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擇木道場

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擇木ブログ - 201909のエントリ

「女性と禅 輪読会」 慧春尼

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座禅ブログ
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擇木道場 2019/9/30 12:12

「第72回擇木禅セミナー」が、東京支部・擇木道場にて行われました。
その一つ「女性部輪読会」では、ただいま「女性と禅」を読んでいます。
この書は、禅に深く縁を持った者、修行の道に入った者、様々な境遇の中で
禅を通して心の玉を磨いた女性たちについて書き収められています。
 
今回は、『劫火洞然 慧春尼』です。
禅風拳揚の時代に生まれ、曹洞一代の高徳を兄に持った慧春は、
自らも出家し修行を強く望みます。
しかしながら女性の身に門戸は厳しく、言下に叱り退けられました。
慧春の堅い決心は変わらず、自らを傷つけることでようやく修行の道を許されます。


出家した後は、同参も舌を巻くほど参禅弁道は精進専一、自身の庵で往来の人を接待するなど慈善も務めた有力な禅尼でした。
文献には修行に対してかなり特化した行為も記されていますが、慧春尼の己に厳しい姿には、清々しさをも感じとれます。
 
次回は、1123日(土)にて開催されます。
 
 

「女性と禅」輪読会   東京支部担当:香春 妙翠
 
 

 
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コミックと東京、座禅

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/9/30 5:24

何気なく入っていきたかったのですが、遅まきながらブログ参加させて頂きます

私はコミックが好きで、この10月からドラマになる『死役所』(作者:あずみきし)を読んでます(コミック表紙を掲載したかったのですが著作権が気になり止めました。気になる方はネットか書店、漫喫に行ってチェックしてみてください)
2013
年から連載されておりドラマになるくらいですから皆さんご存じのタイトルかと存じます
人は、理由はどうあれ、亡くなったら死役所に行き、そこで志望理由を書類に記載して彼岸に発っていく、という舞台設定で、死役所で働く死者に正しい係に案内し、記載して頂く、「お客様は仏様です」をモットーにする職員たちと亡くなった方たちのふれあいを描くコミックです
 連載の1話目は、イジメられて自殺した中学生の男の子の話し。両親にも相談できず、特に父親は母の再婚相手で、自分を気にかけてくれない。諦めの中、死役所で記録を書いているとイジメていた男子が歩いて来るのを見つける…。これ以上はネタバレになるので書けません

私は、男の子と父親に禅的な関係を感じてます。男の子が悩んでいる自分で、父親が本来の面目
本来の面目は実力行使はしませんが悩む男の子に寄り添っています。そういう関係ではないかと、禅をしていると思えてきます…
 コミックと座禅に興味がある方、東京都内日暮里の樿木道場に来て、貴方が感じる一冊を教えて下さい。宜しくお願いします  竜眼 拝


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禅セミナーに参加しました

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/9/30 1:08

 擇木道場の風印です。

 当道場で927日、28日に開催された禅セミナーに参加しました。今回の禅セミナーは以下の内容でした。


1. 剣道部勉強会 9/27 20:00-21-00  「小川忠太郎先生の境涯を学ぶ」

2. 青年部勉強会 9/28 8:45-9:45 「人間形成と禅」輪読

3. 女性部勉強会 9/28 10:00-12:10 「女性と禅」輪読

4. 茶道部勉強会 9/28 13:30-14:30 「わび茶の研究」

5. 禅フロンティア 9/28 15:00-16:15 「アフリカの障害者の平等と禅」


 私は927日の剣道部勉強会に参加しました。

 勉強会では無刀流の石川龍三先生の話などを学びました。石川龍三は、明治時代初期に山岡鉄舟が開いた一刀正伝無刀流の三代目です。剣道なのに無刀流というのはどういうことかと思ったのですが、落語家の三遊亭圓朝(江戸時代末期から明治に活躍した落語家)が「舌で話すな。心で話せ。」という主旨で無舌居士と号されたのと同様に、無刀流の「無」は無字の「無」ということでした。

 『江戸時代に柳生但馬守の高弟の木村と出淵の試合があったが、但馬守は打たれた出淵を褒めた。出淵は打たれても右手に下げた竹刀がビクとも動かず、気合いが少しも切れない不動心を練り上げていた。対して、木村は出淵の面を打ち、安堵の色が見え、気合いが切れて勝ちを誇る様子があった。』

