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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
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当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 最新エントリー

心印です。
 
今回は少し特殊なテーマを取扱います。私は擇木道場で修行を始めて6年目に入っていますが、道場にかかっている名前の札(禅堂に入ったら右手に掲げられています)を見ると、たった6年なのに、大勢の後輩が名前を連ねているのです。
 
私が作り、それを皆で一生懸命ブログや記事を書いて育てたホームページを見て、大勢の方が禅を始められているので、それは喜ばしいことなのですが・・・
 
禅を本格的に修行しようと決心して、参禅(公案によって個別に老師の指導を受ける修行)に入ってくる方には、それぞれいろいろな理由があるわけですが、中には残念ながら参禅が継続できずに道場に来なくなっている人もいるわけです。
 
そこに、一つの共通するパターンがあることに気づいていて、ずっと考えてきたのですが、そのことについて書こうと思います。しかし、輔教師のレベルでは公案そのものについて書いたり、言ったりすることは許されておらず、そこには触れません。
 
見性してしばらくして参禅を辞めてしまう例は過去に何度もあるようで、老師はそのことについて、以下のような文章を書かれています。ここでは一部を引用しますが、とても重要なので参禅をされている方は全員が全文を読んでほしいものです。
 
「禅の修行の道程と三昧の深まり」
http://zenfrontier.org/modules/myalbum/photo.php?lid=5&cid=1
 
==== 引用ここから ==== 
「しかし、これらは頭の素天辺から足のつま先までの全身全霊で三昧になって到達した絶対の境地でありますが、見性し道号を頂いてしばらくして陥りやすい落とし穴があるのです。それは、師家に呈して許された見解を、言語(文字)として記憶して、この公案の見解を記憶している言語(文字)によって思い出して、見性の端的と思い違いをする人が時々居るのであります。 
 
見性・悟りは絶対の境地であり、決して相対的に思索したり言葉的に表現したり左脳で記憶することはできないものであります。それらは全て、許された見解(見性の境地)とは全く異なるものであります。この落とし穴に落ち込んで悩んでいる若い修行者が時々おりますし、見性し道号を頂いてからしばらくして道場から足が遠ざかっている者の大部分は、この落とし穴から抜け出られない方々であると云って過言ではないと思います。」
==== 引用ここまで ==== 続きは禅フロンティアのページで。
 
老師が書かれているパターンは、見性を文字で記憶してしまった場合の罠ですが、私はこれに加えて仕事の内容から来る罠があると考えています。
 
それは、人に使われる立場である会社員(部長や課長もこちら)や、店員、事務員のそれと、人を使う立場の経営者、代表者、会長、社長のそれとは大きくスタンスが違っているように思えるのです。
 
さて公案を授かって、参禅を熱心に行うと、いずれは必ず見性に至るわけですが(熱心に・・・という条件付きですが)、その後、続きやすいのはどちらでしょうか?
 
 
     さてさて・・・どちらでしょうか・・・
          ・
          ・
          ・
 
実は人に使われる立場の方が続いている事例が多いのです。もちろん人によって違いがあるのは当たり前で、一部上場企業 超多忙な経営者でも修行を続けている方はいるし、会社員でも続かない人がいます。
 
でも経営者や、代表者、社長さんなど(以降は経営者だけ書く)は陥りやすい罠があり、それに注意しなければなりません。感覚ですみませんが、経営者の場合は会社員に比べて2倍は来なくなっているような気がします。
 
これは何故なのでしょうか?
 
