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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 201705のエントリ

法照です。

「座禅は一日一炷香」と言われてまして、継続することが大事と言われています。
そんなわけで毎日座っているわけですが、調子のいいときばかりではありません。
忙しいとき、悩み事、心配事等々、いろいろかかえていると、そういうものに揺れている心を座禅で静めていくわけですが、なかなかうまくいかないときもあります。
一人で家で座っていてなかなか思うようにいかないときは、やはり座禅会で座るのが一番かなと思います。
私はいつも金曜夜の座禅会で座っていますが、不調のときはそれ以外の座禅会にも参加させてもらっています。
ということで昨日、一昨日と火曜座禅会とさいたま参禅会に参加してきました。

◆5月23日(火)火曜座禅会
火曜座禅会は18時30分開始で、会社を定時で終われれば間に合うのですが、なかなかそうもいきません。
19時過ぎに到着して、なんとか二炷香目から座りました。
ふと見ると、会員の仁風さんが座っていらっしゃいます。
この方は大病を患った経験があって、現在も体調が悪いときなどもあるそうなのですが、体調のよいときは積極的にいらっしゃっています。
体調の問題もあるのに他の行事にも積極的に参加されていて、何かの係りに名前が入っていたりすると「なにかやらなくていいですか?」と積極的に参加しようとされます。
こういう方は本当に頭が下がります。
「仁風」というのは道号で、最初の公案(禅の問題)を老師からいただいて、答えられた方に与えられる名前です。(会員にならないともらえませんが)
道号は老師から授けられるもので、一人一人にあった名前を授かります。
「仁」の字は、医者とか病気に関わる人に与えられているようです。
(さいたま座禅会には仁雲さんというお医者さんもいらっしゃいます)
仁風さんの場合、大病された経験があるので「仁」がつくのかと思いますが、「風」はどういう意味かな?と疑問に思ってました。
火曜日にも来られている仁風さんを見て、ふと思ったのですが、風というのは、強く吹く日もあれば弱い日もあり、風のない日もあります。
風のないときはあっても、ずっとないまま、ということはなくて、いずれまた風は吹きます。
体調が悪くていらっしゃれない時もあるでしょうが、またよくなれば道場に座りにいらっしゃる。
風のごとし、ですね。
(老師がそういう意味で「風」の字を道号に入れたわけではないかもしれませんが…)
無理せず、長く続けていただきたいと思います。
こういう方がいらっしゃると、こちらもやる気になりますね。
こういうよい影響をいただけるのも、道場で座る良さだと思います。

◆5月24日(水)さいたま参禅会
今日は参禅会ということで、さいたま市民会館うらわでの開催でした。
先ほど公案の話を書きましたが、参禅の時は老師がいらっしゃって、入門しているものは自分の公案の答えを老師に持っていき御指導を受けることができます。
さいたま参禅会は、去年まで総裁老師がご担当でしたが、今年度から仰月庵老師に担当が変わりました。
ということで、新体制の第1回目の参禅会となります。
が、私は総裁老師についているので、仰月庵老師には参禅することができません…
(いろいろと決まりがありまして…。詳しく知りたい方は道場へお越しください)
ということで、私は参禅はせずに座禅三昧です。
参禅会の時は、入門されていない方は遠慮されるのか、なかなかいらっしゃらないんですよね…
座禅中も参禅される方は席を立ったり、鐘をならしたりするから集中しにくいと思ったり、厳粛な場で参加を躊躇されたりするのでしょうか。
足音や鐘の音は慣れない内は気になるかもしれませんが、慣れれば気にならなくなるものです。
それよりも、慣れてくればピリッとした雰囲気の中で座れるので座禅の質も上がると思います。
一般の方で、座りに来るだけでも大歓迎ですので、参禅会の時も是非いらっしゃってください。

