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擇木道場

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擇木ブログ - 20140627のエントリ

玉溪です。
今、本部道場で「茶禅一味参禅会」が行われています。

本部道場の山は今碧が豊かで素晴らしい景色です。
それぞれの流派の茶席が一同に会し、参加されている方は違いを楽しんだり学んだりと、茶道と禅が融合した会を味わっておられます。
そもそも茶道は利休が禅の修行をされ、その深遠を表現しているところがありますので、茶道をされる方は禅をなさって利休の真意に近づかれてはいかがでしょうか。
ぜひこの機会に「茶と禅」の深みをご経験ご堪能下さい。

ところで・・・
明日2時半~の茶席は前代未聞です!!

NHKのドキュメンタリーを担当され、ご自身もたくさんの映像を発信しておられ、海外の受賞歴も豊富な南幸男氏の「瞑想する映像」が茶席の掛け軸のかわりに流されます。
ありえない試みですが・・・
そもそも茶席の床の間にかかっている墨蹟は禅僧の書が基本で、易しい言葉であってもその主旨は禅の悟りからでているもので、とても表面の言葉では真意はわからないものになっています。

それは言葉を超えた真理から、逆に言葉を使って表現されたもの。
だから言葉を見てもわからないものなんです。

南さんの映像は無音で、景色が瞑想のように流れていきます。それはいつしか景色であって景色でないことに気づかされます。ああ。これが普遍のあらわれなのだ、色と空の関係なのだ、と。

ということは墨蹟と同じことなんです。


それと、その後4時半~
釋宗演書「喫茶去」の書を皆さんに見ていただけます。おそらくまだ若い頃の書と思われますが、素晴らしいです。どうだ!!茶を飲んでみよ!!とばかりの勢いと確信に満ちた書です。

宗演禅師は、夏目漱石が参禅した円覚寺の老師です。
人間禅のルーツである両忘会を山岡鉄舟 らの要請で作られた釋宗活老師(平塚らいてうが参禅していた方)の師匠で、鈴木大拙に大拙の名を授けた方、世界に「ZEN」を広めた方、その方の書かれた書の解説と鑑賞の仕方、などを解説します。

また人間禅の禅堂には全国どこにも宗演老師が書かれた「直心道場」の額がかかっています。晩年の老師が択木道場に両忘庵宗活老師をお尋ねにいらっしゃったとき書かれたもので、その本物がかかっています。
こちらもご覧いただけます。

日曜日の午後は人間禅総裁老師の「茶禅一味」の法話もございます。

ぜひお越しいただけますよう・・・









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心印です。

注:これは私がちゃんとした大人だと言っているわけではありませんよ、そんな滅相もない(笑)とりあえず自分のことは棚上げしないと、こんなブログは書けないのです。

―――― お主は誰じゃ? そこで何をしておるのじゃ? ――――

禅の公案や本には、こんな話が手を変え、品を変え、たくさん出てきます。

例えば、そこにいるお前さんは誰じゃ? どこから来たのじゃ? そやつはどんな顔をしておるかの? そこで何をしているのじゃ? 何が息をしているのじゃ? 私と話をしているのはいったい誰じゃ? わざわざ訪ねてきたのは誰じゃ? 今ここにちゃんとおるのか? 等々、あげだしたらきりがありません(いくつわかったかな?)。

そこで、名前は何某で、どこで生まれ育って、小さい時はどんな子供で、今はどこに住んでいて、仕事は何をしているか、などと言い出したらそれは単なる自己紹介(笑)

もちろん禅の公案はそんな答えを期待しているのではありません。

東京に単身赴任してSEをしながら禅をしていて道号は心印、そういう言葉で説明しても、それは私そのものではなくて、そこに言葉の限界があり、知識や理性、哲学や心理学では捉えられない、割り切れない何かを表現することはできないのです。

しかし禅ではそのものずばり、飾らない本当の自分、言葉や理論で割り切れない自己を発見することができるのですが、それは長い長い自分探しの旅でもあります。

この自分がわかっていないと、ちゃんとした大人とは言えないとするとどうでしょうか?

昨日のブログで我見から苦しみが起こり、我と我がぶつかりあうと人間関係がうまくいかなくなると言う話を書きましたが、我が自分だと勘違いしている限り、他人との関係だけでなく、自分との関係もうまくいかないのです。

それは自分を見失って生きている状態、そんな人間が大人だと言えるでしょうか?

禅はこれにもちゃんと答えを用意しています。

何か自分がもやもやしていて、何とかしたいと思ったら擇木道場へおいでください。一緒に座禅をしてみませんか?

心印 拝
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