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擇木道場

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擇木ブログ - 20190524のエントリ

「薔薇は理由なしに存在する
 薔薇は咲くが故に咲く
 薔薇はおのれを意識することをしないし
 他人が自分を見ているかどうか問いはしない」
――アンゲルス・ジレジウス

 坐禅をするようになってから、私の気づいたことの一つは、私の人生には深刻な問題がない、問題はあったとしても、深刻だと思うような問題ではないのだということです。

 私は、人生の中で、苦しさ、悩み、迷いを抱えて生きてきました。
 余り意識してはいないのですが、私が坐禅を始めた理由には、このような人生での苦しさ、悩み、迷いに対処したいという思いがどこかにあったからではないかと思います。
 しかし、冷静になって考えてみると、私は、坐禅などを始める前からきちんと生きていたのです。
 苦しかろうか、悩ましかろうが、迷っていようが、なぜか、それをきちんと克服できていたからこそ、私は、今、ここで生きているのです。

 私たちは、みんな、苦しみや、悩みや、迷いを克服して生きる力をきちんと持っていて、みんな、現在、その力がきちんと働いています。
 そうでなければ、私たちは、苦しみや、悩みや、迷いを抱えているのに、生きているはずがないからです。
 私たちは、生きている以上は、苦しみや、悩みや、迷いを実際には克服できているのではないでしょうか。
 しかし、なぜか、克服したはずのものを引きずってしまって、勝手に自信をなくしがちなだけなのだと思います。
 私たちが人生の問題だと思ってしまっているものは、きっと、既に克服してしまった非常に些細な問題なのであり、勝手になくしてしまった自信を取り戻せば済むだけことなのです。
 禅などの仏道の修行と呼ばれるものの、実存的な機能は、自信を取り戻すためにちょっと私たちの背中を押すくらいのものなのだと思います。
 そして、自身を取り戻した後は、ただ人生が豊かになっていくのを味わうだけになっていくのです。

 鈴木大拙先生は、禅について

「それはわれわれの心に生まれつきそなわっている創造と慈悲の衝動を、すべて思うままに働かせることである。一般に、われわれはこの事実、すなわち、われわれは自分を幸福にし、たがいに愛し合って生きて行くのに、必要な機能をことごとくそなえているのだという事実に、気がつかないでいる。」

と言います。

 薔薇は、自分が美しく咲いていることを知らなくても、薔薇です。
 本質的には、別に自分がどんな風に咲いているかも知る必要はないのです。
 けれども、多くの人は、自分が美しく咲いていることを知りたくなってしまった不幸な薔薇です。
 私も、きっとその一人です。
 坐禅のお陰で、知らなくてもいいや、というようにはなったものの、どこでまたぶり返すかわからないので、常備薬を飲むような感じで、坐禅を続けているという面は否定できません。

 本当は、特別に何もしなくても、みんなきちんと生きていて、きちんと咲いているのです。
 けれども、自信をなくしてしまって、きちんときれいに咲いているのに、きれいに咲きたい、きれいに咲いているのを確かめたいと悩んでしまっているだけなのだと思います。
 私たちは、薔薇と違って、見ることができる目を持っていますが、自分で自分の姿を見ることはできません。
 鏡を通して見たところで、本当に、鏡が私たちの姿を映し出しているのかの保証はありません。
 だから、きれいに咲いていることがわからなくて、自信をなくしてしまっているのです。
 しかし、自分自身がどんな風に咲いているかはわからなくても、ほかの人がどんなに美しく咲いているかは、きちんとわかるように出来ています。

 私についていえば、私は、利己的であり、美しく咲いている人、幸福な人、成功している人に対して、嫉妬心を抱きます。
 けれども、そのことは、私に、他者がいかに美しく咲いているかを感知する能力があることを明確に証明しています。

 私たちは、自利の極大化を目指す競争社会に染まりすぎて、自分の中に備わっている慈悲の衝動を発動することが困難になっています。
 それは、他者を蹂躙して自利の極大化を目指しながら、慈悲を語ることの不遜さに対する嫌悪にも由来するのだと思います。
 私自身、十代の後半から二十代にかけて、露悪的に生きる方が望ましい生き方であるように思っていたことがありました。
 しかし、そのことは、同時に、謙虚さという慈悲を基礎づける性質が、私たちに確実に備わっていることの証明でもあります。 

 至らない私は、ほかの人を幸福にする上では、無力です。
 しかし、至らない私の持っている嫉妬心を基礎として、ほかの人がどんなに美しく咲いているかを知ることはできるのです。
 だから、きちんと咲いているのに自信がない人に対して、きちんと咲いているのだよと伝えることだけでもするようにしています。

合掌 英風 拝

【引用文献】
・田邊祥二『禅問答入門』67頁。アンゲルス・ジレジウスは17世紀ドイツの詩人。
・鈴木大拙『禅』42頁

 
【坐禅会のお知らせ】
*私は、(だいたい)毎週次の人間禅坐禅会で坐禅をしています。 
 私と一緒に坐りませんか(°∀°)
1 月曜日19時(初回1830分)から20時 
 場所:東京都台東区谷中7-10-10擇木道場 
 連絡先:TEL 03-3823-7647
2 木曜日1930分(初回1915分)から21時 
 場所:東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」 
 連絡先:中川香水(090-5827-7004kousui.nakagawa@gmail.com
*参加費1、2とも 初回(指導料込み)1000円、2回目以降 500円
【東京荻窪支部摂心会のお知らせ】
*私の所属する東京荻窪支部では、来る5月29日から6月2日にかけて第5回摂心会を実施いたします。
 会場は「善福寺清明庵」となります。
*伝法の師家による参禅(公案修行)の機会もあります。
 詳細は、後日お知らせいたします。
 連絡先:中川香水(090-5827-7004kousui.nakagawa@gmail.com
<善福寺清明庵のご案内>
 東京都杉並区善福寺3-8-5 清明庵
 善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)

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