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擇木道場

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  谷中7-10-10
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当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 201904のエントリ

初期仏教講演会に参加しました

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/29 18:03
夜勤明けにスマナサーラ長老の初期仏教講演会に初めて参加しました。
初めは法華経など悪く言われていて辟易しましたが、やはり話が面白い。そしてパワフルです。
中道に大乗、上座部の違いは無いと思っておりますので、ドンドン学ばせて頂きたいです。
 
特に印象に残ったのは、人の悩みや苦しみは心の汚れのせいというお話です。確かにその通りと思いました。
そして、仏法の修行はその場で直ぐに結果が出るというお話です。坐禅をして煩悩や執着を手放すことが出来れば、結果として仕事が捗ったり、ミスが減ったり、人間関係が改善するはずです。直ぐに効果が実感できないとしても、細胞レベルでは直ちに何らかの変化が生じているのだと思います。
 
毎日坐禅をしたり、長時間座るのはなかなか出来る事では無いと思いますが、先ずは5分座ってみれば何か良い効果が感じられるかもしれませんよ。
 
風印 拝
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木曜夜座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/25 22:34

4月25日 木曜夜座禅会

初めての参加 0人

2回以上参加 2人

会員     2人

19:00-19:25 座禅

19:25-19:30 休憩

19:30-19:50 座禅

19:50-20:00 読経

終了後は居士寮で茶菓子をいただき懇談した。

出家したご僧侶は修行を積んで「法」を継承する。我々のような在家人は座禅によって肚を練って、培った人間力を実社会で生かす。在家人こそ座禅をするべきであることを話した。

禅後の懇談に参加された2人は実社会でも活躍している雰囲気の方々だった。そのうちの一人には、連休中に擇木道場の座禅会が休みなら市川道場の座禅に参加してよいかと質問された。本部摂心会日課表を見せて、是非、来るとよいですと参加を勧めた。

もう一人は火水木の3日間連続して座禅会に参加された。仕事は検診センタで、企業の総務課と産業医の間を取り持つ仕事をしていて、最近の世情を話してくれた。心を病む人がひところの数倍に増えていて、この先どうなるのか心配している。うつ症状が出ると企業の総務課は産業医の受診を勧める。産業医は薬を処方して業務から数か月離れて養生を勧める。養生期間が終わると再受診して経過観察する。患者は薬漬けになっている状況で、このことに問題意識を感じている。

座禅が悩み、うつなどの心の問題を解決し、集中力を養うのに有効と聞き、毎日座禅会をやっている擇木道場を見つけて参加したとのこと。

3日間の座禅体験で座禅が心の問題に有効であると気づかれたようです。帰りがけに『人づくり、肚づくり』を買い求められました。

知り合いの方に擇木道場を紹介してもらうよう依頼した。龍泉 拝
 

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日曜座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/25 21:51

月21日 日曜朝座禅会

初めての参加 0人

2回以上参加 8人

会員     4人

 

7:00-7:38座禅、7:45-8:00座禅、8:00-8:10経行

8:10-8:20座禅、8:20-8:30読経『般若心経』『坐禅和讃』

終了後は居士寮で20分程度の座談会で、抹茶をいただき菓子を食べた後、『禅』誌64号の巻頭言「人生100年時代と人間形成」葆光庵老師筆を読んだ。このテーマは前回第69回の禅フロンティアでも話された。

禅僧は当時の一般的な人の平均寿命よりも長く生きていた。趙州和尚は120歳まで生きたそうです。無得庵小川刀耕老居士は毎日一炷香の座禅を続け、高齢になってからは二炷香を継続していたと聞きます。その結果、亡くなるまで弟子に剣道の稽古を付け、力では負ける若い弟子にも不覚をとることは無かったそうです。このことは、禅、剣、書の三道を極めた山岡鉄舟居士にも通じています。肉体は年齢とともに衰えるが、精神は死ぬまで成長し続けるのですね。

何もしないでいては長くは生きられない。好奇心を働かせ、新しいことに挑戦し続けることが大事です。それにしても、そうしようとする意識と行動の根本には人間力が必要で、座禅の効用だと思います。私も禅に参じて長くなりましたが、全国的組織の人間禅に入って良かったと思います。ここは全国に老若男女の道友が居て、家族のようなものです。何らかの役を勤めることによって必要とされていることが実感でき、有りがたいことだと思います。

私も68歳で100歳までは30年あります。芸道10年とすれば、まだ3つのことに挑戦できます。これからも数息観を続けながら、新しいことに興味を抱き挑戦していこうと思います。
 
 

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東京荻窪支部 令和元年56月の予定
<5月> 426日から55日までは本部摂心のためお休みです。

