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擇木道場

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擇木ブログ - 20180129のエントリ

人工知能

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2018/1/29 23:43
私「OK Google 明日の東京の天気は?」
 
Google Assistant(以下Assistant)「明日の東京は最高気温XX度 最低気温XX度で○○○でしょう」
 
私「OK Google 東京から沖縄の飛行機代はいくら?」
 
Assistant「東京都発 沖縄本島行きの片道のフライトはXX月XX日にいく場合、XXXX円からあります…」
 
私「3824足す5823足す2953を3で割って」
 
Assistant「答えは4200です」
 
(おお、割り勘で使えそう。)
 
私「OK Google 幸せとはなに?」
 
Assistant「Wikipediaでは幸福とは心が満ち足りていること、とされています」
 
私「…」(まだ自分の意見は無いのね…)
 
 
法照です。
 
年末にGoogle Home miniというスマートスピーカーを買いました。
こいつはインターネットにつなぐと、こちらの問いかけをGoogleのサーバーに送り、人工知能で解析して回答を返してくれます。
その他にも家電のコントロールをしたり、指定した局のラジオを流してくれるような機能もあります。(注)
ときどき言ったことを聞き取れなくてトンチンカンな答えが返ってくることもありますが、昔と違って自分の声を事前に登録しておく必要もありません。
昔は研究段階だった人工知能が、まだまだ初歩的とはいえ、いよいよ実用として役に立つ日がやってきたという気がします。
 
さて、禅の世界と人工知能では水と油、氷炭相容れずのように思っていましたが、意外な共通点があったので今日はそのお話しを。
 
人工知能と言えば、チェスや将棋、囲碁でプロを打ち負かして大きなニュースになりました。
IBMのディープ・ブルーが初めて世界チャンピオンに勝利したのが1997年。
将棋では最初にプロ棋士に勝利したのは2013年。
そして囲碁ではAlphaGoがヨーロッパ王者の樊麾に初勝利したのが2015年。
指し手の数がチェスが10の120乗、将棋が10の220乗に対し、囲碁は10の360乗あると言われていますが、チェスに勝ってから20年弱で指し手が10の360乗ある囲碁まで人間に勝つという驚異的な進歩がありました。
 
将棋でも囲碁でも人工知能では、「人間では考えつかないような手を打つ」ということがあります。
一見すると悪手にしか見えないような手を打ちます。
「人工知能もまだまだだな… これでプロが勝つだろう」と思って見ていたらなぜかどんどんプロの形勢が悪くなって…
終わってみれば人工知能の勝利。
棋士にしてみれば、大きなミスはしていないはずなのに形勢が悪くなっていく。狐につままれたような思いだったでしょう。
 
この人間と人工知能の差はどこから来るのか?
 
人間は線で考え、人工知能は点で考えると言われます。
私などは、最初聞いたときはただの点より点をつないだ線の方が優秀なのでは?という気がしてしまうのですが、実際にはそうではないのです。
 
線で考えるというのはどういうことか?
例えば、将棋を例に考えてみます。
 
将棋には戦法というのがあります。
振り飛車、四間飛車、金矢倉、銀矢倉、穴熊 等々
 
その中で穴熊を例に取ってみます。
穴熊は王を自陣の左隅や右隅に持っていって周りを強い駒で囲みます。
まるで穴の中に立てこもっている熊のように見えるので穴熊と呼ばれます。
これが完成してしまうと、鉄壁の守りなのでなかなか崩すことが難しい。
ただし、王様を隅に持っていって周りを駒で囲うため手数がかかるのが難点です。
 
さて、私が誰かと対局するときに、「よし、この相手には穴熊で行こう」と決めたとします。
王を隅に寄せて強い駒で囲っていきます。
それを見た対戦相手は当然「まずい、完成してしまったら攻めるのが大変!」と考えます。
そうはさせじと、完成する前にちょっかいを出してくる対戦相手。
ちょっかいを出してきた相手に私は考え込みます。
 
「さて、どうしたものか…。穴熊は諦めてここで相手と戦うか、それとも穴熊の完成を優先させるのか…」
 
将棋というのは、前に進むことは簡単なのですが、後ろに戻るのが苦手な駒が多い。
銀は真後ろには下がれないし斜め後ろには下がれない。
歩にいたっては前にしか進めないので後ろに戻す手段がない。一度前に出たらその場に留まるか突き進むしかありません。
ちょっかいを出してきた相手の駒に対して駒を進めてしまうと、後ろにはなかなか戻れないので穴熊が崩れてしまいます。
 
「穴熊を諦めるか、そのまま続けるか」
 
これが線の思考になっているのです。
 
私はまず「穴熊で行こう」と決めた「過去」があります。
続いて手が進んで穴熊を作りつつある「現在」があります。
そして穴熊を完成させるという「未来」に向かっています。
 
過去 → 現在 → 未来
 
という一本の線の上で思考してしまう。これが線の思考です。
人間はどうしてもこの一本の線の思考に影響されてしまいます。
「常識」や「慣習」に囚われやすく、奇想天外な発想になかなか到ることが出来ない。

