メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2013 11月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

検索
カテゴリ一覧

擇木ブログ - 20140626のエントリ

第2回さいたま座禅会「参禅会」

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/6/26 12:26
6月25日、午前中はゲリラ豪雨の埼玉県も夕方は止んでの「参禅会」でした。
参加は、10名
普段の座禅会では7時から2回坐って、8時20分ごろからは
茶話会ですが、今日はほとんど休みなく、2回の座禅と
2回の参禅で9時半の会場閉館めいっぱいまでの「座禅三昧」です。

県内の武道の先生も、さいたま市内の熱心な方も、都内から
はるばるやってきてくださった方も、みなさま2回の座禅と
2回の老師への面談や参禅をパスする人が一人もなく、
ピーンと張りつめた良い雰囲気の堂内でした。

この座禅会は水曜日に実施していますが、水曜は「早帰りデー」
という会社も多いので企画してみました。
ただ、今月のように月末の25日となると、勤務先が忙しい場合
ちょっと参加も難しいこともありますね。
そのあたりが参加人数に影響したのかもしれません。
いずれ参加しやすい土日で、宿泊できる場所で開催すれば、
参加もしやすくなるのかもしれません。
今後、要検討です。

話は変わりますが、
この座禅会は、より良き人格形成と世の中が
「正しく、楽しく、仲良く」なるように、との願いのもとにあります。
信教は問わない社会人による社会人のための座禅会です。

いまこうして座禅会に来てくださる方、まだまみえぬ方、
少し遠くに行ってしまった方も
みな、この「願い」のもとにつながっているのではないでしょうか?

一回の座禅がその願いに一歩近づくと信じ、私はこの座禅会とともにいます。


                                 海香拝






  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (357)
心印です。

禅の本がたくさん本屋さんに並んでいて、そこそこ売れているようです。擇木道場でも本や雑誌で読んで、座禅をやってみようと思ったという方がチラホラいらっしゃいます。

しかし、本に書いてあることは禅の知識であって、禅そのものではないのです。

禅僧が書いたの本ならまだしも、ちょっと座禅を体験した程度の人でも、本を出せるくらい文章が上手なので、読めば何となく納得して、それで禅がわかったような気になります。
 

でもそれは全く役に立ちません。

その手の本には「気にしなければ」「捉われなければ」「執着を離れれば」、気持ちが楽になりますよ、生き方が楽になりますよと書いてあるので、読んだ直後は平穏に生きられるような気がします。
 

しかし・・・次の瞬間、仕事で重大な問題が発生したら? 家族が大変な事件を起こしたら? あるいは、事故にあったら?(実はこの前、バイクで事故りました・・・)。

 
いったん事が起これば人間の理性など一瞬で吹き飛んでしまうのです。迷いや抑えきれない感情の爆発、怒りや妬み、貪り、そういった愛憎劇の真っただ中で、本で読んだ程度の知識で気にしないとか、捉われないとか、そんなことは絵空事にしか聞こえない・・・
 

だいたい人間の感情は言葉でうまく表せないもので、どれくらい愛してる?と聞かれて、こ~んなにと向こうの方まで走って行ったドラマがありましたが(年齢ばれます、相当古い、汗)、愛憎という言葉の通り、愛情はすぐ憎しみに変わるものです。

それらは全て自分の中に原因があり、さらに言うとその感情は我というものが引き起こします。そのやっかいな我というものが苦しみの根源です。

人間関係もこの我が出ると邪魔をして、うまくいかなくなります。相手は自分の鏡です。自分が我を立てると、相手も我を立てます。お互いに我のぶつかりあいから怒りの感情が起こってギクシャクしてしまいます。

上司とそりが合わないとか、部下がうまく使えない、家族ともうまくやれないとなると、それは全て自分の我見が作り出している架空の人間関係です。

架空ですから固定的ではないので禅で自分の我見が変われば、相手の我も変わって人間関係が良くなるのです。

禅は公案修行によって我に気付かせることによって、それがきっかけで我見を離れて自分が自然と変わっていくようになるのです。

ただ数息観だけでは、なかなか我まではなんともならず、なかには我が増長しているのでは?と思う方もいらっしゃいますので、やはりここまでやろうとすると正しい師についての公案修行が必要になると思います。

我というやっかいなものはなかなか無くせませんが、無我の境地とか言う言葉がある通り、我を殺しつくすことができれば人生も変わることでしょう。

この話でなにかを感じたら座禅をしに擇木道場へおいでになりませんか?
私で良ければ相談にのります。

心印 拝

 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (639)
最新のブログ記事