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擇木道場

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擇木ブログ - 201602のエントリ

2月27日  女性部座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/2/29 23:17
      
 いつまでも 風が冷たいです。春の日差しですのに。

女性部座禅会に よく若い方達が 参加して下さいます。

心がざわざわする。 集中力が無い。 考え方がネガティブになる。
生半かな気持ちでなく もっと真剣になれたら 生きるのが自由に
なるかな。 と


今日は 金峰庵老師の法話の一部を 読みました。
その一部分を省略して 書かせていただきます。

    ・・・・・・・・・・・・・・

 自分で背負い切れない難儀に出くわし 身動きができなくなった時にこそ
坐るとよい。若い頃座禅の修行を熱心に行った坂村真民さんの詩
 「死のうと思う日はないが」 があります。

    死のうと思う日はないが
    生きていく力がなくなることがある。
    そんなとき、お寺を訪ね
    わたしは、ひとり仏陀の前に坐ってくる。
    力湧き、あすを思う心が出てくるまで、坐ってくる。

というものです。
これは実体験に基ずく詩であるだけに心に迫るものがあると同時に 何か
救いのようなものが感じられる詩であります。

    ・・・・・・・・・・・・・・

太秦の広隆寺の仏さま、浄瑠璃寺の9体の阿弥陀さま、渡岸寺や聖林寺の
十一面観音。

皆さん ずっーと坐り込んでいた思い出の仏さまが あちこちにおありでしょう。

龍泉さんが 心の悩みに気づいたときに座禅を始めて欲しい
と云われました。

土曜朝9時半からの女性部座禅会 
坐って 自分の中を見つめるひと時になさってください。

お待ちして居ります。                 
                                 秋香




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座禅が効く:見える化のゆくえ

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/2/26 4:16

心印です。


企業のシステムの世界では常にユーザにわかりやすいコンセプトが語られます。ま、結局は自社のシステムを売るためのキーワードなんですが、最近は「見える化」というのが流行っています。


業務を効率化するシステムについてはどの企業もだいたい終わってきたので、次は業務を改善する番だと言うことで「見える化」。これは問題を発見して、改善しよう、その為のシステムで見えなかったことを見えるようにしようということなのです。


改善、ひいてはカイゼンと言えばトヨタ方式が有名ですが、これはムダを排除して生産性を上げる効率化が目的でした。でも「見える化」で言う改善は、隠れている問題を見えるようにして、その原因を探り、そこを改善する、このサイクルを何回も回すことによって業績を上げようという考え方なのです。


でも、ここにシステムの限界があります。


システムが提示する「見える化」のデータには、人間の気持ちや感情、その人個人の抱える問題は入っていないということです。そんなものは数値化できませんし、数値化できないものはコンピュータは今でも苦手な分野なのです。


システムで「見える化」できるとしたら先週の売り上げより下がっている営業マンのリストは出せるかもしれません。でもその原因が環境によるのか、ユーザのせいなのか、個人の問題なのか、商品の問題なのかはわかりません。


あるいはコンビニである商品が売れている、主に東京近辺から売上が上がって、地方に波及しているというデータは出せるかもしれません。でもその理由が、あるアイドルがお気にいりだと紹介したとか、商品を評価するブログ記事がツイッターやFacebookで拡散しているのかなんてわからないのです。


でも、できる営業リーダーは、少し下がっている営業マンの顔色やレポートを読んで、ちょっとした変化に気付くかもしれません。家庭に問題があるのではないか? 借金を抱えたのではないか? 親が入院しているのかも? (これは例えというやつですw)。


このデータで提示されたものを読み解く力、「見える化」されたデータの裏を見る力、これは禅で、特に数息観で養うことができます。

数息観を続けていくと、見えているものの裏や背景に気付くようになります。特に営業マン個人の感情や気持ちの変化に敏感になることができるでしょう。


さらに言うと、さらにその裏や背景に潜んだ本当の原因、例えば家庭に問題があるとしたら、さらにその裏には、旦那さんの弱さとか、奥さんの浮気(これも例えですからw)があるのかもしれません。


そこまではさすがに見えるとか見ないとかの話でなく、直感の世界になります。これは公案を修行していくことでだんだんとわかってくるのですが、見えたものから読むのが数息観だとすれば、公案は見えないものから読む力が養われると言う感じがします。