会社員の場合は、見性したとしても大きく仕事の立場や、参禅のスタンスが変わるわけではないので、そのまま継続し続けやすいし、三昧でつく集中力が仕事に応用できて早く帰れるようになるなど効率が良くなるくらいです(私の場合は、その分道場の仕事を増やしてしまったので、トントンですがw)。
 
しかし経営者の場合は・・・違うのです。
 
経営者は自分で仕事の内容を変えられます。会社の代表ですから当たり前ですよね。
 
見性すると自分がはっきり掴めることから、迷いがなくなります。自分の枠や限界だと思っていたものが幻想だったとわかりますから、どこまでもパワーが出ます(出るような気がします・・・)。
 
それで新しい事業をおこそうとしたり、新しい取引先を開拓しようとしたり、時には会社の業務や組織を大きく変更してしまおうとします。
 
ここに会社員にはない罠があるのです。
 
見性したてのことを禅の専門用語で「見性入理」と言います。人間禅を作られた耕雲庵老大師の書かれた「人間形成と禅」によると、137ページ「見性と悟道と」のところに、見性と悟道は、知ると、得るの違いだと書かれています。「知るのは得るまでの準備段階に過ぎない、得なければ実際には役に立たない」ともあります。
 
つまり見性したての時は知っただけなので、実際には役に立たないと言われているのです。「見性悟道」の段階に進んではじめて役に立つのだと言うのです。
 
つまりは見性したて、まだ知った段階のうちに新しい事業を起こすとどうなるか?
・・・・必ず失敗します。ここで無理や背伸びをしなければいいのかもしれませんが、おそらく経営者は責任上、必ず無理をし、背伸びをし、自分の実力以上のことに手を出してしまうのです。
 
その結果、その仕事の後始末に追われ、社員やお客様は右往左往することになり、公案の修行どころではなくなるのです。大きな借金を背負ってしまった後輩もいます。
 
あまり、こういう現実は一般の方も読むブログには書かない方がいいのかもしれませんが、現実から目を背けて何が禅者だと思うところもあるし、あまりにも事例が多いので、あえて書いてみました。

私の経験でも、見性してしばらくは、三昧を足の裏に擦り込むように座れと言われましたし、その意味は当時わかりませんでしたが、多少は、修行が進んだことで、自分が通ってきた道でわかってくることもあるのです。

私は見性したての頃、なんでもやれるような気がして、会社を辞めて事業をおこそうか?と半ば本気で考えたことがありますが、あの頃にそうすると確実に失敗しただろうなと思います(ほっ)。

「見性悟道」に至ってから事業を起こそうw

心印 拝
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さいたま座禅会 土日の試行

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/7/13 17:23

 水曜の夜19時半はじまりの座禅会は、仕事をしている人からすると「ちょっと無理」かもということで、土日の午前中に会場がとれたら隔週でもやってみようかとの「思いつき」で土日にやってみることにします。

1回は729日の午前9時半頃から始まって、お昼くらいまで。30分位は坐るとして、あとは、抹茶でお菓子の時間にしようか?禅に関係あるものを読もうか? ゲストにきていただいて、その都度、ヨガでも合気道でも、手品でもカラオケ・・・いや手品やカラオケはないな。

まぁ、スケジュールはこれからです。みんなと相談します。

年の始めの人間禅の「禅誌」の巻頭にいろいろな工夫をすべし、というのを半年もたってから読んで、座禅会ってこうでしょ、みたいな、自分中心で来訪の方のことを考えていなかった気がするわけです。

 そんなことから、来訪者参加型というか、来訪者がこうあって欲しいものを試行してやってみようかな? 大きい道場でないので小回りは効くしと。

 

 昨日の座禅会は、初めて参加してくださった方がメールをくださって、

「真剣にみなさん坐っているのですねぇ。」と。

そうかぁ、なにに真剣になっているのだろう?って思ってくださればいいな、と。

 さて、なにを真剣に坐っているのでしょう? 目的でもあるのか?って。

 