 現代社会ではとかく結果ばかりが重視されがちですが、それに至るプロセスも大切ということではないかと思いました。


 勉強会の最後には剣道の演武がありました。


禅セミナーに参加しました


 座禅や剣道をされている方は、落ち着いて堂々としている人が多いように感じます。私もいつかそのようになれたらいいなと思いました。


 勉強会の後は道場に宿泊しました。先日の布団作務で皆で綺麗にした布団がフカフカで気持ち良かったです。


 私は仕事のため参加出来ませんでしたが、28日に行われた禅フロンティアは「アフリカの障害者の平等と禅」というテーマでした。禅フロンティアは様々な分野で活躍されている方と座禅との交流の場です。毎回違ったテーマを取り上げていて、興味深いです。


 28日夜は皆で近くの餃子店で夕食会をしました。店のお子さんが運んでくれる料理はとても美味しく、18年ものの紹興酒が美味しくて飲み過ぎました(^^;)


 28日も道場に宿泊し、29日は朝の座禅の後、当道場の師家である名誉総裁老師の著書「人づくり肚づくりと禅」の勉強会に参加しました。

 『キリスト教の祈りも念仏も、座禅と同様に三昧(ざんまい:サマーディの音写で、瞑想で精神集中が深まりきった状態のこと)行の面がある。

 一遍上人が修行中に「唱うれば仏も我も無かりけり 南無阿弥陀仏の声のみぞして」という和歌を師匠に呈しても許されなかったが、さらに座禅に打ち込んで「唱うれば仏も我も無かりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と呈したところ許された。

 「南無阿弥陀仏の声のみぞして」というのでは、念仏している自己がいて、念仏を聞いている自己がまだいて、念仏する自己と唱える念仏とが別々で相対の場をまだ抜けきっていない状態で、本当の念仏三昧になりきっていないが、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」となると、念仏を唱える自己と唱えられる念仏とが不二一如となり、本当の三昧境を現成し、真の念仏三昧の境地に体達していることが示されている。』

 という内容が印象に残りました。


 勉強会の途中で名誉総裁老師が、立田英山老師著「人間形成と禅」の一部を紹介して下さいました。

 『有限的相対的な自己と無限的絶対的のものとの間に、正しい通路を打ち立て、自己を、その絶対者の裡に正しく位置づけるのが、ほんとうの宗教なのです。そして、自己がその無限絶対の中に正しく位置づけられたのを発見したとき、人々はそこに、初めて真の安心と真の満足とを得るのであります。』

 宗教などやらなくても自分が幸せなら十分だと思いますし、実際殆どの人が宗教を敬遠しているのが現代社会ではないでしょうか。しかし、アメリカで禅が再評価されてマインドフルネスが企業研修などにも活用されるようになったのは理由があるようにも思います。私にはまだ無限絶対は分かりませんが、今後も修行を継続していきたいです。


 勉強会の後、ヨガに参加しました。

 ヨガは初めてだったのですが、改めて自分の身体の固さを感じました。しかし、身体が固い人の方がヨガの効果を感じやすいそうです。2時間みっちりやりましたが、程よい疲労感で気分が良かったです。休みが合えばまた参加したいです。


合掌 風印 拝


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座禅会便り

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座禅ブログ
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擇木道場 2019/9/29 22:28

9月29日 日曜朝座禅会

初めての参加  0名

二回以上参加  7名

会員      7名

 

5分の休憩を挟んで、40分、35分の坐禅、2回目の35分の座禅中に10分の経行、終了後に読経(般若心経、座禅和讃、四弘請願)10分を行った。終了後は居士寮で、抹茶とお菓子で座談会をした。

 

案内事項:

10/12  14:00から仏教講座、19:00から第152回摂心会が始まり10/19に終了。摂心会とは5:00起床から22:00就寝まで、日課に従って行う座禅修行の集中期間です。

10/13に「AI時代こそ禅が生きる」~数息観座禅と公案修行~ と題して葆光庵老師の講演会を予定しています。

 

