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擇木道場

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擇木ブログ - 20160203のエントリ

心印です。

 

いよいよ土曜の夜から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という禅道場らしいイベントがあります。

 

お寺の専門僧堂でも摂心会(お寺では接心会と書くようです)は行われていて、例えば永平寺では、摂心中は役位のない修行者は作務をせず、一日中座禅をするそうです。

 

人間禅では座禅を静中の工夫とすれば、作務は動中の工夫と位置付けて重要視しているので、一日中、座禅というわけではなく、作務の時間もかなり長く取っています。いろいろ割り当てられた作業をしながら三昧を深めるのですが、この動中の工夫は具体的には作務中にも座禅をしている時と同じような心境であたるのです。

 

もちろん摂心中は禅の修行ですから、笑いあったりすることは厳禁、話も必要以上のことはしないようにするのです。そうしないと相手の公案の工夫を妨げてしまうので、罪と言ってもいいくらいのことなのですね。

 

ただ摂心中も外部から一般の方が来られますから、いつもは「よくいらっしゃいましたー」と言うところを、合掌して歓迎の意を表するだけに留めるのです。私達のようなまだ数年の駆け出しの者が対応すると三昧どころではなくなるので、修行歴の長い先達の方に対応をお願いするのです。

 

さて、この一週間は道場から一歩も出ない門外不出が基本です。とは言え、私などは客先に派遣されている関係で、なかなか会社を休みますとは言いづらい立場ですし、親の介護や、子供の世話、家庭の方がいい顔をしない等などで、泊まり込みはなかなかできないものです。

 

家族の反対も禅の継続ができなくなる大きな理由の一つですから、なるべくバランスを取るようにして子供が小さいうちは宿泊は我慢するのも仕方ないでしょう。

 

でも何年か経って子供が大きくなれば、家族も理解が進み、かえって一週間くらい旦那さんがいない方が、奥さんも気楽だとか思うようになるものです。もちろん禅の修行が進んで人間形成ができていくのが必須の条件なのは言うまでもありません。

 

でも道場に泊るというのはもう一つ重要な意味があり、家に帰ってしまうと気が抜けてしまうのが人間、公案で参禅する時の集中力が途切れてしまうのです。道場に泊ると、寝ている間も公案が頭のどこかにあり、集中力も途切れないものです。

 

その結果、どういうことが起こるか?と言うと、早朝の朝一の参禅での公案が透りやすくなるのです。究極には徹宵して、人が寝ている間も居士寮や、外で座禅して公案を工夫する方もいて、そういう方も早朝の参禅では透りやすくなるのです。

 

そう言えば、昨年末の徹宵参禅会の終わりでも老師が、徹宵後の参禅をパスすることはあり得ないことだと仰り、私は参禅したのでホッとした覚えがあります。

 

摂心中はなるべく道場に泊った方が、集中というか三昧のレベルを落とさず、毎日毎日少しづつレベルアップしていきます。家に帰ってしまうと一気にレベルが落ちてしまう。

 

ある方に早朝の参禅は透りやすいという話をすると、そう言えば私もそうだ!!と言われていました。なので私に限った話でもなさそうです。

 

さて摂心会では普段は中々会えない大勢の道友が道場に集まりますから、いろんなエピソードも生まれます。後で思い出すと恥ずかしかったり、まだあの頃はわかっていなかったとか思うようなことが起こるでしょう。

 

また100周年の記念行事の講演会や宴席もあります。200周年の時には絶対に生きていませんから、こうして生きている間に100周年に出会えたことに感謝です。

 

宴席では擇木道場100年の歴史というパワーポイントのプレゼンもあり、これは支部長の力作です。私は後ろにホームページを使ったネット布教の始まりを担当したので、数ページ追加したのでもう見てしまいましたが、なかなか重厚な歴史があるものだと思った次第です。

 

普段、擇木道場においでの方は是非、この100周年の紹介を見てほしいと思います。この道場には100年の歴史があるのだと言うこと、できた時からずっと在家禅の普及に努めてきた立派な先達が大勢いらっしゃったことを知って頂きたいと思います。

 

この道場で長年暮らされていた長屋先生は私は既に亡くなられていてお会いできませんでしたが、ドイツに禅を布教された方だと言うことです。

 

今の擇木道場には残念ながら海外にまで禅を布教しに行けるような方はいませんが、まずは日本の国内に先に禅を普及させなければなりません。東京と言う日本の中心の大都市に擇木道場があるという意味はそこにあるのです。

 

心印 拝

 

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