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擇木道場

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擇木ブログ - 20140629のエントリ

心印です。

土曜日は、龍泉支部長が市川の本部道場であった茶禅一味の参禅会へ参加されたので、私こと心印と、さいたま座禅会長の海香さんの二人で座禅会をやりました。

スタッフだけで役位が足りなかったので常連さんの日々○さんに聖持をお願いしました。どうもありがとうございます。

雨のせいか、新しい方は2名しか来られず、2列の座禅会となりましたが、その後の茶話会では禅の話で盛り上がったので、みなさん遅くまでいらっしゃいました。

初めての2名の方に人間禅の説明をしながら、人間禅は在家の禅の会であること、そして自殺者が年間3万人弱もいる病的な日本を救うため、本来は厳しく敷居の高い禅を、あえて敷居を下げて万人にもできるような形にして広めようとしていることを説明しました。

そして立教の主旨について読んで説明をしましたが、正しく、楽しく、仲良くとあります。平易な言葉で書いてありますが、これには深い意味があり、仲良くが一番難しいとのこと。

人間禅になる前に両忘会というのが前進でありましたが、そこでは禅は個人のもので、あまり仲良くという感じではなかったと聞いています。でも禅のような社会人にとって厳しい修行は、この仲良くがないと継続できないものだということで、人間禅を作られたときに耕雲庵老大師が項目に入れられたのだとか。

確かに人間禅に入会して3年ほどの私ですが、私の後に入会した方が何人もいるのに、道場に来なくなった方がたくさんいらっしゃいます。

病気で来れない方もいらっしゃるので、それは仕方がないとして、それ以外の方に共通することは仲良くする道場の道友がいなかったということです。

道場の方は皆さんどなたでも禅をやるならウエルカムですから、仲良くなれないのは、これは想像するしかありませんが、その方の我が邪魔をしているのかもしれません。

そしてその我で、なんらかの理由をつけて道場に来ないことを正当化してしまう罠に落ちているのかなと。特に見性して数ヶ月で修行をやめてしまうと我が増長しやすくて、これは意識して気をつけないとほとんどの人がそうなってしまいます。

あの白隠禅師のような偉大な先師ですら、初めて見性された時は「これだけの悟りを得たものは他にいないであろう」と慢心されたくらいですから、我々ふつーの人には何をかいわんやです。

道場に来なくても家で座禅をしていればいいのですが、それが我が増長してしまう座禅をしているなら逆効果となります。参禅をすればその我に気付く公案もあるので、公案修行を続ければ正しくないのはわかるのですが、一般のお寺の座禅会などは、公案をしないので、わからないのではないかと思います。

正しい座禅かどうかは、外見から見ただけではわかりませんから。でも自分の意見に固執している方はわかりますが・・・

この仲良くということは本当に難しく、でも仲良くなれた道友ができたら、それは禅を死ぬまでやっていこうねと言う一生の友達です。私も道場でいろいろな人に迷惑をかけたり、辛辣なメールを送ったり、今でもしてしまうのですが、それは私の我ですので、すみません、ごめんなさい。反省します。

お互いに完全な人間ではないので、禅を修行して人間形成をしようとしているということで許してください。

我を落とすということは本当に難しく、仲良くということが一番難しいのだというお話でした。

私は道場の方を心から尊敬していますし、一生の道友だと思っています。こういう関係は社会人として仕事をする中ではまずなくて、家族ですらないかもしれません。

こういう心から信じられる人がいる、あなたもその仲間になれるかもしれない擇木道場へおいでになりませんか?

心印 拝
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『奥宮慥斎と禅』余滴(2) 

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/6/29 22:18
                                                                                                  杉山呼龍

筆者は昨年12月に『奥宮慥斎(おくのみやぞうさい)と禅』という研究書を出版した。奥宮慥斎は明治8年に今北洪川禅師を盟主として両忘会を興した人である(ブログ『奥宮慥斎と禅』余滴(1)〔2014,5,7〕参照)。
 
慥斎のご子孫は未だ健在である。慥斎から数えて五代目に当たる。当代奥宮家ご当主は湘南の茅ヶ崎に住んでおられる。
 
先日、筆者は奥宮家のご招待にあずかり、歓談に時を忘れた。ご当主は、東大工学部で博士号を取得され、某民間研究所にお勤めされ、セラミックスの研究をされた。定年後の現在でも大阪大学大学院の客員教授をされている。
 
