メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2013 11月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

検索
カテゴリ一覧

擇木ブログ - 201612のエントリ

人間禅創始者耕雲庵老師の人となりについての思い出

丸川春潭

 平成285月の本部道場での諸会議の中で、2年後の人間禅創立70周年記念を期して後世に何かを残すことをしようではないかと話し合った中で、東京支部の慧日庵笠倉玉渓老禅子から、人間禅の創始者である耕雲庵老師がお亡くなりになり今年で37年を経過し、耕雲庵老師を全く知らない人も多くなってきているし、老師の謦咳に触れた人も高齢になられているので、今のうちに耕雲庵老師の日常のエピソードを集めて思い出集を作りそれを残したらどうかという提案があった。常任法務会でも、評議委員会でも賛同を得て、現在進行中であり、そのサンプルとして小生の学生時代の思い出を綴ったので紹介します。

 ただ、老大師の思い出を時代順に書いて行こうとして、小生の学生時代から書き始めた。「その1」がそうであるが、23週間すると未だ学生時代の思い出がぽつりぽつり想い出されて、それをまとめたのが「その2」である。次は就職以降と思って1ヶ月ほど経った間に、まだ学生時代の思い出が出てきて、この「その3」になった。

(人間の記憶は、ぽつりぽつり想い出されるものであるから、インタービューを受けてさあ思い出を語って下さいとテープ用のマイクを向けられても直ぐには出てこないものであることが判った。)

 

耕雲庵老師の思い出 その3.S34S38(小生の学生時代の思い出-3)

耕雲庵老師のご入浴は、夕食前が定例であり、お入りになってしばらくしてザーッと音がして浴槽から出られたのを外で窺っており、その音で浴槽を出られたと見計らって、「お背中をお流ししましょうか?」とお声を掛ける。オーという返事を待って、上半身裸で半パンツの格好で浴室に入り、老師の差し出されるタオルを受け取り、それで背中をお流しするのであるが、ここでも新米の侍者に背中の流し方の基本をお教えいただいた。

 老師云く、「最初は、石鹸で体の表面の油をヘミ(ドイツ語の化学?)の作用で取り、その石鹸を完全に洗い流したあとに、固く絞ったタオルで、今度はフィジカルに(物理的に)垢すりをするんだ。そのやり方は毛に逆らって尻から徐々に上に向かって首まで擦り上げて行くんだ!」こういうような調子で教えていただいた。

(後年、第二世総裁妙峰庵老師には松戸の銭湯で詳しく小生が背中を流して頂きながらお教えいただきましたが、最初の手解きは耕雲庵老大師からお教えいただきました。また、磨甎庵老師には、背中流しのあとの肩のもみ方について詳しく教えていただきました。)

 

中国支部摂心会期間中の散歩から帰られて、侍者ちょっと来いとお声が掛かり、「どこどこに見事な夏蜜柑がたわわに成っているので、一枝貰って来い。儂はそれで絵を書きたいのだ。」と云うことで出かけました。立派な門構えのお屋敷で、高い土塀の上から大きな夏蜜柑の木が見え、黄金色で夏蜜柑がなっていました。大学生の小生に取っては、未だ経験したことのない命題で、深閑と静まりかえったお屋敷を前にして怯みましたが、師命ですから勇を鼓して呼び鈴を押したものでした。老師にはにっこりしていただきましたが、良い経験をさせていただきました。

熊本の摂心会の放参日に阿蘇に一行庵老師(当時は中村義道居士:熊本支部の侍者、外科医)の運転で出かけたとき、オートバイの若者が後ろに女の子を乗せてかっこよく通り過ぎるのをご覧になって、「儂も若かったら、珠月を乗せてあれをやりたいなあ!」と。

九州からの帰路の車中で、鳥取の砂丘の話になり、「風紋のある砂丘に珠月を歩かせて写真を撮りたい!」と独り言のように仰られました。(若い学生の小生に、この類いの惚気のようなうらやましい話をさりげなくよくされました。)

中国支部の支部長が岡山で名の通った作家数名の茶碗展があるから、侍者はご案内しろということで、ご案内しました。老大師は心経茶碗を沢山作られた23年後のことでした。見終わって帰り際に、どうでしたかとお尋ねするとぶすっと難しい顔をされて、こんなに茶碗をわざとヘコませたり、歪めたりしているのは良くない!茶碗のゆがみは、普通に丸く作っても炉の中で自然にゆがみ、それが風情となって良いのであって、作為的に歪めているものは駄目だ!」とご機嫌斜めでした。(ことほど左様に、とにかく自然を大切に、人工的作為を嫌われました。)