9日(木)PM7:30~ 座禅会(荻窪剣道場)
11日(土)AM9~ 座禅会(善福寺清明庵)
16日(木)PM7:30~ 座禅会(荻窪剣道場)
18日(土)AM9~ 座禅会(善福寺清明庵)

23日(木)PM7:30~ 座禅会(荻窪剣道場)

*25日(土)は、擇木道場で禅セミナー開催のためお休みです。

29日(水)~6月2日(日)第5回東京荻窪支部摂心会(善福寺清明庵)*詳細は後日お知らせします。
<6月>

6日(木)PM7:30~ 座禅会(荻窪剣道場)

8日(土)AM9~ 座禅会(善福寺清明庵)

13日(木)PM7:30~ 座禅会(荻窪剣道場)

15日(土)AM9~ 座禅会(善福寺清明庵)

20日(木)PM7:30~ 座禅会(荻窪剣道場)

  21日(金)22日(土)一泊参禅会(善福寺清明庵)

21日(金)PM645座禅7:30参禅、終了後懇親会、22日(土)AM7座禅7:45参禅、AM9~座禅会

27日(木)、29日(土)は、東京支部摂心(擇木道場)のためお休みです。

<荻窪剣道場のご案内>
東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」
JR荻窪駅東口より線路沿いの道を新宿方面に歩いて5分です。
ビル1階奥のエレベータ脇のインターホンで501号室を呼び出して下さい。)
<善福寺清明庵のご案内>

東京都杉並区善福寺3-85 清明庵
善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)

*初めての方は事前に御連絡の上、座り方を説明しますので、15分前にお越しください。

*参加費 初回1000円(坐禅指導料込)、2回目以降 500円(善福寺清明庵では、抹茶お菓子代+300円)

(連絡先) 中川香水 090-5827-7004 kousui.nakagawa@gmail.com
 

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荻窪禅会の須藤道庵と申します。初めてブログに投稿させていただきます。

私は南阿佐ヶ谷で整体師をしており、はたして禅的なお話と言えるか分かりませんがその経験から考えたことを書かせていただきたいと思います。

 

私の整体では手技や道具を使って、全身の骨格を整えていくのが主な施療のやり方なのですが、その時大事にしているのは、まずお客様の身体を触って

「何となくこうやりたいと思った」感じに正直に施療をすすめることです。

そんなテキトウなやり方で人の身体を扱って良いのか、と思われるかもしれませんが、実際こうやった方が結果として良い感じに身体が整うのです。

もちろん、お客様は首が痛いとか腰がつらいとかお身体の具合を訴えます。それに対してはどう調整すべきか、という技術や身体の知識は勉強しております。

しかし、AのケースならBだ、と頭で考えながら施療するとかえって上手くいかないものです。

恥ずかしながら失敗もあります。1回の施療では全て調整しきれず翌日もいらしたお客様に、ここまでやってあるのだから次はここ、とはなから考えて施療したらかえってバランスを崩してしまったのです。

 

人間の身体とは自然のものであります。自然とは常に変化するものであり、人間の都合には合わせてくれません。それをこうすればこうなるハズだ、と理屈で決めてかかると実際とは違っている。十中八九当たっているとしても、身体とはその一、二の微妙な違いで大きく変わるものです。

それより「自分でもなんでか分からないけどそう思った」くらいのスタンスで臨んだほうが施療は上手くいきます。

 

武術の本を読んでいたら、武術家でも相手はこう来るだろうからこうしよう、と作戦を立てて臨む武術家は、まあまあ勝てるとしてもそれほど強くは無いのだそうです。

本当に恐ろしい使い手とは、いざ立ち会えば自動的に相手の首が自分の刃の下に来るようになっている。そのような境地に立っているのだそうです。

願わくば、私もそのような整体師になりたいものです。
合掌 須藤道庵 拝
 

425日(木)午後730分から、荻窪剣道場で座禅会行います。

どなたでも参加できます。初めての方は事前に御連絡の上、座り方を説明しますので、15分前にお越しください。

*参加費 初回1000円(坐禅指導料込)、2回目以降 500

(連絡先) 中川香水 090-5827-7004 kousui.nakagawa@gmail.com

<荻窪剣道場のご案内>

東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」

JR荻窪駅東口より線路沿いの道を新宿方面に歩いて5分です。

ビル1階奥のエレベータ脇のインターホンで501号室を呼び出して下さい。)
 

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私は、毎日、朝5時から45分間、帰宅後に45分間、合計90分間、自宅で坐禅をしています。