抹茶をいただいた後、『人づくり肚づくりと禅』のP50-56(2)宗教の共通基盤としての三昧を読んだ。要旨は以下のとおりです。

思念を捨てて念慮が湧かない状態が禅定三昧で、数息観の徹底、公案になりきることで到達できる。禅定三昧無くして初則透過、境涯の進展はあり得ない。また、初則を透過した見性入里の段階では三昧が身についていないので、見性した見解を思議しがちであり、最も危険なときである。更に座り込んで禅定三昧に浸り、非思議の実感を足裏に刷り込むように徹底することが大切。これができないと修行を継続できずに1,2年でやめてしまい「人間形成」の道を外れてしまう。朴訥に数息観座禅を継続し摂心会に参加して参禅弁道に励むことが大切。

禅セミナー終了後、九州に巡錫するために昨晩宿泊された葆光庵老師が座談会に参加された。せっかくの機会なので参加者に質問するよう促したが、残念ながら特に無かった。老師からは『人間形成と禅』の一節がこの修行を開始したきっかけとなったこと、講演会について話があった。

 

 

9月29日 日曜夕方座禅会

 

初めての参加  0名

二回以上参加  1名

会員      3名

 

5分の休憩を挟んで、30分、25分の坐禅。終了後は全員下山したため座談会はやらなかった。

 

案内事項:

10/12  14:00から仏教講座、19:00から第152回摂心会が始まり10/19に終了。摂心会とは5:00起床から22:00就寝まで、日課に従って行う座禅修行の集中期間です。
10/13に「AI時代こそ禅が生きる」~数息観座禅と公案修行~ と題して葆光庵老師の講演会を予定しています。龍泉

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第6回『人間形成と禅』輪読会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/9/29 20:45

6回を迎える今回の内容は、「B.人生をどう味わうべきか?」「Ⅲ.宗教について」の最終章である「14.文化人に宗教は不用か?」から始まりました。

この章は本当にしびれる内容でした。宗教に対する偏見や先入観を丁寧な説明で取り除き、本当の宗教とはどういうものかが明快に記されています。名誉総裁老師も、この章を読み、人間禅で修行をする肚を決めたと仰っていました。

以下、一部分を引用したいと思います。

「死に対する恐怖におそわれ、何か永遠なるもの聖なるものにそのつながりを見出して、安心して笑って死にたいというような気持ちが起こったとき、愚痴とは知りつつもどうにも耐えられない悲哀にとざされ、大きな温かい慰めの手にすがりつきたいというような気持が起ったとき、誰が何といってもこれが正しいのだ、この正しさの前には、今死んでも満足であるというような、確固たる内部的な心のよりどころを得たいと思ったとき、罪に怖れ因果に戦いてやるせなくなり、どうぞして、この因果の絆をぶち切ってくれる救いをと求めてやまないとき、避けがたい死に対決して、自己の有限性と相対性をまじめに反省して無常感にひたったとき“これだ!”と奮い立つ自覚に燃えたいとき、これらの場合にこそ、理屈抜きで宗教的のものが要求せられるのです。」

「それでは、人間はどうすればよいのか?人生をどう味わうべきか?という問題に、真剣に取り組んでいる、自己に対してほんとうに親切な人々に対して、この無限絶対に対する根本的欲求をどう捌いたらよいのでしょうか?そこに、ほんとうの宗教の存在の必然性があるのであります。即ち、有限的相対的な自己と無限的絶対的のものとの間に、正しい通路を打ち立て、自己を、その絶対者の裡に正しく位置づけるのが、ほんとうの宗教なのです。そして、自己がその無限絶対の中に正しく位置づけられたのを発見したとき、人々はそこに、初めて真の安心と真の満足とを得るのであります。この状態を宗教では、救済されたと言い、悟りを開いたと言うのです。即ち、自己に絶望し自己を棄て切って、自己以外の絶対者にひたすら縋るのが他力宗であり、自己の裡に無限絶対のものを見出し、ひたすら自己を絶対者にまで育て上げるのが自力宗であります。」

ここまで宗教について熱く、明快に説かれているものが他にあったでしょうか?宗教は一部の人が信仰するものではなく、ほんとうの宗教は人間である以上、必然的な必須なものであるということが良く分かり感動的な内容でした。「俺は宗教に頼りたくない。」「私は無宗教なの」「宗教ってイメージが・・・」という方も、すでに宗教を信仰している方にも、ぜひ一読願いたいとお薦めします。

輪読会では、名誉総裁老師、総裁老師も臨席され、質問にお応えいただいたり、解説いただけたりと充実した内容となっております。次回は、1123日(土)です。一緒に「人間形成と禅」輪読を通じて、立田英山老大師に迫ってみませんか?お待ちしています!

