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擇木ブログ - 20190106のエントリ

水曜夕方座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/1/6 23:23
 水曜夕座禅会は午後7時~8時です。初めての方には6時半にお越し頂き、居士寮で坐禅の仕方、数息観の紹介と仕方を説明します。その後、2階の堂内にご案内し、基本的には45分坐禅―5分休憩―10分読経です。ご希望があれば、その後居士寮でお喋りタイムになることもあります。
 
 休憩時間には、なるべく早く堂内に戻って頂き、経本の持ち方の説明をします。経本の持ち方は、色々あるようですが、私は次の持ち方をお奨めしています。
経本を広げ、両手で持ちますが、その際に経本のこちら側に指2本(親指と小指)、向こう側に指3本(人差し指、中指、薬指)をあて、3本指と2本指とで経本を挟むように持ちます。そうすると頁をめくり易く、スムーズに次々と新しい頁をくることができます。
そして経本を眼の高さに立てて持ちます(上腕は体側に沿わせ、前腕を前に出す)。そうすると眼と文字との距離が程よく(前腕+掌の長さ)保たれ、腕が疲れることなく、自ずと上半身全体の姿勢も調います。経本を低く持つと、背が曲がり姿勢が悪くなります。
 
 読経の際には、意味が分かっても分からなくても、文字をよく見て、腹から声を出し、唇をしっかり動かして、一心不乱に読むようお奨めしています。一同で声を合わせて心を一つにして読みますので、眼、口の他に耳も自ずと働かせることになります。10分~12・3分間(参加者の慣れ具合により、時間が変わります)ではありますが、姿勢を正して、声を出し続けることになります。「黙」の座禅に対して「声出し」の座禅です。
 
 唱えるお経は、開経偈、般若心経、観音経偈、四弘誓願文、五戒です。
今年度中(平成31年4月まで)はこの方針でゆく予定です。
 
 座禅会後はすっきり気持ち良いです。きっとセロトニンがたっぷり分泌されることにもなっているでしょう。仕事帰りに座禅会にお寄りになることで、気分転換になり、ストレスが癒され、仕事モードからホームモードへの切り替えが行われ、帰路の足取りもきっと軽くなることでしょう。
 
 ご都合のよい時に水曜夕座禅会に是非お立ち寄り下さい。途中参加、終わりごろに駆けつけてのご参加も可です。お待ちしております。
 
 参加者数は毎回変わり、昨年(5月~12月)は2名~9名/回でした。因みに前回(12/26)は6名(内初参加者2名、複数回参加者3名、会員1名)でした。
日中の茶道部稽古に引き続いての参加者もあります。
毎朝夕(木、土曜日は昼間午前中にもあり)行われている他座禅会への参加もご自由です。
 
 新年張り切って参りましょう。     林 翠松拝
 
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和気満堂(その1)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/1/6 21:49
和気満堂(その1)
丸川春潭
 
 みなさま、明けましてお目出度うございます。
 季刊誌『禅』の新春号の巻頭言に、「和気満堂」というタイトルで拙文を書かせていただきました。これは、人間禅の『立教の主旨』第3項「人間禅は、正しく・楽しく・仲の良い 人間味の豊かな人々の家庭である」と相通じる考え方であります。
 和気満堂は素晴らしい言葉であり、実際に家庭において人間禅の集まりにおいて、これが如実に実現することが目標であるとしても良いものです。
 しかしこの実現は極めて難しいのも現実であります。
 それは何故か?
 その難しさはどこから来ているのか?
 「和気満堂」の難しさは、「正しく・楽しく・仲よく」の最後の「仲よく」の難しさと共通するものがあります。すなわち「正しく」「楽しく」がしっかりできていなければ「仲よく」にならないし、また同じように「和気満堂」も実現しないのです。
 もう少し具体的に何故「仲よく」できないのかを見てみると、「正しく」が個人的になり過ぎて「仲よく」ができない場合もその一つであります。
 すなわち自分が考えている正しさを他の人に要求する場合であります。論理的にはその正しさは客観的に正しいのであるからそれをキチッと他人に要求することは間違いではないのですが、こういうリジッドな正義感が得てして「仲よく」できない原因になっている場合も結構あるのです。
 人間である限り、完全無欠な人は居ないわけで、誰でも良いところもあるし弱い抜けているところも持っているのがリアルな現実の人の有様であります。
 人間関係において、良いところに注目してみると、仲よくできるはず。しかし弱い抜けているところに強く注目すると非難合戦になり終いには喧嘩になります。
 「仲良く」はお互いに合掌し合うことであると云われており、これが基盤にあれば自ずと良いところが大きく見え、弱い抜けているところがあっても仕方がないなあと許すことができるのです。
 これがお互いに同時にできた時が、お互いに合掌し合うと云うことになり、仲良くが現成してくるのです。
 そして大切なことは相手の問題ではなく、自分の問題であると云うことです。すなわち相手がこちらに合掌するのならこちらも相手に合掌するというような、後出しじゃんけんでは駄目です。相手がどうであれ自分が心から合掌することが肝要です。これができるかどうかは自分に三昧が身に付いているかどうかに掛かっているのであり、仲よくできるかどうかは相手のせいではないのです。真に自分の人間形成の問題であります。(つづく)
 

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