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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 201601のエントリ

人気の講義の「本」ですね。
依存症、やる気が出ない人のために、という前文があります。

自己コントロールのための「科学的な見解」と「実践的エクササイズ」
の融合とのことですが、10章ある第一章の実験は、「5分間瞑想」。

ポイントは、「5分間じっと坐る」「呼吸に意識を集中する」「呼吸をして
いる感覚をつかみ、気が散り始めたら意識する。」
そして、5分が習慣化したら時間を長くする、明日に延期するより短く
ても毎日練習する。やる時間帯を決める。

あれ、これってかなりの部分、「座禅」です。
目標を『考える」のではなく「吸って、吐いて」の呼吸の感覚に集中
すると書いてありますし。

これを実践した人の一例では、瞑想をした日は集中力が高まって
「目標からかけ離れている自分にきづく」ようになったそうです。
そして、自己コントロールとは、その軌道修正プロセスなのだそうです。

瞑想をしていて、気が散って、意識を呼吸に戻すという「下手」な人
の方が、練習効果が上がる、というのは面白いなぁ、と思って読みました。

著者のケリー・マクゴニガルさんは座禅経験があるのかもしれません。

さて、今週の28日の木曜の18時45分から「さいたま市民会館うらわ」で
参禅会です。座禅のみの参加は300円です。初めての方も坐り方を
お教えしますから、安心してご参加ください。このホームページから
参加予約できます。

それから、31日は「禅フロンティア」です。こちらも是非ご参加ください。
なかなか聞くことの出来ない面白いフォーラムですから。

                                    海香拝



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1月23日(土)女性部静座会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/1/25 11:10
日本列島を強い寒気が襲いかかり、谷中の擇木道場も凍えるような寒さでしたが、寒さに負けじと女性部静座会が行われました。
会員5名、常連のKさんの他、某テレビ局のディレクターの方がお見えになりました。
25分、30分の静座の後、慧日庵玉渓老禅子が女性が座禅をする意味、効用等について話された後、自分の座禅体験や修行歴等をそれぞれ話しました。
ディレクターの方からは、家事や育児等で忙しい主婦の方々にこそ座禅が必要ではないかという言葉を頂き、その通りだなと思う反面、自分の育児の経験から、自分のための時間をわずかでも作るというのは本当に難しく、子育て真っ最中のお母さん方に、1週間のうち土曜日朝だけでも自分の時間を確保して道場に通ってもらいたいと口で言うのは簡単ですが、実現させるためには、いろいろな工夫が必要でだなとあれこれ考えていました。
例えば、子供と一緒に道場においでいただき、お子さんは別室で遊んでもらえるような形をとれれば一番よいのですが、そのための人手をどう確保するか、最近は保母さんも一手不足の状況だから若い人は難しい・・・
実現にはなお時間が必要だとは思いますが、道場がある谷中は、東京の中でも自然が残っており、上野公園等子供が遊ぶ場所も近くにあります。
平日は仕事で忙しいお父さんがお子さんと一緒に上野公園で遊び、その間、お母さんは道場で静座する・・・そんな選択肢があってもいいですね。

次回1月30、31日は禅セミナー・禅フロンティアです。読書会の後、静座を行いますので、奮ってご参加ください。お待ちしています。

合掌 香水 拝

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心印です。

この金曜日の夜は、また引き続き大勢の方が来場され、擇木道場の禅堂はいつものように3列の座禅となっていました。正確に数えてはいませんが、25名くらいはいらっしゃったと思います。出頭簿に名前を書かれない方が数名いらっしゃるようで、出頭簿を数えてももっと多かったはず・・・という感じなのです。

大勢集まることは最近、来られた方には当たり前のように感じるかもしれませんが、私が通いだした頃は、新到者(初めての方のこと)はほとんど来られず、金曜も決まった面子の5名(玉道さん、霊亀さん、魁星さん、心印、Yちゃん)で座っていたのです。

これがその頃の写真です(2011年頃?)