自宅で坐禅をしていると、よく小学3年生の長男が「おとうが仏像になってる」などと言ってやってきます。
私は、目を見開きながら坐禅をするのですが、長男は、私に近づいてきて、自分の顔を私の顔に近づけ「変顔」をしたりします。
また、私は、45分間の経過をスマートフォンのタイマー機能で把握するのですが、長男は、「止めちゃおうかな~(笑)」などと言って、私が床においているスマートフォンを手に取ったりもします。

これがなかなかの苦行だったりするのですが、このような長男の振る舞いにとらわれることなく坐禅をしていると、そのうち長男は飽きてしまって、どこかに行ってしまいます。

坐禅をしていると、いろいろな「思い」が湧いてきます。
脳は考える臓器です。
いろいろな「思い」が湧くのは当然です。
重要なことは、「思い」が湧かないようにすることではなく、「思い」にとらわれないことだと私は思っています。
長男に対するのと同じように「思い」を拒否しないで、そのまま、いさせてやる。
長男と同じように、「思い」というものは、落ち着かないものらしく、拒否せずにそのままにしておくと、勝手にどこかへ行ってしまいます。

これを飯田欓隠老師
「若しも坐禅中色々のこと思い起すことありとも、それはそれに任せて、只そのものそれに純一になればそれでよい。
皆坐禅中の出来ごとであるから、坐禅の分布である。
この事南堂静禅師が委曲論及しておる。
坐禅中心念粉飛せば如何に退治せんの垂誡至れり尽くせり、心念何れより起る。
心念そのもの如何と見よ、粉飛その物も自性なし、能照の心なく所照の處なくんば、そのものながら脱落せるものにあらずや。
却ってそのものそれをとらえて、心身脱落の好材料とするにたるに非ずや。
所詮坐禅中いかに心念紛飛すとも関する處にあらず、只思うままに任せて可なりである。」
(飯田欓隠『通俗禅学読本』33~34頁、旧仮名遣いは適宜改めました)
と言っています。()

合掌 折原英風 拝

 


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虚しさについて

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/20 9:23
風印です。
心舟様のブログを拝見し、私も同じように坐禅をすることの虚しさを感じていたことがありましたので、僭越ながらコメントさせて頂きます。

道元禅師は、坐禅は悟りを求めるためにするのでは無く、坐禅をすること自体が悟りであると教えられています。悟ってやろうという気持ちも煩悩と戒められているそうです。
禅は無功徳(むくどく)と言われますが、坐禅に何かを求めても虚しさが残るだけであり、坐禅は本来何かを手放すためにするものではないかと思います。

仏教には輪廻(りんね)という教えがありますが、1秒後の自分も細胞などの変化で厳密には現在の自分と同一では無いように、万物がこの一瞬、一瞬に生起し続けていることを輪廻と言うのであり、輪廻転生はその分かりやすい現れに過ぎないそうです。
唯識(ゆいしき)では、深層心の中の根本心を阿頼耶識(あらやしき)と呼ぶそうですが、毎日坐禅をすると、表層心(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識)の内容が阿頼耶識に熏習(くんじゅう:香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、みずからの行為が、心に習慣となって残ること)され、阿頼耶識に変化が生じるそうです。それも輪廻の現れと言えるのではないかと思います。

自分に振り返って考えると、初めは坐禅をするのが面倒とか虚しく感じていたのが、毎日45分続けるうちに、段々と楽しみに感じるようになってきました。
これも輪廻によって、少しずつ阿頼耶識に変化が生じてきた結果ではないかと思います。

私は、座布(ざふ)を通販で購入し、坐禅をするときに愛用しています。坐禅の前後に永平寺に行ったときに購入した鈴を鳴らしていましたが、その鈴は父にあげてしまったので、新しいものを購入したいと思っています。
そうしたことを考えるのも楽しみです。

風印 拝
 
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長寿と禅(その1)

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老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/4/18 23:57
長寿と禅(その1)
 