 それの応えになっていると思うのが、「禅」という冊誌にあります。

http://www.ningenzen.org/zenshi.html

 どこかに、そのあたりが載っています。どうぞご覧ください。

 いつもの座禅会だけだと、坐ってどうだった?の感想が中心になってしまって

 いるので、本格の禅のことを聞きたいという方には消化不良だったかもしれないので、どうぞ。


 今月は、来週の19日の水曜日が仲町公民館で座禅会。

26日は参禅会で老師が見えられます。しみん会館うらわ開催です。

 初めての方でも老師に「禅」とはなにかをお聞きになれます。

 そして、29日の土曜日の午前中が仲町公民館で座禅会。

 あっという間に29日が来るなぁ。              海香



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7月11日(火)荻窪座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/7/13 9:16
香水です。
今週は、13日(木)が道場稽古で使用できないため、座禅会を11日(火)に振り替えて行いました。
先週は東京支部摂心につきお休みしましたので、久しぶりの座禅会でしたが、初回から参加されている方4名、スタッフ4名合計8名で実施いたしました。
6月29日には、総裁老師が座禅会にお見えになり、禅の話をしていただきましたが、参加者から、もっと禅の話を聞きたい、公案についてもっと知りたいという声をいただきました。
そこで、座禅会を開始して2か月になることから、7月29日(木)には、初めての参禅会を行うことを許可いただきました。
参禅というのは、老師から、いわゆる禅の問題をいただき、室内で一対一で問答することを言います。
どのような問題なの? 口で説明するのは難しいのですが、お釈迦様の悟りを追体験していくものだと言われています。
私自身、公案をいただいたことで、修行を続けようと決意させたといってもいいほどのインパクトのあるものです。
当日は、7時30分から静座を行い、8時15分から参禅を行います。参禅終了後は、老師を囲んでの懇親会を開催する予定です。
参禅は、原則として、荻窪座禅会に参加している方が対象です。
参禅をしたいとお考えの方は、まずは、来週7月20日(木)の荻窪座禅会にお越しください。
座禅が初めての方は、ホームページから予約していただきますよう、よろしく御願いいたします。
荻窪でお会いできることを楽しみにしています。
合掌 香水 拝
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玉村梨紗さんギター弾き語

 

玉村梨紗さんギター弾き語

 

玉村梨紗さん ファンクラブ限定ライブとゲームと座禅体験会

 

               7月22日(土) 13時開場 13時半開演

 

日暮里 擇木道場(たくぼくどうじょう)

         
  


  

  

20170312232515image001.jpg
  

 擇木道場では音楽をやっているアーティストとファンの方に向けて、ミニコンサートと座禅体験のコラボイベントを行っています!!

これで4回目となりますが、記念すべき初回に出演して頂いた、ギター弾き語りのシンガーソングライター 玉村梨紗さんがまた来られます。この日はファンクラブ限定で、ライブだけでなく、ゲームも予定されています。ファンクラブが昼寝部と言うことで昼寝の時間もあります()。まだファンクラブに入っていない方も、当日入会できます!! 

スケジュール(途中の時間は進行の状況で前後する場合があります)
 開場   13時

 開催挨拶 13時30分   玉村梨紗さんと擇木道場の紹介
 座禅体験 13時30分   座禅指導:緒方心印
 昼寝タイム 14時30分
 ゲーム大会 15時

 ライブ   15時30分 玉村梨紗さんのギター弾き語り
 ライブ後は物販タイム、ファン交流、座談、グッズ、CD販売等


参加料金 4、000円(ファンクラブへ入会の方は1,000円追加)
 
予約はこちらから
  擇木道場ホームページ http://takuboku.ningenzen.jp
  人間禅 東京支部 擇木道場 緒方心印              

                 
    
  
  
  
     
    
  
    
  
  
  
     
    
  
 
 
 

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摂心会が終わって、祭りの後の

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座禅ブログ
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擇木道場 2017/7/10 22:08
心印です。
 
一週間前の土曜日から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という参禅(老師のところへ、入室独参して行う本格の禅の修行のこと)をともなった特別な修行期間でした。
 
摂心会は私たち禅の修行をやっている者にはとても重要な期間です。人間禅は人間形成の禅を略した名前ですが、この人間形成をする為の期間です。定例の座禅会での数息観ももちろん人間形成のベースになるものですが、摂心会では老師から直接指導を受けるので、スピード感と緊張感が段違いです。
 
