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擇木道場

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擇木ブログ - 201706のエントリ

6月28日 さいたま座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/29 11:24

昨日は、座禅会場の公民館に行ったら外で知った顔が立っていて、聞けば他の団体が使っていて、どうもこちらの予約が洩れていたらしい。

全く動ぜず、歩いて3分の「しみん会館うらわ」に電話。「そちらを貸してください。」「いいですよ。」との即答。

 遅れて来た方には、公民館の係の方には伝言しておいたけど、座禅会はないと、帰ってしまったかもしれない。大変申し訳ないことをしました。

 みんなで歩いて到着、久しぶりの「しみん会館うらわ」の12畳。先週は雨漏りで使えなかった和室は、鴨居や天井、もちろん畳にも大きな染みが数か所、でもこの座敷こそが「さいたま座禅会の原点」。静かな2回の座禅の時間が流れていきました。

終了後は、茶菓は公民館の部屋に置いたままだから、茶菓なしの茶話会。

 テーマは、「安楽の法門」

 『数息観のすすめ』の冒頭には、

「数息観(すうそくかん)というのは、坐禅を組んで、静かに自分の息を勘定する修養の方法であります。これは印度において古くから行われた観法で、安楽の法門なりともいわれています。」とあります。

 道元禅師のいう「安楽の法門」と同じ意味なのかは、『数息観のすすめ』には書いていないけど、坐禅は、マニュアルに従って身体と呼吸と心をコントロールして管理(マネジメント)するものでしょうか? それとも、自分とかコントロールとかマネジメントを手放したものなのでしょうか?

 自分とか、コントロールとか、マネジメントとか、は坐禅の世界ではない、というのが道元禅師のようですが、さて、みなさんはどう思います?というところでお開き。
 

先週、身内が死んで思ったのは、有名な人が言ういろいろな「死」の概念を知ったところで、自分自身で心底わからないと安心できるものではないですね。若いころ思っていた死と今では違うように、「安楽の法門」も大禅師の文字や説明を聞いてわかるものではなく、坐って、坐って、ああ、そうか、というものではないでしょうか。                    海香

 

遠くその顔人の顔消えて風吹く 井泉水        
 
 

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心のマネジメント

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/29 1:26
 
法照です。
 
私の前回のブログ「人生一生 酒一升 あるかと思えばもう空か」
 
 
で、
 
問題が直接私の心を攻撃してくるわけではないんです。
問題が「恐ろしい」と受け止める私の心が私を攻撃してくるんです。
 
という内容の話を書きましたが、今回はもう少し突っ込んで具体的な例を交えながら書きたいと思います。
 
例えば、下記のような4つのシーンがあるとします。
 
1.夕立にあって、傘もなくずぶ濡れになった。
 
2.道を歩いていたら、道路に水をまいている人に水をかけられてずぶ濡れになった。
  水をまいていた人は「申し訳ない」と言って謝罪してくれた。
 
3.道を歩いていたら、道路に水をまいている人に水をかけられてずぶ濡れになった。
  水をまいていた人はなにも言わずに家に戻っていった。
 
4.道を歩いていたら、道路に水をまいている人がいて、うっかりぶつかってしまった。
  ぶつかったことを謝ったが、水をまいていた人は怒ってバケツの水をかけてきてずぶ濡れになった。
 
こんなシーンが皆さんに起こったとしたら、それぞれどのような気持ちになるでしょうか?
 
どれも不愉快な気持ちになると思います。
 
1.の場合に思うのは、「しまった、傘を忘れた!」とか「服が濡れて気持ち悪い…」とかそういう不愉快さだと思います。
2.については人によって考え方は異なるかもしれません。
人に対しては「謝ったから許す」と思える人もいれば「なんで周りをよく見てから水をまかないんだ!」と許せない人もいるでしょう。
許せる人は1.と同じ程度の不愉快さだと思いますし、許せない人は1.よりももっと不愉快な気持ちではないでしょうか。
3.、4.に関してはたいていの人は腹が立ちますよね。人に迷惑をかけて知らんぷりや意図的に不快なことをされれば誰でも腹は立つでしょう。
 
