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擇木道場

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擇木ブログ - 20150720のエントリ

心印です。

擇木道場、いや人間禅では座禅の修行を行っているわけですが、人によりその境涯はさまざまです。長く修行している、あるいは年齢がいっているから必ずしも高い境涯というわけでもないので、新しく来られた方にはわからないと思います。

禅の境涯の高さは、もちろん社会での偉さとは全く関係がありません。六祖の慧能禅師(えのうぜんし)は、昔の中国での身分が低かったので、お寺に僧として入ることができず、寺男として下働きをしながら参禅されていたのです。

ですから会社の社長をやっているからと言って(あ、数名が特定できてしまうw)、人間禅ではまだ1、2年くらいの駆け出しの修行者だったりするわけです。

老師はもちろんのこと、庵号を持たれている方は、長い禅の修行で高い境涯を得られた方です。擇木道場で言えば、葆光庵老師(ほうこうあんろうし)、仰月庵老居士(ぎょうげつあんろうこじ=杉山呼龍さん)、道風庵老居士(どうふうあんろうこじ=林玄妙さん)、慧日庵老禅子(えにちあんろうぜんこ=笠倉玉渓さん)と言った面々で、修行歴は30年~40年くらいではないでしょうか?

こういう方が言われることは、境涯の低い私達が聞くと全く話が通じていないことがあります。話が通じるには同じ常識、同じ見識、同じ考えの前提のもとなのですが、高い境涯から出た言葉だと、こちらは自分のレベルで言葉を判断してしまい、言われた真意から遠く隔たった誤解をすることがあるのです。

だいたい禅の世界に世間一般の常識が通用するはずもないのに、修行の未熟な者は自分のレベルで一般常識を持ち込んで、道場のあれこれを判断してしまうと、修行の面では弊害が大きいのです。

道場のことでも運営など常識の範囲のことであればそれでもいいのですが、修行のやり方や方法など禅の法に関することになると、未熟な者が自分のレベルで判断するのは危険です。誤解した結果、修行が止まってしまいかねません。

この運営と禅の法の間は紙一重というところがあるので、新参の方にはここもよくわからないものがあるでしょう。

例えば座禅会で新しく来られた方を笑顔で迎える・・・ということなら、運営のことなので当たり前のように笑顔で迎えればいいのですが、摂心会や参禅会で老師に参禅する場合は、笑顔などとんでもないという話になります。

後者は一般常識に照らすと何故?と思われるかもしれませんが、禅の法が実践されている場においてはそうなのです。ですから摂心会や参禅会では新しい方への対応は、古参の方が対応することになっており、古参の方なら新しい方に対応しても、その境涯は揺らぎませんが、私たちのような未熟な者が対応してしまうと、三昧が途切れて参禅がおろそかになってしまい、禅の法に触れることになってしまうのです。

このように禅の法という面では非常に厳しいものがあり、世間の一般常識が通用しない世界があるのです。人間禅で数年修行すると、この運営と禅の法の差がだんだんわかってくるのですが、新参のうちは判断に迷ったら先達に聞きましょう。

禅道場においては世間の一般常識が通用しないケースがあるという話でした。

心印 拝

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