                       玉道 記







『人間形成と禅』輪読会発足にあたって 

                人間禅総裁 葆光庵丸川春潭

この著書は人間禅第一世総裁である耕雲庵立田英山老師が、『立教の主旨』が宣布されてから10年間構想を積まれて出版されたものであり、人間形成の禅とはどういうものなのか、すなわち「人間禅」とはどういう会なのかを世界に開示された著作であります。

その当時の会員(会員番号が400番未満)は全員、座右と書かれた右に自分の名前も書かれた老師署名の『人間形成と禅』をいただきました。小生もまだ道号のない本名を書かれご著書を頂きました。エピソードですが、その当時の旧参の者が所用で老師に相見した際、老師から座右と書いて渡しているのに鞄の中にこの本を入れていないと厳しく叱られたことがあったようです。ことほど左様に耕雲庵老師は、人間禅の会員はこの『人間形成と禅』を常に生活の規範にしてほしいと願われていたのであります。

小生が総裁になっての最初の年頭の垂示(平成19年1月3日)において会員の皆さん全員に、この『人間形成と禅』をもう一度読み直すようにお願い致しました。しかるにそれ以降に入会した方は既に450名余にのぼり、この垂示を直接聞いていない方の方が現在の人間禅では多くなっているのです。

座右の教えをしっかり将来に引き継ぐために、青年部が中心になって人間禅の原点たるべき『人間形成と禅』を読み且つ味わう勉強会を立ち上げてほしいと先日お願いし、禅セミナーの一コマに入れさせていただいた次第であります。


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第72回禅セミナー

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座禅ブログ
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擇木道場 2019/9/29 11:19

第72回 禅セミナー 参加感想

 

9月27日 剣道部勉強会

『続 武道の研究』、「剣道仕合審判」についての議論 を読んだ。

柳生但馬守の仕合審判(武道の研究上巻216)の部分

柳生但馬守が、高弟の木村助九郎と出渕七兵衛に久しぶりに立ち合わせて審判をした。二回立ち合ったが、二回とも木村助九郎が出渕七兵衛の面を打って仕合を終えた。しかし、但馬守が褒めたのは面を打たれた出渕だった。出渕は打たれる前も後も、右手に下ろした竹刀はビクともせず、気合が少しも切れなかった。一方、木村は面を打った時に安堵の色が見えた。打つ前と後で気合が切れていて、修行のレベルは出渕に遠く及ばない。そのことを、柳生但馬守は見切っていた。

これは、私たちが目指している「正念の相続」のことと解釈した。毎日、一日一炷香の数息観座禅を行じているが、線香一本坐る間中に数息観を一貫して続けることは難しい。しかし、毎日継続していると、座禅を始めたころと比べれば相当にレベルが上がったと感じられます。これからも精進するつもりです。

 

9月28日 青年部勉強会

『人間形成と禅』を読んだ。

14.文化人に宗教は不用か?の部分 P62

それでは、人間はどうすればよいのか?・・・有限的相対的な自己と無限的絶対的のものとの間に、正しい通路を打ち立て、自己をその絶対者の裡に正しく位置付けるのが、ほんとうの宗教なのです。そして、自己がその無限絶対の中に正しく位置付けられたのを発見したとき、人々はそこに初めて真の安心と真の満足とを得るのです。この状態を宗教では救済されたと言い、悟りを開いたと言うのです。

私が人間禅に入ったときに最初に読んだ本が『人間形成と禅』でした。この部分を読んだ時、これは本物だと感じました。人間の生き方について悩んでいたときに目を開かせてくれた文章でした。龍泉
 

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9月24日の火曜座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/9/25 23:19