たいていの方は1.→4.に従って不愉快さは増していくと思います。
 
でも…
 
1.~4.のいずれも、結果としては「ずぶ濡れになる」という点では同じなんです。
しかし、どれくらい不愉快に思うかはそれぞれだいぶ違うと思いませんか?
みんな同じ結果なのに、どうしてこれほど感じ方が違うのでしょうか?
特に1.とその他の2.~4.との間には感じ方に大きな違いがあると思います。
それは「人が介在しているかどうか」だと思うのです。
相手の対応の仕方が、自分をどれほど不愉快にさせるかを決めているのです。
特にそれがわかるのが2.と3.の違いです。
謝罪されれば不愉快さも軽減されますが、謝罪もなく無視されれば不愉快さは増すと思います。
 
結局、これらを言い換えれば「人に振り回されている」とも言えます。
 
これは人に自分を尊重してほしい、と思う自分の気持ちから来ているように思います。
自分に注意を払わなかったり、無視したり、怒ったりされることに対するやり場のない怒りが結局自分を不愉快にしていく元になって自分を苦しめるのではないでしょうか。
 
自分を尊重してほしいという心、仏教で言うところの「我」を捨てられればもっと心は軽くなると思うのです。
でも、これは簡単な事ではありません…
まずは、自分の心についてちゃんと理解して、どうしていけばよいのかも正しく理解して実践していくことが必要だと思います。
では、どうしていくか、は私のレベルではとてもご説明できることではございません。
しっかりと修行されて来られた方に伺うのが一番だと思います。
 
7月2日(日)に、講演会「心のマネジメント ~感情をいかにコントロールするか~」がございます。(受付午後2時開始)
禅の修行歴35年の慧日庵笠倉玉溪老禅子が心の問題を詳しく解説してくださいます。
是非こちらに参加してみてください。
 
詳細は下記をご覧ください。
 
 
法照 拝
 
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心印です。
 
今週の土曜日から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という参禅(老師のところへ、入室独参して行う本格の禅の修行のこと)をともなった特別な修行期間が始まります。
 
この摂心会となると、普段は座禅に来られている一般の方があまり来られません。
 
会員の修行の邪魔をしてはいけないと遠慮されるのか? あるいは鐘を鳴らしてどたどたと走っていくのがうるさいと思われるのか、そこはわかりませんが、数息観だけの方は集中できないと思われるのかもしれませんね。
 
でも実はそれは違うのです。私はよく家で座るより、道場の禅堂で座る方が何倍も集中できて効果があると言っていますが、それと同じで、普段の座禅だけの会よりも、摂心会の中の座禅の方が何倍も濃く集中して座れるはずです。
 
こればかりは実際に来て頂いて体験されるのが一番いいので、一度も摂心会に参加されていない方は、今回、参加されませんか?
 
通常は座禅して、参禅の順番ですから、座禅の回のところから座ると、公案を持ち、参禅しようと言う会員の気迫と覚悟が禅堂内に満ちているのが伝わるかと思います。
 
普段の座禅会が数息観だけに集中して、どちらかと言うと癒しの安心の時間だとすると、摂心会の中の座禅と参禅は、ピーンと張りつめた糸が弾かれるのが、今か、今かと言う感じになるでしょうか?
 
私の場合は、擇木道場に来て1ヶ月くらいで公案を授かりましたが、普段の座禅会では仕事の後で疲れてるのもあり、半分寝ているような時もあるのですが、摂心会の時は、特に次回参禅しようと言う時は寝るなんてとんでもないという感じになります。
 
これぞ本格の禅修行、禅には厳しい雰囲気という側面があるのですが、それが存分に発揮されるのが、この摂心会です。
 
さて、なぜ公案を授かって、しなくてもいい苦労までして、わざわざ厳しい禅の修行をしようと思ったのか?
それは人それぞれ理由があるでしょうけど、私個人の話をすると人間関係に欠陥を持っている自分をなんとかしたいと思ったからです。老師の話を聞いたとき、数息観だけの座禅で解決しようとしたら10年かかる、そんなに時間をかけたら定年してしまって、今の問題は解決しないと思ったからです。
 
その結果、公案の修行に飛び込みましたが、私はこれで仕事中心の人生が座禅中心に一変してしまいました。それくらい人生の転換とも言えるインパクトがあったのです。それに仕事や会社以外の、例えば単身赴任しているわけですが、家庭や家族と言うものを改めて見直すきっかけにもなりました。
 
それも仕事中心ってカッコよく聞こえますが、仕事もろくにできない男が仕事中心って言っても全く説得力がないってものです。蛇足で付け加えると、座禅中心って言えるほど、禅に打ち込んでもいないので、これも説得力がないかもしれません()
 
さてあなたも何か解決したい問題がないでしょうか?
本当はあるんだけど、目をそらして、日々の楽しいことだけ考えようとしていませんか?
そして、それって本当に楽しいですか?
 
