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擇木道場

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擇木ブログ - 20131112のエントリ

信と禅 (2)  春潭

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2013/11/12 22:13
 お菓子の続きですが、実は小生は辛党で、甘いものは苦手です。
 しかしお抹茶の時にはお菓子がなければならないし、結構お菓子にはうるさい方かも知れません。
 多くは要らないのですが、美味しいその土地その土地の伝統的なお菓子は好きです。
 岡山県の東端の町に三石という耐火煉瓦原料を産する父の出の町があり、その三石と県境を隔てて昔から塩田で栄えた有名な赤穂の町があり、塩まんじゅうが有名です。
 甘みに少し塩気が入っている昔ながらの菓子です。
 
 いよいよ座禅における信について今日はお話しします。

 祖師禅(正脈を嗣法している師家の下で転迷開悟の見性を第一とする座禅およびその集まり)における信についてお話しします。

 修行の三大要訣として、大信根、大疑団、大勇猛心が昔からやかましく云われています。

  一般社会での「信ずる」の意味は広辞苑で見ますと、「誠と思う。正しいとして疑わない。間違いないものとして頼りにする。」等と言う意味でありますが、宗教においての「信」「信ずる」は、これらの意味の上に更に少し違うニュアンスが加味されると考えます。

 すなわち、自力とか他力とか、一神教とか多神教とか、東洋文化とか西洋文化とかによらず、信というものには、「自分には認識することができないことを承認する」という意味がある。
 逆に言うと、自分がはっきりと認識することができる場合には、信ずるという言葉は相応しくないと考えます。

 したがって確信すると言う意味には信という文字が入っていますが、これは一般社会での使い方の「正しいとして疑わない」に使う言葉であり、宗教的なニュアンスは加味されていない使い方です。

 何故こういう細かなニュアンスを問題にしているかということには理由があり、それについて追々触れて行きます。
 
 元に戻って、大信根ですが、何に対する信かをはっきりさせておく必要があります。
 そしてこの大信根は座禅修行を始めた人、座禅修行を続けている人に必要な要訣であり、三つの意味があると昔から云われています。

 一つは、学人の自分は未だ悟りを掴んでいないけれども、お釈迦様はすごい悟りを開かれたのだということを信じることです。
 すなわち悟りというものがあるんだと云うことを信ずることで、これがしっかりと腹になければ命を賭けた骨折りの修行はできないのです。
 そしてこの信は見性入理だけのことではなく、見性悟道、見性了々底にも同様に云えることです。

 二つ目は、師家はお釈迦様の悟りを正しく嗣法しているんだと信ずることです。
 これも自分では判断し認識することができないことですが、先輩の云うこととかいろいろな資料・情報とかから推定して正脈を伝法している師家を信ずる必要があるのです。
 この信がなければ、自分が確信した見解を否定されたとき、素直に自分の持っている見解をすぱっと捨てきれない、そしていつまでもグジグジと自分の見解に拘るということになり、人間形成の修行が進みません。

 また自分が考えたこともないことを師家から指示されたとき、自分では納得できなくても、それには何か深い仔細があることと信じて素直に従う。
 これができないと云うことは、師家に対する信がないと云うことで、その僧伽に留まることは本来的にはできないことになります。
 
 三つ目は、自分もしっかり修行をすれば、お釈迦様の悟りを得ることができると信ずることです。
 悟りというものは悟ってみないことには全く判らないものですが、師家の指導の下に、道友の導き助言を頂いて、自分も先輩道友と同じように見性することができると信ずる。
 これを信ずることができるから、難関に直面しても必ず突破できるという確信を持って挑戦し続けることができるということになります。

 本日はここまで、また次回に。
 急に寒くなりましたが、お風邪を引かないようにご自愛ください。合掌
                                     春潭 拝
 
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心印です。
前回は広島参禅会に参加したので、私には2週間ぶりでした。