 火曜座禅会は、夜6時半から8時まで、間に5分の休憩をはさんで

がっちり座ります。

8時からは読経。 開経の偈、般若心経、四弘誓願文を唱えます。

のち、居士寮でお茶(夏でも熱いハブ茶)を頂き、本読みをします。

 

今は、懐奘編『正法眼蔵随聞記』。

道風庵老居士が火曜座禅会の担当になってから読み始めて、最後の章

第六章に入りました。 今日はその三。

 

心に留めるのは

「言葉を発せんとする時は、三度顧みて自利利他の為に利あるべくんば

これを云うべし。利なからん言語は止まるべし。」 の文。

 

ものを云う時は、三度考えてから云えということ。

三度考えたら云わないで済むことが多そう・・・

それにしても耳の痛いことです。

 

“ごちゃごちゃ云うな!” ですね。  (秋香)

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Zen2.0に参加しました

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/9/25 7:23

 擇木道場の風印です。
 鎌倉の建長寺で921日、22日に開催されたZen2.0に参加しました。

Zen2.0に参加しました

 公式ページによりますと、「Zen2.0とは、鎌倉の歴史と伝統が育んだ叡智に、現代の智恵や多様性を融合し、開かれた目覚めに向かう「魂のつながり」を共に創る、禅とマインドフルネスの国際カンファレンスです。」とのことです。
 Zen2.02019年のテーマは「つながり」です。
 私は当道場で座禅するだけでなく、各地のお寺の座禅会に参加したり、テーラワーダの瞑想会などにも参加していますので、「つながり」というテーマに惹かれました。
 今回タイのスカトー寺での瞑想合宿ツアーに一緒に参加した方とご一緒させて頂き、宿泊もさせて頂くなど大変お世話になりました。善友は有り難いです。
 以下、Zen2.0の内容を記載します。乏しい理解のため、誤解を生じている点があるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。また、同じ時間に複数の講演がありましたので、全ての講演に参加出来ている訳では無いことをご了承下さい。

■オープニングセレモニー

Zen2.0に参加しました

○座禅:村田靖哲様

 今回のZen2.0のテーマは「つながり」です。
 初めに般若心経を読経します。
 背筋を伸ばして、お配りした経典を顔の高さに両手で持ちます。
 中指が鼻の高さになるようにして合掌します。脇は拳一個分開けます。

 禅というものは一体何だろう。
 目的では無い。観音様になることです。
 観音の自知とは、一切の煩悩や雑念が取り払われた状態です。煩悩や雑念を一枚一枚薄皮を剥ぐように取り除くのが禅の修行です。
 そして、無、空の心境に入った状態を菩薩と言います。
 
 マインドフルネスはそれぞれの立場や職業において自分を見つめ直すように体系づけられたものです。
 こころの捉え方をマインドからマイルドに転換し、柔軟性のあるふっくらとした円のように心を持っていくのが禅の心です。そのような心を常に持つように日常を律するのです。

 お経を読んで気持ちよかったと感じた人もいるでしょう。般若経は読んでブッダを目指すものなのです。

 ここで座禅の時間を取ります。座ったまま背伸びをして、ゆったりと身体の力を抜きます。身体を一度前に倒して起こし、1mくらい前の床を見ます。

 座禅では生活全てが修行です。作務は畑仕事が始まりでした。
 座禅の座は「坐る」という字を書きますが、その字には人が二人います。その人はどちらも自分であり、一度立ち止まって自分と向き合うのが座禅です。
 臨済宗でも江戸時代までは面壁して座禅をしていましたが、黄檗宗が入ってきてから対面座禅をするようになりました。

 座禅は本来見返りを求めないものです。
 心に背負っている荷物を下ろして苦しみから解放されるのです。
 己事究明とは、自分の真実を見ることです。真実の自己を見つめるには何も考えないのが良いのです。
 私たちは心では無く、頭で生きています。
 自分に対する執着や損得だけで考えています。
 座禅をして落ち着いた気分になっても、座禅が終われば大騒ぎしてしまうでしょう。
 そうではなく、例えば次の人のことを考えてスリッパの向きを変えるなど、相手の立場に立って考えるのです。
 自分だけのことを考えるのでは無く、人と何かをしていくことで縁が生まれ、つながりが生まれます。
 現在の情報社会では、逆に繋がりすぎているとも言えます。繋がりすぎている中で人とのつながりを見つけ、自分を見つけるのです。
 何があろうと歩みをとめず歩いて行きましょう。