でもこの摂心会も擇木道場だけだと年に3回、3週間しかありません。お寺で修行する人は365日毎日が修行ですが、社会人の我々はそうはいきません。たった3週間で人間形成をしようと言うのですから、その分集中すべきものなのですが、仕事や家庭を持つ身には難しい、そのバランスを工夫するのも修行だと言われています。
 
摂心会の1日目は結制と呼ばれ、老師からどんな摂心にするかが発表され、これからの一週間、禅に没頭する決心をするものです。一人ではなかなか弱気でできないことも、みんなと一緒ならできるものです。これに出席しないと決心もないまま、漫然とした摂心会になってしまうので、必ず出るものです。
 
また最後の日は円了と言って、一週間の摂心会がどうだったかが老師から発表されます。
 
この結制と円了は、身体が動かなくても道友に担架でかつがれてでも出席するものだと言われています。
 
この一週間は道場で寝泊まりして、仕事も道場から行くのが基本になります。もちろん家庭持ちの方や、子供が小さいなど、泊まれない人はいますから帰宅しますが、心は道場に置いておくと言われます。
 
苦しいときもあり、楽しいときもあり、工夫のしどころもあり、この一週間が人生で起こることの縮図のような気もします。さて一週間で人間形成は少しはできたのだろうか?
 
老師からは、「特に旧参の者がよく頑張って参禅した、それに引かれて新しい者も良く参禅した」と言われました。先輩の気合いが伝わってきた摂心会だったと思いますが、それに引きずられて(?)私も参禅するかどうか迷った時、結局参禅して、その結果が良かったと思うことが数回ありました。やはり行こうかどうか迷った時の、態度や心構えや行動が人間形成につながるのかなぁと感じています。
 
大変な摂心会が土曜の夕方に終わり、楽しく懇親会をやって、私は奥村チヨの「恋の奴隷」を歌ったら大うけしました() 小学生くらいだった時に流行った歌だと思いますが、こういう古い歌を最近Youtubeで仕入れていますw
 
次の摂心会は9月です。今から参加できるように工夫したいものです。
 
心印 拝
 
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この日の午後から人間禅東京支部摂心会が始まるということで、前日お泊りになっていた総裁老師が女性部静坐会のお抹茶タイムにご参加くださいました。
 
71日(土)の女性部静坐会では、土曜日は初めてという男性がお越しくださいました。
ありがとうございます!
女性部静坐会という名称の静坐会ですが、女性部が主催しているだけで、女性限定ではありません。
大事なことなので、もう一度言いますね。
「女性限定ではありません!」
男性の皆さんもぜひご参加くださいませ~。
 
さて、女性部静坐会では静坐30分、5分の休憩の後にもう一度30分ほど坐ります。
いつもは静坐の後にほんのちょっとのお勉強タイムがありますが、この日は総裁老師がいらっしゃいますので直にお話を聞くことができるという非常に貴重な時間となりました。
 
たくさんのお話をしてくださいましたが、その中でも「一日一炷香の大切さ」と「耕雲庵立田英山老師についてのお話」が一番心に残りました。
改めて、今の私には一日一炷香以上数息観をすることが必要なのだなぁと思い知らされました。
 
貴重なお話をお聞きした後で、さらに「警策(けいさく)で打つときのコツを教えてください」とお聞きしてしまいました。
というのも、女性部静坐会で助警(じょけい)という「警策を持ち堂内を回って坐っている人たちの姿勢を直す役目」を任されることが増えてきたからです。
警策とは長い棒なのですが、剣道をしたことがない私には力の加減や姿勢などがまったくわからないのです。
ですから先輩方に打ってもらい、また打っている姿を見て学ぶしかありません。
(総裁老師に警策で打ってもらう機会があったのですが、逃してしまいました。残念!!)
 
私の質問に対して総裁老師からのお答えは、
「骨にひびかない程度に、おもいっきり!」
 
おお!なるほど。
あーじゃない、こーじゃないと頭で考えてしまっていた私は目からウロコ。
 
「手首をやわらかく」とのご指導もいただきました。
総裁老師、ありがとうございました。
よっし!これからはおもいっきり打っていきますよ!
 