最近の摂心会では4名もの見性者(最初の公案を透った方のこと)が出ましたが、見性したのはだいたい本人の努力もさることながら老師の指導力によるところが大です。


ここで座禅をやめてしまうと、せっかくの見性が、大脳の記憶になってしまい、本人の力にならないのです。見性の直後はこれを定着させるように大いに座禅をしなければなりません。


古来、これは「足の裏にすりこむように座る」と表現されています。禅や剣道では足まで下げるとか、足の裏でという言葉が多いのですが、このあたりの消息は禅をやらないとわからないところなのです。


感性の豊かな日本人は本来、このあたりの感覚を持っていたのですが、最近の日本人は西洋化されてロジカルに考えてしまう人が多いので、ここは座禅をして足の裏とは何か?を体験で体得することです。


さて「見える化のゆくえ」で、ピンと来た方がいたら、同年代かもしれません(笑)。はい、荒井由美の「さみしさのゆくえ」という名曲からタイトルを拝借しました。いつもならYoutubeで貼り付けるところ、残念ながら本人が歌唱している曲はアップロードされてもどんどん削除されてしまうのでありませんでした。


とてもいい名曲なのですが、単純に削除するのではなく、最初の1分だけに制限するとかできないでしょうかね? 全部聞きたかったらお金を払うとすればいいのに。日本の音楽シーンはこういうネットを使った宣伝は下手ですね。


心印 拝


荒井由実(松任谷由実の独身時代の名前) 4枚目のアルバム「14番目の月」に収録





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座禅が効く:心静かに・・・

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/2/23 23:31

心印です。

 

先週の金曜の夜は摂心会が終わって、定例の座禅会に戻って最初の座禅会でした。摂心会は気持ちも張り詰めていますし、やらなければならない役位の仕事も多いし、公案とも取り組むわけでギリギリの精神状態でやっているという感じでしたから、通常の座禅会に戻ると気持ちが落ち着いてきます。

 

心静かに数息観という感じでしょうか。

 

慣れてくると一瞬で心を静かにすることができるのが数息観です。これから大事な商談があるとか、失敗のできない本番環境での作業の前になると、そこまで行く間に数息観をしながら向かいます。

 

歩きながらの数息観は意外と心を集中することができます。そして心を静かにすると、ナチュラルな自然の状態になり、仕事に集中する状態を自ら作り出すことができるようになります。

 

この効果は絶大で、本番環境のシステムを操作する時や、難しい課題や突発的な障害が発生した時に、問題が複雑で厳しい状況になればなるほど、心を落ち着けて、しかも頭の中はフル回転して対応できるという感じになります。

 

SE(システムエンジニア)という仕事は気を抜けない場面が多いので、なるべく数息観はマスターした方がいいと思います(マスターなんて10年やっても難しいそうですが)。

 

また心を静かにすると不思議なことに、困難な状況や課題に対応するだけの気力がわいてくるのです。元気のない時に、無理にでも笑ったりすると元気が出るような気がしますが、ことほどさように心というか、感情というものはいい加減なものなのですが、心を静かにすると、そこから気力が出てくるのは本当のようです。

 

金曜にいつも参加されているNさんが、家ではなかなか100まで数えられないのが、道場で座るとあっさりと100まで行けたと言われていました。これが場の力というものです。人間って不思議なものですね。

 

元気がない時ほど数息観をやってみてはどうでしょうか?

難しい問題がある時は一歩下がって心を静かにしてはどうでしょう・・・ま、仕事も人生もそんなに簡単なものではありませんが、対処する時、気力は大事だと思います。

心を静かにすると言うと、落ち着いた、枯れたわびさび(笑)のような雰囲気がするかもしれませんが、座禅の場合は心の奥底から燃えるような気力がわいてくる感じがして、そこに座禅の魅力を感じているのかもしれません。

 

さてあなたは座禅をして道場から帰ると元気になっていませんか?