○「つながりのある世界」:スティーブン・マーフィー重松/三木康司/宍戸幹央 様

 「つながり」とは、自分と他者、自然との繋がりのなかで新しい可能性を見出すことではないかと思います。
 Zen2.0は、主催者が鎌倉の駅前で飲んだことがきっかけとなって始まり、そこから国際的なイベントに発展しました。
 仏教には縁という教えがありますが、それはつながりのことではないかと思います。

 Oh my god you're here.
 小文字のgodGod(神)ではなく、もっと広い意味、もの、力で、自分より大きな何かを認めることです。宇宙、自然、higher power(大いなる存在)のように、自分自身でコントロール出来ない、頑張ってもコントロール出来ないものに、自分を手放して身を委ねてみる。

 私たちは、「One true religion. 」「Only one.」のように全てが解決する「magic」のようなものを探している。例えば、神頼みやドラッグのような特効薬を求めている。
 そうではなく、「mystery」、即ち自分ではコントロール出来ない神秘的な存在に身を委ねてみる。「surrender」、ある種の諦観とも言えるでしょう。
 そのように身を委ねることで、自分の命を捉まえて、人生の目的を見つけていく。
 それは、自分の力や考えでは出来ないことです。大いなる存在との繋がりを信じることが大切です。
 宇宙からのメッセージ、大いなる存在に目的を聞くためにはマインドフルネスが必要なのです。
 座禅をしていると、心が静かになり、自分が何かを受けていることを感じ、大いなる存在からのメッセージが聞こえるようになってきます。

 I am here.
 私たちは一人の人間として身体、顔があり生きている事実があります。しかし、自分はひとりぼっちという妄想を続けていると、不安を感じて、限られたことしか認めない、見えない状態になってしまいます。
 そうではなく、自分を全てあるがままに受け入れて癒やされるために「all」になるのです。そうすれば「I」と「all」との繋がりが分かり、自分のユニークな目的に気づき、個人として成長することが出来るのです。

 周りの人にお互いに「Who are you?」と話しかけてみましょう。
 お互いにその問いに答えることで、本来の自分を見つけることが出来、相手との繋がりが生まれ、色々な人と繋がることができるのです。

 次に、相手に「I see you.」と声を掛け、声を掛けられた方は、「I am here.」と答えてみましょう。
 それによって、私という一人の人間だけでなく、先祖と共にいること、私やあなたの中にいる大いなる存在も見えてくるのです。

合掌 風印 拝


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中央支部摂心会に参加しました

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擇木道場 2019/9/24 5:38

 擇木道場の風印です。

 市川にある人間禅本部道場で921日まで開催していた中央支部摂心会に参加しました。私は14日夜から参加して、16日朝に仕事のため下山して、19日夜に再度入山しました。


 道場に一泊して朝の座禅の後、再びお茶のご相伴にあずかりました。


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


 お茶碗や茶杓も手作りのものを多く使っていて味わい深かったです。お茶碗も作るほどに形が整ってくるんですね。


 午前の作務では何かの花の芽が出ているのを見つけました。


中央支部摂心会に参加しました


 何の花か気になっていたんですが、Twitterでフォロワーの方に彼岸花と教えて頂きました。

 道場の先輩が22日に咲いた彼岸花の画像をTwitterに上げてくれていて、20日朝には蕾だったのに花の咲くのは早いものだなと思いました。毎年お彼岸の季節に咲くのは不思議ですね。


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 午後の作務では集めた落ち葉を房総道場にトラックで運びましたが、私も一緒に連れて行ってもらいました。

 房総道場は千葉県四街道市の郊外の林の中にある座禅道場です。畑の中を突っ切ってかなり奥まったところに入って行ったので、本当にこんな所に道場があるのか心配になったのですが、ちゃんとありました。