ちなみに今はこんな感じ(2016年1月)


ちなみに毎週の新到者は2名から、多くても8名くらいなので、これだけ参加者がいるということは、継続して座禅をする方が増えてきたということです。この金曜日の座禅後の勉強会でも2回目が2名、3回目も2名いらっしゃいました。

座禅後の勉強会はこんなに集まる(これ、なんと夜中の22時過ぎですよ!!)


写真は法照さんが写してくれたものですが、前にいるのが私こと心印で、老師の書かれた「禅の効用」を解説しますが、皆さん禅の話が聞けるとなると熱心に集まります。

金曜の夜と言うと仕事でお疲れ様なのに、なぜ大勢の方がこんなに座禅に来られ、その後の勉強会にも参加されるのか? それだけのものが座禅にあるのか?

禅に何かを求めたり、期待があったり、悩みや問題を解決したいとか、人それぞれ具体的には違うでしょう。

初めて擇木道場に来た方に書いて頂く座禅講習申込書に「なぜ座禅をしようと思ったか」書く欄があります。人によってささっと書いたり、時間をかけて考え込んだり、いろいろですが、一番多く書かれることが心の問題です。

例えば「心が落ち着かない」「心がざわついている」「集中できない」等々ですが、自分の心を何とかしたいと座禅に来られている様子が伺えます。

さて座禅を続けると心の問題はなんとかなるのでしょうか???

世の中には「これで解決!! ○○をお使いください!!」という調子のキャッチコピーががあふれています。心の問題も「○○体操」や「カウンセリング」、「ヨガ」や、本でも「心の持ち方を変える」「考え方を変える」等々、ちょっと検索するだけでいろいろ出てきます。

ハウツー本を読んだり、体操やヨガのメソッドを行うだけ、考え方を変えるだけで解決できた方には座禅はいらない、その程度のレベルの問題は大きなものではないのです。

でもハウツー本や○○メソッドでは解決できないレベルの問題があり、自分だけの力や能力ではどうしようもない、特に深い心の問題はなかなか解決できません。

さっき検索して読んだブログに、「問題が解決しないのは、自分は素晴らしいことに気づいていないから」と書いてあり、思わず笑ってしまいましたが、そんなふうに思える方には座禅はいらないと思いました。

心の問題は、そのほとんどが自分に原因がありますから、自分は素晴らしいと思えるのであれば解決できると思います。でもそうは思えないから、みんな悩むのであって、そういう普通の人はどうすればいいのか?

「心を落ち着けたい」「心がざわついている」ということなら、「座禅で解決!! 数息観を続けましょう!!」と書くことができます。数息観を続けることで心は自然に落ち着きを取り戻し、自然な状態になりますから、ざわついていても静かになってきます。

しかしながら、このレベルを越えた問題はどうすればいいのか?

禅はこれにも答えを用意していて、これは座禅を越えた禅の世界になるのですが、「公案」を用いた参禅修行(老師のもとへ入室独参する)というものがあります。

心が引き起こす問題のほとんどは自分に原因があります。公案を用いた参禅修行は「心を落ち着ける」というレベルをはるかに越えて「心を無にしてしまう」という形で解決をはかります。

公案は文字で表現しても訳が分からないものですから、ブログに書いても誤解を招くので、道場で公案修行をしているスタッフに訪ねてほしいのです。金曜の夜なら私に質問してもらってもかまいません。

心に問題を起こす原因がある、それを修正しようと言うのがカウンセリングやメソッドの方法だとすると、公案修行は、その心が無であることを徹見させることで、問題と原因を一挙に消滅させてしまうというものです。

禅は無になるという言葉だけは有名ですが本来の意味はほとんど伝わっていませんし、伝えられるようなものでもない、禅で言う無は有無の無という意味ではないことを書いておいて、今夜はこのへんで

心印 拝

 