 

心印 拝

 

道場の前に停めた愛車 カワサキZZR250

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皆様もお気をつけください

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/2/21 21:46
法照です。
昨日の2月20日ですが、擇木道場の金曜静座会に参加させていただいて、ちょうど一年になりました。
私のような三日坊主が、この1年間、一日一炷香を続けることが出来ました。奇跡です。(笑)
それだけ、禅というものに引きつけられるなにかがあるのだと思います。
さて、昨日の夜は、「二年目に向けて、新たなスタートだ!」と気合いをいれて、一炷香をはじめたものの、なぜか全然集中できず。
心がザワザワするとか雑念が湧いてくるとか、そういうのではなく、なにか体がムズムズする感じで…
まあ、毎日やっていれば、なにかしら調子の悪い日もあるわけで、眠いときは眠いなりに、雑念が多いときは多いなりに、「今日はそういう課題を与えられた日なんだ」と前向きに考えていろいろ工夫しつつ一炷香を続けています。
しかし、昨日はこの1年で初めてのパターンで少々戸惑いましたが、朝になって原因がわかりました。
風邪をひいてました…
先週は摂心会だったのですが、その最中でなくて幸いでした。
しかし、体はそれほど強くはない私ですが、この1年風邪を引いてなかったのか!ということに逆に驚きました。
もしかしたら、これも禅の効用なのかもしれません。
二年目の最初の1日目でいきなり躓くのもわたしらしいですが、その日その日の状況を受け入れつつ、今後も気長に続けて行ければいいなと思います。
法照 拝
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2月20日  女性部勉強会

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執筆 : 
擇木道場 2016/2/21 11:38
      
堅かった桜の冬木も心なしか赤みを帯びて来ました。
(この一行 昨日の朝日新聞から拝借! です)

道場に向かう途中の谷中の桜並木 これからは日々姿を変え
ひと月もすると  “やあ 今年も会えたねえ” とやさしい花に
再会することでしょう。

今日はお若い新到者が4人もお出で下さり リピーターの方と
10人で坐りました。

座禅後 翠松さんがお茶の手ほどきをして下さり
茶杓でお茶をすくい 釜から湯を注ぎ 一斉に茶筅を振って
点てたお茶を頂きました。
まさに “ご自服” です。

この頃 お寺を巡り 仏像に会い 座禅体験をしてみる若い方が
多いようです。
好きな仏さまの前では時間を忘れます。


今日お見えの方々も 1時間ほどの座禅を体験され
吸う息・吐く息の呼吸に集中する 数息観の難しさに触れ
何かを感じていただけたと思います。

いつか自分をリセットしようと思われる時は 擇木道場が
いつでも皆さんをお待ちして居ります。
また是非いらして下さい。


土曜日朝 9時半からの座禅会は30分の座禅を
休憩を挟んで2回坐り その後座禅の話を聞き
抹茶を楽しんで楽しんでいただきます。

どうぞ坐りにいらして下さい。
来る春を待つ桜木にも会いに・・・

                        秋香




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2月17日 さいたま座禅会 

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執筆 : 
擇木道場 2016/2/19 8:33
19日は二十四節気の雨水。啓蟄までの期間を雨水と呼ぶそうです。地方によっても違うようですが、この日に雛人形を飾ると良縁に恵まれると言われているとか、良縁はともかく、家のお雛様を出してあげようと思っています。

 昨日は仰月庵老居士、祖芳居士、南苑禅子、そして翠香。あれ?あれれ?思わず仙台!と錯覚してしまうような面子が揃ったさいたま坐禅会でございました。加えていつものNさん、Nさんは、先般入会され、公案の初関を透過され近日道号が授与される予定です。楽しみです。次回書く時はそれをご披露できるかもしれません。
それに常連のTさんと、先日初めて参加して下さったMさんが、先週摂心会で1週間あいたにもかかわらず、続けて参加して下さいました。
海香さんは、風邪でダウン。見た目の割には体が弱いようです。

 既に師家分上で、春からは老師としてご指導くださる仰月庵老居士が、丁寧に坐り方についてアドバイス下さり、来週のさいたま参禅会の説明もして下さいました。座るだけでも参加できる旨案内しましたので、またお会いできると良いのですが・・・・・。きっとお会いできます!!
 