6月1日からは、荻窪でも座禅会が始まります。(毎週木曜日の19時30分から)
ご自分の都合のよい時間と場所で、是非ご参加ください。

法照 拝
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心印です。
 
遅まきながら2017512日の金曜の夜、「東京で夜一番遅い座禅会」の勉強会のビデオをアップロードしました。
 
「東京で夜一番遅い座禅会 座禅なんぞしなくても 2017512日」

 
さいたま座禅会の会長 海香さんのブログ「座禅なんぞしなくとも」を勉強会の材料にさせて頂いたものです。
 
ブログの本文はこちらです。
「座禅なんぞしなくとも 510日 さいたま座禅会」
http://takuboku.ningenzen.jp/modules/d3blog/details.php?bid=1645
 
座禅は何が難しいかというと継続することだと以前ブログに書きましたが、海香さんはこのブログの中で「すっきり」と「仲間」で続いたと書かれています。やはり私も道友という仲間がいなければ、ここまで続いていなかったと思います。
 
なので入会して仲間になったら、できるだけ静座会(座禅会のこと)や、禅フロンティアや、道場でのイベントに参加して他の先輩方と交流して、仲間になってほしいと思います。、また役位を頂くのも責任感を持つのに有効です。それは義務というわけではないのですが、座禅を長く続けようと思ったら、仲間や役位というのは役に立ちます。
 
人間というのは弱いもので、すぐ安易な方向へ流れてしまうものです、自堕落防止のうまい仕組みと書かれていますが、そういうものです。ただでさえ仕事や、家庭などで大変なのに、そこに座禅の苦労をしょいこむわけなので、よほど工夫しないと続かない、その続く仕組みが仲間づくりというわけですね。
 
一人では座禅は続かない、私もそう思います。さらに言うと一人でやる座禅は、自利だけに走ってしまう、本来は大乗仏教の精神である、自利と利他、表裏一体の道から外れていく、方向が間違ったものだと思います。
 
入会してすぐの方は、まずは自利で座禅を自分のものにするのが大事ですが、修行が進んで数年経って、人間禅で言うところの火大級あたりまで来られた方は、自利だけでなく利他もやるべきなのです。
 
「東京で夜一番遅い座禅会」では入会して1年未満や2年くらいの方にお手伝いしてもらっていますが、早くからこうして座禅会の運営に関わって利他行もやられている方はやはり修行が進むのも早いような感じがします。これこそが人間形成の道だと思います。
 
心印 拝
 
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心印です。
 
今日はすみだ産業会館で「ギターフェスティバル」というギターのイベントがあり、そこで五十嵐晴美さんがライブをされるってことで、行ってきました。五十嵐晴美さんは6月3日に擇木道場で座禅体験会+ライブをやって頂くシンガーソングライターの方です。
 

「五十嵐晴美さん ギター弾き語り 座禅と歌で癒しの時間を過ごしませんか?」


http://takuboku.ningenzen.jp/modules/d3blog/details.php?bid=1637
 
ギターフェスティバルというイベントは初めて行きましたが、全国のギター職人の方が一堂に集まる感じで、ギブソンとかフェンダーとかモーリスとかコールクラークとか、ギターのメーカーしか知らない私には新鮮な感じでした。

         
  
  
  
  
 
朝からこんなに人がたくさん集まっています。右はフェンダーのアコースティックギターをエレキギターのストラトキャスター風に改造したギターです。
 
五十嵐晴美さんのライブはこんな感じでした。
         
  
  
  
  
演奏が終わった後の撮影なので、会場を後にされる方が多くてすみません。
右はライブ後の物販のところでファンの方が五十嵐さんとお話ししているところです。擇木道場のライブのチケットも2枚販売できました!!
 
ファンの方に私からも「ありがとうございます」と言うことができました。CDやDVDや、缶バッジ、パンフレット等があります。擇木道場のライブでもこうなる予定です。

 
五十嵐晴美さんに写真を撮らせていただきました。この通り、見た目も可愛い小柄な女性なのですが、これがなかなかパワフルな歌を作って歌われる方なのです。道場では癒しの歌姫というキャッチを入れましたが、どっちかというと元気やパワーを頂けるという感じですね!!

