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擇木道場

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擇木ブログ - 20140602のエントリ

「石の裏には…」

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/6/2 17:27
紫芳です。
昨年秋に初関を透過した初心の者です。

初関を透過した後の修行(悟後の修行)の重要さ、「我を落とす修行」の重要さについて、心印居士が書かれています。
まさに身につまされる内容でしたので、この「我を落とす修行」について、続けて、書かせてください。

「我を落とす修行」は、例えるならば、頑固に泥のこびりついた石を、一心に洗い、磨いていく作業です。

泥の汚れはひどく頑固に固まっていて、それこそ、いままで生きてきた年数と同じだけの時間をかけて固着していて、ちょっとやそっと磨いても容易には取れない。

それでもあきらめず磨く。一心に泥をこそげ落としていく。
毎日坐って、坐って、坐って…
公案を工夫して、工夫して、工夫して…

そうして何とか、ほんのわずかでも、石の表面がキラリと見えてくる。
「ああ、これだ!」と思う。
泥が取れた部分はとても小さいのだけれど、その達成感はとても大きくて、心の底から清々しい思いで満たされる。
まるで、「我」をほとんど消し去れたかのような、晴れ晴れとした気持ちになる。

けれど、それはほんの束の間。

何かの拍子に、石はゴロンと転がって、その裏側がベロンとあらわになる。
そこには、これまで気付きもしなかった分厚い泥が、ごっそり、こびりついている。
「ああ!!」と思う。自分の「我」のいかに大きいか、いかに堅固かを思い知らされる。

そこでまた磨きにかかる。
毎日坐って、坐って、坐って、…
公案を工夫して、工夫して、工夫して、…。
けれどもまた、何かの拍子に石の裏側がベロンと見える。
「ああ!!」と思う。自分の我欲の深さにほとほと呆れつつ、また磨きにかかる…

磨き続けないと駄目なんです。
透過すれば次の公案、透過すればまた次の公案、と、磨き続けていかなければ駄目なんです。
特に、初関を透過したばかり、磨いたばかりの石の表面には、すぐに泥が付きはじめます。
初関を透過して修行をやめてしまうことは、
磨いばかりの表面が早くも泥で覆われ始めているのに、
石の裏側にはまだ自分の知りもしない分厚い泥がごっそりとついているのに、

「自分の石は裏も表も全てピカピカ、完全に磨き尽くした!自分は玉を手に入れた!!」

と勘違いしてしまうようなものなのです。
心印居士が繰り返し書かれているように、このような人間が、禅の見地からみていかに問題があるかは明らかです。


公案を透過しても決して慢心しない。
慢心などする暇もなく、すぐに自ら石をひっくり返し、落とすべき次の泥を見つける。
謙虚に、謙虚に、修行に打ち込む。
これを強く自戒としなければと思います。

このたび初関を透過された方々、おめでとうございます。
せっかく磨いた石に泥のつく間を与えず、初関に向き合ったときの真摯さでもって、次の公案に取り組んでほしいと強く願います。

★6月4日はさいたま座禅会があります。浦和近辺のお友達もお誘いして、ぜひ、道場へおいでください★

紫芳拝



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座禅道場というと、みなさんどんなイメージをお持ちですか?
神棚みたいなものがあって、荘厳な雰囲気で、お寺のように
山門やら庭や木々があると、すっかりその気になりますが・・・・。
 
さいたま座禅会は、なんと市民会館の一室です。見事に殺風景です。
扉をあけるまで、ホントにここで座禅をやるの?と思ってしまいます。
 
ただ、この12畳ほどの和室。・・・静かなんです。
(参禅会の時は、隣りの36畳も使います)
 
日暮里や矢切の道場より街中でありながら、電車の音も車の音も
聞こえません。
 
まるで深山幽谷・・・・は大げさですが、数息観が深まります。
 
あまりの静けさに眠気すら飛んでしまいます。(やっぱり大げさだな。)
 
荘厳な雰囲気の中の座禅もいいのですが、坐るところが「道場」。
 
そのように、すっと気持ちが入っていける方こそ、立派な方だと
思います。
 
そうです、浦和の「さいたま座禅会」にお越しになる方は立派な人
ばかり。
 
今月も4日、11日、18日と毎週水曜に座禅会をやって、25日が参禅会
です。
 
今月からは30分を2回坐って、坐り方のポイントや注意点などを点検
して行きたいと思います。

みなさんとお会いできるのを楽しみにしています。 海香(カイコウ)拝
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心印です。

金曜の夜、「東京で夜一番遅い座禅会&一泊座禅会」を開催しました。

スタッフが霊亀さんが西東京支部の摂心会、先生の玉道さんが遠足の準備、魁星さんが結婚式の準備(おめでとう!!)と、大幅に欠席する中、龍泉支部長と紹滴さんに来て頂き、とても助かりました。

先週の禅フロンティアで初めて参禅されて初関(最初の公案のこと)を授かった女性が2回目に参加されました。せっかく初関を授かりながら、通常の座禅会に参加されない方が多いのは残念なことですし、それでは公案は透過できませんが、この女性は偉いです。

本来、擇木道場では初めて来られた方は参禅させないのですが、この女性は参禅の意味がわかって来られ、参禅に○をつけていらっしゃったので特別に参禅を許可してもらいました。

ちゃんと2回目も来られるとはその判断は正しかったと手前味噌ですが思います。今後もご精進され、公案を透過されるようお祈りします。

それから熱心に参禅されていたお二人が相前後して初関を透過されました。特にお一人は4月から参禅されましたから、2か月かかっていません!! 

遅いから劣るとか、早いから偉いということではないのですが、間違いなく熱心に座禅をされ、公案に参禅された結果であるのは間違いないところです。

さて初関を透過したら、次は入会されるかです。公案を続けるには絶対に人間禅に入会することが必要です。

せっかく初関を透過されながら、次の公案に進むことをやめてしまった方が数名いらっしゃいます。これは入会されなかったからなのです。でも、これでは我の強い偏った人間を世に送り出すことになってしまうのです。

我を落とすべき座禅ですが、初関を透過したくらいのレベルでは、三昧が身についていませんから、かえって普段の我が強くなっている方がいます。初関を透過されて自分がはっきりつかめたのですから、自分に自信ができますし、それが人と衝突するくらいの我になったりするのです。

是非、公案を透過されたなら、速やかに入会され公案の修行を続けられることが必要でしょう。

それでもなかなか身につかない三昧と、しつこい我なのです。座禅は三昧を身につけて、我を落としていく一生続けられる修行なのです。

こう偉そうに書いている私が一番強い我になっているのかもしれませんね。老師や道場の先達の方達にきっとまだ座禅を始めたばかりだからと許してもらって、人間的に成長することを待っていただいているような気がします。

最近の若い人は気配りがないと言われます。こう言い出したら老化の始まりとも言いますが(笑)座禅をしに道場へ通うと、仕事や会社、家族とは違う人間関係もあり、公案の修行と合わせて、少しは気配りもできる人間になれるのだと思います。

以前、私ではないですが座禅中、一階で大きな声を出して話をしている方がいて「上は座禅中だ、そういう態度は真剣に座ってない証拠だよ」と言われていました。自分の反省にもしたいと思います。

心印 拝

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