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擇木ブログ - 20190628のエントリ

「道眼(胆識)を付けるには」(その4

丸川春潭

 

公案修行は修行系の最たるものであり、余程の覚悟がなければ入門を許さないというのが、伝統的な臨済宗のやり方です。すなわち庭詰め(注1)とか旦過詰め(注2)という入門を安易に許さない伝統的な儀式が現代でも臨済宗のお寺では残っています。江戸時代には本当に命がけという覚悟を見定めるまでは入門を許さないというのが常識であったのでしょう。このルーツは達磨大師に対する二祖慧可の断臂に由来しているのは当然です。現代の在家禅(人間禅)では入門(参禅修行を始めること)のハードルは下げていますが、実際に公案修行が始まれば人情涓滴を施さずで、公案修行はいつの時代でも厳しいもので厳しくなければ公案修行にならないのです。

公案修行はこれで自分を変える修行(ちっぽけな自我を大仏のような大きな自我に変える修行)ですから、当然「楽行」ではなく「苦行」になります。公案修行が楽な時は成長していないと考えた方が良いし、公案に詰まり打開するのに苦しいときこそ人間形成の飛躍する好機であると勇猛心をかき立てたら良いのです。(楽しいことを期待し、癒やしを求めて来られたのなら、公案修行の前の段階に戻ってしっかり数息観を修されるのがいいでしょう。)公案に詰まり二進も三進も行かなくなるのが修行の真骨頂であり醍醐味なのであります。公案が詰まると云うことは、そこに自分の弱点があると云うことです。弱点は百人百用でありしたがって詰まる公案も人によって当然異なります。まさに公案は個々人に焦点を当ててその人の人となりを照らし出してくれる鏡になるのです。

公案に詰まり苦しいときが当に飛躍の秋であります。したがってそういうときの対処法は、公案さえ通れば良いというような卑しいやり方ではなく、オーソドックスに真正面に公案を据えて全身全霊で取り組むことが大切です。古来から師家に参ずることを炉鞴に身を投ずると言います。そこで千鍛百錬するのです。

公案に詰まった苦しさを乗り越える王道は修行の原点に返ること、すなわち三昧を深めるしかありません。三昧が深まり公案に込められた三昧の深さに到ればがく然として今までの壁が崩壊し全てが展望できる見地に自然に到るものです。そしてちっぽけな自分の殻が破られた時に心から快哉を叫び、法喜禅悦に浸ることができるのです。こういう修行の楽しみは世間の楽しみとは全然違う自分を深くうけがい納得できる喜びなのです。(つづく)

(注1)庭詰:禅寺で入門をお願いする儀式で、玄関で頭を下げたまま何時間でもお願いし続けなければ中に入れてもらえない。

(注2)旦過詰:中に入れてもらってもひたすら一人で座り続けるだけを一週間続けないと相手にしてくれない。

 

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