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擇木道場

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擇木ブログ - 201603のエントリ

禅は言葉で伝わらない

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/30 1:33

心印です。


久しぶりのブログを書きます。この間「東京で夜一番遅い座禅会」と「東京で夜一番遅い参禅会」を開催しました。その中で少々考えるところがあり、なかなかブログを書けないでいましたが、そろそろまとまってきたので書いているところです。


それは、禅は言葉では伝わらないということです。でも禅の公案や経典は言葉で書いてあるではないか?と言うと、一見もっともらしく聞こえます。これは矛盾ではないのでしょうか?


臨済禅では最初の公案(これを初関(しょかん)と呼びます)を授けられて、公案に取り組みますが、特に初関の場合は禅の本を読むなと言われます。これを人間禅では禅学をするなと言うのですが、初関を透らない間は、禅の本を読んだところで、そこに書いてあることが理解できないからなのです(ただし、これは初関までの話で、見性後はちゃんと勉強する為に本を読む必要があります)。


もちろん言葉で書いてあるので頭で理解することはできますが、それを体得することはできません。禅は言葉で理解できないものだからです。身近な例で言うと、自転車の乗り方を本で読んでも、本当に乗れるようにはなりません。何度も転んで乗れるようになった時に自転車に乗るということは、こういうことかとわかるのに似ています。


禅もこれと同じで、言葉では届かない世界なので、いかにこれを伝えるかを苦労するわけです。言葉ではなくても、人と人が会った時、あるいはその場に身を置いた時、伝わるものがあるのです。なので座禅後の勉強会には参加するよううるさく言い、参禅があれば参禅するように言うのです。


禅を言葉による理解で、わかったように語る人や、禅の本を書いてしまう人もいるのですが、これは非常に危険なことで、本当の禅に出会うべき人を迷わせて間違った道に導いてしまうかもしれない罪深い行為です。


ある方の禅の本を読んで、この人禅僧なのに本当にわかっているのかなぁ???どうも理屈ばっかりだなぁと感じている人がいたのですが、老師が「この人だめ、見性してない」と言われて、なんだ、そうだったのか、私の感じ方は合ってたのかと思ったことがあります。


それでも禅の本は売れるのですから、本屋さんには置かれますし、一般の人は偉い禅僧に違いないと思うのですから、困ったものです。それでも誰かが禅に縁がつくきっかけにはなるかもしれませんが、本物の禅かどうかは一般の人には見わけがつかないのです。


その老師が本物かどうかは誰に嗣法したのかを聞けばいいというのがあります。中には嗣法していないのに自分免許で勝手に老師を名乗っている者もいる(いた?)とのことです。人間禅の場合は、老師は誰に嗣法したのかはっきりわかっているので安心です。


さてもう一つは、その人が禅を語る時に、どれくらい口数が多いかを見るのです。多ければ、多いほど偽物、あるいは禅についてわかっていないということです。


金曜の夜、座禅後に勉強会をして、老師の書かれた「禅の効用」を読みますが、これも言葉で書いてある限り、禅そのものではなく、禅の周辺のガイドにしかすぎないのです。これを禅だと思って語ってしまうとそれは大きな間違いになります。


禅を頭で理解することは入口としてはいいのですが、言葉による理性の世界を離れて、三昧による感性の世界に入る必要があり、これが数息観の目的です。ましてや感じたことを言語化しようとすると理性の世界にとどまることになり、いつまでも三昧に入ることはできないのです。


言葉にした瞬間に、その対象から離れてしまう、これを私はフィルターと呼んでいます。「あいつは嫌なやつだ」と思った瞬間に、「嫌なやつだ」というフィルターがかかってしまい、本当のあいつからは遠く離れてしまうのです。


禅はこのフィルターを外すことを教えます。


公案も言葉で書いてありますが、そこに書いてある言葉を頭で理解しているうちはとどきません。行間を読めというと近いものになるのですが、公案になりきって、そこに書いてある言葉の裏を読んで(裏をかくのではないですよ)、そこの没入して三昧になるととどくものなのです。


もし、公案について詳しく聞きたい方がいたら、金曜の夜、「東京で夜一番遅い座禅会」にご参加ください。


心印 拝


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3月24日 第22回さいたま参禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/25 9:03
前略