どういう状況でのお話だったか定かでなく、ひょっとすると中国道場での提唱だったかも知れませんが、「儂に相見したかったら、本部道場の内路地を見ろ!」と云うお話で、特に水の流れが庭全体でどういう流れにしているかなどご自分で設計して綿密に工夫されて作られたようです。自負と思い入れのある内路地は塾生でなければ掃除をさせないお触れも出ていたようです。(耕雲庵老師に相見するつもりで、じっくりと内路地を散策下さい。そして原型を崩さないようによく手入れをして後世に伝え残さねばならないと思います。)

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (219)

12月23日 金曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/12/28 0:08
法照です。
 
1223日の金曜座禅会ですが、クリスマスイブ前日、三連休初日ということで、参加者は少ないだろうと予想はしていましたが、一般の方3名と会員4名という参加でした。
私は一昨年の2月からずっと参加していますが、こんなに少ないのは初めてでした。
 
座禅の後は勉強会ということで、いつもは先輩方が仕切っていて、私は一緒に聞いているのですが、今日はいろいろあって私が進めることになりました。
いつも心印さんは総裁老師がお書きになった座禅の効用を読んで解説されていますが、私はそんな難しい話はできないので、座相について、自分なりに考えて工夫してきたことをお話しさせていただきました。
前半は一通り、座り方の基本などをお話しさせていただいて、後半はデジカメを使って撮った自分の座相をタブレットPCでチェックしながら工夫していただくということをやってみました。
これが結構盛り上がりました。
 
その時撮ったのが下の写真です。
                                   
  座禅会中の写真 座相のチェック1回目 座相のチェック2回目 
  
  奥がMさん
  手前がNさん
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 
「座禅中の写真」は、勉強会の前の座禅会の時に撮影したものです。
奥のMさんが3ヶ月、手前のNさんが1年以上座禅会に参加されて座っていますが、自分の座っている姿をこうして写真で見るのは初めてということでした。
お二方とも自分の座相を見て、「こんな姿勢だったんだ!」(Nさん)、「俺、力はいってるな」(Mさん)と、驚いていらっしゃいました。
「座相のチェック1回目」は、前半の説明を聞いた上での内容を意識して座ってもらいました。
「力が入ってる」とおっしゃったMさんは、少し力が抜けてきています。
Nさんは、前半の説明で両膝とおしりで作られる三角形の中心に重心を置くという話をしましたが、座禅中よりやや重心が前になって来ています。
「座相のチェック1回目」が終わって、タブレットPCで表示した自分の座相を見ながら皆でアドバイスをして、再度工夫していただいて撮影したのが「座相のチェック2回目」の写真です。
Mさんは、最初、一番上のの座布団を折らずに使っていましたが、最後は2枚目も折って高くして座りました。
「座相のチェック1回目」より座相がよくなっているのがわかると思います。
Nさんは「座相のチェック1回目」で少し固かったので、2回目は力を抜くことを意識されたのだと思います。
1回目よりはゆったりした感じがします。
皆様、自分の姿を写真で見てチェックできたのはわかりやすくてよかったようです。
 
ちなみに、下記は会員3人の座相です。
                         
  


  

  


  

  


  

  

翡翠禅子
  

  

法照
  

  

心印居士
  

(法照と心印居士の写真は、向きを合わせるために反転してあります)
 
翡翠禅子は座禅歴3ヶ月です。
心印さんにアドバイスを受けて、だいぶ変わりました。
私(法照)は、写真を意識しすぎて肩の辺りに力が入ってますね…
座禅歴5年以上の心印さんはさすがです。
 
いかがでしたでしょうか?
今回の試みは好感触でしたが、人数が多いと難しいのが難点です。
しかし、また参加者が少ない時にでも実施できればと思っています。
 
法照 拝

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (173)

 12月24日   女性部静坐会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/12/26 3:30

風も空気も冬そのもの。
でもしっかりとした日差しが禅堂の中まで差し込んでいました。

今年最後の女性部静坐会でした。

多摩センターからいらっしゃった方を迎え、10名で坐りました。
歳の最後に、常連の方々と坐れるのは幸せなことです。

この秋から、30分2回の座禅の休憩時間に、座禅の仕方について書かれた
ものを読んで、皆さんに坐り方の再確認をしていただいています。
そのせいか、前半に比べ後半では坐相が良くなります。