禅をやると楽しいときは心から楽しめる自分が発見できますよ。
もし何かこの文章を読んで思うところがあれば、今週末の「東京で夜一番遅い座禅会」から老師がいらっしゃるので、お会いしてみませんか?
 
あなたの人生も私と同じように一変してしまうかもしれません。
 
心印 拝
 

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心印です。
 
6月23日 金曜の夜 東京で夜一番遅い座禅会を開催しました。初めての方は3名いらっしゃいました。予約は5名でしたが、お二人ほど見えられず・・・。予約があるのに来られないと、座禅を教えるのをしばらく待ってしまうので、早く来られている方にご迷惑をおかけしてしまいます。
 
平日の夜なので、突然の残業とか仕事の都合もあるでしょうから、来られなくなるのは当たり前だと思っているので、できればキャンセルの連絡でも入れて頂ければと思います。
 
さてこの日は、いつもの「座禅の効用」を先に進めて、「その5 身体機能への効果」を読みました。ここは座禅をすると分泌されるセロトニンという物資が精神的な安定をもたらす効果があることが書かれています。
 
また葆光庵老師がよく言われる、座禅をするとデジタルコンピュータに例えられる頭頂葉がSilentになり、代わってアナログな前頭葉が活性になると書かれています。これは初めて聞いた方にはピンと来ないのですが、座禅をして考えることを停止し、数息観に集中することだと言えば分りやすいと思います。
 
今までは学校や会社でデジタルで考える力は訓練しているのですが、座禅ではアナログで考えない力を養うのです。それは感性を磨くと言ってもいいでしょう。
 
もちろんこれが精神だけでなく、身体的にも良い効果をもたらすわけですが、その効果があることは最近の脳科学の研究で解明されているのです。
 
さて勉強会の後は時々おいでになる埼玉のIさんがホタルに詳しくて、鑑賞会などを時々されているのですが、それを道場までお持ちしてくれました。
 
約3,40匹は入っているらしいです。電気を消すと真っ暗になった室内に、ホタルの黄色い光が幻想的な空間を作り出しました。これを見て数息観をすると癒されるということですが、ほんと癒しと言う感じでした。
 
座禅を続けているとこういう良い事もあるのです。
 
心印 拝
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女性部静坐会は晴れ女が多いのでしょうか?
と思ってしまうくらい、傘がお守り程度です。
 
6
24日(土)の女性部静坐会では、初めてのご参加の方1名、常連の方3名、会員6名の合計10名で坐りました。
 
女性部では静坐30分、5分の休憩の後にもう一度30分ほど坐ります。
静坐の後はほんのちょっとのお勉強タイム。
この日は、了空庵老師の法話集を読みました。
その中で私が気になった言葉は
 
「あるべきようにある
 なるべきようになる」
 
というもの。
今の私の心境と重ね合わせて「そっか、これでいいんだ」と、ストンと納得してしまいました。
 
お勉強の後は、各自でお抹茶を点ててお菓子とともにいただきます。
今日のお菓子は会員(この日は欠席でしたが)の新潟土産でちょうど10個入り!
まるで今日の参加人数を把握していたかのよう。
 
お抹茶をいただきながら、各々近況を話します。
常連の方の「考えすぎてしまう・・・」という言葉に、会員の一人が「直感力だ!」と。
そんなやりとりを聞きながら、
「考えすぎてしまうのも、あるべきよう なんだろうなぁ。
直感力で動くのも、なるべきよう なんだろうなぁ」
と、思いましたとさ。
 
 
土曜日の朝、9時30分からの静坐会にご参加お待ちしております。
 
   合掌 翡翠 拝
 
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6月25日 日曜座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/26 11:16
625日 日曜座禅会
 