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あるブログのお話し

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/1/21 23:10
法照です。
この前読んだ、あるブログの話で考えさせられる話があったので、今回はそのことについて書いていきます。
そのブログの内容は、人前で息子にビンタをした人を見て…という内容のものでした。
簡単に要約すると、
赤ちゃんを抱いて、5歳くらいの息子を連れたお母さんがいました。
5歳くらいの子供はくずっていて、お母さんは鬼の形相で子供を叱っていました。
しかし、子供はギャンギャンないて、いっこうにその場を動こうとしない。
キレた母親はとうとう子供を平手打ちにして…
周りで見ていた人にはちょっとした修羅場ですよね。
どうなることかと見ていたら、そこにおばあさんが駆け寄ってきて、
母親には「お母さん大変だね。赤ちゃんが生まれてからちゃんと寝てないんでしょ?それはイライラもするわよね」と話しかけ、子供に対しては「きっと赤ちゃんが生まれてからお兄ちゃんだから我慢しなさいって、ずっと頑張ってきたんだね。偉い偉い。お母さんもぼくも、ふたりとも偉い」と声をかけたそうです。
おばあさんは、二人の頭をなでて、その場を立ち去って、残った母親は子供を抱きしめて泣き崩れた…
というお話しでした。
たぶん、坐禅を始める前の私なら、この話を読んで「ああ、いい話だ」で終わっていたと思うのです。
でも、今はそれだけではなく、いろいろと考えさせられました。
今、擇木道場は来月創建100周年ということで、10月くらいからそれに関連した勉強会を開いています。
10月の勉強会は「大乗仏教とは何か?」という題で慧日庵老禅子が講義をされました。
(そのときの動画はこちらから見ることが出来ます)
その中で、「だれかが転んで痛いと言った。自分の感情にこだわっているとその痛いという人に寄り添えない。自我にとらわれない人は相手に寄り添ってあげることができる」といったような内容の事を話されていました。
さて、ここで、私が上記のブログのような状況に出くわしたとして、このおばあさんのように母子両方にちゃんと寄り添えたか…、というと寄り添えなかっただろうなと思います。
子供が叩かれたときに、「ああ、子供がかわいそう。ひどいお母さんだ」というふうに考えてしまったのではないかと思います。
いざ実際の場面に対したときに正しく寄り添うということは簡単な事ではないなと思いました。
慈悲の心とか自他の心とか言いますが、ちゃんと理解して行動できなければ、ただの勘違いで迷惑な人になりかねません…
なかなか難しいですね…
でも、こんな事が考えられるようになったのは禅を始めるようになったおかげだと思います。
特に、座禅会のスタッフなどをやらせていただいていると、いろいろな方とお話しする機会もあります。
そこにはいろいろと悩みを抱えた方などもいらっしゃいますし、いい加減な対応はできません。
そういう日々の積み重ねのおかげで、少しは違った見方が出来るようになってきたのかなと思います。
まだまだ、問題意識が出てきた、というレベルですが、これからもスタッフとして関わっていって人間形成を進めていきたいと思います。

法照 拝
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心印です。

 

先週末の金曜の夜、今年で2回目の東京で夜一番遅い座禅会」を開催しました。参加者は26名で、初めての方は6名~8名、6枚の申込書があったのですが後、2名ほど書かれていない方がいるような気がします。

 

この週から今までの暖冬が何だったのか?という感じで、急に本当の冬になったような寒い日になりましたが、いつも冬はこんな感じだったなぁと去年の冬を思い出しました。今までが暖かすぎたのですよね。

 

実は冬は座禅向きだと私は考えています。暖かいと眠くなる座禅も冬で適度に寒いと精神が研ぎ澄まされるような気がするのです。

 

さて新到者(初めての方)が、ばらばらと後から数名来られたので、2回教えることになり、最初の組を禅堂に入ってもらって、2回目を教えると9時半くらいになったので、私個人としては30分ほどしか座禅ができなかったのです。

 

でも何ですか? このムンムンした熱気は!! 当たり前のように3列の座禅で場の力というか、真剣に皆さん座っているという気持ちがビシバシ伝わってきて、すぐに真剣な座禅に入ることができました。

 

座禅が終わったら、1階の居士寮で老師の書かれた「禅の効用」の、その2を読みました。その1がすぐに仕事に取り掛かれる効果だとすれば、その2は仕事に入ったら集中が続くという他に惑わされない効果が書かれています。

禅は今を生きることだと言われますが、この仕事か何かをしていることに集中できている状態が三昧状態、この状態こそが今を生きるということなのです。

 

 