座禅後のお抹茶を頂きながらのおしゃべりも、皆さん忌憚なく
思いのたけを話して下さるようになりました。


私にとって、年の瀬はかなり厳しいものでした。
身体も心も忙しいと、重心が上の方に行ってふわふわします。
「時間を使え。」といわれるのに、時間に使われます。
どうにもこうにも落ち着かない。
自分を持て余してる時に坐っていたら、大事なのは何かに気づきました。
力の及ばないことまでは考えず、この一つの事にあたる・・・
   (なんか判じ物のような話になってしまいました)



今日、読んで頂いた「わずかな梅花の香り」に

               ・・・・・・・・・・・・

座禅というものは、自らが人間として本来持っている心の真実のすがたを
取り戻し、その香りを発揮させるものといってよいのです。
それは梅の枝の茶杓が、長い歳月の間使われ、磨かれて本有の絶妙な光を
出してくるのに似ています。
人間の心が風雪にあい、琢磨されて心のもつ徳の香りを発露してくる、
禅とはそういう修行なのです。

          ・・・・・・・・・・・
と、書かれていました。


今年もたくさんの方においでいただき、何人かの方が坐り続けて下さって
います。ほんとに嬉しく、有難いです。

新年の女性部静坐会は、1月7日にスタートいたします。
皆さまのご参加をお待ちしております。

どうぞ良いお年をお迎えください。    秋香




  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (224)

音楽、アーティスト達の今昔物語

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/12/20 1:06
心印です。
 
ブログを書くのは久しぶりになりますが、今回は座禅と関係ない話題です(多分)。私は時々音楽や映画の話をブログに書きますが、今日は音楽の話です。
 
2004年頃のお話ですから、もう12年も前のことになるのかと自分でも驚いていますが、東京に単身赴任をはじめた頃です。その頃は調布にいたので、行き帰りに新宿を通っていました。
 
その頃の新宿はいろんなアーティストが演奏していました。今ほど警察もうるさくなくて、駅前は夜な夜なストリートアーティストのコンサート会場と化していたのです。
 
キーボードの弾き語りで高い声で歌い始めると、思わず多くの通行人が足を止めたAYAKOさんは、素晴らしいアーティストでCDを3枚持っています。彼女の歌声には家族から離れて初めての単身赴任をしている寂しさが癒されました。
 
今ではたいていのアーティストがYoutubeに曲をアップしてくれますが、その頃は、その場で買っておかないと後でCDや音源を入手する手段がなかった時代でした。
 
         
  
  
  
  
 

今でもブログは書かれていて近況がわかるのですが、2008年までは活動されていたようです、今は結婚されて子育てに追われるお母さんになられているようです。ネットは便利ですね。

Ayako's お気楽育児blog

 

他にもCaramel Flavorというバンドがあり、当時かなりの人気を集めていました。このバンドには「潤」という名曲があり、今となっては、この一曲だけでもCDを買っておけばよかったと後悔していますが、もう解散しているし、どうしようもないのです。禅的、茶道的に言うと一期一会でしょうか? かろうじて「潤」の音源だけは入手できたので良しとしましょう。
 

それから、あるバンドのライブ(お目当てのはずだったのに名前を忘れたw)に行った時に、共演していたバンドで衝撃を受けたのが、re-in.Carnation(リーインカーネーション)というバンドでした。


 
ジャンルとしてはプログレッシブロックに分類されるようですが、異色で、まるで映画音楽のような壮大な曲を演奏されていて、この時の一度しか観ていないのに心に突き刺さってしまいました。ネットからデモ用の音源を収集して何曲か集めて、時々聞いていたのです。
 
それから10年以上の歳月が流れ・・・東京の単身赴任も2回目になり、座禅を始め、ツイキャスを始めて、Youtubeやツイキャスでいろんなアーティストの曲を聴くようになったのですが、ある日見つけてしまいました!!
 

re-in.Carnation∞YURIA 

 
なんか名前が進化している? ネットにインタビューがあり、キーボードを弾いていた方が諸田英司氏という方であったこと、当時のボーカルの女性は抜けてしまって活動が停止したことが書いてありました。それがYURIAさんという方とユニットを組んで、なんとCDまで出していることがわかりました。
 
まさか、こんなレアなCDはないだろうなぁと思いながら、ヤフオクで検索すると1枚だけあり、速攻で落札しました。
 

      
  「re-in.Carnation∞YURIA」の画像検索結果 「re-in.Carnation∞YURIA」の画像検索結果
  
 
当時の女性(名前がわかりません・・)のボーカルは、重くて暗い、からみつくような歌声で、このバンドの曲の雰囲気にとても合っていましたが、YURIAさんのボーカルは、声質に華がある感じでポップなイメージになっていました。聞いていると情景が浮かんでくる感じでこういうのもいいなって感じです。でも、もうこんなに心を突き刺すようなバンドは出てこないかもしれないですね。
 