初めての参加    1
2回以上の参加  7
会員            4
合計            12
 
読経    「般若心経」
一行物  「識得醍醐上味」
人間禅では食事の前に『食前の文』を唱える。その中の第三条にある「雲門和尚の曰く、識得すれば醍醐の上味、識得せざれば、かえって毒薬と」が出処。識得するのは本当の自分。浅深の違いがあるものの、見性によって本当の自分を確立したうえでの食物は法体を養い道心を堅固にする無上の滋養になるが、それ以前の状態ではかえって迷いを深めてしまう。
科学上の発見も、それを使う人間の心の状態で人類を救済する薬にもなるが、人類を滅ぼす毒にもなる。
醍醐とは
牛乳を精製した最も美味しいもの。現代では、レアチーズ、バター、ヨーグルトのようなものでは?
案内
7/17/8 擇木道場で摂心会があります。期間中に静座会は開催していますが摂心会の日課になります。そのため7/2日曜の朝の座禅は5:30から7:00です。10:30から座禅の時間がありますので、ご都合がよければご参加ください。
14:3017:00 講演会「心のマネジメント」をやっています。
講演会に参加すると、それに続く摂心会には何回でも参加できます。夜は提唱を聞くこともできますので、宜しければご参加ください。
龍泉 拝
 
 
 
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6月22日(木)荻窪座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/24 20:42
6月から開始した荻窪座禅会も、4回目となりました。
初回から熱心に参加されている方や新規に来られた方等を含め、合計8名で座りました。
今回から、座禅終了後に総裁老師の書かれた「人間形成と禅」~その効用・効果について~のシリーズを読むこととし、まずは、ゼロ回の「禅の功徳、効用を説くと云うことは」を読みました。
このシリーズは、「禅の功徳は無功徳」と云われ、それ自体は正しいのだが、それを振りかざしているばかりでは、悩んでいる人に希望の光を見せてあげられないということで、主に、座禅の効用に焦点をおいて書かれたものです。
「無功徳」・・・口にするのは簡単ですが、それを実践するのは本当に難しいですね。人に親切にするときに、本当に何も見返りを求めていないと言い切れるか?と自分の胸に手を当てると、親切にした自分をほめてほしい、私が困ったときには今度は助けてくれるかも?等といった気持ちがどこかにあるように思えてしまいます。自分がそのように思っていると、他人も同じように考えているのではないか?と勘ぐってしまいます。

そんなことを考えていると、初回から参加されている方が、「確かに無功徳ですよね。座禅して何かが得られるわけではないですから。」と言われました。

確かにその通り!単純明快! いろいろ考えていた自分がばからしくなってしまいました。

スタッフで来てくださった法照さんも、「ここで座って、要らないものをどんどん捨てていってください。」と言われ、なるほどその通り!とこちらも感心しました。

物を捨てるのが断捨離なら、余計な思考を捨てるのが座禅だと言えます。

捨てて、捨てて、もう捨てるものがないことも捨てていくと、一体、どんな自分に出会えるのでしょうか?

荻窪道場で要らないものを捨てていきませんか?

御待ちしています。

合掌 香水 拝

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心印です。
 
最近、珍しくリアルの本屋さんに行ってきました。いつもはアマゾンでほしい本をあらかじめ決めてから買うパターンがほとんどだったのですが、リアルの本屋さんで、何かいい本はないかなぁと探すのも好きな時間です。
 
でもお金を出して買いたいと思う本にはなかなか出会わないのも事実で、なんでも無料で手に入るネット時代で、お金を使うということの敷居が相当高くなっていると思います。
 
でも特集のコーナーでパッと目についたのは、「定年後 50歳からの生き方、終わり方」楠木新 著 でした。
 
これも座禅のおかげか、実年齢より若く見えるせいで「え? 心印さんが定年?」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今年で56歳、普通に行けば後、わずか4年で定年なんですな、これが(爆)
 
著者は60歳で定年した際、65歳まで、嘱託のような形で働くこともできたが、あえて普通の定年にしたとのこと。10年くらい先に本を書く二足のわらじでやってきたこともあるのでしょうし、早くから定年をテーマに書かれているので、定年を自分で経験してみたとのことでしょう。それをまた著者はネタに書くわけですから、元が取れるというものです。
 
しかし、いざ定年してみると、今までの朝起きて、家を出て満員電車に揺られて会社に行くというのが、すごいシステムだったのだと気づかされます。云く、朝ちゃんと起きる理由があるわけで、定年すると予定がないので二度寝してしまうことが増えたとのこと。
 