といっても、警策で打たれることは自己申告制ですので「打ってちょうだい」の合図をした人以外には打ちませんのでご安心を(笑)
 
ところで、座禅を体験したことがなかったり、警策で打ってもらう経験がなかったりすると「アレって痛いんでしょ?」と思いがちかもしれませんね。
私の感覚では「痛いと気持ちいいが拮抗している」ような気がします。
背中をパシーンと打ってもらうと、じっと坐っていることで固まっていた筋肉がほぐれてスッキリしますよ。
 
「一度、パシーンを体験してみようかな?」
「本当にスッキリするの?」
と思った方は、まずは体験してみましょう。
やみつきになるかもしれませんよ。
 
土曜日の朝、9時30分からの静坐会にご参加お待ちしております。
 
   合掌 翡翠 拝
 
 
 
 
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6月28日 さいたま座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/29 11:24

昨日は、座禅会場の公民館に行ったら外で知った顔が立っていて、聞けば他の団体が使っていて、どうもこちらの予約が洩れていたらしい。

全く動ぜず、歩いて3分の「しみん会館うらわ」に電話。「そちらを貸してください。」「いいですよ。」との即答。

 遅れて来た方には、公民館の係の方には伝言しておいたけど、座禅会はないと、帰ってしまったかもしれない。大変申し訳ないことをしました。

 みんなで歩いて到着、久しぶりの「しみん会館うらわ」の12畳。先週は雨漏りで使えなかった和室は、鴨居や天井、もちろん畳にも大きな染みが数か所、でもこの座敷こそが「さいたま座禅会の原点」。静かな2回の座禅の時間が流れていきました。

終了後は、茶菓は公民館の部屋に置いたままだから、茶菓なしの茶話会。

 テーマは、「安楽の法門」

 『数息観のすすめ』の冒頭には、

「数息観(すうそくかん)というのは、坐禅を組んで、静かに自分の息を勘定する修養の方法であります。これは印度において古くから行われた観法で、安楽の法門なりともいわれています。」とあります。

 道元禅師のいう「安楽の法門」と同じ意味なのかは、『数息観のすすめ』には書いていないけど、坐禅は、マニュアルに従って身体と呼吸と心をコントロールして管理(マネジメント)するものでしょうか? それとも、自分とかコントロールとかマネジメントを手放したものなのでしょうか?

 自分とか、コントロールとか、マネジメントとか、は坐禅の世界ではない、というのが道元禅師のようですが、さて、みなさんはどう思います?というところでお開き。
 

先週、身内が死んで思ったのは、有名な人が言ういろいろな「死」の概念を知ったところで、自分自身で心底わからないと安心できるものではないですね。若いころ思っていた死と今では違うように、「安楽の法門」も大禅師の文字や説明を聞いてわかるものではなく、坐って、坐って、ああ、そうか、というものではないでしょうか。                    海香

 

遠くその顔人の顔消えて風吹く 井泉水        
 
 

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心のマネジメント

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/29 1:26
 
法照です。
 
私の前回のブログ「人生一生 酒一升 あるかと思えばもう空か」
 
 
で、
 
問題が直接私の心を攻撃してくるわけではないんです。
問題が「恐ろしい」と受け止める私の心が私を攻撃してくるんです。
 
という内容の話を書きましたが、今回はもう少し突っ込んで具体的な例を交えながら書きたいと思います。
 
例えば、下記のような4つのシーンがあるとします。
 
1.夕立にあって、傘もなくずぶ濡れになった。
 
2.道を歩いていたら、道路に水をまいている人に水をかけられてずぶ濡れになった。
  水をまいていた人は「申し訳ない」と言って謝罪してくれた。
 
3.道を歩いていたら、道路に水をまいている人に水をかけられてずぶ濡れになった。
  水をまいていた人はなにも言わずに家に戻っていった。
 
4.道を歩いていたら、道路に水をまいている人がいて、うっかりぶつかってしまった。
  ぶつかったことを謝ったが、水をまいていた人は怒ってバケツの水をかけてきてずぶ濡れになった。
 
こんなシーンが皆さんに起こったとしたら、それぞれどのような気持ちになるでしょうか?
 