 24日(水)は18:45スタートです。
さいたま(浦和へ)是非いらっしゃって下さい。                                      翠香
 
うめが香に 百(もも)も続けや すわり雛     欠席の海香
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座禅が効く:公案の透過の王道

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/2/16 2:01

心印です。

 

先週の土曜の夜から、この土曜の早朝まで擇木道場では一週間の摂心会(せっしんえ)が行われていました。

 

摂心会こそが禅道場としての本面目、真骨頂と言いますか、この一週間は座禅三昧、道場を中心に生活や仕事が回ると言う期間なのです。

 

さてその成果ですが、前の週の擇木禅セミナー、禅フロンティアから数えると、4名の見性者が出ました。見性と言うのは、最初の公案を透過(とうか)したということで、禅門では非常に重要な意味を持っているのです。

 

うち3名は擇木道場の方ですが、透り方にはやはり王道というものがあり、共通項があるのです。以前も書いたので同じことをまた書くことになりますが、一つは座禅会へ熱心に参加することです。3名とも半年から1年くらい座禅会へ通って来ています。特に参禅会ということでなくても定例の座禅会へ通って数息観を行っているのです。

 

スポーツで言えば、これは練習と言うことになるかと思います。仕事が多忙な方は参禅の時間だけ来る方もいますが、これはこれで仕方のないとは言え、普段の練習をやらずに試合にのぞむようなもので、それで公案を透過するには、おそらく道場で座る倍の時間と密度が必要かと思います。

 

道場で座ると雰囲気や集まった人の熱心さで場の力が働きます。これは不思議なことでもなんでもなくて、人間には見えないものを感じる力があるし、お互いの気持ちが通じ合うものなのです。それを先人は、この道場には古くから座禅をしてきた先輩方の思いが染みこんでいるのだと言われていました。

 

さてもう一つは、座禅会の後の勉強会にも必ず出ているということです。座禅会後の勉強会は、今日やった自分の座禅を振り返る効果があるのです。また自分よりもレベルの高い人の話を聞いて、その場に自分を置くと言うことで成長もするものだと思います。

 

最後の一つは、擇木禅セミナー、禅フロンティア、摂心会に集中して参禅されたことです。参禅を始められた方には老師の書かれた冊子をお渡ししますが、その中にも日に一度は参禅することであると書いてあるのです。

 

毎日のように参禅するということが重要で、1日でも間を開けてしまうとその分レベルが下がってしまうのです。家の座禅でも倍の時間と密度で座ればレベルも上げられるかもしれませんが、やはり老師の元へ参禅して引き上げてもらってこそ上がるものです。

 

公案の工夫についてよく言われることは、言うことがなくなってからが本当の修行だと言うことです。禅は言葉の通用しない絶対の世界のものですから、言うことがなくなってしまった、どうすればいいのだろう?という迷いと疑問の塊になって、追い詰められて、それでも参禅するところに道が開けるのです。石にかじりついても・・・と言いますが、まさにそういうものなのです。

 

公案は自分の殻を破るようなものなので、殻の中にいる間はその外の世界のことはわからないのです。

 

最後と言いましたが、もう一つ加えると、3名とも入会した直後の見性ということです。入会する前はなかなか透らない公案が、入会した途端に透ってしまうという法則(?)があるのかわかりませんが、今回もその通りでした。

 

日曜の夜、100周年の記念のイベントが終わった後、静岡からある女性が訪ねて来られました。岳南支部で参禅を始められた方で、東京にある擇木道場の話を聞き、仕事の後、わざわざ東京へ来られたのです。

 

禅堂を見学されてから、翠松さん、法照さんと心印の3名で摂心会の余韻に浸りながら、その女性に禅はいいのよ~という話を1時間くらいしていたでしょうか?

 

なかなかお帰りにならないので、公案というものが大変なものだと、でもそこに問題を解決できそうな、何かがありそうだと気づいているご様子でした。わざわざ静岡から東京まで来られたというだけでも素晴らしいことですが、何かがありそうだ、もしかしたら救われるかもしれない、そういう擇木道場へ来られる方がいる限り、私も禅で救われた一人として続けていかねばならないなと思ったのです。

 

金曜の夜、座禅会を毎週やる私のモチベーションはそこから来ています。その事実こそが私が救われたということなのです。

 

心印 拝

 

擇木道場 創建100周年 記念講演会の様子

 

  

 


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玉溪です。

ただいま摂心会中です。
今夜の御提唱は、碧巌録から「野鴨鼻頭」でした。

 臨済宗の大宗匠馬祖道一禅師が、後の百丈懐海禅師を見性させた因縁の則です。
 実は私が大学一年生の6月、最初にこの擇木道場に伺い、最初に拝聴した御提唱がこの則でした。
 まだ建て替えられる前の古い道場で、一体何が始まるのかもわからず、ただ先輩に連れてこられて一番末座に座っていました。18歳のことです。

