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擇木ブログ - 20190420のエントリ

虚しさについて

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/20 9:23
風印です。
心舟様のブログを拝見し、私も同じように坐禅をすることの虚しさを感じていたことがありましたので、僭越ながらコメントさせて頂きます。

道元禅師は、坐禅は悟りを求めるためにするのでは無く、坐禅をすること自体が悟りであると教えられています。悟ってやろうという気持ちも煩悩と戒められているそうです。
禅は無功徳(むくどく)と言われますが、坐禅に何かを求めても虚しさが残るだけであり、坐禅は本来何かを手放すためにするものではないかと思います。

仏教には輪廻(りんね)という教えがありますが、1秒後の自分も細胞などの変化で厳密には現在の自分と同一では無いように、万物がこの一瞬、一瞬に生起し続けていることを輪廻と言うのであり、輪廻転生はその分かりやすい現れに過ぎないそうです。
唯識(ゆいしき)では、深層心の中の根本心を阿頼耶識(あらやしき)と呼ぶそうですが、毎日坐禅をすると、表層心(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識)の内容が阿頼耶識に熏習(くんじゅう:香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心に習慣となって残ること)され、阿頼耶識に変化が生じるそうです。それも輪廻の現れと言えるのではないかと思います。

自分に振り返って考えると、初めは坐禅をするのが面倒とか虚しく感じていたのが、毎日45分続けるうちに、段々と楽しみに感じるようになってきました。
これも輪廻によって、少しずつ阿頼耶識に変化が生じてきた結果ではないかと思います。

私は、座布(ざふ)を通販で購入し、坐禅をするときに愛用しています。坐禅の前後に永平寺に行ったときに購入した鈴を鳴らしていましたが、その鈴は父にあげてしまったので、新しいものを購入したいと思っています。
そうしたことを考えるのも楽しみです。

風印 拝
 
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