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擇木道場

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擇木ブログ - 20140616のエントリ

芭蕉と禅

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/6/16 19:35
                        杉山呼龍

火曜座禅会では『禅入門』(たちばな出版、芳賀幸四郎、平成7年)を読んでいる。俳句と禅に関して先日お話したことを改めて纏めておきたい。『禅入門』の初版は、昭和38年であり、芭蕉研究はその後進展している。


芭蕉と禅の関係が知られているのは

古池やかわず飛び込む水の音

というよく知られた一句によってである。

『芭蕉翁古池真伝』(小築庵春湖輯,慶応四年)には芭蕉の句「古池や・・・」についてのいきさつが書かれている。即ち

仏頂和尚が、従者であろうと思われる六祖五兵衛を連れて深川の芭蕉庵を訪れた。先に五兵衛が行って芭蕉に問うた。

「如何なるか是れ閑庭草木(かんていそうもく)中の仏法」

芭蕉は「葉々大底は大、小底は小」と答えた。

次ぎに仏頂和尚が「近日何の所有ぞ」と問うた。
(本来、禅は「本来無一物」と言うように、自己に所有するものなぞないはずだから、この問いは相手の境涯を量る意図があると見られるか?)


芭蕉は「雨過て青苔を洗う」と答えた。仏頂は更に

如何なるか、「青苔生ぜざる前、春雨来たらざる前、仏法有りや」
(これは父母未生以前とは何か、と同じ意味ではないか?)

と問うたところ、丁度池に蛙が飛び込んで「ぽちゃーん」という音がした。

その時芭蕉は「蛙飛込む水の音」と答えたという。

その後、芭蕉は弟子に上五(はじめの五文字)をどう付けたらよいかと聞き、肯うものがなかったので自分から「古池や」と付けて、一句とした。


この話はしっかりした史料の裏付けがあってのことではない。だが、芭蕉が見性したときまたは、その後の話としてはなかなか面白い。


しかし、芭蕉と禅の関係はこの程度のものであろうか。実はそうではないのだ。

筆者は以前から疑問に思っていたことがあった。

それは、芭蕉44歳の時の紀行文「笈の小文」の中に

「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における其貫道する物は一なり」

と書かれていることである。この昂然と言い放ったこの一言は、日本文化の本質をついていて、しかも、限りなく自信に満ちている。あたかも芭蕉最晩年の発言のようだ。


今まで、このような極めて高邁な発言を、一体誰がなし得たであろうか。何故芭蕉がこのようなことを云えたのか、ずーっと疑問であった(これが書かれたのは芭蕉47歳のとき)。それが、最近わかった。


結論を先に云ってしまうと、芭蕉は、僧として仏頂河南禅師について修行し、44歳の時
​ ​
嗣法(師の法を嗣ぐこと)の印可を受けていたのだった。このことは、にわかには信じがたく、今なお一般的な認識に至っていない。


このことは高橋庄次著『芭蕉伝記新考』(春秋社、2002年)に詳しく書かれている。

筆者も調べてみたが、芭蕉は、東嶺円慈(白隠の弟子)の作った嗣法系図(『三国相承宗分統譜』)にはっきり仏頂の嗣法者として書かれている。仏頂河南の次が「風羅芭蕉」となっている(同書245頁)。


高橋氏は、芭蕉を「松尾芭蕉」と呼ぶのは間違いだと云っている。出家者であれば「風羅坊芭蕉」と呼ぶのが正しい。

芭蕉が深く禅を修行していたことは、当時の弟子はよく知っていた。例えば、弟子の其角(きかく)は「芭蕉翁終焉記」の中で、芭蕉のことを「根本寺仏頂和尚に嗣法して、ひとり開禅の法師といはれ」と書いている(同書123頁)。


​つまり
、芭蕉が「其貫道する物は一なり」と書いた「笈の小文」の旅は、芭蕉が嗣法した直後のものであったのだ。書かれたのはその3年後である。


先に示した「笈の小文」の高揚感のある文章の一因は、俳諧の道を進もうとする厳しい決意のほかに、芭蕉が仏頂和尚に嗣法していたという事実があったことである。このことは限りなく重大なことである​と思う。


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心印です。 
 
禅の本がたくさん本屋さんに並んでいて、そこそこ売れているようです。擇木道場でも本や雑誌で読んで、座禅をやってみようと思ったという方がチラホラいらっしゃいます。
 
しかし、本には禅の知識は書いてありますが、それを読んでも禅はわからないという話です。
 
禅の本には昔の祖師方(禅の巨匠達)の話が公案の形でたくさん出てきます。例えば有名な公案に「犬にも仏性があるのでしょうか?」と聞かれた趙州和尚(じょうしゅうおしょう)、ある僧には「無」と、ある僧には「有」と答えたという話があります。
 
これなどいくら説明を受けても、本で読んでもわかりません。字面だけ見て「犬には仏性は無いんだ・・・ふーん、でも有とも言ってるしな?」などと思ったら、それは禅から遠く離れてしまうのです。
 
これがわかるにはやはり道場で座禅するしかないのです。いくら家でこの公案を考えてもわかりませんし、考えるという行為が既に禅ではないでしょう。
 
でも、損得勘定で動く現代人は、これがわかったら何の得があるのですか?と聞くでしょうが、「有る得は無い」と言うか、「無の得が有る」と言うか?
 
どちらの言葉も同じことを禅的に言っているのですが、さてどちらの言葉があなたの心の琴線に触れるでしょうか?
 
禅に何かを感じたら、擇木道場へおいでください。
座禅に親しむことでこれが何かわかるようになる・・・かもしれません(笑)
 
心印 拝
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「6月14日、女性部静坐会」

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/6/16 9:35

土曜の朝、女性部静坐会と銘打っての座禅会、 2013年6月15日に
スタートしたので 丁度 1年廻って 今日が40回目です。

月末の禅セミナーや 当支部の摂心会・諸行事で抜けた日もありました。
 
この間、多くの方が道場を訪れて下さり 座禅後の抹茶の お相伴を
して下さいましたこと、 心から お礼を申し上げます。

リピーターとして来て下さる方も出来ました。

今日は、昨年末以来 足の途絶えていた方が見え、広島からの男性も
いらして嬉しい坐り と なりました。

大雨の後の快晴で、窓を開け放っていたので、電車の音、子供の声、
隣の大工さんの金槌の音………とても賑やかでした。

新到の方には うるさくて申し訳ないと思いながら この物音の中に
どっぷり漬かって 音に包まれて坐っている 不思議な感じを
味わいました。

座禅後、総裁から頂戴したお菓子で 抹茶を頂き乍ら 有楽流茶道の
こと、 人間禅の歴史のこと、 翠松さんが話して下さいました。


毎週土曜日、朝 9:30
女性部静坐会は これからも ずーっと続きます。

皆さま 是非 いらして下さい。

                    秋香

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