お元気ですか?
昨日は子規の俳句の 「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」
のような一日でしたね。仕事に疲れている日が続いているのではない
かと心配しています。私も仕事やプライベートで、もやもやがあって、
なかなか公案に打ち込めない日が続いていました。
昨日は、そんな気持ちのまま、会場の市民会館でひとり会場設営の
机の片づけを始めました。ご存知ですよね、あれひとりで運ぶにはちょっと
重いのが30ほど。その時秋香さんがいらしてくださって、ふたりで
することができて・・・・。ふたりだとあっと言う間でした。
そのうち、いつものみんなの笑顔がぞくぞくと・・・。
いつのまにか、気持ちがゆるゆると、ほどけているのにきづきました。
「座禅って、座禅をする前から座禅だったんだ、」って当たり前のことを
つい口に出して言ってしまいましたよ。
実は、その時涙が出そうになったんですよ、嬉しくて。
それで、もう私の参禅会はコンプリートでした。
参禅の方は・・・・・ウーン、まぁそれは・・・・ね。


昨日は新しく参禅した方がいて、参加人数はさほど多くなかったけれど、
参禅室に入ったきり、ずっと帰ってこない人も多く、市民会館がしまる
ギリギリの時間までの熱い参禅会でしたよ。
終了後の懇親会では、老師の誕生会と、今度入会される方のお祝いも
しました。楽しかったですよ。ケーキもうまかったなぁ、辛口の日本酒と
ケーキっても合うんですねぇ。まんさくの花というお酒、あなたのふるさと
のお酒でした。・・・・・・また一緒に飲みたいなぁ。

キリがないので、また今度書きます。今度書く前に顔を見せてくれたら
どんなに嬉しいか、そう思っていますけれど。
身体に気をつけて、家でもほんの少しでいいから数息観やってください
ね。岸田稚魚という方の句に 「まず生きるは息をすること 春立ちぬ」
というのがあって、これ数息観のことのようだなぁと思ってしまって・・・・・。
とりとめなくてすみません。・・・・・・それでは、また。        海香





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3月12日  女性部座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/14 18:57
      
 ゴビ砂漠って ゴビと砂漠が別の意味だということ ご存知ですか。
ゴビは草がまばらに生えて、若干の動物が生息するところ
砂漠は 「月の砂漠」で らくだがポカポカ歩くところ。

 “ゴビ砂漠は二つを一緒にして呼んでるんです。私の故郷はゴビの
ほうです。” と今日 座禅会に参加された方が云われました。

中国モンゴル自治区から 8年前に日本に来られ 大学を卒業して
就職して2年目。 言葉もすがたも しっとりとした考え方も 日本人
以上でした。

 “モンゴル自治区にいるおばあちゃんが座禅をしていて そのそばで
仏教を身近に感じ いつか自分も座禅をしてみたかった。” 

座禅が終って皆さんが帰られてから 暫くお喋りして スマホで故郷の写真を
見せて下さいました。
雄大なひろがりの中に 町の建物が点在しています。
はるか遠くに ゆったりと山々が寝そべってます。 夜景も美しい!


今日は座禅後 谷川俊太郎さんが新聞に書かれた 「ゆとり」 を読みました。
長いので省略して書きます。

「 厳しい自然環境に生きるエスキモーの人々の話を読んだことがある。
 食物を求めて氷原を移動していていよいよ食料が尽きたとき、エスキ
 モーの老人は自らその場に座り込み、他の人々もまた老人を残して
 移動をつづけるという。ゆとりという言葉が入りこむ隙もない老人の
 そういう生き方、あるいは死に方に、かえってゆとりが感じられるのは
 何故だろう。」

「 ゆとりとはまず何よりも空間のことである。心がぎゅうずめになってい
  てはゆとりはもてないだろう。動かすことのできる空間が残っていな
  ければ、息が詰まる。心は生き生きしない、他の心と交流できない。」

「 心を動かすことのできる空間、あるいは隙間、そこにはいったい何が
  あるのだろう。せめぎあう感情や思考とからみあって、それらを生かす
  意識しがたい何かがある。・・・・・それはともすれば固定されようとする
  感情や思考をほぐす働きをもつのではないだろうか。
  そして名づけることのむづかしいそれを、私たちはゆとりという仮の名
  で呼んでいる。」


座禅を続けてきた先輩がたには 人に対するとき 物に対するとき 何とも
言えぬ 間(ま) があります。
一瞬の間の後に 反応がでます。

一週間の終わりに ぎっしり詰まった心をほぐしにお出で下さい。
座禅はゆとりを生み出す 贅沢な時間です。

                                         秋香

     
 