どれも不愉快な気持ちになると思います。
 
1.の場合に思うのは、「しまった、傘を忘れた!」とか「服が濡れて気持ち悪い…」とかそういう不愉快さだと思います。
2.については人によって考え方は異なるかもしれません。
人に対しては「謝ったから許す」と思える人もいれば「なんで周りをよく見てから水をまかないんだ!」と許せない人もいるでしょう。
許せる人は1.と同じ程度の不愉快さだと思いますし、許せない人は1.よりももっと不愉快な気持ちではないでしょうか。
3.、4.に関してはたいていの人は腹が立ちますよね。人に迷惑をかけて知らんぷりや意図的に不快なことをされれば誰でも腹は立つでしょう。
 
たいていの方は1.→4.に従って不愉快さは増していくと思います。
 
でも…
 
1.~4.のいずれも、結果としては「ずぶ濡れになる」という点では同じなんです。
しかし、どれくらい不愉快に思うかはそれぞれだいぶ違うと思いませんか?
みんな同じ結果なのに、どうしてこれほど感じ方が違うのでしょうか?
特に1.とその他の2.~4.との間には感じ方に大きな違いがあると思います。
それは「人が介在しているかどうか」だと思うのです。
相手の対応の仕方が、自分をどれほど不愉快にさせるかを決めているのです。
特にそれがわかるのが2.と3.の違いです。
謝罪されれば不愉快さも軽減されますが、謝罪もなく無視されれば不愉快さは増すと思います。
 
結局、これらを言い換えれば「人に振り回されている」とも言えます。
 
これは人に自分を尊重してほしい、と思う自分の気持ちから来ているように思います。
自分に注意を払わなかったり、無視したり、怒ったりされることに対するやり場のない怒りが結局自分を不愉快にしていく元になって自分を苦しめるのではないでしょうか。
 
自分を尊重してほしいという心、仏教で言うところの「我」を捨てられればもっと心は軽くなると思うのです。
でも、これは簡単な事ではありません…
まずは、自分の心についてちゃんと理解して、どうしていけばよいのかも正しく理解して実践していくことが必要だと思います。
では、どうしていくか、は私のレベルではとてもご説明できることではございません。
しっかりと修行されて来られた方に伺うのが一番だと思います。
 
7月2日(日)に、講演会「心のマネジメント ~感情をいかにコントロールするか~」がございます。(受付午後2時開始)
禅の修行歴35年の慧日庵笠倉玉溪老禅子が心の問題を詳しく解説してくださいます。
是非こちらに参加してみてください。
 
詳細は下記をご覧ください。
 
 
法照 拝
 
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心印です。
 
今週の土曜日から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という参禅(老師のところへ、入室独参して行う本格の禅の修行のこと)をともなった特別な修行期間が始まります。
 
この摂心会となると、普段は座禅に来られている一般の方があまり来られません。
 
会員の修行の邪魔をしてはいけないと遠慮されるのか? あるいは鐘を鳴らしてどたどたと走っていくのがうるさいと思われるのか、そこはわかりませんが、数息観だけの方は集中できないと思われるのかもしれませんね。
 
でも実はそれは違うのです。私はよく家で座るより、道場の禅堂で座る方が何倍も集中できて効果があると言っていますが、それと同じで、普段の座禅だけの会よりも、摂心会の中の座禅の方が何倍も濃く集中して座れるはずです。
 
こればかりは実際に来て頂いて体験されるのが一番いいので、一度も摂心会に参加されていない方は、今回、参加されませんか?
 
通常は座禅して、参禅の順番ですから、座禅の回のところから座ると、公案を持ち、参禅しようと言う会員の気迫と覚悟が禅堂内に満ちているのが伝わるかと思います。
 
普段の座禅会が数息観だけに集中して、どちらかと言うと癒しの安心の時間だとすると、摂心会の中の座禅と参禅は、ピーンと張りつめた糸が弾かれるのが、今か、今かと言う感じになるでしょうか?
 