因みに現在のご当主のお名前は奥宮(おくみや)と読む。奥宮慥斎の場合は(おくのみやぞうさい)。どうしてこうなったのかを以前ご当主に伺ったことがある。それは論文の注にも書き入れてある。
 
簡単にいうと、慥斎の出身地の高知では(おくのみや)と皆が読んでくれたが、一家が東京に移り住んでからは、誰もそう読んでくれなくなったからなのだ。いちいち訂正するのも面倒だから、いっそのこと(おくみや)にしてしまおうと考えたに違いない。

ご当主も奥宮(おくみや)と名乗っており、慥斎の子供からそうなったのだろうと言っておられた。
 
奥宮家には、慥斎の弟、暁峰(ぎょうほう)の扁額と、西郷隆盛の七言絶句を書いた書き付けがあった。

奥宮暁峰(1819-1893)は書家であり、両忘会にも参加し、禅の修行もしたと考えられる。
 
慥斎は西郷隆盛と親しく、明治維新前、西郷が高知に来て会った時に意気投合したらしい。以前、慥斎の弟子が、西郷先生に就職を斡旋してくれないかと慥斎に頼んでいる文章を見たことがある。
 
つまり、西郷と慥斎の関係は、若者の就職を世話するような親しい関係にあったのだ。この西郷の七絶には、それに和した慥斎の七言絶句が付され、また、慥斎の長男奥宮正治(おくみやまさはる)の解説(漢文)もある。早速写真を写させて頂いた。それらを解明するのはこれからの楽しみである。
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心印です。

今週は市川の本部道場で茶禅一味参禅会が行われていて、他のスタッフがそちらに回ったので、擇木道場では、心印、紫芳さん、又○さんで開催しました。

紫芳さんは「こういうこともあろうかと」、以前から鳴らしものの数を覚えていたそうで、直日初デビューです。
でも間違いなくされていたので素晴らしい、とても初めてとは思えませんでした。そう言えば私が直日デビューしたのは、土曜早朝でスタッフが私しかいないという状況でした。その時たまたま東京に来られて泊まっていらした関西支部長の智常さんが、聖持をやって頂きましたので心強かったですね。

又○さんは近いうちに入会されるとのことでいいのですが、今週はスタッフが足りず夢門さんや、日々○さんなど常連の方にのきなみ聖持をお願いすることになってしまいました。

どうも助かりました、ありがとうございます。

いつもは賑やかな座禅後の懇親会もこじんまりという感じで全員で話ができる人数というのも、これはこれでいいですね。

いつもは自己紹介して飲んでるだけで終わってしまうのですが、今週からは「禅入門」の本を読んで勉強することにしました。私も来るのがギリギリなので事前にコピーを回すことはできませんが、前で禅入門を読むだけでも勉強になるはずなので、10分くらいでいいかと思ってやりましたが、いろいろ質問が出たりして結局1時間くらい飲みながら禅の勉強をしていた感じでした。

新しい方は6名も見えられたのですが、2名?くらいしか残られませんでしたが、懇親会とは言いながら、こうして禅の勉強もするので。次回は是非出ていただければと思います。

禅入門は一般の書店でも買えますし、道場にも少数在庫はあるので一冊千円でお買い求めになれます。書かれたのは芳賀幸四郎先生ですが、大学の教授であると同時に人間禅の師家で、如々庵芳賀洞然老師(にょにょあん はがとうねん ろうし)というお名前でした。

師家の立場から数息観や禅の修行について、人間禅のこと、禅の歴史や意義などを、文庫本のページ数によくまとめられたわかりやすい本ですから、人間禅の修行をされる方はもちろん、数息観で座ることが中心の方も読むことをお勧めします。

そう言えば禅を始めて数ヶ月くらいの頃にも「禅入門」を読もうとしたのですが、その時は資料はコピーして配布しなければならないものだと思い込んでいたので、それが継続できずに挫折しました。

今はコピーしなくてもちゃんと読めばいいじゃないかと思っています。
この変化はなんだと思いますか?

これは禅の修行で得たものだと考えています。凝り固まった固定的な考え方を離れることができ、ある問題に対して(ここではコピーする時間がない)、他の解決策を、短時間で、間違いない方向へ出せるのです。もちろん仕事にも人間関係にもこの禅の手法が応用できます。

問題を真正面からぶつかると大きな分厚い壁のように見えることが、ちょっと斜めから見る視点を与えることができる・・・これが禅の効用の一つのような気がします。

心印 拝


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