擇木ブログ - 20180726のエントリ
7月13日から15日まで、擇木道場での開催でした。
摂心会というのは、堂の内外で役割を受け持つ人がいて
その役割のどれもに軽重はなく、まるで世の中をここに閉じ込めた
ように感じます。さいたまは人数が少ないのですが、その役割
ができる、できないのに関わらず、不慣れだろうが、好きだとか
ダメだとかに囚われず、人数が少ないからこそ、主も従もなく
「みんなでやった」感があります。「私が、私は」などはハナから
どうでもよくなっていく。今、ここに専一、それを共有した時間
でした。道場をお貸しいただいた東京支部の方々のご支援があった
からこそ、それができたことを深く感謝したいと思います。
反省は数々あるのですが、今回それはなかったと思いますが、スマホは
いけませんね。門外不出ということで、ここにいなければいけないのに、
気持ちは世界を追っているのでは修行になりません。「いいね!」なんて
やっていたら、即座に道場からたたき出す、というルールは必要かも
しれません。
私の好きな方は、道場では一切の通信を途絶します。そうあるべきだと思います。
準備不足、点検不足のことも多々ありました。開催のご案内が遅れ、広報が
不十分だったのは、次回は改善しないといけません。
それから、私は家で良く注意されるのですが、ご飯を食べる時はご飯を食べる。
「~しながら」はだめですね。昨日、さいたまの公民館の座禅会においでになった
ドイツ人で日本の大学の先生は、「座禅をするようにしたのでお酒をやめた。」
というようなことをおっしゃっていました。
武道でもそうですが、外国の方は、やると決めたら、専一があたりまえ、という気
がします。あれもこれも得ようなんて、自分にとって都合の良い話はあるものでは
ありません。座禅をしたら幸福になれる、収入も増加するなんていう団体が、もし
あるとしたら、キツネが化けてやっているのではないかとメガネをかけ直した方が
良いと思います。
話は大いにそれましたし、修行が足りない私の雑感ですので、ご容赦ください。
次回の短期摂心会は、晩秋から冬の予定です。開催場所はまだ未定。
さいたま近辺で、泊りがけで会場をご提供いただけるところがあったら是非ご一報を
お願いします。もちろん、お金はあまりありません。 海香拝
摂心会というのは、堂の内外で役割を受け持つ人がいて
その役割のどれもに軽重はなく、まるで世の中をここに閉じ込めた
ように感じます。さいたまは人数が少ないのですが、その役割
ができる、できないのに関わらず、不慣れだろうが、好きだとか
ダメだとかに囚われず、人数が少ないからこそ、主も従もなく
「みんなでやった」感があります。「私が、私は」などはハナから
どうでもよくなっていく。今、ここに専一、それを共有した時間
でした。道場をお貸しいただいた東京支部の方々のご支援があった
からこそ、それができたことを深く感謝したいと思います。
反省は数々あるのですが、今回それはなかったと思いますが、スマホは
いけませんね。門外不出ということで、ここにいなければいけないのに、
気持ちは世界を追っているのでは修行になりません。「いいね!」なんて
やっていたら、即座に道場からたたき出す、というルールは必要かも
しれません。
私の好きな方は、道場では一切の通信を途絶します。そうあるべきだと思います。
準備不足、点検不足のことも多々ありました。開催のご案内が遅れ、広報が
不十分だったのは、次回は改善しないといけません。
それから、私は家で良く注意されるのですが、ご飯を食べる時はご飯を食べる。
「~しながら」はだめですね。昨日、さいたまの公民館の座禅会においでになった
ドイツ人で日本の大学の先生は、「座禅をするようにしたのでお酒をやめた。」
というようなことをおっしゃっていました。
武道でもそうですが、外国の方は、やると決めたら、専一があたりまえ、という気
がします。あれもこれも得ようなんて、自分にとって都合の良い話はあるものでは
ありません。座禅をしたら幸福になれる、収入も増加するなんていう団体が、もし
あるとしたら、キツネが化けてやっているのではないかとメガネをかけ直した方が
良いと思います。
話は大いにそれましたし、修行が足りない私の雑感ですので、ご容赦ください。
次回の短期摂心会は、晩秋から冬の予定です。開催場所はまだ未定。
さいたま近辺で、泊りがけで会場をご提供いただけるところがあったら是非ご一報を
お願いします。もちろん、お金はあまりありません。 海香拝