私の場合は、擇木道場に来て1ヶ月くらいで公案を授かりましたが、普段の座禅会では仕事の後で疲れてるのもあり、半分寝ているような時もあるのですが、摂心会の時は、特に次回参禅しようと言う時は寝るなんてとんでもないという感じになります。
 
これぞ本格の禅修行、禅には厳しい雰囲気という側面があるのですが、それが存分に発揮されるのが、この摂心会です。
 
さて、なぜ公案を授かって、しなくてもいい苦労までして、わざわざ厳しい禅の修行をしようと思ったのか?
それは人それぞれ理由があるでしょうけど、私個人の話をすると人間関係に欠陥を持っている自分をなんとかしたいと思ったからです。老師の話を聞いたとき、数息観だけの座禅で解決しようとしたら10年かかる、そんなに時間をかけたら定年してしまって、今の問題は解決しないと思ったからです。
 
その結果、公案の修行に飛び込みましたが、私はこれで仕事中心の人生が座禅中心に一変してしまいました。それくらい人生の転換とも言えるインパクトがあったのです。それに仕事や会社以外の、例えば単身赴任しているわけですが、家庭や家族と言うものを改めて見直すきっかけにもなりました。
 
それも仕事中心ってカッコよく聞こえますが、仕事もろくにできない男が仕事中心って言っても全く説得力がないってものです。蛇足で付け加えると、座禅中心って言えるほど、禅に打ち込んでもいないので、これも説得力がないかもしれません()
 
さてあなたも何か解決したい問題がないでしょうか?
本当はあるんだけど、目をそらして、日々の楽しいことだけ考えようとしていませんか?
そして、それって本当に楽しいですか?
 
禅をやると楽しいときは心から楽しめる自分が発見できますよ。
もし何かこの文章を読んで思うところがあれば、今週末の「東京で夜一番遅い座禅会」から老師がいらっしゃるので、お会いしてみませんか?
 
あなたの人生も私と同じように一変してしまうかもしれません。
 
心印 拝
 

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心印です。
 
6月23日 金曜の夜 東京で夜一番遅い座禅会を開催しました。初めての方は3名いらっしゃいました。予約は5名でしたが、お二人ほど見えられず・・・。予約があるのに来られないと、座禅を教えるのをしばらく待ってしまうので、早く来られている方にご迷惑をおかけしてしまいます。
 
平日の夜なので、突然の残業とか仕事の都合もあるでしょうから、来られなくなるのは当たり前だと思っているので、できればキャンセルの連絡でも入れて頂ければと思います。
 
さてこの日は、いつもの「座禅の効用」を先に進めて、「その5 身体機能への効果」を読みました。ここは座禅をすると分泌されるセロトニンという物資が精神的な安定をもたらす効果があることが書かれています。
 
また葆光庵老師がよく言われる、座禅をするとデジタルコンピュータに例えられる頭頂葉がSilentになり、代わってアナログな前頭葉が活性になると書かれています。これは初めて聞いた方にはピンと来ないのですが、座禅をして考えることを停止し、数息観に集中することだと言えば分りやすいと思います。
 
今までは学校や会社でデジタルで考える力は訓練しているのですが、座禅ではアナログで考えない力を養うのです。それは感性を磨くと言ってもいいでしょう。
 
もちろんこれが精神だけでなく、身体的にも良い効果をもたらすわけですが、その効果があることは最近の脳科学の研究で解明されているのです。
 
さて勉強会の後は時々おいでになる埼玉のIさんがホタルに詳しくて、鑑賞会などを時々されているのですが、それを道場までお持ちしてくれました。
 
約3,40匹は入っているらしいです。電気を消すと真っ暗になった室内に、ホタルの黄色い光が幻想的な空間を作り出しました。これを見て数息観をすると癒されるということですが、ほんと癒しと言う感じでした。
 
座禅を続けているとこういう良い事もあるのです。
 
心印 拝
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