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擇木道場

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擇木ブログ - 20190418のエントリ

長寿と禅(その1)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/4/18 23:57
長寿と禅(その1)
 
 先週、岡山禅会の摂心会中に元住友金属工業時代の大先輩であり、仕事(製鋼分野)において大変お世話になった大恩人の栗田満信氏の訃報が娘さんから電話でありました。享年95歳であり大往生だと思いますが、われわれ住金製鋼屋仲間の精神的支柱のような方でしたので寂しい限りであります。氏は仕事における上司としてご指導いただいただけではなく、個人的にも大所高所から小生に学位取得を強く指示していただいたことや、仕事には関係のない小生の人間禅にも深いご理解を頂き名誉会員として経済的な支援を長年していただきました。最近一年くらいは2ヶ月に一回のペースでお宅にお邪魔し、二人で四合瓶を飲みきるまでお話の相手をさせて頂いていました。直近では2月17日にお伺いして次は岡山摂心会の結制日4月10日と決めていました。2月17日の時も四合瓶を軽く開けお元気そのものでした。しかしお年がお年でありいつどんな事態になるか判らないといつも一期一会を肝に銘じておりました。こういう事態になることを予期はしていましたがあれもお伺いしておけば良かった、こうもしておけば良かったと後悔の念が尽きませんが、氏に対するご恩にいかに報いるかを考え実践すべきと頭を切り替えなければならないと考えているところです。
 その手始めに栗田満信氏の95歳の大往生を目の当たりにして長寿ということを考え、氏が一生をかけて示された長寿を自分が超えることが氏への第一の報恩になると考え、長寿について禅的に整理してみたいと思い立ちました。
 古来より、禅僧は一般人はもとより宗教者の中でも長寿が多いと聞いております。(誰が何歳かという具体的な知見を持ち合わせていないので、この読者の中でそういう情報をお持ちの方はお教えください。)この禅と長寿について、自分の60年間の禅修行を顧み整理してみたいと思います。
 先ずは、精神的安定が肉体的安定につながりそれが長寿につながるという観点がまず上げられます。この精神的安定は非常に広いカテゴリーを含んでいます。大きく分けて、外から入って来る精神的ストレスに対する解消法と内から出てくるストレスがあります。 その他、対人関係の処し方・仕事に対する姿勢・生活習慣の組み立て・病気になったときの対処などいろいろな角度から見てみたいと思います。今日は前置きが長くなりすぎましたが、次回から本論に入ってゆきます。合掌
春潭 
 

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三毒について

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/18 22:31
風印です。
私事ですが、先日父が軽度認知障害の診断を受けました。
幸い早期に発見出来ましたので、このまま認知症にならずにいて欲しいと思っています。

仏教では、貪瞋痴(とんじんち:貪=貪り、瞋=怒り、痴=無知・迷い)の三毒が人の苦しみの原因になると説きます。
父が認知症になりかけているのも、私が人間関係に悩むのもそのような煩悩が原因となっているように思います。

前回の禅フロンティアで、総裁老師から三毒も節度を持って味わえば、三薬、延いては三楽に繋がると言うお話を伺いました。
煩悩を滅するのは私には出来そうにないですし、社会常識にも反するのではないかと思っていましたが、それならばと納得出来ました。

先日、父の事で弟と喧嘩した時も、三毒の教えを思い出してどうにか和解できました。
釈尊の教えは、2500年を経た現在も私達の心に生き続けており、その意味で釈尊は生老病死の四苦を乗り越え、不死に至った方だと感じました。

坐禅を怠ると直ぐに煩悩が顔を出してくる私ですが、三毒を味わえるように成るべく、これからも精進して行きたいです。

風印 拝
 
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私は、昨年3月末から、交友関係を広げることなどを目的に、色々なお寺の坐禅会を巡り、坐禅をするようになりました。しばらくすると、人生に対する深刻な不安や不満がなくなり、次第に、日常生活を明るく豊かに感じるようになりました。
それで、更に坐禅対する興味が湧き自分なりに禅の本を読んだり、人間禅などに関わるようになりました。
私は、坐禅のポイントは「受動性」にあると考えています。
意識を保ちながら、脳による作為的な思考を含めた身体の外界に働きかけようとする機能を停止させ、いかなる外部情報の感覚器官への入力に対しても、積極的に働きかけることなく一方的に受動する状態になることによって、苦しみ、むなしさ、将来の失敗への不安、老い、病い、死等々あらゆる消極的な情報を受け入れられるようになり、人生に対する不安や不満が解消される。
そのうち感受性が高まり、目にする美しいものを素直に美しいものと感じ取れるようになり、さらに、日常生活で起きる出来事に対する捉え方がよくなるなど、次第に、日常生活が豊かになっていく。
私にとって坐禅とは、ただ坐っているだけなのに、ドミノ倒しのようにフルオートで人生が豊かになる、とてつもなく素晴らしいものです。
浄土門では
「如来回向の信を獲得するには、如来に自分のすべてを任せなければならない。
はからいをなくす、つまり、虚空に向かって自分のすべてを放り出さなければならない。そうすれば、あとは如来がなんとかしてくれる。」
(
川西宏之「物種吉兵衛」『大法輪』平成18年第7号88~89頁)
などと言うそうですが、坐禅に対する私の実感をうまく表現してくれているように思います。
坐禅は、静謐な場所ですることが一般的であり、擇木道場にも、所々「黙」の文字が掲示されています。
しかし、私は、ある程度雑音があった方がよいのではと思っています。
外部情報を受けても、作為しないことがポイントだとすれば、視覚、聴覚を含めた感覚器官への感受が相当程度あった方がよいように思っています。
私は、自宅で毎日坐禅をするのですが、妻が家事をする音などを却って心地よく感じています。
しかし、自宅で坐禅をしていると……
(
)
合掌 折原英風 拝

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