 先週、岡山禅会の摂心会中に元住友金属工業時代の大先輩であり、仕事(製鋼分野)において大変お世話になった大恩人の栗田満信氏の訃報が娘さんから電話でありました。享年95歳であり大往生だと思いますが、われわれ住金製鋼屋仲間の精神的支柱のような方でしたので寂しい限りであります。氏は仕事における上司としてご指導いただいただけではなく、個人的にも大所高所から小生に学位取得を強く指示していただいたことや、仕事には関係のない小生の人間禅にも深いご理解を頂き名誉会員として経済的な支援を長年していただきました。最近一年くらいは2ヶ月に一回のペースでお宅にお邪魔し、二人で四合瓶を飲みきるまでお話の相手をさせて頂いていました。直近では2月17日にお伺いして次は岡山摂心会の結制日4月10日と決めていました。2月17日の時も四合瓶を軽く開けお元気そのものでした。しかしお年がお年でありいつどんな事態になるか判らないといつも一期一会を肝に銘じておりました。こういう事態になることを予期はしていましたがあれもお伺いしておけば良かった、こうもしておけば良かったと後悔の念が尽きませんが、氏に対するご恩にいかに報いるかを考え実践すべきと頭を切り替えなければならないと考えているところです。
 その手始めに栗田満信氏の95歳の大往生を目の当たりにして長寿ということを考え、氏が一生をかけて示された長寿を自分が超えることが氏への第一の報恩になると考え、長寿について禅的に整理してみたいと思い立ちました。
 古来より、禅僧は一般人はもとより宗教者の中でも長寿が多いと聞いております。(誰が何歳かという具体的な知見を持ち合わせていないので、この読者の中でそういう情報をお持ちの方はお教えください。)この禅と長寿について、自分の60年間の禅修行を顧み整理してみたいと思います。
 先ずは、精神的安定が肉体的安定につながりそれが長寿につながるという観点がまず上げられます。この精神的安定は非常に広いカテゴリーを含んでいます。大きく分けて、外から入って来る精神的ストレスに対する解消法と内から出てくるストレスがあります。 その他、対人関係の処し方・仕事に対する姿勢・生活習慣の組み立て・病気になったときの対処などいろいろな角度から見てみたいと思います。今日は前置きが長くなりすぎましたが、次回から本論に入ってゆきます。合掌
春潭 
 

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三毒について

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/4/18 22:31
風印です。
私事ですが、先日父が軽度認知障害の診断を受けました。
幸い早期に発見出来ましたので、このまま認知症にならずにいて欲しいと思っています。

仏教では、貪瞋痴(とんじんち:貪=貪り、瞋=怒り、痴=無知・迷い)の三毒が人の苦しみの原因になると説きます。
父が認知症になりかけているのも、私が人間関係に悩むのもそのような煩悩が原因となっているように思います。

前回の禅フロンティアで、総裁老師から三毒も節度を持って味わえば、三薬、延いては三楽に繋がると言うお話を伺いました。
煩悩を滅するのは私には出来そうにないですし、社会常識にも反するのではないかと思っていましたが、それならばと納得出来ました。

先日、父の事で弟と喧嘩した時も、三毒の教えを思い出してどうにか和解できました。
釈尊の教えは、2500年を経た現在も私達の心に生き続けており、その意味で釈尊は生老病死の四苦を乗り越え、不死に至った方だと感じました。

坐禅を怠ると直ぐに煩悩が顔を出してくる私ですが、三毒を味わえるように成るべく、これからも精進して行きたいです。

風印 拝
 
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私は、昨年3月末から、交友関係を広げることなどを目的に、色々なお寺の坐禅会を巡り、坐禅をするようになりました。しばらくすると、人生に対する深刻な不安や不満がなくなり、次第に、日常生活を明るく豊かに感じるようになりました。
それで、更に坐禅対する興味が湧き自分なりに禅の本を読んだり、人間禅などに関わるようになりました。
私は、坐禅のポイントは「受動性」にあると考えています。
意識を保ちながら、脳による作為的な思考を含めた身体の外界に働きかけようとする機能を停止させ、いかなる外部情報の感覚器官への入力に対しても、積極的に働きかけることなく一方的に受動する状態になることによって、苦しみ、むなしさ、将来の失敗への不安、老い、病い、死等々あらゆる消極的な情報を受け入れられるようになり、人生に対する不安や不満が解消される。
そのうち感受性が高まり、目にする美しいものを素直に美しいものと感じ取れるようになり、さらに、日常生活で起きる出来事に対する捉え方がよくなるなど、次第に、日常生活が豊かになっていく。
私にとって坐禅とは、ただ坐っているだけなのに、ドミノ倒しのようにフルオートで人生が豊かになる、とてつもなく素晴らしいものです。
浄土門では
「如来回向の信を獲得するには、如来に自分のすべてを任せなければならない。
はからいをなくす、つまり、虚空に向かって自分のすべてを放り出さなければならない。そうすれば、あとは如来がなんとかしてくれる。」
(
川西宏之「物種吉兵衛」『大法輪』平成18年第7号88~89頁)
などと言うそうですが、坐禅に対する私の実感をうまく表現してくれているように思います。
坐禅は、静謐な場所ですることが一般的であり、擇木道場にも、所々「黙」の文字が掲示されています。
しかし、私は、ある程度雑音があった方がよいのではと思っています。
外部情報を受けても、作為しないことがポイントだとすれば、視覚、聴覚を含めた感覚器官への感受が相当程度あった方がよいように思っています。
私は、自宅で毎日坐禅をするのですが、妻が家事をする音などを却って心地よく感じています。
しかし、自宅で坐禅をしていると……
(
)
合掌 折原英風 拝

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