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擇木道場

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擇木ブログ - 20140108のエントリ

海香です。

座禅に来る方は、気づかれるかもしれません。
坐禅堂の二階に上がる階段の窓に一輪挿しがあって草花が一輪あることを。
名のある花ではありません。ただ、人知れず咲いた花がそこにあるのです。

私はこれはこの道場で坐っている人に思えるのです。
習い事のように、誰かに認められるとか褒められるとかは座禅にはありません。
自己を忘れる、自己のエゴから離れられる、というのはあるかもしれませんが、
まぁ、即効性があるわけでもない。ただ、黙々と黙々と座る。

「潜行蜜用は愚の如く魯の如し」という言葉も市川の本部道場の玄関にあった
ように思いますが、ただ人に知られず愚(おろかもの)のように魯(でくのぼう)のように
黙々と座っている人が活けた花なのです。

道場ではお花やお茶、俳句、それに剣道などのクラブもあります。みな「道」という
それらを行じて人間形成の修行をなさっておられるようです。
(私はなまけものですからどれにもまだ入っていませんが。)

なにげなくそこにあるものに感動がある、この道場に、是非坐りにおいでください。
そして、座禅はもちろん、こうしたクラブに入られるのも楽しいのではないか、と
思います。





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座禅は、自分探しの旅

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2014/1/8 7:10
心印です。

昨年、来られた女性の方が、座禅の仕方を教えた時に、人間の心理状態は姿勢に大きな影響を受ける、背中を丸めると落ち込んだり、眠くなるが、背中をピシッと伸ばすと気持ちがシャンとする、その状態でクヨクヨしてみろと言われてもできないのですと言ったことに、その通りだと思ったと言われていました。

でも、これは私が言ったことではなく、慧日庵老禅子の言です。

以前、道場へ雑誌の取材で芸能人の方が来られたのですが、その時にそう説明していました。

それから「座禅をしても何も得るものはありません」とも言われていました。

昨日のブログの無功徳の功徳に通じるものがあるのですが、座禅をして何かを得ようと思っても、何も得られません、座禅は捨てることばかりなのですと。

生まれてこの方、身につけてきたいろんな知識や常識、世渡りの術、価値観や人から得た評価、肩や背中に背負った責任など、そういうものにがんじがらめになって身動きができない。

座禅はそういう余計なものを一つ一つ捨てていく作業なのですと。そしてやがて、残ったものが本当の自分、でもちっぽけな自我なんてものではない、今ここに生きている自分の命がそこにあることに気づくのだと。

言葉は全部思い出せませんが、そういう意味のことを言われて説明されていたのです。

私に限らず、社会人で仕事や家庭を持ちながら生きている人は、全てを捨てて出家するわけにもいかず、捨てると言っても心のこだわりを捨てるに留まりますが、それでも座禅を始める前に比べるとずいぶん
肩の荷が軽くなったような気はします。

でも、独身で若ければ、もしかしたら永平寺など専門僧堂に出家して飛び込んでいたかもしれませんね(笑)

あなたも座禅して心の中からこだわりを取り除いてみませんか?

心印 拝

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