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擇木ブログ - 20190505のエントリ

長寿と禅(その3)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/5/5 0:25
長寿と禅(その3)
 
 精神的安定が肉体的安定につながりそれが長寿につながるという観点において外から入って来るストレスにどう対応して精神的安定を確保するかについて一般論的なお話を前のブログでしました。今日はもう少し外から来るストレスについて各論的に突っ込んでお話しします。
 外からの情報は人間が持っている五官(眼・耳・鼻・舌・身)を通じて五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)として入ってくるのですが、ここに人間は考える葦でありしかも吾我(エゴ)があるために、この情報から素晴らしい文化が生まれもしますが逆にそれが原因でいろいろと問題が生じ詰まるところ肉体的安定を損ねるところまでエスカレートしてしまうことにもなります。
 すなわち五感で感じたことが快であればむさぼろうとし、不快であれば避けようとします。これはある程度までは肉体的要求として人生を楽しむことにもなりまた健康にもプラスになるのですが、度を過ぎると健康を害してしまうことは勿論のこと自他の人生を損なうことにもなってしまいます。 この問題に禅はどう対応する術を持っているかについて短くさわりをお話しします。
 五感で感じたことすなわち「見る」「聞く」「嗅ぐ」味わう」「触れる」ことにおいて、それを快とか不快とかに関わらず言い換えると快とか不快とかの念が出てくる前に予見を交えず対象をそのまましっかりと感受する。そしてその次に快とか不快とかに引きずられてずるずると二念三念に発展させないことが肝要です。
 例えば、外国で経験のない食べ物が出される。目で鼻で舌で予見を挟まず自分の好みの基準を前に出さずにものそのままを見、嗅ぎ、味わう。これを先ずやる。そしてそれが自分の好みということで快であってもしっかり味わい楽しんでのちもっと食いたいという二念にわたらせない。すなわちむさぼり続けるということにはならない。しかし世に肥満者が多くまたアルコール依存症候群が多いのはこれができないためであり、これができないために多くの人が健康を損ねています。不健康のほとんどが食の乱れと言われるのも精神的なものがしっかりしていないという証左であります。この「見たまま、二念を継がず」が身につけば、度が過ぎた食べる・飲むはなくなるはずです。しかしそれが理で判っていてもどうしても本能的な欲望に引きずられて健康を損なうまでいってしまうものです。また飲み過ぎて絡んだりけんかをしたりして人を傷つけ自分の品位を落とすことになる。
 この「見たまま、二念を継がず」の前半はしっかりと正受するということであり、食べること飲むことをしっかり味わい深く楽しむということであり、そして後半はそれでいて貪らないと言うことです。この「二念を継がず」に自信がない人は楽しさを犠牲にしても禁酒しなければならないのも仕方がないでしょうね。
 食べるとか飲むとかを例にとりましたが、五官を通じて外から入ってくる膨大な情報処理の全てにおいても同じことです。「先ずしっかりと受ける、そして二念を継がない」ことが日常において実践ができれば、大切な情報を見過ごすことなくまたそれをストレスにすることもなく処理できるというものです。現代人が自分の中の人間としての自然をキープするために、また一回しかない人生をしっかり味わうためにもこの処理術は必携なものです。ただ、これが身について自然に振る舞えるには、やはり深く三昧が身につかなければできません。長年の数息観の積み重ねと一日一炷香がしっかりなされていれば、どんな情報社会においても精神的ストレスをためることなくまたそれがための健康阻害もありません。
 
春潭 
 

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