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擇木道場

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擇木ブログ - 20170501のエントリ

心印です。
 
市川の本部道場では摂心会が行われていますが、毎年GWは大阪に帰省しています。
 
さて前回のブログで「他人の庇を借りて修行するようでは本当の禅にならない」と書きました。自分で書いていてなんですが、その理由は何故だろうと? あれから考えていて、あらためて意味や由来をネットで調べたのですが、「他人の庇を借りて・・・」と言うのは検索しても出てきませんでした。
 
あったのは「庇を貸して母屋を取られる」というのがあったのですが、これは意味が違います。
 
あれ?「他人の庇で・・・」って言うのはなかったっけ?と探したら、「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」と言うのがあって、これが似たような意味です。・・・こちらが本家?でしょうか? 変化したのかもしれませんが、まあネットの「故事ことわざ辞典」に無かったと言うだけで、本当に存在しないとは言えません。
 
で、「人の褌(ふんどし)で相撲と取る」の意味は、「故事ことわざ辞典」によると、「他人のものを利用したり、他人に便乗したりして、利益を得ること。」と書いてあって、禅は利益と言うと違和感があるというか、当てはまらない感じになります。
 
「他人の庇を借りて修行する」と言う方が、まだ禅に近いような気がしますが、意味を仮定すると(?)他人の庇を借りて・・・は、例えれば擇木道場の座禅会。それを借りるということで、ビジターとしての参加になるでしょうか?
 
ビジターとして参加すると禅にならないのか?と言うと、ちゃんと参加費を払って頂いているわけで、運営に寄与してもらっているので禅になるはずです。ただ、そこには寄与するレベルに深浅があって、責任のないビジターでの参加と、入会して開催する側に回って責任がある立場では自ずと差が出てくるのは当然です。
 
人間形成の禅、人間禅という立場からすれば、他人の庇を借りているようでは人間形成も浅くなってしまうでしょうし、入会していなくても擇木道場を自分の通う道場として運営側に近い感覚を持たれている人もいますし、入会してもお金だけ出していればいいというものでもありません。
 
ここに人間形成の難しさもあるわけで、やはり自分が汗を流すというところから人間形成も進むわけです。人間禅は伝統的に作務(禅の修行として作業すること)を、座ることと同じくらい重要視していて、摂心会のうち、かなりの時間を作務に割り当てています。
 
これも汗を流して作務になりきって工夫することが、人間形成につながるということなのだろうと思います(もちろん必ずしも肉体労働でなくても、パソコン作業でも作務のうちです)。
 
入会していなくても摂心会に参加すれば作務をすることはできますが、一時的な作業の割り当てになってしまうので、人間形成を考えるのであれば、入会して支部や禅会の中で正式な役位を割り当ててもらった方が良いでしょう。
 
まとめると他人の庇で座禅だけをするよりも、入会して正式な役位を割り当ててもらって摂心会に参加する方が人間形成は進むと言うお話でした(もちろん人によって例外はあるのは当たり前です)。
 
心印 拝
 
 

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