・・・で、ツイキャスにはシンガーソングライターや歌い手さんがたくさん出ているのですが、最近のお気に入りの方は玉村梨紗さんという岡山出身の方です。ギターを弾きながら歌うのですが、このギターが珍しくてフェンダーのアコースティックギターです。フェンダーと言うとエレキギターというイメージしかなかったので、初めて聞いたときは驚きました。
 
青いギターで「まりんちゃん」と名前をつけて愛用されています。ツイキャスではこのまりんちゃんを弾きながら、オリジナル曲や、リスナーさんからのリクエストの答えながら歌ってくれます。
 
少々、天然な感じもあり、リスナーさんからの無茶振りにもよく耐えて()、楽しく明るいツイキャスになっています。ツイキャスをする時は赤いちゃんちゃんこ(ちゃんちゃんこではないという話もあるが)を着ていて、これが制服のようになっています。

玉村梨紗/1stミニアルバム Charlotteダイジェス

 
ホームページはこちら
http://tamamura-risa.insoft.jp/
 
毎晩よくツイキャスをしてくれるので、楽しみにしています。東京でのライブが17日、18日にあったのですが、本部の摂心会にぶつかっていて参加できず。次回は行きたいなと思っています。
 
心印 拝

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (477)

12月9日 金曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/12/12 23:35
法照です。
12月9日の金曜座禅会は、やはり忘年会シーズンと言うことでしょうか、少なめの人数でした。
しかし、その分、落ち着いて座れたのではないでしょうか。
座禅が終わったら、いつもは勉強会なのですが、今日は年末ということで鍋を囲んで忘年会となりました。
わたしが金曜座禅会に参加したのが昨年の2月からですから、2年弱になりますが、鍋は初めてです。
しかし、私が参加し始める前にはよく鍋をやっていたそうです。
たまにはこういうのもいいものですね。
金曜静座会では、座禅の後、総裁老師がお書きになった「禅の効用」を読んで勉強することを主体に、日によってはディスカッション形式や、今回の鍋のようにいろいろなことを今後もやっていきます。
是非、ご参加ください。
「新年会もやろうか?」という話題もでていたので、もしかすると年明けにもなにかあるかもしれません。
その時はまたメルマガでご案内させていただきます。
 
法照 拝
 


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (284)

人間禅創始者耕雲庵老師の人となりについての思い出

丸川春潭

 5月の本部道場での諸会議の中で、2年後の人間禅創立70周年記念を期して後世に何かを残すことをしようではないかと話し合った中で、東京支部の慧日庵笠倉玉渓老禅子から、人間禅の創始者である耕雲庵老師がお亡くなりになり今年で37年を経過し、耕雲庵老師を全く知らない人も多くなってきているし、老師の謦咳に触れた人も高齢になられているので、今のうちに耕雲庵老師の日常のエピソードを集めて思い出集を作りそれを残したらどうかという提案があった。常任法務会でも、評議委員会でも賛同を得て、現在進行中であり、そのサンプルとして小生の学生時代の思い出を綴ったので紹介します。

 

耕雲庵老師の思い出 その2.S34S38(小生の学生時代の思い出-2)

・侍者をしての老大師の朝のルーティン:朝起きのお知らせ、先ず「610分前でございます。」老師「オー」、次に「おはようございます。6時でございます。」「オー」で、溲瓶を持ってトイレに行かれ、洗面をされて戻って来られると610分過ぎ、それから隠寮で座禅。630分に隠寮の前に行き、手を附いて「参禅お願い致します。」、老師「よーし!」で、隣の参禅室へ法衣を付け、絡子をまとって移られ、侍者は出口の拝座の上で礼拝すると、鈴がなり、参禅が開始される。

6時半前に読経をされていたようにも思いますが、さだかではない。とにかく朝の座禅は意外と短い。20分弱である。この短時間でも最高の三昧に到達できるまで修練されて来られていると云うことである。老師は67才~70才、師家になられて約30数年)

・「儂は、夜中に二回ほど小便に起きて(いつも溲瓶で用を足されている)、1時間ほど目が覚めており、その間で前日のことを色々反省している。人間形成には反省がとても大事なのだ。」

(中国支部の提唱でも、反省しないやつは進歩しないと、強調されていた。侍者の小生にも、その思いをしっかり伝え、習慣にさせようとされたのだと思います。)