最後に歌われた「FLY」という歌の歌詞には、「負けないで、泣かないで、僕らはいつだってつながっている、一人じゃないよ、つながってるよ、同じ空の下」っていうのがあります。これは禅に通じるところがありますねって勝手に思います。

 
この後、道場に戻って、下見と言うことでスタッフの方が2名来て頂きました。
これでライブができるかどうかを見ていただきました。
 
         
  
  
  
  
 
私の音響の知識は30年も前の知識ですから、今でも通用するのか?って感じですし、耳が悪くて補聴器を通すと音のレベルがわからないので、心配でしたが、なんとかできる感じですねと言ってもらいました。
 
スピーカーは道場のものは1台しかないので、もしかしたら2台ほど持ってくるかもとのことでした。
 
当日をお楽しみに!!
 
まだ記事をかけていませんが、6月25日にも、心(こころ)さんというシンガーソングライターの方をおよびして、座禅ライブ 第3弾をやります。記事を書くひまがないwww
 
心印 拝
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日曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/5/21 10:03
日曜座禅会
 
521日 日曜座禅会
初めての参加 1
2回以上参加  7
支部員    5
合計    13
 
読経       「般若心経」
一行物   「行亦禅坐亦禅」
唐代の七祖永嘉玄覚大師が書かれた『証道歌』のなかにある一節。
禅の修行は禅堂で坐ることと考えられているが、行住坐臥語黙動静、何をやっても禅の修行であるということ。摂心会では起床から就寝まで、全てをそのものになりきる修行をしている。入門者は「公案」に心を尽くし、座禅、作務、提唱、参禅の中で三昧力を養っている。日常の生活を振り返ると、無意識のうちにやっていることが多い。夢遊病者のような行動を脱して、今、ここで、自分がこうやっていることを確りと自覚することが大切です。トイレの扉を閉める動作を無意識でやっていないでしょうか。「動中の工夫」は三昧力の養成に役立ちます。
 
連絡事項 無し
 
龍泉 拝
 
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5月17日 さいたま座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/5/18 10:47

Hola. 翠香です。

 

このところ利用している公民館は、隣の教室でどうやらスペイン語の勉強をしている様子。オラーと挨拶をかわす声が響いています。

 

昨日は祖芳さんにもお手伝いいただき、さいたま座禅会メンバー3人と

熱心に参加している下さるリピ-ター4人の合計8人で座ることができました。

 

来週は市民会館での参禅会になりますので、座禅のあとそのお知らせと荷物の移動準備もあり、公民館の終わる制限時間21時ギリギリ一杯。

それでも、いつものメンバーで顔を合わせ、座禅後のほんのひと時、お茶を飲むことができるのはありがたいことです。

 

さて、話は変わりますが、

私の職場がある浅草は現在、三社祭一色、軒提灯が吊られ、町全体のテンションがあがっています。

この季節が一番浅草を感じます。

 

そして、もう1つ、芍薬の切り花をいただいたので花瓶に挿してあるのですが、

ほんのごくごく僅かに、ほんのり淡いピンク色をおびてまいりました。いただいた時は、まだ緑色のかたい蕾だったのですが、毎日水を替え話かけています。

近所のお花屋さんに尋ねると『少し 苛めるのよ。蕾を指で軽くつまんで少し苛めなきゃ!』と予想外の回答。毎日話しかけながら、恐る恐る蕾をつまんでいます。

 

もしかしたら、花が咲く前のこの時期が一番贅沢な時間なのかもしれません。

何事にも通じる理でしょうか。

 

来週、さいたま市民会館でお会いしましょう。翠香

 

(  補足)  ・・・来週524(水曜日)の午後645分から 4階の405号室で「参禅会」を行います。今年度から当会の師家(老師)が仰月庵呼龍老師となりました。 http://takuboku.ningenzen.jp/modules/pico02/index.php?content_id=44

