられないで、明治以降特に戦後の高度成長期を経て見失ったものの検証を精神の面からやりなおし、そこに眠らざるを得なくなったものに光を当てていくことを切に提起したいとお話しました。

 

その後、共同通信から「禅と企業経営」で講演を企画しましょうとのお話がありました。共同通信では全国の新聞社がメンバーの「政経懇話会」を主宰されていて、昨年度からすでに講演者リストに入れていただいています。これまでいろいろな場で禅と現代社会とのつながりを話し続けてきましたが、昨年末には霞が関のプレスセンターでお話する機会もあり、こうした認知の高い公共色の高い場で開催されるようになるとは、やっと禅が、そして在家の禅が、宗教の枠を越えつつある状況に一歩進んだ証だと感じます。
 

少しずつ土壌がやわらかくなって、いつの日か種を宿し、日本の宝の花が世界に届く日が来るまで話し続けるのが私の仕事と思い、これからも心を込めてお話していきます。

合掌 玉溪
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坐禅や仏教について思うこと

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/3/6 22:22
欧米では坐禅や瞑想をすることによって日常生活から逃避する、スピリチュアル・バイパッシングが問題になっているそうです。
確かに坐禅をすると何か頑張ったような気になりますが、それによって直ちに生活上の問題が解決するわけでは無いと思います。
八正道の一つに正精進がありますが、やはり坐禅とは別に自分で精進することは欠かせないのではないかと思います。
 
仕事でミスをするときは、過去の失敗を思い出したり、自分の評価を気にしたりと頭の中でマインド・トークをしていることが原因となっている気がします。
坐禅をするとそうしたマインド・トークが減って、今この瞬間をあるがままに見られるのではないかと思います。
私はその境地には程遠いですが、それでもかなりミスは減ってきたように思います。
 
最近マインドフルネスが話題になっていますが、海外ではマインドフルネスが戦争に利用されることもあるそうです。
かつて日本の武士は死の恐怖を克服するために坐禅をしたそうですが、坐禅の背景に仏教の教えがないと危険な方向に向かってしまう可能性もあるのではないかと思いました。
 
日本では宗教と言うと煙たがられる風潮がありますが、それは第二次世界大戦後GHQによって国民生活から宗教的要素を取り除かれた結果であり、元々日本人の生活と仏教は切り離せない関係にあったのではないかと思います。
私は仏教の押し付けがましくないところや、非暴力を掲げているところが好きで、時間があれば仏教書を読んだりしています。
 
最近般若心経を覚えようとしてネットで音声や動画を検索すると、キッサコという現役僧侶のボーカルプロジェクトが見つかりました。
般若心経を歌うなど、歌う僧侶として話題になっているそうです。
興味のある方は是非検索してみて下さい。
 
とりとめのないことを書きましたが、お付き合い頂きありがとうございます。
 
風印 拝
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女性だけの摂心会開催結果速報

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/3/4 23:19
 今日は3月3日おひな様の日です。擇木道場の玄関には飾り雛が3つ華やかに彩りを添えています。
 2月28日から今日まで人間禅の女性部だけの摂心会が日暮里の擇木道場で開催され、先程無魔円了しました。東京支部の女性会員から正式なブログもあろうかと思われますが、小生の方から速報的にブログします。
 西は神戸から東は宇都宮から人間禅の女性会員が27名、既に入門して参禅をしている女性3名を合わせて30名が参集されました。加えて今回入門し始めて参禅した人が6名になり、その他新到者3名を入れて総計女性ばかりで39名にもなりました。
 何しろこういう催しは人間禅創立以来初めての試みであり、最初は正直色々危惧するところもありましたが、想定を遙かに超える成果があり盛況でありました。それは人数だけでは無く、20代から90代までの女性が熱心に参禅弁道し、時には30名近い参禅者があり参禅時間も1時間にもなったこともありました。そしてこの短期間の摂心会の中で、初関を透過した方が2名、難関の節目の則を透過した方が2名あり、室内も厳しく熱く充実しました。
 これからの人間禅の法の挙揚および布教のあり方に大きな一石を投じた摂心会になったと思います。取り急ぎ、速報まで。合掌 春潭 拝
 

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数息観についての最近の思い(その6)
――数息観座禅の効果としての入眠力――
 