例えばパソコンをこうして打ってブログを書いている時にも、目の前の文章を書くことから全く目をそらさず、頭の中はフル回転しているはずですが、考えて言語化する前にもう指が文章を打っているという感じなのです。

 

ってことで、いつもブログはあまり時間をかけずに書いていますが、実は書くまでに頭の中で、心の奥底では今週のブログは何を書こうか、意識しないで考えているのだと思います。なので、実際に書くのは今日のように数日後だったりしていますが()

 

なお数息観の意味も、よく引っかかりやすい点にも解説を加えました。数息観は雑念を切るための手段なのですが、100数えることを目標や目的に間違いやすいのです。我々は学校や会社でいい成績や、高い売り上げをあげることで評価されてきたので、数息観も同じように100を目指してしまいやすいのですね。

 

これはそうではなくて、100目指すのは目指すのですが、手段であって目的ではない、目的は雑念を起こさないことであり、雑念を起こさないなら数えなくてもいいくらいなのです。例えば曹洞宗式の座禅では只管打坐(しかんたざ)と言って、数息観はせずに雑念を起こさないようにします。これは一般の人にはかなり難しい方法ですが、これに向いている方もいます。

 

勉強会後は軽く自己紹介をしてもらいましたが、2回目、3回目、あるいは1ヵ月くらいと言う方が複数名いらっしゃいましてリピートして熱心に座禅をする方が増えてこられたなと実感しました。

 

やはり座禅は少しづつでもいいので継続することでその効果が出てきますから、冬に始めた方は続けて春や夏まで、あるいは来年まで続けてほしいと思います。

 

まあ、それにはいっそのこと座禅会員になってスタッフになるという方法もあって、スタッフになるとある程度は責任感や強制力も働くので、続ける方向になりやすいのです。また責任感とか言う前に大勢の方や初めての方が来られる嬉しさというものを自分で感じることができますよ。

 

さて1月末の禅フロンティアや、100周年記念の摂心会(せっしんえ)など、老師がいらっしゃって参禅できる機会が近づいてきました。公案を授かっている方はそろそろ座禅でも集中して座り込むようにしましょう(私も含めて)。

 

公案や参禅についてはわからない方はこのホームページを読み、我こそはと思ったらスタッフにご相談ください。擇木道場は単なる座禅だけの会ではなく、公案を用いた本格的な参禅修行ができる本式の禅道場なのです。

 

心印 拝

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耳順会~女性部座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/1/11 23:43

お正月は、遠出をしなかったせいか、着物姿の女性を見なかった。60年以上も前、年末の美容院で鹿の子絞りの布飾りのついた丸髷を結ってもらっているのを、羨望の目で眺めていた少女の頃を思い出した。お姐さんの鹿の子絞りの赤さが、今も鮮やかに目に残っている。あのころは、まだ、お正月には日本髪に振袖の人がいたし、会社への初出は私も着物姿で出かけた。甘く、少し寂しいようなノスタルジックな古き良き時代の風景であった。
 
   最近は、スカートを穿く若い女性が少なくなってしまった。颯爽と、細身のパンツ姿で闊歩する姿は、少年のように清々しく美しい。また、その反面、超ミニスカートの女性も多く見られる。女性の服装はスカート丈だけでも多様になり、お正月の晴着も日頃のそれと変わらなくなってしまった。毎年、正月二日目は、近くの中山寺へ初詣に出かけるが、今年も本殿までの参道は30分待ちの行列であった。破魔矢を求めて、庭内を散策していると、人垣の真ん中に猿回しのサルが竹馬に乗って障害物を越えたり、お辞儀をしたりと、演技中であった。これも、毎年変わらない風景である。お猿さんは好んで演技をしている訳ではないと、動物愛護の立場からは、動物虐待だとの批判の声も当然出ており、何れこのお正月の行事も見られなくなるかもしれない。ちょっとまた、甘く寂しい気分になってしまった。
 
  擇木道場の年初の静坐会は先週から始まって、木曜朝の耳順会は、新年を新たな気分でと願う人たちが20数人静かに座った。静座後は、人間禅の老師であった、芳賀幸四郎著、『禅語の茶掛 一行物』から、「回光返照」「円如太虚」が読まれ、新年に相応しく、捉われの無い、執著を離れた「円かなること太虚の如し」のこころ(仏性)のこと、その普遍の教えに触れ、この一年の心の安楽を願いつつ皆で抹茶をいただいた。
 