初めてご参加の方でも、座禅ができ、老師に「禅」とはなにかをお聞きになれる貴重な機会ですので、どうぞご参加ください。

初めての方の参加費は1000円、2回目以降は 500円です。

あっ、それから私は苛めないようにお願いします。ひ弱なので。 海香 



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 法照です。
 奇数月は擇木禅セミナーということで各種勉強会、講演会がございます。
 今月は5月19日(金)~20日(土)ということで、間近になりましたので講演会『「心療内科」と「禅」』について少し書いてみたいと思います。
 「心療内科」と言う言葉は最近よく耳にしますが、内容はご存じですか?
 たとえば精神科・神経科・精神神経科・心療内科・神経内科の違いはわかりますか?
 私も漠然としかわかっていなかったのですが、厚生労働省のページを見ると、以下のように説明しています。
◆精神科、神経科、精神神経科
「精神科」、「神経科」、「精神神経科」は同じものです。どれかが書いてある場合や、併記してある場合は、「うつ病」「統合失調症」「神経症性障害」などのこころの病気を診ている、精神科の医療機関と考えて間違いありません。
◆心療内科
「心療内科」は心理的な要因で身体の症状(胃潰瘍、気管支ぜんそくなど)が現れる、いわゆる「心身症」を主な対象としています。
しかし、「心療内科」と看板に書いてあっても、実際にはこころの病気を診ている医療機関がたくさんあります。ただし、こころの病気を全て診るわけではなく、軽い「うつ病」や「神経症性障害」など一部のこころの病気しか診ないところもあります。
◆神経内科
「神経内科」は、パーキンソン病や脳梗塞、手足の麻痺や震えなど、脳や脊髄、神経、筋肉の病気を診る内科です。精神的な病気を主に診ているわけではありません。
しかし「神経内科」と看板に書いてあっても、実際にはこころの病気を含めて診ているところがあります。また、「認知症」や「てんかん」は、精神科でも神経内科でも診ています。
 これを読むと、「あれ?」と思われた方も多いのではないでしょうか?
 普通、うつ病になったときは「心療内科」へ行くものと思いますよね?
 実際、「心療内科」の看板をかかげてうつ病などをメインにしている病院も多いため、「うつ病=心療内科」と思っていましたが、実際にはうつ病は精神科の領域で本来の心療内科とは大きく異なります。
 では、「心療内科」とはどんな病気を診る科なのか?
 上記の説明だと、なんとなく漠然としていてよくわかりませんよね?
 今回の講演者である中井吉英氏は著書も何冊か出していらっしゃるので2冊ほど読んでみました。
 いや、もうこれがすごいんです。
 いろいろな患者さんのお話しが書かれていますが、状況が千差万別。
 たとえば、末期の癌患者のケアのお話しもあれば、胸や胃の痛みの原因を探るために患者の幼少期の話を丹念に聞き出してこころから来る原因を探っていく話などなど…
 現在の医療は、診察3分であとは検査に次ぐ検査…
 原因がわかれば、投薬、手術…
 病気になった原因を深く探ることもなく、失明や末期癌など治らない病気に対しても心のケアは十分とは言えません。
 病気になると言うことは、まずその病気の症状で苦しみます。しかし患者にとってはそれだけではなく、病気になった事による心の変化もまた大きな負担となってのしかかってきます。
 今の医療ではどうしても症状の改善の方ばかりに行きがちで患者の心が置き去りになっています。
 「心療内科」はそのギャップを埋めて患者の心に寄り添っていく、貴重な存在であるといえると思います。
 中井吉英氏は著書を読むと、患者の心と真剣に向き合って治療を進めていくその物語に感動します。
 座禅会などに参加される方がなぜ座禅をしようと思われたか、その理由は様々ですが、いろいろな悩みを抱えた方も多くいらっしゃいます。
 そういった方に、ただ座禅を進めているだけだと、病気の症状だけを治療している医者と変わらないのではないかと思います。
 その人の悩みに寄り添って一緒に考えていく、心療内科で行われている治療への姿勢は我々にとっても必要なことだと感じました。

 拝読した著書には、患者との感動のお話しがたくさんございました。
 それはここではとても書き切れませんので、是非、講演会にお越しください。
 きっとすばらしいお話しを聞くことができると思います。
 第58回禅フロンティア『「心療内科」と「禅」』の詳細は下記のURLを参照ください。
 ご予約は下記のURLから行うことができます。
 法照 拝
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心印です。
 