中央支部摂心会に参加しました

房総道場名物の三日月岩


中央支部摂心会に参加しました

房総道場


 台風の被害でかなり木が折れていましたが、道場は運良く無傷だったそうです。台風は恐ろしいですね。


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


 道場ではシイタケの栽培もやっているそうです。


中央支部摂心会に参加しました


 今回房総道場はお休みでしたが、11月に摂心会が開催されるそうなので、ぜひ参加したいと思いました。


 再び市川の道場に戻ってシャワーを浴びた後、皆で座禅をしました。


中央支部摂心会に参加しました


中央支部摂心会に参加しました


 静謐な空間で座禅が出来るのは有り難いです。


 今回の摂心中に(本当はスマホ禁止なんですが^^;)道場に来なくなった方(以下Aさん)とSNSでお話する機会があって、宗教をやっているような人は弱くて可哀想で惨めな人というお言葉を頂きました。

 私自身特に信仰があるわけではないし、宗教をやっているという意識は乏しいのですが、自分自身に省みて全くその通りだなぁと反省しました。

 一般からみても宗教というと煙たがられたり、変な人と思われるのが普通ではないでしょうか。実際私自身も変な人ですし^^;

 しかし、考えてみると誰でも弱いところはある気もしますし、よく観察すれば誰でも変なところはある気もします。

 私は921日、22日に鎌倉の建長寺で開催されたZen2.0に参加したのですが、広島大学名誉教授で「ありがとう禅」を開催されている町田宗鳳さんから「近づいてみればまともな人間は一人もいない」「禅とは発狂すること」というお話がありました。

 発狂というのはネガティブなものではなく、既存の常識や世間体をぶち破って新しいことを創造するということではないかと思います。もしかすると禅にはそういう力があるのかもしれません。


 Aさんには依存や関係性は束縛を生むというお言葉も頂いたのですが、同じくZen2.0で講演された京都大学大学院教育学研究科 助教の藤野正寛さんに質問させて頂いて、「つながりと束縛は別のものであり、全ての人は繋がっている。独占欲が束縛を生むので、相手との関係に自我や欲望を載せないことが大切」と教えて頂きました。

 私自身は、在家のまま泊まり込みで座禅や公案の修行が出来る場は中々無いと思いますし、人が成長するには他の人との関わりが不可欠と思っていますので、スポーツの合宿などでも構わないと思いますが、会社とは別に共同生活を出来る場を提供して頂いているのはとても有り難いと思っています。

 Aさんには大変厳しいお言葉を頂きましたが、貴重な気づきの機会になりました。


 座禅は敷居の高いイメージがあると思いますし、お寺の修行ほどではないにしてもそれなりの厳しさはあると思います。また、働きながら摂心に参加するのは中々難しいと思うので、人に勧めていいものか迷うところもあります。

 私自身は道場や道友の皆さんがとても好きですので、そのご縁を大切に、今後も座禅修行を続けていきたいと思っています。


合掌 風印 拝


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茶道稽古・日曜座禅会

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座禅ブログ
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擇木道場 2019/9/23 20:43

東京支部・檡木道場茶道部の稽古は、毎月通常は水曜日2回、日曜日1回となっています。

本日22日、茶道稽古日です。


檡木道場茶道部には、有楽流茶道に惹かれて稽古に通い、ご都合に合う座禅会に参加される方が数名いらっしゃいます。

そのようなお一人Aさんは、長年に渡り、他の流派の茶道にて修練研鑽されていらした方です。


本日は稽古者の時間差で、比較的閑な稽古日でしたので、Aさんに大天目点を所望、濃茶を一服頂きました。

流派によって、道具の扱い、点前、手順は違いますが、最終的に修練された方の所作や呼吸はいずれも同じ場所にあると思います。

大変、意義のある楽しい時間でした。


17時からは、日曜夕方座禅会です。

曇天の雲行き怪しい空模様でしたが、4時半に前回参加の二名が新到の方をお一人連れてみえました。

その後、日曜座禅会常連の方二名参加、計七名にてこちらも閑に座りました。

座禅会終了後、階下でお茶を飲みながら歓談です。

前出の三名の方々ですが、荻窪接心会の際、名誉総裁老師の講演会「チェンジ・ユー」に参加し闊達に質問された学生の皆さんでした。

「あ~!あの時の!皆さんですね~! 」


茶道稽古と座禅会、私的「茶禅一味」の一日でした。




合掌 妙翠拝

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