 土曜日の女性部主催の静坐会は、新しい方が、3名見えられ、計8名で、抹茶を点て、読み物を少し読み、坐禅経験者からは、数息観のお話や、人間禅での修業の様子などを分かち合った。一分坐れば、一分の仏とか。日々座る時間を見つけ、数息観を通して円かなるこころに気づき、その時間が長くありますようにと、願いつつ穏やかな年初の静坐会を終えた。  (慈照)
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心印です。

 

今年最初の「東京で夜一番遅い座禅会」を開催しました。

 

メルマガは木曜の深夜(0時過ぎなので金曜の早朝・・・)に流したのですが、昨年のものを流用した為に、タイトルの方は「今年最初の」に変えたのですが、本文の方に「今年最後の」が残っていまして、大変失礼をいたしました。

 

予約は2名だけだったのですが、当日になってからバンバン予約が入り始めて、お昼休みに予約対応していたら、午後にもまた予約が入るという状況でした。いつもありがたいことです。

 

さて新到者(初めての方)は6名来られました。なかにはオーストリアから来られたAさんがいらっしゃり、日本語はわからないので、玉水さんについてもらいましたが、身振り手振りで説明したという感じです。

 

初めての方に座禅を教えているところです(指導は心印)

 

警策のところは玉水さんに叩かれるモデルになって頂きましたが、私は男女差別せずに同じように叩くので本人は「意外と痛くないですよ」と言われていましたが、実は痛かったかも・・・w。でも私の場合は痛さは一瞬で、後に残らないような叩き方を心がけてはいます。

 

でも座禅会がスタートした時点では6名が入っても2列だったのが、後から後から来る来るという感じで結局3列になりました(総勢30名くらい?)。

 

擇木道場では座禅会が始まっても、途中から入れることが、お寺の出入り禁止になる座禅会とは違うところで、これは在家禅なので仕事で遅れてくる方でも入れるようにという意味があります。

 

ザワザワして気が散るので嫌う方もいますが、出家でない在家禅の慈悲の発揚だと思っています。現代は忙し過ぎて21時でも間に合わない人がいるという事実に目をそらしてはならないと思います。一時期は「東京で深夜0時からの座禅会」をやろうかと考えていたこともあるくらいですから(さすがにスタッフの体力がモタないw)。

 

その後、勉強会にほとんどがそのままの人数が移動したので擇木道場の居士寮がいっぱいの状態になりました。法照さんが写してくれた写真は右側の列が切れていますが、右側にも人が一列いっぱいになっていました。

 

座禅会後の勉強会はこんな感じ(一般の方が写っているのでマスクしています)



 

いつものように「座禅の効用」の目次のタイトルを一通り読んで軽く説明し、初めての人が多い場合は必ず「その1」を読んでいます。その後は2月の摂心会と100周年イベント、座禅会員の募集、座禅講座の告知を行いました。

 

うれしいことによく来られている方が入会の説明をしてほしいとの申し出があり、龍泉支部長とお話をされていました。入会されたら嬉しいですね!!

 

23日には座禅講座というものが13時からあります。慧日庵老禅子という座禅歴30年以上の女性に手取り足取り個別指導が受けられるという講座になります。

 

私がよく勉強会には出てくださいとうるさく言うのは、初めての時に30分ほど座禅の形を習っただけでは、間違った座禅をやってしまう方がいるからなのです。でも、この座禅講座はフォローも個別にするので、受けて損はないと思います。

 

この前も3ヶ月座禅を続けているが効果が無いと言う方がいらっしゃったので、それやり方が間違ってない?と思って、よくよく話を伺うと、数息観がちゃんとできないで、これは駄目だと自己否定の二念、三念を起こして格闘されていたのです。

 

本来の数息観の意味は、数と息に集中することで、他の雑念を起こさないことですが、できなくて、これは駄目だと自己否定するのでは、雑念をかえって起こしてしまうわけで本末転倒です。