金曜のブログについては、海香さんのブログを使って勉強会をしたのですが、ツイキャスで生放送をして録画した分を、編集してYoutubeにアップロードしようとしているので、それができたら書こうと思います。
 
海香さんのブログでは、人間は一人では仕事も座禅も続けることができない、お互いに自堕落防止をするために、うまい仕組みとして集団づくりをしたのだと、それで入会して仲間になると座禅が続くのだと。
 
このブログこそ、我が意を得たりということで勉強会のネタに使わせて頂きました。最近、入会するメリットは継続できることだと、仲間づくりはどういう意味があるのかとか、入会しないまま座禅が続けられる人はほとんどいない(わずか0.7%)ということを書いたからか、この勉強会の後、今月で通いだして1年になるAさんが入会したいと言っていただきました。座禅を続けて、さらにレベルを上げたいとのこと、その道心の発心に心の中で合掌しました。

しかし入会せずに続いている二人のうち一人が入会されるってことで、0.7%が計算するのが怖いほど低い値になりそうです。


さて、それはまた今度のブログで書くことにして、今日は来月の五十嵐晴美さんがライブ+座禅体験会をして頂ける、またその後も続々と出演して頂ける方が決まりつつあります。
 
そこで、ヤフオクで激安で落札した(なんでもヤフオクw)RAMSA WR-X02 という業務用のミキサー(発売当時は15万円!!)をテストしてみました。
 
ちなみにシールドコードはゴールデンウイークで帰省していた大阪の自宅から持ってきたのですが、高校生の時バンドでエレキギターを弾くときに使っていたものなので、40年近く経過した熟成ものですw
 
パソコンからのオーディオ出力をミキサー(右の黒い箱)につないで・・・

 
マイクとギター用のシールドケーブル

 
いろいろテストして決めた接続状況はこちら。

 
アンプ側の接続はこう決めました(こちらは入力1本だけなのでシンプル)。

 
Youtubeでギター弾き語りのライブを流してセッティングを決めましたが、パソコンのオーディオは出力レベルやレンジが狭いので、実際に歌う生声と、本物のギターだとアンプとスピーカーが耐えられるか心配でしたが、調べるとアンプ+スピーカーは、今でも簡易PAシステムとしてレンタルされているので、この道場の広さなら大丈夫でしょう。
 
カセットがついているってことでだいぶ古いもののはずなんですけど、音は結構しっかりしていました。

玉村梨紗さんのライブの時は、PAの専門家である群馬のととちゃんが本物のPAシステムを持って来ていただいたのでライブハウスそのものの音になりましたが、そこまでは到底いけません。せめてもう一台、アンプとスピーカーがあればいいのですが、ないものねだりしても仕方ないので、これで行きましょう。

これだけでも当時の価格を計算すると結構お高い価格のはずw

 
ライブ楽しみですね!!
ライブの詳細はこちら
http://takuboku.ningenzen.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=239
 
心印 拝
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日曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/5/14 11:46
514日 日曜座禅会
初めての参加 3
2回以上参加 4
支部員    4
合計    11
 
読経    「座禅和讃」
一行物   「江月照松風吹」
唐代の七祖永嘉玄覚大師が書かれた『証道歌』のなかにある一節。中秋の名月、それを照らす大河、松林の奏でる松風、自然の趣の世界を表している。自然はそれだけではない。日本の四季にはそれぞれに良さがあります。この春夏秋冬の季節の変化を起こす根源は何か、また、何ものが我々をこのように然らしめているのであろうか? 
人間は知性を働かせることによって、今日の文化を築いてきたが、慧の分野が置き忘れられてきました。首をかしげるような事件が起こっています。心の教育が置きざりにされてきた所以だと思います。「数息観」は慧の分野を深め、人間形成に寄与できる手段です。
 
連絡事項
519日、20日に禅セミナを開催します。
520日午後は「心療内科と禅」というテーマで禅フロンティアを開催します。
龍泉 拝
 
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仕事の業務目標はハードルが上がり続け、家事ではやることは増え続け

、友人とのLINEやツイッター、フェイスブック対応でくつろぎの時間

も大わらわ、という人、・・・・なんだか、一日を自分の意思で使って

いるより、一日中なにかに使われて終わってしまったような感じ、

がしていませんか?