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心印です。

 

Youtubeを観ていたら、懐かしい曲に出会いました。

 

映画「黄泉がえり」の主題歌「月のしずく)です。2003年の映画で主演はSMAPの草彅剛さんと竹内結子さんです。この映画は死んだ人がよみがえってくる超常現象が発生するのですが、それで蘇った歌姫でRUIという女性を柴崎コウさんが演じています。

 

私はこの映画を観るまでは柴崎コウさんは女優さんという意識が強かったのですが、この映画の中のコンサート(蘇った後でコンサートを開くのです)のシーンを観て、歌もうまいことがわかりました。後からたくさんCDも出していることがわかったくらいです。

 

柴崎コウさんは擇木道場にも映画のロケでいらしたことがあって、道場を控室として使ってもらいました。その時は私は仕事で行けなかったのです・・・。

 

映画のコンサートシーンはこちら

 

 

「月のしずく」はとてもいい曲ですが、なんとこの曲を、奄美出身の城 南海(きずき みなみ)さんが、カラオケバトルで歌って、なかなか出ない100点を取った動画がアップされています。

 

 

この方が歌が上手いことは知っていましたが、また知っている曲を歌うと、これはうまい・・・柴崎コウさんの歌い方も好きですが、この歌い方もすごいです。

 

禅には全く関係ない話で申し訳ないのですが、たまには思い出の曲ということでブログを書いてみました。さて明日は「東京で夜一番遅い座禅会」です。寒いですが、寒い時こそ座禅です(笑)。

 

心印 拝

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RE: 啓蟄ですね

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/9 15:01

 昨年11月に植えた、ベランダの小さな紫と黄色のビオラの花が、鉢からこぼれ落ちそうに咲いています。時折、メジロがやってきてオレンジ色のパンジーをポイと引きちぎってまき散らしてゆきます。決まって私が不在のときのことで、私はいつも哀しく、腹が立ってしまいます。日暮里の擇木道場へ向かういつもの小道には、大きなトラ猫が人を恐れず、のっしのっしと横切って歩いたり、先日などは、道端に寝そべって、私が近づくとごろりごろりと寝転がって甘えてきました。そう云えば、今日は啓蟄。草や木も鳥も、総てが、春の訪れを感じてか、大きな伸びをしているようです。
 
     「春なれや 名もなき山の 朝霞」(芭蕉)
 
   大阪で生まれ育った私は、東大寺二月堂のお水取りが終わらないと、本格的な春は来ないと教えられてきたので、まだ油断するな、寒波の襲来もあるぞと、春寒に備える用心癖があります。そのお水取りも、3月14日の勇壮な「おたいまつ」の火祭りをもって終わりです。やれやれ、もう安心です。もうその後ろに春があって、桜の花もあっと云う間に、咲くことでしょう。
 
   木曜日朝の耳順会や、土曜日の女性部の静座会には、会社の人間関係や親族血縁の人間関係に心疲れた方が多々通ってこられ、薄茶をいただきながらぽつぽつと心の内をお話されます。そんなとき、吸う息吐く息を数える数息観に集中してこころと身体をただ繋げて静かに坐っている内に、心身ともに穏やかになる日がくるように思われると、いつの間にか私の貧しい体験をも打ち明けて話しています。今日はふと、29歳で他界した大正時代の夭折の詩人、八木重吉の詩を思い出したので、ここに引用してみました。
 
            草にすわる
     わたしのまちがいだった
     わたしの まちがいだった
     こうして 草にすわれば それがわかる 
 
擇木道場で静かに坐ってみましょう。 (慈照)

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心印です。


この土日は逗子で行われている横浜支部設立摂心会に参加してきました。バイクで行くと高速を使って東京から1時間半で行けるので近いです。電車で行くと2時間くらいだと聞きました。


多少遠くても、それでも摂心会に来て参禅される方が数名います。大阪から、名古屋から、静岡から来られる方もいます。なんと鹿児島から来られた方もいました。遠くても参禅しに行くという積極的な行動が人間形成につながっていくと思います。これは理屈じゃないですね。