 前回は、数息観座禅の質すなわち三昧の深さについての正念息と忘息観についてブログしました。
 今回は、前回の応用編として、数息観座禅によってだんだんと深い数息観三昧が身に付いて行くにつれて日常生活で出てくる効果のささやかな事例の一つを紹介したいと思います。
 20代30代ではいつでも何処でも寝ようとして直ぐ入眠できるものですが、40代50代と歳を取るにつれてなかなか寝就かれないという頻度が多くなります。これに対して小生は、数息観を就寝して横になったまま行うことによって対処しました。効果は上々でした。
60歳を超えてからは数息観だけでは入眠できない頻度が多くなって来ました。丁度その頃から前回お話しした息を数えない数息観である正念息をやり始めていた頃で、息を数える数息観では入眠できないときでも、正念息を横になったままやることによってスムースに入眠できるようになりました。
 これら加齢(エイジング)とともに入眠が難しくなる傾向は医学的にも随分深く解明されており、拙著『座禅の効用』(昨年2月(株)サンガ発行)の54P~58Pに加齢現象による睡眠障害は自律神経における副交感神経のレベル低下として説明しています。そしてアンチエイジングとして呼吸法によるセロトニンの分泌促進効果に言及し、入眠障害に数息観法が効果的であることを59P~61Pで紹介しています。
 70歳半ばになると数息観は勿論のこと正念息でも入眠できないときも出てくるようになりました。この現象とこれに対する対処方法については上記の拙著でも触れていません。その理由は拙著『座禅の効用』のその箇所の記載が5年前の75歳以前であり、その頃の状況では未だ無かったエイジング現象が最近では出てきているからです。70歳前半から以降のエイジングの進行とまた平行して深めていった座禅の忘息観の実践がその後のアンチエイジング法になっているというのが、このブログでの新しい記載になります。
すなわち今月末で満79歳のエイジング状態では正念息だけでは入眠法として不十分になって来ているのですが、忘息観で対処すれば入眠障害をほぼ克服できるようです。ほぼというのは出来ないときもあると云うことですが、それは横になったまま忘息観にまで到っていないと云うことであり、起きて座り直せば良いことです。あるいは寝られないときはそれもまた可で、その眠れない時間を楽しんだり日頃詰めて考えられないことをゆっくり考えても良いとも思っています。
 以上は実態の推移をご説明したものですが、これを客観的に解析してみると数息観座禅と入眠の関係を通じていくつか興味深い結論が出来てきます。
一つは正念息と忘息観ではっきりと入眠に差があったということです。これは数息観座禅によって頭頂葉が段階的に不活性になり、自律神経にその段階が明確に反映されていると云うことです。即ち80点の数息観よりも81点の正念息が、さらに82点以上の忘息観の方が自律神経の正常化(交感神経と副交感神経のバランス保持)により大きく寄与していると云うことが体験的に実証できたと云うことです。
 さらに入眠自体についての推論においてもこの推論自体が間違っているのでは無いかと考えられます。すなわち、頭頂葉が不活性になることにより前頭葉が活性になって脳内物質であるセロトニンの分泌が促進されて副交感神経が向上し自律神経のバランスが良くなると云う回りくどい論理に無理があるように思われてきました。すなわちもっと単純に短絡的に入眠障害は頭頂葉の動きに直接比例している!と解釈した方が良いのではないかと思われます。
拙著『座禅の効用』でも触れていますが、数息観法というのは座禅三昧にいたる初期用のツールであり、呼吸を数える限りにおいては雑念無く数息出来たとしても息を数えるという頭頂葉の動は残っており、数息観座禅が深まると共に座禅三昧に近づくが数息している限り完全な頭頂葉の停止にはならない。そして数息観座禅の点数(擇木ブログ9参照または拙著『座禅の効用』巻末付録参照)と頭頂葉の動きは明確に比例しており、わずかに残った頭頂葉の動きもエイジングが進むと敏感に入眠障害になるということで、前頭葉の活性化によるセロトニンの分泌促進云々という経路での入眠構造ではないのではないかと最近は考えています。
入眠障害の方は本気で挑戦してみてください。単なる入眠法の習得という日常生活に於ける効果以上の凄い儲けものが得られるかもしれませんよ。
春潭 拝 

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初めての摂心会に参加して 

さいたま禅会 長峰 一雄
 

2月22日(金)から24日(日)まで、日暮里の擇木道場で2泊3日のさいたま摂心会に初めて参加しました。

摂心会とは、心をおさめて散らさずという意味で、この期間は万事をなげうって、禅の修業をし、道力を高めることを目的とします。座禅初心者の私は、与えられたスケジュールも把握しないまま、ただ言われるがままに無我夢中で行動するのみでした。

 

「役位」という役割分担があって、参加人数が少ないために先輩のみなさんがひとりで何役もこなされているのを拝見し、申し訳ない気持ちと早く力になりたい気持ちの複雑な気持ちを抱えながらの座禅でした。

