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擇木道場

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擇木ブログ - 20190708のエントリ

風印です。

622日~29日まで当道場で開催された摂心会(せっしんえ)に参加しました。

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摂心会というのは禅の修行の期間で、通常1週間行います。摂心会中は道場に詰め切りで修行をするのが原則ですが、仕事などで止むを得ず外出する時は直日(じきじつ:禅堂の責任者)の許可を得る必要があります。参加者同士の会話は出来るだけ控えて、座禅や作務(さむ:主に掃除ですが、座禅の三昧を動作の中に活かすための修行)を行い、禅の指導者である師家に参禅(公案を用いて禅問答によって境地を開く臨済禅の修行)することも出来ます。

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作務では箒や雑巾を用いて掃除をしたり、草むしりをしたりします。陽射しが強く、気温が高かったので大変でしたが、普段スマホを見たりして過ごすことが多いので、いつもより健康的に過ごせた気がします。食事の前後には「食前(じきぜん)の文(もん)」「食畢(じきひつ)の偈(げ)」を一同で唱和し、静かによく噛んで食物を味わって頂きます。食べ終わったら茶碗にお茶を注いでもらい、沢庵漬けを用いて食器を洗い、布で拭き取ります。最終日の29日には懇親会にも参加し、楽しい時を過ごすことが出来ました。
 

今回、摂心会中の623日に行われた講演会、「チェンジ ユー! ~ 禅は君を変える ~」に参加しました。
 

「自分を変える」とはどのようなことなのでしょうか?

私自身に鑑みると、人間関係を良くしたい、もっと社交的になりたい、どうせなら給料もたくさん貰いたい、などなど様々な欲求があるように思います。

以下、講演会の内容をまとめてみました。
 

禅の見地から考えてみると、自分と他人との関係性(構え)を変えることが、「自分を変える」ことになります。例えば、ある人を「嫌な人だなぁ」などと感じることもありますが、「嫌な人」というのはあくまで自分の捉え方の問題であり、正しくは「私が嫌だと思った人」であって、ありのままに見れば、「嫌な人」そのものは実は存在しないのです。

私たちは、分別心、即ち自我に囚われ感情に流されて、ありのままを見ることが出来ない不安定な状態に陥りがちです。私たちの苦しみはそこから生じているのではないでしょうか。例えば、他人を見て自分より背が高いと羨んだり、逆に背が低いと下に見るような人は、自分に何かしらの劣等感を持っていて、自分自身を受け入れられないために他人を受け入れられないのです。風が吹くと湖面が乱れる様に外界の刺激や情報に心乱されるのは、自分が受け身の姿勢であるために、自分の人生を生きていないと言えます。
 

では、受け身の姿勢を変えて、主体的に自分の人生を生きるにはどうすれば良いのでしょうか?

臨済禅では、数息観といって自分の呼吸を数えながらする座禅を行います。呼吸で自分の心を鎮めることで、心が騒つかずに私自身を感じられ、主体的に自分の人生を生きられるようになるのです。座禅をして自分自身を見つめ、自分が充ちた状態、即ちマインドフルな状態になることが出来れば、自分で自分をコントロール出来るようになり、外界の刺激や情報に心乱されることなく、自分が揺れなくなります。自分や他人に×を付けて否定するのではなく、ありのままに受け入れることが出来れば、○を付けて尊重することが出来るようになります。数息観によって自律神経が整い、交感神経と不交感神経のバランスが取れます。自分に○をつけることができれば、他を尊重することができるようになるので、共感力が上がり、思いやりのある「善い人」になるのです。

ちなみに「善い人」とは、ブッダがなぜ出家したのかと弟子に聞かれ、善い人になりたかったと答えたこと、ハーバート大学の呼吸の研究で5つの効能を指摘しており、その最後に「良い人になる」と指摘していることを踏まえています。
 

私たちの目に見えているのは、大きな生命の中から縁起によって現れ出た現象であり、氷山の一角に過ぎません。自分を形成している全体は見ることができないものです。それは因果全体を指しますが、因果は縁起によって生じ、また自分自身も世界全体の因縁の一原因として生きているのです。このように因縁が充満した状態が「空」であり、「空」があるからこそ私たちが存在するのです。一即一切・一切即一と言いますが、そこには過去も未来も無く、一切が平等です。

座禅によって空を体得出来れば、そこから自他不二の観念が生まれ、慈悲が生まれます。色即是空はあらゆるものの本質は空であり、そこでは一切は平等であると説きます。対して、空即是色は平等な生命の中から縁起によって現れ出てきたものには区別があると説きます。智慧をもって区別を知るからこそ慈悲の念が生じ、他者に対して自然とアクションを起こし、態度と生き方が自ずから変わるのです。行動につながるものが智慧であると大乗仏教は説き、その生き方を菩薩道と言います。

大いなる生命の中から因縁の果てに出てきた身体に×を付けることはないのです。私はこのような因縁で生まれてきたという宿命を受け容れ、自分を分別せずに受け止め切ることが出来れば、次の行動、即ち菩薩道に繋がります。本当に苦しんでいる人こそ、慈悲の念を持てるのです。今仏教講座で講じている『維摩経』では現象である苦楽の価値は本来同格、煩悩即涅槃であると説き、だからこそ苦しんでいる人はその苦ゆえに他への慈悲が生じ、行動となって利他を行ずることができるので菩薩道が生じると説きます。
 

私たちは、自分や他者を判断し、分別しているから受け入れられないのです。悩みに悩んで自分を非難しても構いません。それでも逃げずに自分を受け入れ切れれば、どうすれば良いかが見えてきます。ありのままを受け入れれば、そこには肯定しかないのです。
 

数息観は自分の心に湧き出てくるものを裁かない呼吸法です。何も頼らずに呼吸だけを見つめ、マインドフルな状態を持続して正念相続できれば、自立性、主体性が生まれてきます。自分一杯に成り切ったからこその無私であり、色を乗り越え、何かに依存することなく独りで立てることが本当の自己救済です。執着を離れた先にある空の中で苦楽を区別せずに自分という現象を受け入れるのです。どんな大きな風が吹いても自分自身の足で立ち、自分を大肯定した上で自然と出てくる行動が慈悲なのです。

空から智慧、慈悲が生じ、行動として現れるのが菩薩道です。自分を他者のために育てる誓願を自ら起こすことによって、共に菩薩道を歩んで行こうではありませんか。-----
 

私のメモではこのような感じでしたが、空の概念はとても難解であり、私自身理解出来ていないところが多々あります。また、私は相変わらず外界の刺激に心乱されて菩薩道にはほど遠いです。それでも、座禅や仏教を学ぶようになってから、自他の分別に苦しむことは少なくなってきたように思います。
 

生きていれば心が乱れ騒つくこともあるでしょう。そんな時は是非当道場にお出でになって、一緒に座禅をしませんか?

「チェンジ ユー」、あなたを変える、自分を変えることが出来るのは、あなただけなのですから。

合掌 風印 拝
 

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