私も参禅するかどうか迷ったのですが、摂心費を払って、高速代、ガソリン代、そして貴重な時間を使って来ているのだから参禅せねばと思って参禅したところ、それなりの成果がありました。私は大阪育ちなのでお金を使うと元を取らねばという意識が働くので、これが参禅で背中を押すにはいいようです(笑)。


公案を透ろうと思ったら、これは積極的に参禅することです。それ以外の王道はありませんし、見解(けんげ)が出たら参禅しようという逃げの姿勢だといつまで待っても絶対に出ません。見解がなくても参禅に行く、まともな見解がないと老師に失礼だとか、それは全て逃げなのです。自分を参禅するしかない状態に追い込んでこそ、初めて見えてくる物が真正の見解なのですから。


さて横浜支部は今まで京浜禅会として活動していたのが、人数が増えていよいよ支部になるのです。今度の土日は擇木道場で支部設立の記念式典を行います。つい先日、擇木道場100周年記念の記念式典があったばかりですから、紅白の垂れ幕や、パイプ椅子、テント等、式典に必要なものは本部から借りたままになっています。


短い座禅人生(?)の中で擇木道場100周年や横浜支部の設立に関われたことはラッキーなのかもしれませんね。


キリスト教の研修所の会場を借りて摂心会を行っています。建物の全景は撮るのを忘れましたが、中は撮っています。



廊下はこんな洋風なのですが、参禅室は和室で畳でした。


逗子、葉山は森戸海岸という海のそばで、会場から15分くらい歩けば海に出ます。日曜は老師のお散歩についていきましたが、いい運動になったと仰られていました。



心印 拝


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3月6日 日曜座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/6 10:10
久しぶりにブログを書きます。
初めて参加 4名
二回目以上 4名
会員    1名
まだ寒いためか、最近は参加者が少ない。
 
読経  「般若心経」
一行物 「日出乾坤輝」日出でて、乾坤輝く
座禅修行により煩悩・妄想を払い、自己に宿っている仏性を確認することに通じる。
 
唯識論における仏の四つの知恵 ①大円鏡智 ②平等性智 ③妙観察智 ④成所作智
担板漢 物事を一面的に見て右だ、左だと一方的に断定して得意になっている人。
文殊菩薩 智慧の象徴、弥勒菩薩 慈悲の象徴、普賢菩薩 智慧の働きにより楽を与える実践の象徴
眼、耳、舌、身、意の六識の下の深いところに、第七 末那識、第八 阿頼耶識がある。
 
連絡事項
1.3/13(日)の日曜座禅会は休み。横浜支部の結成記念式のため。
2.3/27 禅フロンティア「現代剣道と人間形成」
 3/25 夜から3/27 午前に掛けて、各種勉強会と参禅会をやっています。

松井龍泉 拝
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「禅書から学ぶ -女性部ー」

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/4 0:19
      
 禅セミナー平成28年3月26日(土)に開催される女性部主催の読書会についてご案内申し上げます。現在、『勝鬘夫人の告白』を読み進めております。

     『勝鬘経』について

古代インドの王妃である勝鬘夫人が大乗に帰依する誓願を立てられ、これを実践された様子を自ら告白されたもので、言句の上では、いかにも慎ましい
経典になっていますが、しとやかに説いている中に、不退転の決意が滲み出ていて、深く味わうほど恐るべきものがあります。 (本文より)


『勝鬘夫人の告白』は、人間禅の一宇庵老師(平成3年帰寂)が『勝鬘経』を読み解きながら、解説を加える形で著されたものです。次回は「煩悩」の問題を深く掘り下げて検討された勝鬘夫人が、煩悩と密接な関係を持つ、「仏教における業」を取り上げ論じた部分を読んでまいります。
 読書会には何時も葆光庵老師が参加され、老師から直接、「禅」の本質に迫るお話を伺うことができます!

   男性でも、女性でも、初めての方でも、気楽にお出で下さい。

   多くの方のご参加を心よりお待ちしております。!!!


