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擇木道場

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擇木ブログ - 20160124のエントリ

心印です。

この金曜日の夜は、また引き続き大勢の方が来場され、擇木道場の禅堂はいつものように3列の座禅となっていました。正確に数えてはいませんが、25名くらいはいらっしゃったと思います。出頭簿に名前を書かれない方が数名いらっしゃるようで、出頭簿を数えてももっと多かったはず・・・という感じなのです。

大勢集まることは最近、来られた方には当たり前のように感じるかもしれませんが、私が通いだした頃は、新到者(初めての方のこと)はほとんど来られず、金曜も決まった面子の5名(玉道さん、霊亀さん、魁星さん、心印、Yちゃん)で座っていたのです。

これがその頃の写真です(2011年頃?)

ちなみに今はこんな感じ(2016年1月)


ちなみに毎週の新到者は2名から、多くても8名くらいなので、これだけ参加者がいるということは、継続して座禅をする方が増えてきたということです。この金曜日の座禅後の勉強会でも2回目が2名、3回目も2名いらっしゃいました。

座禅後の勉強会はこんなに集まる(これ、なんと夜中の22時過ぎですよ!!)


写真は法照さんが写してくれたものですが、前にいるのが私こと心印で、老師の書かれた「禅の効用」を解説しますが、皆さん禅の話が聞けるとなると熱心に集まります。

金曜の夜と言うと仕事でお疲れ様なのに、なぜ大勢の方がこんなに座禅に来られ、その後の勉強会にも参加されるのか? それだけのものが座禅にあるのか?

禅に何かを求めたり、期待があったり、悩みや問題を解決したいとか、人それぞれ具体的には違うでしょう。

初めて擇木道場に来た方に書いて頂く座禅講習申込書に「なぜ座禅をしようと思ったか」書く欄があります。人によってささっと書いたり、時間をかけて考え込んだり、いろいろですが、一番多く書かれることが心の問題です。

例えば「心が落ち着かない」「心がざわついている」「集中できない」等々ですが、自分の心を何とかしたいと座禅に来られている様子が伺えます。

さて座禅を続けると心の問題はなんとかなるのでしょうか???

世の中には「これで解決!! ○○をお使いください!!」という調子のキャッチコピーががあふれています。心の問題も「○○体操」や「カウンセリング」、「ヨガ」や、本でも「心の持ち方を変える」「考え方を変える」等々、ちょっと検索するだけでいろいろ出てきます。

ハウツー本を読んだり、体操やヨガのメソッドを行うだけ、考え方を変えるだけで解決できた方には座禅はいらない、その程度のレベルの問題は大きなものではないのです。

でもハウツー本や○○メソッドでは解決できないレベルの問題があり、自分だけの力や能力ではどうしようもない、特に深い心の問題はなかなか解決できません。

さっき検索して読んだブログに、「問題が解決しないのは、自分は素晴らしいことに気づいていないから」と書いてあり、思わず笑ってしまいましたが、そんなふうに思える方には座禅はいらないと思いました。

心の問題は、そのほとんどが自分に原因がありますから、自分は素晴らしいと思えるのであれば解決できると思います。でもそうは思えないから、みんな悩むのであって、そういう普通の人はどうすればいいのか?

「心を落ち着けたい」「心がざわついている」ということなら、「座禅で解決!! 数息観を続けましょう!!」と書くことができます。数息観を続けることで心は自然に落ち着きを取り戻し、自然な状態になりますから、ざわついていても静かになってきます。

しかしながら、このレベルを越えた問題はどうすればいいのか?

禅はこれにも答えを用意していて、これは座禅を越えた禅の世界になるのですが、「公案」を用いた参禅修行(老師のもとへ入室独参する)というものがあります。

心が引き起こす問題のほとんどは自分に原因があります。公案を用いた参禅修行は「心を落ち着ける」というレベルをはるかに越えて「心を無にしてしまう」という形で解決をはかります。

公案は文字で表現しても訳が分からないものですから、ブログに書いても誤解を招くので、道場で公案修行をしているスタッフに訪ねてほしいのです。金曜の夜なら私に質問してもらってもかまいません。

心に問題を起こす原因がある、それを修正しようと言うのがカウンセリングやメソッドの方法だとすると、公案修行は、その心が無であることを徹見させることで、問題と原因を一挙に消滅させてしまうというものです。

禅は無になるという言葉だけは有名ですが本来の意味はほとんど伝わっていませんし、伝えられるようなものでもない、禅で言う無は有無の無という意味ではないことを書いておいて、今夜はこのへんで

心印 拝

 

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