・「飯田に千葉大のお医者さん夫婦が居て、志が熱い。熱意のある者が居るところには、人数の如何に関わらず(巡錫に)行ってやる!」

(この熱心な夫婦は、智鏡さん・慧純さんであることが後から判りました。道を求めるのは理屈ではない、熱意なんだと、中国支部に向かって何回も提唱の席上から説得されておられた。その当時中国支部には嗣法候補が何人か居られたから余計に強調されて居られたのではないかと今にして思います。)

・昭和37年の夏、中国支部の摂心会で前の摂心会の時に作陶をされた作品が備前から焼き上がって返ってきました。そしてその中に線香立てが一つあるのを見ていて、欲しいなあと思っていました。当時大阪の下宿での香炉は湯飲み茶碗に灰を入れたものでしたから。その摂心会は珠月様もお見えになっていたので、珠月様に線香立てが欲しいのですがと、お願いしました。翌日、老師が厳粛な怖い顔をして「ちょっと来い!春潭、一日一炷香をやるなら線香立てをやるがどうだ!」(反射的に)「はい致します。」「良し、しっかり一炷香を一生続けるように!」と頂きました。それ以降四十数年、自宅に居るときはその香炉で一炷香をさせて頂き、平成17年に千鈞庵老師に譲りました。

・昭和38年の春の中国支部摂心会で、3月末に結婚するので、何か書いて欲しいとおずおずとお願いしました。「そうか、よし。」で、円了日にいつの間に書かれたのか直日から頂きました。後日人間禅の先輩から、老大師に書をお願いする時には、紙を用意し墨をすってお願いしなければ書いてもらえないのが常識だと。しかし、雷が落ちることもなく、条幅に為書きしたものを頂いてしまいました。

(老大師は些細なことでも直ぐ雷が落ちますが、落ちて良さそうなときにも全く落ちない。相手の力量や境涯に応じて柔軟に自由に巧まず振る舞われていて、それが結果としてベストな対応になっているのだなあとしみじみ振り返って思います。)

・老大師の侍者の心得は、老大師の正念相続を乱さないことを第一に心がけること。必要な時だけ接近し、それ以外の時はできるだけ老大師の注意の圏外に居て、邪魔をしないこと。

圏内に立ち入って接近しなければならないときは、侍者も正念相続すなわち三昧で当たること。その事例を一つ次に、

中国支部(岡山市、当時朝日高校の後ろの少林寺)の摂心会の放参日に、広島県の東北部にある帝釈峡に老大師のお供で参りました。老大師は写真を撮るのが主目的でした。晴れた湖を狙ってカメラを構えて取ろうとしたとき、小生が待ったを掛け(恐ろしさも省みず)、「しばらく待って下さい。もうじき船が来ますから。・・・未だです、未だです。・・・ハイ!」でシャッター。カメラ素人の小生が、カメラキチになっている老大師に僭越にも指図してしまった!

後日、本部摂心会で市川に参ったときに、老大師は小生を呼んで、「秋の帝釈峡の写真だけど、先生に良い写真だと褒められたよ!」とニッコリでした。

・もう一つ、夕食前のルーティンとして、お風呂に入り毎回侍者が背中を流すことになっている。ある意味至近距離に入ることになり、こちらは余程なりきっていないとギクシャクして気持ちが悪くなって、ご機嫌斜めになりかねない場です。そこで、こちらが成りきって屈託無く背中を流しながら、「午後のお散歩はどちらまでお出かけになりましたか?」とさらっとした会話ができれば、老大師は「今日はバスに乗って、〇〇まで遠出して来たよ!から始まって、結構お話が弾むことになる。

・また道中侍者としてどうしても圏内に居なければならないけれども、取り付く島がなさそうなときには、カメラとか写真の話をするとさっと和んだ場になる。

・久しぶりの中国支部の摂心会参加で、その日は雪がうっすらと積もり、老大師が急に写真を撮りに後楽園に出向かれるので、春潭お供で行きなさいと、直日(後の澄徹庵大重月桂老師)から命が下る。こちらは摂心会に来たばかりで未だのりが悪い状況であるが、少林寺の出口近くでしゃちこ張ってお待ちしていた。老師がカメラを提げて出てこられたので、久しぶりでもあるしご挨拶をした。その段階でこちらのぎこちない心境を見抜かれ、「春潭、この菩薩像を見てみろ、四頭身位しかないなあー」と云われて、ニッコリ。これで小生はいっぺんにぎこちなさが取れ楽になって、後ろからお供をしました。

(老師は極めて繊細であるし、極めて柔軟であります。)

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (264)