特に印象的だったのは、食事でも作務と呼ばれる掃除等でも、自分勝手に進めてはいけなく、常に他の様子を気にしながら協調して行なうことが求められることです。食事では、ひとことも喋らず食事に集中します。そしてお米の一粒も残さず、食事の最後に飲むお茶で茶碗を洗いながら食器の洗浄もしてしまうところは、「究極のエコ」を体験したようで、改めて日頃の自分の食生活を反省する良い機会となりました。

また、禅堂の清掃は、ほうきで一緒に掃いていきますが、息を合わせて同時に掃かなければならず、勝手に掃き進め、怒られもしました。
 

私は、今回の摂心に臨むにあたって毎日30分を座ることを心がけて生活してきましたが、朝から晩まで、文字通り一日中座る経験は、初めての経験で精神的にも肉体的にも、本当にクタクタになりました。それでも、最後まで座り続けることができたのは、先輩のみなさんが、常に気にかけてくださり、厳しい中にも優しさがあり、不便で制約がある窮屈な生活の中にも、居心地のいいどこか家族のような暖かな環境があったからです。

 

仰月庵老師は、「座禅は摂心に始まり摂心に終わる。」「摂心こそが座禅である。」と摂心の大切さを説いておられました。慧日庵老禅子は、来週も摂心を控え、御自身も大変な中でありながら最後まで笑顔で励ましてくださいました。

摂心を終えた今、仰月庵老師のお言葉も慧日庵老禅子の励ましも身にしみてありがたく感じ、なにか体の中から力が沸いてくる衝動にかられています。座禅初心者の私には、その感覚がうまく表現できませんが、確実にいえることは、「摂心に参加してよかった!」ということです。私と同じような座禅初心者がいらっしゃいましたら、あれこれ考える前に思い切って「摂心」に飛び込むことをお勧めいたします。必ずや新しい自分に出会えることができると思います。
 

最後になりましたが、仰月庵老師、慧日庵老禅子をはじめ、御世話になりました東京支部のみなさま、並びにさいたま禅会の仲間に心から御礼申し上げ、摂心のお礼にかえさせていただきます。今日もまた、正しく、楽しく、仲よくを念頭に座禅をします!

ありがとうございました。                合掌 拝
                                     
 

摂心会円了後の記念撮影の試し撮り写真です。左に老師が歩いて来られています。気づかずにこのありさま。とほほなさいたま禅会です!

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生死

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/2/21 22:29
女性部座禅会では座禅後に輪読をします。
先日読んだ文章は「生死」という少々重たいテーマでした。
 
一番の大事は生死、、と禅ではよく聞きます。
生きることと死ぬこと。
いかに生き、いかに死ぬか。
考えても考えても考え尽くせるものではないように私には思えます。
と同時にごくごく単純なことでもあるのではないでしょうか。
生か死か、それだけのことですから。
 

 
間違った解釈かもしれませんが、生死を語りながらすべてのことを指し示しているのではないかとも考えてしまいます。
すべてのことを生死のように一大事としてしっかり工夫せよ、と言われたように感じる文章でした。
 
とにかく「今」を一歩一歩しっかり踏みしめていくしかなさそうです。
死ぬまで「今」を精一杯生きていこうと思います。
まずは一炷香坐りましょうか!
  合掌 翡翠
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数息観についての最近の思い(その5)
――数息観座禅の質的研鑽と向上(その2)――

