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擇木道場

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擇木ブログ - 20140621のエントリ

数息観-マイプラクティス

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/6/21 22:35
龍吟です。
 
紫芳さんのブログ「ほんとうの息をつかまえる」というのに感化されて、ちょっと数息観について書きたいなと思います。といっても修行のできていない私のいうことですので、大目に見てください。
 
紫芳さんのいう、まず自分の息を眺めて、それを正直に受け止め、そして、そっと息を重ねる。そして身体からでてくるほんとうの息をつかまえる。
 
これって、本当にそうだなって思いました。
 

主が呼吸で、数を数えるのは、その補助作業っていうんでしょうか。だから、そっと息を重ねるわけなんですね。
 
どうしても、「数息観」というから、「雑念を挟まずに間違えなく数えること」ということのように思ってしがいがちです。
 
ただ、私なりに理解すると、「息を観る」のが主で、それを、「数える」というツールを使って「息を観る」ことをやりやすくしているだけの話なのかなって思っています。
 
そう思うと、数息観って、すごい発明だとつくづく思います。
 
だって「数える」なんていうことは、いかにも感情の入らない作業にも関わらず、自然な継続性を伴う行為なので、ツールにぴったりなんですね。これが「あいうえお」や「いろはに」ってやっていくと「次なんだっけ」ってツールのくせに、それが原因で頭を使うことになる。昔の人はよく考えたものだと思います。
 

あと、私の工夫としては、どこでその数を「数える」かなんですが、できるだけ、お腹で数えることにしています。お腹がふくらんだり、へっこんだりするその状態を感じながら、そこに数を重ねていくって感じです。
 
これも、ふくらんでいくのが例えば、2秒かかるとして、その2秒間ずっと、「いー」と重ねて、へっこんでいく2秒間ずっと「ちぃー」と重ねるのではないんです。それをしてしまうと、「息と数えることを一致させなければならない」という強迫観念がでてきてしまうし、機械的な作業になってしまう。
 
それで私の場合は、息を観るのが主なので、タイミングをはずして最初の1秒は数えずにただふくらむことを感じながら、残りの1秒に「いー」といいといって、へっこみ出した最初の1秒は数えずに、残りの1秒で「ちぃー」っと重ねるようなことをやっています。息と数えることの強迫観念をなくす工夫ですね。紫芳さんのいうように、これも「そっと」やる感じですね。
 
このあたりは個人差があるのかもしれません。そしてだんだん、数を重ねるのも邪魔になっていく感じがするので、意識が頭から、呼吸自体へと同化するようにしていく、そんな感じです。そのまま、何も手をくわえず、自然にまかせていく感じ。
 
で、私の課題は、その状態がそんなに継続しないことです。10終わって、また1から数えようとする瞬間に切れることがある。切れずにつづくときの体験を大切にしながら、継続させるためのプラクティスを重ねているっていう感じです。
 
それで、いろいろと、姿勢を変えたりして、どのポジションが一番、長続きするかを確認しているところです。道のりは長いと思いますが、楽しみながら工夫することで、短期間でも、どんどん改善していくような気がしています。
 
こうした座禅におけるハウツーは、道場にいらっしゃれば、スタッフからいろいろと聞けると思います。道場にいらした際は、どんどん座禅の質問してくださいね。
 
 
龍吟 拝
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心印です。

最近は女性の進出があちらこちらで進んでいますが、金曜夜の座禅会も女性が多かったのですが、
昨日はなんということでしょう~(ビフォアーアフターではありませんが)、久しぶりに男性ばかりの硬派な座禅会でした。

常連さんも何名か来られており、一安心したのですが、今度は女性達はどうされたのでしょうか???

基本、座禅は家で毎日するものですし、一週間に一度くらいは道場へ来てみんなと座れば集中度というかクオリティは全然違うものですよ。

解決したい問題が無く、私は人生も充実していて、このままでいいのと言う方には座禅は必要ありませんが、ほとんどの人はそうではないと考えています。

リア充という言葉は勘違いしているだけだと言えば言い過ぎでしょうか?

ネットに楽しんでいる写真を投稿したり、仕事がとてもうまく行っていると書き込んでいる方にも聞いてみたいのは、自分自身をどこかに忘れてきてはいませんか?

かって私自身が仕事がうまく行っている時があったので、そう思うのですが、今から思い出せば仕事が忙しくて自分を振り返る余裕がなかっただけでした。

忙しい人ほど座らなければならないのです。そういう方は時間ができたら座禅に行こうと考えていますが、それは間違いです。

仕事を変えない限り、暇なんてできるはずがありませんし、今の現状は変わりませんから、工夫して道場に来る時間を作るしかないのです。

時間がない方は土日早起きして、土日の朝の座禅会に参加している方がいます。
まためちゃくちゃ多忙なある社長さんは、普段の座禅会は来ないのですが、参禅となると、その時間を狙って道場へ来られて、参禅が終わればまた仕事に戻って行かれます。老いた親の介護で大変な思いをされている方は金曜の夜だけの座禅に来られていましたが、親が寝ているときだけ来られると言うことでしょう。

本当に仕事で忙殺されていて、これ以上やると限界越えて倒れるしかないというのであれば仕方ないですが、そうでないのであれば、道場へ来て座りませんか?

座禅は時間ができたら、暇になったら、するようなものではなく、生活のベースになるものです。毎日、ご飯を食べて、寝るように、それと同じレベルで座禅をするものです。

老師が書かれた文章に、座禅した三昧の賞味期限は24時間と書かれています。24時間座禅を切らすと、せっかく座禅した上がったレベルがまた下がってそうです。

座禅したり、しなかったり、そういうことでは確かに人生の問題は解決しないことでしょう。

人生の問題と言うと大げさかもしれませんが、あなたには何か解決したい、もやもやした、ものがありませんか? このままでいいと思っていますか?

何かを感じたら、擇木道場へ座禅しにおいでください。
そこに答えがあるはずです。

心印 拝
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