12月11日 日曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/12/11 15:40
1211日 日曜座禅会
 
新到者 0
非会員    5
会員       6
合計       11
 
読経       「坐禅和讃」
連絡事項 ・12/17から23まで蠟八摂心
               ・12/18の日曜座禅会は開催しています。龍泉は不在です。
               ・年末の座禅会終了は12/24()、新年は1/5()からです。
               ・1/2729 禅セミナ、2/412東京支部摂心
一行物    「坐一走七」一に坐して七に走る

              『一行物』の著者である、如々庵老師は、『虚堂禄』、『禅語字彙』に出ている解釈はどうも当たらない、として、ご自身の解釈を提示している。

              「悟りの真っただ中に座っておりながら、差別万般の娑婆世界に出て奔走し、停滞することが無い」という意味。一とは絶対、七とは差別であり、参考になるものとして『碧巌集』「日々好日」における雪竇重顕の頌を上げている。耕雲庵老師の『碧巌集』「日々好日」提唱禄の最後の言葉がとてもすばらしかったのでここにとりあげます。

               人間禅の立教の主旨に、ほんとうの人生を味わうとある。これは畢竟は、日々好日の境涯にあって、晴れてよし曇りてよしの日暮しをすることである。諸氏も人間に生まれ、しかも縁あって禅の何たるかを知った以上、単に禅学を学んで知ったり、禅宗を直観と思いちがえて満足したり、そんな途路にウロウロして居らんで、真に自己に納得がいけるまで、禅に体達してお貰いもうしたい。そして、ああ人間に生まれ甲斐があった、これで何時 死んでもよいと、大歓喜・大法悦のうちに、日々是れ好日の日送りを致したいものである。龍泉 拝
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (223)

12月に入ったのにポカポカ陽気の暖かいこの日、

今年の女性部の大きな企画、「蓮昌庵老禅子を囲む会」が開かれました。

蓮昌庵老禅子は50年にわたり禅の修行による研鑽をつまれ、歌人としても

活躍していらっしゃる方です。

禅的短歌が多くよまれている『太田水穂歌集』を取り上げて話されました。

 

 

まず俳句と短歌のちがいについて

俳句は空間的絵画的で、燕のごとく一瞬の閃きで対象の核心を掴み取る。

短歌は時間的音楽的で、鳶のように大空に悠然と輪を描きながら

ぴーひょろろ・・・と美しい声で音楽を奏でる。

俳句は禅の「喝」であり、短歌は「口説き」である。

 

次に太田水穂の象徴と芭蕉研究について

水穂の宇宙と人生とに対する意識統一の理念は、景色と自分の心が一体、

物と我が抱き合う、禅でいう「物我不二・心境一如」の境地。

芭蕉は対象に対し単なる思いつきや即興でなく、三昧になった時に閃く

閃光のように直観せよと説いている。

 

水穂の作品の一つ

  「眼にもみぬ耳にもきかぬ手にも獲ぬもののひとつをしたいこそすれ」

歌集『山上』の自序として掲げられた歌。水穂の作歌理念の源流をなす。

「眼にも見ぬ耳にもきかぬ手にも獲ぬ」たった一つのものとは

あえてことばにすれば、相対を絶した寂滅の絶対界での真実の自己。

 

次に禅の修行を必死にされた一休さんが「真実の自己」を見てほれぼれする歌

  「本来の面目坊のたちすがたひと目見しより恋とこそなれ」

  「我のみか釈迦も達磨も阿羅漢もこの君ゆえに身をやつしけり」

この二つの歌から蓮昌庵老禅子は、真実の自己を見つけたら取り逃さぬよう、

恋人を抱きしめて離さぬように、いくら骨がおれても添い遂げねばならない。

と云われました。

 

水穂の歌を取りあげ、一つ一つ解説なさいました。

  「葦むらをおし靡けくる秋風の寒さに瞑るわがまなこかも」

  「靑苔の椎のこぼれの日をふみて僧形一人来る白き足袋

  「東京は九十九日の寒晴の空にひつつきかわくものおと」

  「髪あげて人のすずしき瞳かな鉄砲百合の花ひらきたり」

  「白王のボタンの花の底ひより湧きあがりくる潮の音きこゆ」

  「しろじろと花を盛り上げて庭ざくらおのが光りに暗く曇りをり」

  「獅子吼ゆるこゑを聞かばや夕雲の光りに白くさくら動かぬ」

  「命ひとつ露のまみれて野をぞゆく涯なきものを追うごとくにも」

○ 何事をまつべきならし何事もかつがつ思ふ程は遂げしに

○ もの忘れまたうち忘れかくしつつ生命さえや明日は忘れむ

 