 

現代人は点数主義に慣れていて100まで数えることを目標にしてしまう方ほど、この弊害に陥りやすいのです。ここは100まで行かなくても、それを否定せず、現在の自分を受け入れる、座禅は一生やるものだから、いつかは100まで行くだろうと思うくらいでいいのです。

 

座禅を継続していると、いつかは他の念慮を起こさず100までスーッと数えられる時がきます。それを体験すると数息観ってこうだとわかるので昔から言う「黙って10年座れ」というのも意味があるのです。

 

ということで、自分の座禅の質を向上させたい方、効果がなくておかしいと思う方は、座禅講座を受講しましょう。

 

金曜夜の座禅会後の勉強会にも、夜遅いですが、なるべく出てくださいね。実は本で読んだりする知識よりも、座禅の先達に会って、その話を聞くことで、言外で伝わるものがあるし、人は見えないものを感じる力があるのです。これは究極には老師のところへ行って参禅することがそれにあたります。

 

勉強会の後は自己紹介をしましたが、皆さんしゃべるしゃべる、座禅への熱い思いを語って頂きました。祥麟さんの座禅を始めてから、しばらくして訪れた尾瀬で、あまりの自然の美しさに涙が出たという話、魁星さんのみんなと座っていることに感動して涙が出たという話、素晴らしかったです。

 

長く座っていると、いえ時間は長くなくても、こういう経験を座禅を続けることですることがあります。私も半年くらい経った時でしょうか、座禅会の後、野辺に咲く名もない(名も知らない・・・)花の美しさに言葉を失くしたことがあります。

 

座禅をすればするほど、雑念が落ちて、本来の自分が出てくる、心が浄化されるような作用があるのだと思います。人は自分の見たいものを見て、それ以外はフィルターをかけてしまって見ていません。座禅をすると、そのフィルターが落ちて行って、見えていなかったものが見えてくるのですね。

 

さて次の座禅会ではどんな出会いがあるでしょう?

とても楽しみな心印でした。

 

心印 拝

 

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心印です。

 

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 

さて明日は久しぶりで、今年最初の「東京で夜一番遅い座禅会」を開催します。今から楽しみな反面、正月ぼけwの頭をリセットして、初めての方にちゃんと座禅を説明しなければならないと思っています。予約も3名入っているのでちゃんとご期待にそえるよう頑張ります。

 

さて法照さんが座禅とマラソンの話をブログに書かれているので、触発されてこのブログを書いています。

 

実は座禅とマラソンは似ているところがあります。座禅もマラソンもそれをやらない人から見ると、「なんと物好きな」()と言われるのですが、いったんやってみると、はまる人ははまるものなのですね。

 

また努力の仕方というか上達の方法も似ていて、マラソンでの筋肉の記憶は72時間でリセットされるそうです。つまり3日あけずに走っていると、どんどん楽に早く走れるようになるそうです。

 

ところが座禅はこの賞味期限が24時間だそうで、一晩寝るとリセットされてしまうらしい、そこで毎日座禅すれば、それだけレベルが上がっていくものなのですが、2、3日あけてしまうと元に戻ってしまうと。

 

座禅では摂心会という一週間、道場に泊まり込みで座禅をする期間が、今度は2月にありますが、この一週間は毎日半強制的に座禅をするので、毎日レベルが上がっていくことが自分でもわかるのです。

 

さて法照さんも書かれているとおり、座禅を始めて最初はハイペースで頑張ってしまって、後で息切れしてしまう方がいます。仕事が忙しくなったり、家族の反対にあったり、いろいろと原因は人それぞれなのですが、やり始めたら座禅は途中で辞めない方がいいです。

 

仕事や家庭だけで苦労するのに、そこにもう一つ座禅という苦労をしょいこむわけで、在家禅のこれは宿命なのですが、そこで継続する工夫のしどころでもあるのです。

 

継続の鍵はハイペースでなく、マイペースです。一生続けるのだから早いうちにマイペースを見つけて継続する工夫をすればいいと思います。歯磨きと同じように座禅することが毎日の習慣になればしめたものです。

 