追いかけられ、今日も重たかったなぁ、とふと立ち止まったら、今年

1年あっという間、えっ、10?なんてことを、私はずっとやって

きました。気晴らしにスポーツやら娯楽、旅行、お酒などをしているう

ちに、突然、思っていた未来予想図から外れることがおきて、自分や

身内の病気、親の看護、死もやってきて・・・・・、思い悩んで・・

・・、友人たちに聞くとみんな同じ感じです。

 

そんな時、座禅がなにかを変えてくれるかも?と一度は行ってみたけど、

まぁこういうものだったのかぁ、で終わってそれっきりの人はたくさん

います。

私の場合は、固い決心というほどのこともないまま、数年さぼりつつも

続いていますが、なんで続いたかというと、キーワードは「すっきり」

と「仲間」なんです。

 座禅は「なんにも考えなくなる」のではなくて「複数のことをパラ

レルに考えることをやめて、今ここで呼吸をしていることに集中する」

ことにより、多くのことがそぎ落とされて「すっきり」してしまうのです。

「すっきり」は目的ではなくて、そうなっていたということで、座禅を

続けていると、仕事にせよ、遊びにせよ、今、目の前でやることに集中

できるようになるのはもとより、座禅が終わった後、仲間と飲むお酒が

とてもおいしいよね、ともなります。

もちろん、おいしいお酒を飲むために坐っているのではないと、いうことは

念のため言っておきます。

 このお酒が好きな「仲間たち」ではありますが(私も含めてです)、互いに

「習慣として座禅を継続する」には有用で、家族がいるから毎日真面目に働く

というのに似て、自堕落な私に規則正しい毎日の支えになります。いや、お互

いの自堕落防止で支え合っているって感じかもしれません。人間は、結構いい

加減で腹黒く、すぐ怠けるものですから。会社もお寺もみんな集まって、

仕事をしたり、修行をするのは、このためで、とても一人だけで続けられ

るものではないからという「うまい仕組み」が「集団作り」だったわけです。


と、いうことで「座禅」は一人では続きません。続けられなくても、座禅

は食べ物ではないから死にはしません。座禅なんぞしなくともなんという

ことはないのです。しかしながら、精神的なバックボーンがしっかりして

いる人はいいとして、生きていると出くわすいろいろなことに翻弄された

時、翻弄されたまま終わってしまいそうです。わたしなんぞ、まだその口です。

ただ、「勝手に自分が意味づけしたことから離れると翻弄の波は静まる」こと

となる、ことが少しだけわかるようになりました。これは、「集まって座禅」

をし、「習慣として座禅した」からだと思うのです。

このことは、ちょっと坐っただけでわかる人は稀で、「座禅を継続しないと味わえない」もので、長く続けるほど深くなるようです。

 

最後に、昨日の座禅会の状況ですが、7人の参加。今年度から仰月庵杉山呼龍老師

のご指導を仰ぐことになりました。さいたま座禅会はスクラム組んでやっていこ

うね、と会員で申し合わせたわけですが、参加募集のポスター図案にもたくさん

のご提案をくださっている東京からご参加の大学の数学の先生や、常連の方、

擇木道場から支援参加してくださった法照さんに感謝です。体調不良にもかかわ

らず参加の翠香さん、学会の夜間会合前に、座禅会場の設営だけでもできたらと

来てくださった仁雲さん、終了後毎度軽くいっぱいにお付き合いしてくださる

祖芳さんにも感謝です。

今年は、昨年より多くの方に「座禅のよさ」を感じていただきたいと思います。


毎週水曜日に、浦和区の仲町公民館で19時半から坐っています。みなさまご参加

ください。今月は、24日の水曜日の夜に、「参禅会」があります。会場は、「しみん会館うらわ」の403号室です。禅の老師がお見えになるので、初めてご参加の方でも、禅とはなにかをお聞きになれます。こちらにも是非おいでください。               海香

 

 



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なぜ座禅をするのか?