  馬大師、百丈と行く次いで、野鴨子の飛び過ぐるを見る。
  大師曰く「是れ何ぞ。」
  丈曰く「野鴨子。」
  大師曰く「何れの処にか去る。」 
  丈曰く「飛び過ぎ去る。」

  大師遂に百丈の鼻頭を忸る(にじる。意味:ひねる。)
  丈、忍痛の声をなす。
  大師曰く「何ぞ曽て飛び去らんや。」
 
 ある日、馬祖道一禅師が弟子の百丈を伴って出かけたとき、ふいに野鴨がバタバタと飛び立った。馬祖はすかさず「あれはなんだ」と問いかけた。
 百丈は「野鴨です」と答えた。もっともな答えであるが、禅の悟りの商量ではない。「ではどこへ行ったか」と次の矢を放つ馬大師。百丈はまたそのままに「飛んで行きました」と答えた。

 ついに馬大師は百丈の鼻柱を思いっきりひねりあげた。
「あいたたたたーー!!!!」と百丈は悲鳴を上げた。
「飛んで行ったとはなんじゃ。ここにいるではないか」と馬大師。

 ここにおいて百丈は見性を果たした、と言われているお話なのです。
そしてそれがそのまま後に修行者が取り組む公案となって伝えられ、どれほど多くの修行者たちがこの則に参じたことか。
 臨済禅の修行は公案を解くことで少しずつ悟りの階梯を登っていくのですが、最初の悟りを見性といい、とても大事なところなのです。

 30年前、片隅でこの御提唱を拝聴した日を私は今もよく覚えています。
 さっぱりわからなかった、ということを、です。

 時は過ぎ今夜、30年経って再び拝聴いたしました。
 おかげさまで、今は良くわかります。
 馬祖や百丈など、研鑽に研鑽を重ね、無縁の大慈悲心で弟子を育て上げた、こうした人々の積み重ねが今に続いていることに、感謝の気持ちが沸き起こってきます。

 馬祖の鮮やかな手腕には感動。この大力量の禅師によってあの百丈が叩き出された、その場面が生き生きと蘇り、そこにいるかのような、名優の素晴らしい舞台をドキドキしながら身を乗り出して見物しているような、そんな感じがします。

 百丈の忍痛の声、まさにクライマックス。
 「何ぞ曽て飛び去らんや。」・・・おお、なんという決めセリフ。
 拍手喝采、ブラボーの声鳴りやまず、というところでしょうか。

 なんといっても葆光庵老師の御提唱は臨場感に満ちて、素晴らしいものでした。
 ぼちぼち続けて来た30年。なんのことやらさっぱりだった自分を思い出し、感慨深くも感じました。

 まだまだ奥は深いでしょう。
さて、この後、今日の日を、あの程度の理解で喜んでいたのか、かわいいものだよ、と思える日が来るのでしょうか。きっと来るだろうと思います。
 その日を楽しみに、また歩いて行こうと思います。

 摂心会は今週末まで開催されています。
 貴重な臨済禅の生粋の御提唱は、水曜日以外(この日は法話があります)毎晩7時半からです。
 普通は修行者のみの閉じられた期間ですが、ここでは解放しています。
 どうぞお申し込みください。

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2/4(木)、今日から春です。寒いけれど春です。
春生まれの私にとっては、なんだかうきうきする季節です。

昨日はさいたま座禅会の日でございました。
嬉しいことに、総勢9名で坐りました。

参禅会の日には参禅室となる405号室が埋まりました。
さいたま市民会館にいらっしゃったことがある方なら想像
がつくと思いますがかなりの密集度でございます。

ありがたいことに始めて座られる方が3人も来て下さいました。
内、一人は節分のことをすっかり忘れていて、これから急ぎ帰って
鬼にならなくてはと30分座られてお帰りになられましたが『また参ります』
とおっしゃっていました。残りのお二人は30分×2が思いのほか短かった
とのこと。素晴らしいことです。

そして前回に引き続き、東北禅会の祖芳居士が参加して下さり、30日に
入会式を終えたばかりのN野さん
すっかり常連のN村さん、T田さんを加えて9名。

来て下さった方にまた市民会館に行こうと思ってもらえるように私自身坐り
たいと思います。

それから、来週の10日の座禅会は、お休みです。
6日から始まる擇木道場の摂心会で坐れますのでそちらにお越しください。
次回のさいたま座禅会は17日です。
                                   翠香 拝
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心印です。

 

いよいよ土曜の夜から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という禅道場らしいイベントがあります。