早朝、宇都宮からおいでくださいました蓮昌庵老禅子、老禅子のお友達の方々、

各座禅会の皆様、各支部の皆様、大勢の方々にご参加いただきまして

老禅子のゆったりとしたお話しぶりが会場を包み、心地良い、温かい、

しかし一言も聞き漏らすまいと鉛筆片手の一生懸命な時を持てましと事

お礼を申し上げます。

これが一回目、また来年も!・・・ と。

 

とても書き足りませんので改めてご報告いたします。

ありがとうございました。       秋香   

 

 

 

 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (238)

12月7日  さいたま座禅会 

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/12/9 11:24

 7日(水)さいたま座禅会、4名で静かに坐りました(!?)

常連のSさん、Kさん、そして先週初めて参加して下さったMさんが今週も続けて来て下さいました。

 

ウォーミングアップも十分、いざ開始。最初の30分はともかく、休憩後の30分は

市民会館中に届いているのではないかと思うほどの、お世辞にも上手いとは言えないおじさまのしゃくり声BGMつき。

忘年会・送別会のシーズンに突入していますものね。

 

こんなことに負けない強靭な精神力を培わなければ。

 

気忙しい毎日ですが、来週の水曜日も市民会館でお待ちしています。翠香

 

 

 


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (212)

人間禅創始者耕雲庵老師の人となりについての思い出

丸川春潭

 5月の本部道場での諸会議の中で、2年後の人間禅創立70周年記念を期して後世に何かを残すことをしようではないかと話し合った中で、東京支部の慧日庵笠倉玉渓老禅子から、人間禅の創始者である耕雲庵老師がお亡くなりになり今年で37年を経過し、耕雲庵老師を全く知らない人も多くなってきているし、老師の謦咳に触れた人も高齢になられているので、今のうちに耕雲庵老師の日常のエピソードを集めて思い出集を作りそれを残したらどうかという提案があった。常任法務会でも、評議委員会でも賛同を得て、現在進行中であり、そのサンプルとして小生の学生時代の思い出を綴ったので紹介します。

耕雲庵老師の思い出その1.S34~S38(小生の学生時代の思い出)

・「『人間形成と禅』には、座右と揮毫して贈呈した。先日、市川の道場に〇〇がやってきたので、『人間形成と禅』を持っているかと問うて、持っていないと云うから、“座右と書いて贈呈しているのだから常に持参していない駄目だ!”と、どやしつけてやったよ。」

(当時の状況として、耕雲庵老師は『人間形成と禅』に心血を注がれて著作されたときであり、それを学人がしっかり受け止めて欲しいと切に願っておられ、小生にも間接的に強調されたものと思います。ことほど左様に、人間禅の歴史が進んでも、人間禅立教の老大師の念いは、しっかりと受け継ぎ正受していかねばならないとつくづく思います。)

・写真手帳での記録の教え:「これを見ろ!日時・場所は勿論、距離は幾ら、そして絞りは幾らまで書いているんだ。何でも綿密に記録をしておくと良いよ。」

(若い学生侍者への個人指導である。)

・中国支部の先輩侍者が、食事を出して「よろしくお召し上がり下さい」と挨拶したら、「侍者が支部を代表するような文言を使うな!」と雷が落ちた!

(この先輩侍者は、校長先生であり、日常の気持ちが道場においてもにじみ出ていたのをたしなめられた個人指導であった。)

・当時老大師は、胆嚢炎を患っておられ、定期的に自分で管を飲んで胆汁を取り出されておられた。(医者に言わせると、いとも簡単に一人で管を飲み、胆汁抽出を定期的にキチットされるのは驚きであると)「胆嚢炎には、お茶の枝から出てくるタンニンが悪いので、普通の煎茶は飲めない。だからハブ茶にしているんだよ。抹茶は新芽の葉っぱだけだからタンニンは入っていないから良いんだ。」と。(闘病に対してもキチットやられていたのです。)

・学生修禅会が本部であるとき、耕雲庵老師が、「貴様は未だ本部道場に来たことがないのか!市川の道場はメッカだよ。」(メッカ?はあ? 学生修禅会に来い!と云う示唆でした。)

・学生修禅会で侍者をしていた小生に、風呂で背中を流すとき、恥ずかしそうに、「そこにおいてあるふんどし(越中褌)を洗ってくれ!」(結構シャイな面をお持ちでした。同様に、溲瓶は必ず自分で毎朝洗っておられた。)

