メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2019 10月 » »
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

検索
カテゴリ一覧

擇木ブログ - 20191002のエントリ

Zen2.0に参加しました②

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/2 17:37

 擇木道場の風印です。

 私は当道場で座禅するだけでなく、各地の座禅会などにも参加しています。今回は鎌倉の建長寺で921日、22日に開催されたZen2.0に参加しました。

 以下、前回のブログの続きを記載します。乏しい理解のため、誤解を生じている点があるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。


Zen20に参加しました②


■「Homeとつながるマインドフルネス~呼吸の中のわが家へ戻る~」:島田啓介×神久美子 様


 今、ここで呼吸が起こっている。その不思議と奇跡を感じて息を深く吸う。

 笑顔で周りの人と挨拶する。


 行き詰まりや絶望から新しいつながりが生まれる。

 マインドフルネスは絶望を助けてくれるか?


 呼吸すること、微笑むことで身体の力が抜け、自分の中にスペースが生まれる。手放すことで見えなかったものが見えてくる。


 心地よく横たわって、大地に全身を委ねる。吐く息とともに疲れを手放し、吸う息とともに大地に滋養をもらう。

 今ここにいる不思議。微笑みと気づきを感じる。


○重病の人に立ち会うことのように、答え(オチ)が出ない状況でどうあれば良いのか?

 死にゆく人(死ぬ方向=本来全てがそこに向かう)とどうあるか?


 私たちは死んではいけないという呪縛に囚われている。

 重病の人に「良くなるといいね」などと声をかけるのは、自分の安心のためではないだろうか?

 そのような声かけをされても、完全に直ることはなかなか無い。期待に応えられない。

 言葉で通じ合うことは難しい。それよりも一緒に呼吸する。たとえその人の呼吸が止まっても共有されている呼吸は続いていく。共有されたものは無くならない。思いは生きている。


○マインドフルネスブームがつまらない

 役立つ/役立たないという二分法で考えている。

 ○○にならないのは○○していないから(ちゃんと○○していればそうなるはず)という呪縛に囚われている。

 人に吹き込まれた思い込みに基づいて、行き詰まり絶望してしまう。

 裏切られる現実、失望は絶望に繋がる。

 マインドフルネスは良いものなのか?

 思うようにならない。どうにもならないことがある。


○べてるの家(1984年に設立された北海道浦河町にある精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点)の絶望体験

 治らなければならないという呪縛。こうあるべき、こうあってはいけないという呪縛に囚われていた。

 思うようにならず、自分自身が絶望したときに初めて当事者の苦しみが分かった。その時に初めてつながれた。

 弱さを絆に、無力さでつながる。


 自分を諦めて自殺未遂をしたが、助けられて帰ってきた。他力に助けられた。

 自分が完全に無力になったときに受け止めるものがあり、そこでつながりを見いだした。


○ブッダの絶望とブレイクスルー

①お城の中の生活の虚偽性への絶望

 四門出遊~出奔(古い価値から立ち去る)

 ディズニーランドから出る。ネガティブなことを無視して、夢、幸せを受け取れない。

②苦行の絶望~悟りの不可能性

 スジャータに粥をもらう(他者の慈悲を受け入れる)。

 許して緩む。

③伝えることの絶望~一般人の救いを諦める

 梵天からの説得で考え直す(苦しみへの共感)。

 至らなさへ降りていく決意。これが無いと次に転換して行かない。


○絶望から開けてくる世界

・弱さに開かれたとき、集合的な心の痛みが見える

・ハッピーエンド(オチ)を作らずに「待つ」胆力

・プロセスに委ねる信力

・弱さでつながる力

・切羽詰まって「観念」する

・世界が壊れ、新たな認知(世界)が生まれる

・成るべくして成るを知る


 私たちは絶望を感じたときに、「イライラした」で終わってしまいがちだが、絶望の裏側には自分が変わりたい気持ちがある。

 絶望を感じたときに、「苦しいからそこに留まれない」(アクセル)という気持ちと、「やってもどうにもならない」(ブレーキ)という気持ちが生まれる。そのようなことを繰り返していると、「疲れるけどどこにも行けない」ことになってしまう。


 ナマケモノは、天敵に捕まって食べられようとするときに、完全に身体の力を抜いて脱力する。完全に脱力すると苦痛が最小限になるそうである。

 人も、行き詰まって追い詰められたときに、「諦めたからなんとかなった」「人とつながる体験」のように、それまでと違った体験をすることがある。


 精神障がい者の施設では、絶望した仲間同士の生活が救いとなることがある。自堕落な生活をしていても、病気だけじゃなくて楽しいこともある。

 「まあいいじゃない」とお互いの弱さを認めることで、つながりが生まれることがある。

 相手が苦しみを話してくれたとき、自分も苦しみを話して、お互いの心の内を正直に語り合う。そして、一緒に涙を流したとき、つながりを感じることがある。


 ただ黙って聞くことが大切。変容を期待することが苦しみになってしまう。

 人は置いてきぼりを食ったときに寂しくなる。でも、本当は皆置いてきぼりを食っている。

 人を信頼して委ねることで、信力が育まれる。

 弱さをごまかさずにそのまま見せ合える関係が出来れば、大丈夫力が育っていく。

 念定慧の精進とも言える。


 大地は弱さでも強さでも、全てを受け止めてくれる。大地とつながることが出来ればそれを感じられる。

 自分が心を決めてそれに向かって歩いて行くには、その前提として個として立ち上がっていくことが必要である。人と仲良くなる前に自分と仲良くなることが必要なのである。


 右手に自分の良い所、それを受け継いだ親や先生などを思い浮かべる。

 左手に自分の悪い所、自分にそうせざるを得なかった周りの苦しみを思い浮かべる。

 そして、両手を合わせて合掌する。自分の強みも弱みも全て自分のものと受け入れてみる。

 同じように、全員で輪を作って左右の人と手をつないでみる。


合掌 風印 拝


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (245)
最新のブログ記事