 

お寺の専門僧堂でも摂心会(お寺では接心会と書くようです)は行われていて、例えば永平寺では、摂心中は役位のない修行者は作務をせず、一日中座禅をするそうです。

 

人間禅では座禅を静中の工夫とすれば、作務は動中の工夫と位置付けて重要視しているので、一日中、座禅というわけではなく、作務の時間もかなり長く取っています。いろいろ割り当てられた作業をしながら三昧を深めるのですが、この動中の工夫は具体的には作務中にも座禅をしている時と同じような心境であたるのです。

 

もちろん摂心中は禅の修行ですから、笑いあったりすることは厳禁、話も必要以上のことはしないようにするのです。そうしないと相手の公案の工夫を妨げてしまうので、罪と言ってもいいくらいのことなのですね。

 

ただ摂心中も外部から一般の方が来られますから、いつもは「よくいらっしゃいましたー」と言うところを、合掌して歓迎の意を表するだけに留めるのです。私達のようなまだ数年の駆け出しの者が対応すると三昧どころではなくなるので、修行歴の長い先達の方に対応をお願いするのです。

 

さて、この一週間は道場から一歩も出ない門外不出が基本です。とは言え、私などは客先に派遣されている関係で、なかなか会社を休みますとは言いづらい立場ですし、親の介護や、子供の世話、家庭の方がいい顔をしない等などで、泊まり込みはなかなかできないものです。

 

家族の反対も禅の継続ができなくなる大きな理由の一つですから、なるべくバランスを取るようにして子供が小さいうちは宿泊は我慢するのも仕方ないでしょう。

 

でも何年か経って子供が大きくなれば、家族も理解が進み、かえって一週間くらい旦那さんがいない方が、奥さんも気楽だとか思うようになるものです。もちろん禅の修行が進んで人間形成ができていくのが必須の条件なのは言うまでもありません。

 

でも道場に泊るというのはもう一つ重要な意味があり、家に帰ってしまうと気が抜けてしまうのが人間、公案で参禅する時の集中力が途切れてしまうのです。道場に泊ると、寝ている間も公案が頭のどこかにあり、集中力も途切れないものです。

 

その結果、どういうことが起こるか?と言うと、早朝の朝一の参禅での公案が透りやすくなるのです。究極には徹宵して、人が寝ている間も居士寮や、外で座禅して公案を工夫する方もいて、そういう方も早朝の参禅では透りやすくなるのです。

 

そう言えば、昨年末の徹宵参禅会の終わりでも老師が、徹宵後の参禅をパスすることはあり得ないことだと仰り、私は参禅したのでホッとした覚えがあります。

 

摂心中はなるべく道場に泊った方が、集中というか三昧のレベルを落とさず、毎日毎日少しづつレベルアップしていきます。家に帰ってしまうと一気にレベルが落ちてしまう。

 

ある方に早朝の参禅は透りやすいという話をすると、そう言えば私もそうだ!!と言われていました。なので私に限った話でもなさそうです。

 

さて摂心会では普段は中々会えない大勢の道友が道場に集まりますから、いろんなエピソードも生まれます。後で思い出すと恥ずかしかったり、まだあの頃はわかっていなかったとか思うようなことが起こるでしょう。

 

また100周年の記念行事の講演会や宴席もあります。200周年の時には絶対に生きていませんから、こうして生きている間に100周年に出会えたことに感謝です。

 

宴席では擇木道場100年の歴史というパワーポイントのプレゼンもあり、これは支部長の力作です。私は後ろにホームページを使ったネット布教の始まりを担当したので、数ページ追加したのでもう見てしまいましたが、なかなか重厚な歴史があるものだと思った次第です。

 

普段、擇木道場においでの方は是非、この100周年の紹介を見てほしいと思います。この道場には100年の歴史があるのだと言うこと、できた時からずっと在家禅の普及に努めてきた立派な先達が大勢いらっしゃったことを知って頂きたいと思います。

 

この道場で長年暮らされていた長屋先生は私は既に亡くなられていてお会いできませんでしたが、ドイツに禅を布教された方だと言うことです。

 

今の擇木道場には残念ながら海外にまで禅を布教しに行けるような方はいませんが、まずは日本の国内に先に禅を普及させなければなりません。東京と言う日本の中心の大都市に擇木道場があるという意味はそこにあるのです。

 

心印 拝

 

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