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/5/9 21:54
心印です。
 
なぜ人は座禅にひかれて来られるのか?
毎週、金曜日の夜になると、黙々と禅堂に座りに来られる人々。
 
彼らが初めて来られた時に、座禅講習申込み書の一番下に座禅の理由を書く欄があるが、簡単に書かれる方もいらっしゃるが、そこでひとしきり考え込んでしまう人も、また多いのだ。
 
心がざわつくから、心を落ち着かせたい、落ち着きがないから、、集中力がないから、座禅が良いと聞いたので・・・と、理由のいくつかをまとめて何種類かに分類することができるが、自分の理由と他人の理由が全く同じ人はいないはずなので、それこそ人の数だけ理由があると思う。
 
そういう私にも明確な理由があって、よく金曜の夜の座禅後に行っている勉強会で話すのですが、人間関係に関する悩みである。若いうちはそんなことを考えたことがなく、ただガムシャラに仕事をしまくっていたという感じだったが、思い出すと、その頃でも、これでいいのだろうか?と幾度となく考えることがあった。でもSEという多忙な職業を選んだおかげで、考える暇もなく次の仕事をこなすだけで精いっぱいだった。
 
よく例えられることに、健康な時は全く気にならないが、病気になった途端に胃腸や肺や血管の存在に気付くものである。人生もそれと同じで、順風満帆の時、あるいは逆風の時は、なおさらそんなことに気付いている暇はないが、歳を取って先行きの心配をしたり、先輩や身近な人が亡くなったりすると、ふと不安に襲われることがあるだろう。
 
1年ほど前、30代の女性に「何が一番不安ですか?」と聞いたら、「老後が心配です」と言われたが、経済的にも、心理的にも老後が不安だという年齢が早まっている時代だと思う。
 
じゃあ心配している主体はなんだ?と言うと、それは「自分」である。でも私はよく説明するのだが、人が「自分」だと考えているものは、半分以上が妄想や雑念でできている。心配もその妄想や雑念が発生源であるから、座禅をしてちゃんと正しい「自分」をつかめたら、心配や不安は解消されてしまう。
 
何かの自己啓発的な方法論や精神論で解決したり、何か楽しいことで気を紛らわせたりするのではない、座禅は元から絶つのであって、そもそも「自分」がはっきりと掴めたら、心配や不安は発生しなくなるのだ。
 
座禅によって問題が解決するのではなく、その問題を発生させてしまう主体である「自分」というものが変わると言ってもいいであろう。
 
数息観だけの座禅でも、「自分」をかなりのところまで掴むことができる、仏教的に言うと「自分」と言うのは本来、決まりきった形を持たない、仏教用語で言うと無相と言うが、数息観に習熟してくると、だんだん自己と世界の境目がなくなっていくことを感じる。
 
さらに参禅までして、公案修行をするようになると、これは実感を持って「自分」というものが掴めるのであるが、こればっかりは実際にやってみないとわからない、言葉では届かない世界なので、言葉で書けることは、例えば「自分が掴める、実感がある」とか言う表現しかできない。
 
さらに「自分」を掴めたと言っても、禅の修行段階から言うと最初の方であって、それを自在に使いこなせるようになるまで、あるいはそれで人を救えるようになるまでは、まだまだ何十年も先になる修行の道がある。
 
それをどこまでできるのか? あるいは自分がどこまでできるのか? それはやってみないとわからない。最初から、何十年も一生をかけて座禅しようと決心できる人なんてほとんどいないのだ。
 
少なくとも私はそうであった。人間関係に悩んで座禅を始めたが、解決したら辞めるかも?と思って、始めて5年が過ぎたが、まだまだ解決の道は遠い、でもこの道の先に確実に解決する方向があるな、とようやく気付いたくらいなのである。
 
もし、この文章で何か思うところがあれば、「東京で夜一番遅い座禅会」に参加して、勉強会に出てみましょう。
 
心印 拝
 

 
 
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