手帳も予定がびっしり書かれていたのが真っ白になる、所属する会社や部署名が書かれた名刺もなくなる、人に自分を説明する機会がなくなるとのこと。
 
女性はもともと会社に依存せずに、会社以外の人間関係を持っているので、会社を辞めてもお友達と会ったり、旅行に行ったりと楽しくやれるのですが、男性は会社以外の人間関係をほとんど持たずに、会社に依存してしまっている、定年すると一気にそれがなくなってしまうのです。
 
そう言えば定年して奈良に帰られた先輩に一度も連絡を取っていない自分に気づきました。在職中はあれだけお世話になったのですから、連絡してもいいようなものですが。Facebookでもやっているのなら、近況くらいはわかるのですが。
 
そこで行くあてのなくなった男性はどこにいるかと言うと、図書館か、スポーツクラブ、喫茶店、パチンコ・・・という感じだそうです。
 
私は、座禅はもとより、バイクも乗りたい、ピアノやギターも練習したいと、やりたいことがたくさんあるのですが、座禅をしているからで、座禅をしてないとかえってなにもしなくなると思います。・・・いつでもできると、人間しなくなるもので、すぐそこにあるスカイツリーに未だに登ったことがないように。
 
ちなみにライブを擇木道場で始めて、ピアノ弾き語りの方を呼べるように激安価格で買ったジャンクの電子ピアノですが、分解して修理をしたら見事になおりました。ネットでBJ-AKIさんと言う方の作曲された「飛簾(ひれん)」という曲が弾きたくて、PDFの楽譜を購入してダウンロードしました。またブックオフでポールモーリアの楽譜が安かったのでとりあえず買ってみました。
 
嫁さんには「相変わらず形からそろえる人やね」と笑われましたが、確かにそうかも。・・で練習する時間はないのですよねぇ・・・
 

 
さて「定年後」の本に戻ると、こんなことが書いてあります。
 
ひとりの人が20歳から60歳まで働いたとすると、日本人は1年間で約2000時間働くそうなので、60歳の定年までに働く時間は、2000時間×40年=8万時間になるとのこと。SEの場合、残業や休日出勤を入れると、もう少し長くて25003000時間くらいになるかと思います。そうすると10万時間ですね。
 
一方、定年後の時間はというと、いま日本人の男性の平均寿命は80歳で、124時間のうち、睡眠や食事などの時間を引いた時間を11時間とします。11時間×365日×20年は約8万時間です。
 
えっ嘘って感じなのですが、会社に勤務していた時間と同じ時間が老後には残っているという計算です。法照さんのブログでは人生の一升瓶はもうすぐ空になる・・・とありましたが、実はまだまだ時間があるのです。
 
これは仕事なら月に20日勤務で土日、祝日は休むのに対して、老後は生きる限り毎日、月に30日、年に365日あるわけです。日に11時間とありますが、歳を取ると睡眠が短くてすむようになるし、通勤時間が不要ですから、1518時間くらいは確保できるかもしれません。
 
確かに定年した人の話を聞くと、ものすごい時間があるとのこと。
じゃあ好きなだけ座禅ができますね(爆
 
いや真面目な話、男は会社以外の付き合いが下手ですから、社会性を保つためにも定年前から座禅しているのはきっといいと思います。
 
しかし、いくら座禅したところで8万時間も使い切れるわけがないのです。
 
社会性はともかく、定年したら家族と、特に配偶者のある方は、奥さんとの関係もうまく再構築できずに煙たがれるご主人が多いとのこと。
 
道場に来て自分の座禅会でも主催してみませんか?
定年した後のこと、あなたは考えていますか?
 
 
心印 拝
 
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6月21日 さいたま参禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/22 15:49

皆さまは暴風大丈夫でしたか?電車も随分おくれていたようですね。

 

昨日は第34回のさいたま参禅会、浦和市民会館の座禅をする45畳の和室から短い廊下の先の15畳の参禅室が雨漏りで使用出来ず、エッ、でも、なんら動ぜず急遽、和室とパーテーションで区切ってある隣の和室45畳の部屋を参禅室として使用。なんと広い参禅室でしょう。いつもと変わらず真剣にそして無事に終了しました。

ただ、全体90畳の端と端での開催とはいえ、壁でなくパーテーションだから、他の人に参禅の内容が聞こえてはまずいので、声を小さめに参禅というつもりが、いつしか途中でヒートアップ!(私だけ?)