 午前  9:15       受付
 午前  9:30~10:30 読書会
 午前 10:45~11:30 座禅(希望者は老師と面談)
 午前 11:30~      参禅( 〃 は老師と1対1の禅問答) 

 会費 : 1000円
 連絡先: 進藤慧玉(携帯 090-5323-5307)
                   ( email:chieko-s@sj9.so-net.ne.jp)
 場所 : 人間禅擇木道場 (TEL:03-3823-7647)  日暮里駅南口3分




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3月2日 さいたま座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/3/3 8:53
 昨晩は寒く、こんな日は、円覚寺の横田南嶺老師からお聞きした、山本玄峰老師と
松原泰道師の嵐の日の講演会の話を思い出します。
 誰もこないだろうけど、ひとりでじっくり坐るのもいいなぁ、とひとりで準備し着替えを
すませたところ、定刻には荒川区から来られた方を含めから5人、先週道号を授与された
仁雲さん、常連のNさん、2回目のTさんとともに30分を2回坐りました。翠香さんはアクシ
デントがあって珍しくお休みでした。
 終了後は、鹿児島禅会のブログから、耕雲庵立田英山老師の本『禅と人間形成』の一部
を読みました。
http://www.ningenzen-kagoshima.com/禅とは/
 読んだところでわかったようで、ちんぷんかんぷん、結局、わかるためには坐ることだ、
ということで、私も坐り足りないのですけどね、といいながら終わりました。
 
そのあと、Nさんと恒例?のショート懇親会。こちらについては近々新たなお知らせができる
のではないかと思います。
 
 ところで、今度の土曜の15時から、さいたま市民活動サポートセンター主催のチラシセッション
に、私が出てチラシの工夫した点やら、団体の活動を話すことになりました。
https://www.facebook.com/saitamacitizen.laosfriendship/posts/1554980818076183
窓口の方が、「20年も前ですが、国府台の道場に坐りに行ったことがあるんですよぉ。」と声を
かけられ、去年もチラシだけ参加しましたが、セッション参加は他のことも含め初めてです。
 それにしても、ご縁というのは不思議なものです。
まだ、なんにも考えていませんが、・・・・・・・(大丈夫か?笑)
『スタンフォードの自分を変える教室』に書いてあった座禅の有用性も含め、「考えない練習」
「体の実践としての座」・・・、チラシに書いてある絵になぜ頭の部分がちょん切れているのか
についても含め、数分で話そうと思います。
 
ちなみに、当座禅会のチラシは、女の人が指差している一番上段の真ん中の黄色いのです。
投票はすでに終了済で、当日表彰式もありますが、これには入ることはないでしょうが、他の
団体のつくりかたを見るのも参考になります。                        海香
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心印です。


この間2016年になった!!と思っていたら、もう2月も終わり、3月になっています。例年通り、1月は大勢の方が来場されました。


12月は年末で忙しくて余裕がなく、座禅ができない反動や、新しい年で何かを始めてみようという方が座禅を思いつくからですが、2月になると冬の道場は寒く、続けられる方が少なくなり、3月はいつもの常連さんだけに戻ってしまうのが通例でした。


それが??? 2月26日の夜は予約がバンバン入り、集まった新到者(初めての方)は7~8名になり、座禅を教えて禅堂に連れて入ったら、4列の座禅となってしまいました(写真撮ればよかったw)。全部で30名以上はいらっしゃったはずですから、継続して参加しているリピーターさんが増えているということです。


さて座禅後の勉強会ではいつもの「禅の効用」ではなく、前にブログで書いた「見える化のゆくえ」を読んで説明しました。詳しくは読んでもらうとして、簡単に要約するとコンピュータや技術がいくら進化したところで、データで見せられるのは売上など数字や傾向のデータだけで、営業マンやお客様の人間としての気持ちや感情までは見せられない、でもそこは禅をやると見えるようになるということです。


座禅はすべからく人間形成につながりますが、数息観は見えるものの背景や裏を読み解く力がつき、公案禅は見えないものの背景や裏が読めるようになると言いましたが、これは私の実感でもあります。


ブログを読んだ後、1ヶ月くらい来られているある女性の感想が心に残りました。「ここに書いてあることは、とてもよくわかる・・・」と。


こういう方がたまに道場にいらっしゃるのです。特にそれまで禅をしていなかったとしても、仕事や家庭で苦労されたり、それまでやってこられたことが人間形成につながって深い洞察力が身についているのです。こういう方が公案を修行すればさらに人間形成が深まるだろうと思います。


家庭をかえりみず、仕事ばかりしてきた仕事人間が、こういうことが少しはわかるようになったのも禅をやっているお陰だと言えます。


禅は洞察力がつく・・・のかもしれませんね。

また金曜の夜、擇木道場においでください。座禅をして禅の勉強会をしているので是非、最後までご参加ください。


心印 拝


座禅後の勉強会の風景


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