・「中国支部は、学校の先生が多く、室内は進むんだが、もう一つ熱い俺の気持ちを受け止めてくれない。」

(学生侍者の小生に向かって、愚痴っぽく独り言のように話された。後になって、該当者は誰で、何がその人達に足りないのかが判ってきたが、その当時、師家といえども結構孤独なのだなあと感じた。)

・中国支部の隠寮で、お茶のお相伴が小生一人の時:「お茶の作法は、合理的にできているのだよ。見た目に美しくそして機能的な所作になっているのだよ。」棗の位置と茶筅の位置を例にして、茶道の基本的考え方を教えて頂きました。

また小旅行(放参日に茶道具持参で出かけた)にお茶道具を持って行くのに、「茶筅は、どんなに癖が付いても湯で直ぐ戻るから、心配しなくても良いんだ」とか。

・岡山から鎮西への汽車での移動時に、「ここら辺に〇〇居士が居たが、修行を続けていたらものになったのに、惜しいことをしたものだ・・・(独り言)」

(この話を聞いて、即、修行は途中で決して止めるものではない!と深く決意したのを覚えている。)

・「資本家と労働者だと、どうしても資本家が強く、労働者は弱い。だから労働者は団結して資本家と交渉する仕組みは良いことなのだ。三池のストもやむを得ないことだが、社会構造を急に変える革命は良くない。徐々に変えてゆくのが良い。」

(九州巡錫からの帰りの汽車の中の会話でした。小生がその当時、学生運動で安保闘争をしているのを知った上でのコメントであったと思います。)

・「師家と学人はどうしても人情感情に流されやすいものだ。だから師家の担当には期限を付けているのだ。」

(学生侍者の小生に向かって云われることとしては重い話であったのではっきりを覚えていますし、意外な感じもして印象に残っているお話です。当時は人間禅創立134年であり、10周年の時に二人の師家が誕生したばかりで、師家3人体制になって23年しか経っていない時期に、深く想いを込められていたことは、今後もよく記憶に残し、耕雲庵老大師の人間禅のあるべき姿を質すべきと思っています。)

・「中央支部に孤唱という男が居て、これはたいへん力がある。剣道場を作ろうと云って、瞬く間に100万円を集めたよ!(びっくりしたと云わんばかりに)」学生の小生には、禅の師家がそういう風に人物を見るのかと意外な感じがしたので良く覚えている。

・「先日の常任法務会で、儂が、人物によっては師家分上前の識大級でも鈴を振らせても良いことにしようと提案したが、否決されてしまった。鈴を振らせながら人物を仕上げて行くのも良いのではと思ったのだが。(にっこり)」

(これまた、学生侍者が承るような話ではないのですが、この話も色々な角度から示唆をくみ取れると思います。その当時の状況から、当事者が誰かはすぐ判りますが(当時の妙峰庵佐瀬孤唱老居士)、耕雲庵老師の人物を仕上げて行くやり方が一つは、覗えると云うこと。また当時は未だ総裁であったにもかかわらず、総裁提案を常任法務会で否決するのを素直に受け入れる老大師の人間禅の運営の仕方もよく明記し伝承されるべきと考えます。)

・「今度儂の句集を出すが、これは全て著語になるぞ。」「境涯で云えば、芭蕉よりも儂の俳句の方が上だよ。(にっこり)」

・中国支部摂心会の放参日に、広島県東北部の帝釈峡にお供したとき、「写真を撮りだして、作句が疎かになっている。だから今は作句を便所の時にしている。」

・阪大を卒業して、和歌山の住金に就職したので、中国支部から阪神支部(磨甎庵老師担当)へ移籍する旨の報告をした際、「磨甎庵は、さばさばしてて良いよ。」

(その当座は、ハア?と云う感じで、承りましたが、今にして耕雲庵老師が何を見ておられたか判る気が致します。)

・和歌山に就職して行くとご報告したら、「あの近くに百瀬蟠竜居士というのが住んでいるから、是非尋ねて行きなさい。」

(その当時、鎮西支部所属で、八幡製鉄の幹部から、大阪府泉南郡岬町にある鋳鍛工メーカーの社長をされていた大先輩。お言葉にしたがって、住金和歌山製鉄所に就職してしばらくして、岬町の広大な社長社宅を訪問し、昵懇にお話しし、耕雲庵老師が熱っぽく紹介された趣旨が判りました。非常に立派な方で、耕雲庵老師もそれを認められていたのです。しばらくして、この社長宅を中心に和歌山静坐会を始めることができました。)

 

 


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (352)
最新のブログ記事