昔は黙って10年座れと言われたそうで、10年くらい座れば、その良さもわかってくるだろうという話ですが、今の方にそう言うのは無理があるので、座禅後に老師の書かれた「座禅の効用」を読んだりして解説しています。

 

でも座禅の本当の良さは私もまだわかっていないかもしれませんが、言葉で話せるようなことではない、深いところにあると思います。だいたいが公案を用いて参禅(入室独参のこと)して見性(悟りのこと)することが、すでに言葉を越えた世界の話です。

 

「座禅の効用」は、禅の真髄、それは言葉を越えた世界にあるのです。

初関(最初の公案のこと)を透過された方は、実力をつけるべく次は火大級を目指して頑張ってほしいものですが、ハイペースよりマイペース、摂心会だけは参禅、頑張りましょうね。

 

金曜の夜は座禅後にこの辺りを説明していますので、夜遅い時間帯になりますが、是非ご参加ください。

 

心印 拝

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フルマラソンの思い出

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2016/1/7 23:59
法照です。
今年最初のブログになります。本年もよろしくお願いします。
昨年、Tさんが入会された話を書きましたが、そのTさん、最近金曜の静座会の後はなんと家までランニングで帰っています。
実は私も昔はランニングにハマっていたことがあって、Tさんとマラソンの話で盛り上がったりしています。
(今は膝を壊してしまったのでもっぱら水泳ですが)
で、今回はTさんと話をしていて思い出したエピソードです。
6年くらい前だったと思うのですが、つくばマラソンというマラソン大会に参加しました。
それまで、ハーフマラソンは数回走っていて練習でも30kmは走ったことがあったのですが、42.195kmは初挑戦でした。
つくばマラソンは参加者も1万人を越える大きな大会です。
スタート位置は、過去参加したフルマラソンのベストタイムを自己申告して、早い順に前から割り当てられるのですが、私は参加実績がないのでいちばん後ろの方からのスタートでした。
いちばん後ろの方だと、スタートのピストルが鳴っても、前の方の人から走り始めるので、後ろの方が走り始めるのは開始から10分以上もたった頃でした。
やっと走り始めて、2km地点を過ぎた頃、前の方を他の人と比べるとスローなペースで走っている、どう見ても70歳を越えているお爺さんがいました。
「なんでこんなペースの人が前の方を走ってるんだろう?若い頃の記録で自己申告したのかな?」と不思議に思いつつ抜きましたが、しばらくするとそんなことも忘れて黙々と走りました。
そして練習でも走っていた30kmを越えて未知の領域に入りましたが、足は多少疲れているものの「これなら完走できそうだな」と思っていました。
ところが、35kmを過ぎた辺りから足がかなり痛み始めました。
スタミナはまだ全然余裕だったのですが、とにかく足が痛い。一歩一歩が拷問のようで、「もう歩いちゃおうかな」と何度も思いましたが、とにかくゆっくりでもなんとか根性で走っていました。
そして、40km地点を過ぎた辺りで、ビックリすることが起きました。
なんと、スタート2km地点で追い抜いたあのお爺さんに追い抜かれました…
お爺さんはスタートから2km地点の時とまったく変わらないペースで走っていました。
70歳も越えてフルマラソンを走るのは大変だと思います。
きっと脚力を落とさないように毎日走っていらっしゃるのだと思います。
それだけコツコツと努力すれば、「ちょっとハーフマラソンが走れたのでフルマラソンにも参加してみました」くらいの中年男性くらいには負けずに走れるということです。
そして、最初は速くても後半バテてしまうより、一定のペースを地道に続けられる人がトータルでは強いのです。
衝撃でしたが、悔しいと言うより感動してしまいました。
そしていろいろ考えさせられました。
座禅でも、入会するとついハイペースで頑張ってしまって息切れしてしまう人がいると聞いています。
私は元々器用な方ではないので、とにかくこのお爺さんのように地道で着実に進んでいくことを今年の目標にしようと思います。
1月8日は今年最初の金曜静座会になります。
しばらくいらっしゃっていない方も、心機一転、リセットして参加してみてはいかがでしょうか?
そして、一緒に地道に続けてみませんか?
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