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擇木ブログ - 20190616のエントリ

丸川春潭


我々の禅は、人間形成を目的とした禅であります。したがって「本当の自分探し」とは云いますが、いわゆる宗教ではありません。すなわち葬式とか法事とかしかやらず人間形成の面が抜けている現代の宗教とは一線を画したいという思いで人間形成の禅は宗教ではないと云っています。


人間形成は知性のジャンル(相対樹)ではなく感性のジャンル(絶対樹)の充実にあります。そして人間形成を進める両輪として道力を付ける車と道眼を磨く車があります。道眼を開き磨く車の推進はお釈迦様の悟りを追体験しお釈迦様をはじめとした仏祖方の境涯に近づくことです。


お釈迦様の悟りを追体験(見性)し、それを身に付ける手段として最適な方法が臨済宗の公案修行です。世に癒やし系から修行系からいろいろの修養法がありますが、お釈迦様の悟りを直に掴ませることを中心に持っているのは、臨済系の伝法の印可があるところ(僧伽)だけです。


お釈迦様の悟りを追体験することができると云うことは大変なことです。すわちこんな素晴らしいというか凄いことが現代で可能なことはまさに驚きです。


臨済宗の公案修行をする場合に気をつけなければならない点があります。それは特に現代のインテリゲンチャが陥りやすいのですが、ともすれば知性のジャンルである相対樹に居たままで公案修行をしてしまい勝ちです。人間形成は知性知識が増えるのを目指するものではなく、したがって禅学をいくらしても人間はできません。公案修行は絶対樹の場での修行です。そのためには相対樹から絶対樹に移らなければ公案修行はできません。この相対樹から絶対樹に移る力が道力であり道力の基盤の上に公案修行が成り立っています。したがって道力が付いて来なければ公案修行は途中で涸れてしまい、人間形成は深まらずそしてこの修行は続かないということになります。


逆にぼつぼつでも道力を付ける修行を積めばという前提条件の下で云えば、公案修行は全ての人(全く無学文盲の人間にも)に開かれた無二の法門であり、公案修行に向かない人はいないと考えています。自分は公案修行に向かないと思うのは、こちら側の説明不足と本人の誤解があるからです。


人間形成の禅は全ての人に必要であり、それは信仰・宗旨の違いを超えるものでありますが、これを人に勧めるのに拙速は厳に慎まねばならないことは言うまでも無いことです。


 お釈迦様の悟りすなわち世界宗教の創始者の掴まれたものを追体験できるのは臨済禅だけであると云うことを考え、誤解を恐れず云いますと全ての宗派の宗教家が臨済禅の手法で見性し道眼を開くことをしたら、全ての宗教はそれぞれが誕生した原点に立ち返ることができ、全ての宗教は本当の宗教性を取り戻し、排他的セクトがなくなり、宗教的対立が地球上からなくなるはずであると考えています。(つづく)
 

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