将棋や囲碁は対局を「棋譜」というものに残します。
将棋の最古の棋譜は「江戸初期(1607)に指された大橋宗桂 対 本因坊算砂」のものと言われています。
本因坊というと囲碁では?と思われるかもしれませんが、この時代の囲碁の棋士は将棋も指していたようです)
人工知能は過去の膨大な棋譜を解析し、その局面を独自に解析してデータとして蓄えています。
(囲碁などでは人間の棋譜は使わずコンピューター同士の膨大な対戦からデータを蓄えるということも行われていますが)
人工知能が対局するとき考えるのは、膨大な過去のデータから似たような局面を探し出し、次にどの手を打つと後の局面が有利になるか?ということしか考えません。たとえ人工知能が穴熊を作りつつあったとしても、そんなことに囚われたりしません。
次にどの手を打てば有利であるかだけを考えて行動します。穴熊が崩れようが、そんなことは関係なし。
人間なら「悪手」として指さないような手もお構いなしです。
自分の今置かれている局面と照らし合わせて蓄えられているデータを解析して一番良い手を導き出して進めていくだけです。
今のこの局面だけを見て判断できる、これが点の思考なのです。
 
しかし、禅を少しでもかじっている人ならもうおわかりだと思いますが、「点の思考」は禅ですよね?
禅は過去、未来にとらわれず「今ここ」を大事にします。
人工知能が点で考える、といっても、そんなことは禅の世界ではとっくに考えていることです。
プロ棋士に勝ったponanzaを開発した山本一成氏も、どこかのインタビューで「ponanzaは天才的な手を打つというけど、羽生善治だって天才的な手を打つ」と答えています。
だから「点で思考する」というのはなにも人工知能の専売特許ではないんです。
人間は「線の思考」から抜け出すことが苦手な生き物と言えます。
苦手ではありますが、出来ないことではない。
だから時々「点で思考する」人が現れて新しい戦法が生まれたりしていきます。
この「線の思考」から抜け出して「点の思考」を得る。これが禅が目指す一つの目標だと思います。
 
バックギャモンでは2000年代前半にはコンピュータに人間が負けているのですが、今のバックギャモンの世界チャンピオンはこの頃のコンピュータには勝てると言われています。
一度人工知能に負けたらそれで終わりではなく、人間だってまだまだ進化していく余地が残されているのです。
 
人工知能はルールが明確な中での判断は確かに強いです。
指し手が将棋が10の220乗、囲碁は10の360乗あるとは言っても結局有限の中での思考でしかありません。
でも、実際の世の中はルールが不明確だったり、時々で変わっていったり、移ろいゆく中で最適な判断をする事を求められることが多々あります。
計算で対応できる世界は人工知能にお任せして、人間はもっと大きな分野へ移っていかなければならないでしょう。
そこで「線の思考」から「点の思考」へと進歩すればまだまだ人間も素晴らしいことが生み出せると思います。
 
人工知能と人間の境界線が移り変わっていく中でこれからいろいろな問題が起きると思いますが、私は必ずしもその先が暗い未来になるとは思っていません。
結局、人間が今までの常識を脱ぎ捨ててどのように進歩していくかが問われているのだと思います。
 
法照 拝

(注)Google Homeで家電のコントロールするには対応する機器が別途必要です。
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33 人それぞれの境涯

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2018/1/29 14:02

 擇木道場の周りにはまだ雪が残り道路が凍る厳寒の朝、

隔月に開かれる『勝鬘夫人の告白』勉強会がありました。

 

・仏祖が弟子たちに云われた。

【私は生死(煩悩)を越えず、涅槃を得ず】

仏の道は生死の迷いを断ち涅槃を得るのが目的だからこの言葉を

文字通りに解釈したら何のために仏道修行するのか判らないので

多くの修行者が面食らったとき、

・思益が仏祖に代わって

【涅槃を求めている者も、実は涅槃の中を往来しているのだが、

彼等は涅槃の名を知っていて真の涅槃を知らずにいる。だから

涅槃の中に居る者が涅槃を遠く探し求めているのだ。】と諭した。

 私達は凡夫といえど聖人といえど全て生死の水の中におり、

涅槃の水の中にいるのです。水の中に居る者が水を探し求める必要

もなければ水を嫌って抜け出ようとしても出ることは出来ない。

水の中に居て水と遊ぶことが肝心です。(本文から)

 

・老師は云われます。

「座禅・参禅をして見性すれば、思益と同じように判る。釈迦の

悟りを言葉で理解しようとしても判らない。」

「雑念から逃れる数息観ではなくひたすら数息に入ることによって

独りでに雑念から離れる。」

「数息になり切ろうとすれば、煩悩から独りでに離れる。」

 

・煩悩の元となるものを五欲といいます。

食欲、色欲、財産欲、名誉欲、休眠欲。 

五欲の奴隷になってあくせくしているのが迷いであって、五欲を意の

ままに用いて行くのが悟りです。(本文から)

 

・「老師の指導を受けて、己の修行の方向性を常に確認していく。」

これが大事、と老師は云われます。

 

テキストには難しい言葉が多いですが、老師はそれをかみ砕いて

話して下さいます。

次回は324日です。 ご参加をお待ちして居ります。

今週、23日の静坐会も、どうぞご参加下さいませ。 (秋香)

 

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