いつもよりは少ないメンバーでしたが、落ち着いて坐ることができました。

 

円了後に、仰月庵老師より宿題が出ました。①まもなく擇木道場で摂心が始まるので、各自十分に坐りこんでおくこと。②毎回面談者がいるように努力すること。③会場探しは急務。ひと月に一か所は会場をあたり、報告すること。

 

どれも簡単ではありませんが、常に頭に置いて行動しなければなりません。

 

日暮里の擇木道場は、市民会館や公民館で坐るのとは、また違う雰囲気の中で厳粛に 坐禅することができます。さいたま座禅会に参加して下さったことのある皆さんはもちろん、初めての方でも、随時坐禅の組み方等をご案内しますので、ご心配なさらずにいらっしゃって下さい。お待ちしております。

 

尚、28日(水)のさいたま座禅会は仲町公民館での実施となります。

ココです。 http://www.city.saitama.jp/urawa/001/001/005/009/p034136.html

お越しになるのを楽しみに待っています!!      翠香 拝

 


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仏教講座 番宣いろいろ(玉溪)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/22 10:30
おはようございます。

慧日庵玉溪です。皆さん、ご機嫌いかがですか~~?

 

私、ただいま土曜日の「仏教講座」に向けて、200ページに膨れ上がったテキストを2時間に収まるように20ページに縮小している最中です。

(ッ、ツライ。だってほんとは全部大事だから削りたくないんだもん。それに削らないで全部大事よ、と言った方がラクだし・・・

 

ところで、昨夜の法照さんのブログは良かったですね。

とても重要なことがいくつもさりげなく書かれていました。

 

中でもストレスや悩み事に対し、現在の心理学や精神的なアプローチでは当然のことになっているけれども、禅や仏教ではまさにそこを数千年にわたって提供してきたうちのひとつが、

 

問題が直接私の心を攻撃してくるわけではないんです。

問題が「恐ろしい」と受け止める私の心が私を攻撃してくるんです。

 

というところですね。今では「認知」とか「メタ認知」「認知療法」などと言いますが、お釈迦様は2500年前に、

 

走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人──かれをわれは<御者>とよぶ。他の人はただ手綱を手にしているだけである。 (ダンマパタ 17章「怒り」222

 

と説かれています。私たちの心には、止めようと思っても止まらず言うことを聞いてくれない自分と、こんな悩みなんてなくなればいいのに、と感じている自分がいます。

「坐」の字のように、ひとりの身体にふたりが乗っているようなものなのです。お釈迦様は、ほとんどの人が止めることもままならず、呆然とストレスや悩みに自分が占拠されていくのをなすすべもなく見ている人がほとんどだ、と言われているんですよ。

 

この八方塞がりの状況で、私たちは普通ひたすら解決を求め、自分の外へ探しに出かけます。

いろいろ本を読んだり、人に尋ねたり、占いをしたり。

でも、第一に、「あ、自分は悩んでいるんだな。苦しいと感じているのだな」と認知することが大切なんです。

これで最初に御者は感情が暴走している状況だと「気づいた」ことになります。

ここからは、御者は自分に対して何をしていったらいいのでしょうか、という問題になります。この道筋は大切です。

どうすれば「坐」の字のふたりは、心破れることなく統合し調和しいくことができるのでしょうか。

 

ここからは自分への心の態度を変えること、そして実践。

まさに禅の得意分野です。

 

あ、もっと書きたいけれど、仏教講座のテキストを仕上げなければ!

今回一から勉強してみましょうと取り上げたのは「般若心経」です。

般若の智慧が手に入れば一切の悩みから解放される、と説かれています。

確かに難しいですが、できるだけ初めての方にもわかりやすくお伝えしたいと思っています。きっと何かしら「な~るほど」と思っていただけると思います。ぜひ気軽においで下さいね。

 

まるで番宣でしたね。笑 ごめんなさい~~ でも時間がないの~~

 

そして7月2日の講演会では、もっと具体的に「感情をどうしたらコントロールできるか」というお話をしたいと思っています。

 

それから。

ご無沙汰の方へ。私、この数か月で10キロ減量しました!パチパチ 

座禅は思いっきり役に立ちましたよ。特に食べたい欲求に対して「気づく」こと、受けとめること、自分に共感すること、そして自分を応援すること。

実験のつもりでやってみました。ライ○ップ状態ですので、気になるぞ、と思われた方は見てやってくださいませ! 合掌

 

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