 前回は、数息観座禅の質すなわち三昧の深さについて、数息の1から10までを厳密に雑念なしでやる数息観座禅を連続して5回やり切る、しかもそれを一日一炷香の中で日常的に達成する段階までの経緯をブログしました。
 先日仰月庵老師から、釈迦牟尼会(人間禅と同じ在家禅会)の罷参底の方にお目にかかった際にその方から拙著の『座禅の効用』の後半部分が良かったと評価していたということを聞きました。何処の箇所かなと云う懸念とこのブログに関連しますので、久しぶりに1年前に刊行した自分の『座禅の効用』を読みました。釈迦牟尼会の方に評価された箇所は、『座禅の効用』の146頁から176頁の「後期数息観」というところであろうと推察できました。新到の方にはレベルが高すぎるところですが将来の目標が明確になると思いますし、旧参の方にはなかなか熱く語っていますから(^▽^)、再読してください。
 上記の30頁の間(後期数息観)の最近の状況ですが、概念的には全くその当時(この箇所を書いたのは8年前です)と現在も全く変わってい無いことが確認できました。しかしそれを如実に実践してきたという自負の感慨はその当時には無かったことで、その当時はまさに数息観後期の境涯に初めて到達した高揚が文面からも窺えますが、今はそれを日常において普通に淡々と行じている違いはあります。
 数息観の10までを厳密に雑念なしに5回続ける中期数息観が数息観としては最上階(80点)であり、その上に後期数息観として呼吸を数えない二段階(前期後期)の只管打坐があるのです。その前段は息を数えないが呼吸に集中している正念息であり、後段は呼吸から離れ呼吸を全く意識しない忘息観です。
 実際に数息観座禅で後期数息観に挑戦されたら判りますが、中期の最上階(80点)までに到達していなければ、後期数息観(81点以降)は全く五里霧中に入って行くことになります。後期数息観の只管打坐の二段階(後期)も最初の正念息(前期)がしっかりできていないと第二段階の忘息観へは踏み込めないことがやってみれば判ります。
 拙著『人づくり肚づくりと禅』の211P「数息観法と只管打坐」でも触れていますが、臨済宗の数息観法は初期中期の修行者に最適であり、それを卒業した者には更に上の曹洞宗の只管打坐が位置づけられている、と見たら良いと考えられます。しかし同時に数息観の初期中期を経ずに只管打坐をやっても脱俗出家して僧堂に入らない在家者にとっては人間形成として着実に向上して行くことは極めて難しいものです。したがって一般的には、臨済宗の数息観から入って行き上り詰めたら曹洞宗の只管打坐で更に上に進むと云うのがスタンダードだと思います。
耕雲庵老師が人間に生まれて来てつくづく良かったと述解されている境涯は先に述べた忘息観(只管打坐の後期)であります。ここに人間形成の醍醐味があり、『立教の主旨』第一段の「本当の人生を味わう」境涯になるわけであります。これは理では風大級以上の旧参の方々には判り読めるところですが、境涯として事として到っている人は何人おられるでしょうか?というところです。
 最近の一日一炷香の中でのことですが、10まで息を数える数息観と呼吸は意識するが数えない正念息を交互にしっかりできたら81点にし、正念息だけである程度の時間が安定してできれば82点にし、忘息観から宝鏡三昧の境地にまで到れば83点としています。83点はまだ月に何回しかない程度ですが日進月歩していますので、漸次それが定着して行くものと楽しみにしています。合掌
春潭 拝 
 
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数息観についての最近の思い(その4)
――数息観座禅の質的研鑽と向上(その1)――
 前回は、一炷香の中身の解析(その2)として、一日一日の数息観座禅において、三昧レベルが自分の上限レベルに達するまでの時間をだんだん短くする努力をしていると云うことをブログしました。
 今回はいよいよ数息観座禅の質すなわち三昧の深さについて詳細に点検して見たいと思います。
 大分以前に小生よりも若い師家方10名ほどに一週間の数息観評点付けをお願いしその結果を集約したことがあります。その結果は平均点が68点くらいでした。そして平均点が70点(一炷香の間に1から10までをちっらとした雑念をも交えないで完璧に数息できた評点)を超えた師家は10人の中一人しかいませんでした。もちろん主観評価ですがこれが数息観評点の原点にしても良いかなと考えています。 またこの師家の中の一人が、最近初めて10まで完全無欠の数息観ができて思わず万歳したと云う話をしてくれました。私はこの御仁は数息観を真剣にやっており真の禅者であるとその時 認識しました。
 これらの師家方は皆さん修行歴30年以上の臨済正脈の嗣法者ですが、数息観の評点は実にこんなものであります。すなわち厳密な数息観は先ず70点が目標だと考えたら良いということです。新到者の方々には緩い基準で評点がどんどん上がり日進月歩の記録が見えるように指導してきていますが、旧参の方々はだんだんと厳密な基準にして行き三昧の質の向上に真剣に骨を折って頂きたいと思います。
 小生の経験では、1から10までを一回達成する次の目標の二回連続達成に大変骨を折りました。一回だけなら何回でも一炷香の中で達成できるのに2回連続となると全然できない。毎朝の一炷香で二回連続を真剣に挑戦し続けて1年近く掛かりました。この二回連続が数息観修練の大きな壁でした。しかしこれを真にクリヤーできると三昧レベルが一段と深まり三昧が身に付いた実感がありました。
 その後の目標である5回連続までの道は、それほどの困難はなく半年くらいで達成できました。ただ一日一炷香の中で毎日5回連続を達成するのは容易ではありませんでした。ほぼ日常的に5回連続ができるようになるまでには5年以上かかったと思います。これを拙著『座禅の効用』の150頁では数息観上級とし、耕雲庵老師の『数息観のすすめ』では中期の最後と位置づけられています。。(つづく)
春潭 拝
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