今年は秋がほとんどなくて、夏からいきなり冬になったような感じですが、夏から秋にかけてたくさん来られていた方達も、冬で道場が寒くなるとだんだん来られなくなります。冬でも座禅を続けられる方は真剣な方が多く、いずれは参禅して入会を考えるというパターンが多いのです(私も春光さんもこのパターン)。

さて今週はどうかな?と思っていると、新到者(初めての方)が続々と集まります、予約は3名でしたが、全部で6名になりました。

また久しぶりに来られた女性が2名いたりして、総勢25名となりまた3列の座禅会となりました。

座禅の後は恒例の懇親会がありますが、やはり禅の話で盛り上がるので一味違った懇親会です。相沢さんの鍋が出たので身体が温まります。

初めて来られた方達は1名を残して全員帰られてしまいましたが、これに出ないのはすごくもったいないのです。

・・・初めての方への説明は30分、実際は20分くらいしかないので、座禅の形しか教えられませんし、そんな短時間で禅がわかるはずもありませんから、やはり懇親会には出た方が、疑問や質問も聞くことができますし、老師や老居士の貴重な禅のお話も聞くことができるのでお得です。

まあ「東京で夜一番遅い座禅会」ですから、時間が遅いというのもありますが、遅くなることが最初からわかっているので、いっそお泊りの体制で来られて朝の座禅会にもついでに出るのもありですね。

金曜の夜、2回だけ坐るよりは、さらに続けて土曜の朝に2回、合計で4回坐るので少しは座禅の良さがわかるかもしれませんし。

この夜は男性はいつものように禅堂で寝て、お一人女性が禅子寮にお泊りになられました。朝6時からの座禅の後、相沢さんの作ってくれたお鍋と料理の残りで朝ごはんを食べていました。

その時、その女性曰く、「ここって本当にアットホームですね」と嬉しい一言。その方は数ヶ月前にショックなことがあって、この道場に来られたので心配しておりました。また来られてとても嬉しかった。典座(台所のこと)も手伝って頂いてとても助かりました。

この世知辛い時代に、こんなアットホームな禅道場、優しい家庭的な面と、厳しい禅の面の両方がある擇木道場はとても貴重な場所なのかもしれません。
是非、週末においでになりませんか?

鍋始まってますよ~

心印 拝
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心印です。

前回は、情報化という第3の波を受けて現代社会は情報なくして成り立たない時代になっているという話をしました。
 
この第3の波はそれまでシステムを作るSEと、それを使うユーザだけのものであったIT技術を、一般の人に普及させ、仕事やプライベートでパソコンやスマートフォン、携帯や、ゲーム機などのハイテク機器を使いこなしている(あるいは振り回されている?)というのが当たり前というものにしてしまいました。
 
ネットの方が便利、あるいは安いものが増えた結果、町のCD屋さんや本屋さんは店がなくなっていくというリアルにまで影響する事態となっています。家電などもリアルな店舗でせっかく説明しても、買うのはネットということで家電量販店の商売も成り立たなくなりつつあります。
 
IT技術が進展するのは必要なことで、今更ネットの無い時代に戻れるはずもありません。
 
我が人間禅においても私が入会した2年前よりもIT技術が浸透してきています(その片棒を担いだのは私なのですが・・・汗)。
 
外部の面ではホームページが一番の広報ツールになり、擇木道場に来られるほとんどの方がホームページを見てこられます。予約のメールが頻繁に入ってくるので、以前は私がメールだけで対応できていましたが、対応済か未対応なのかわからなくなってきたので、ホームページツールというExcelのマクロで作ったツールで対応するようになっています。これで私だけでなく道場の複数の人で対応できるようになったのでとても助かっています。
 
擇木道場のホームページのメルマガに登録することで、道場のイベントの案内やスケジュールの変更なども簡単に流すことができます(まだ登録されていない方は是非登録を!!)。
 
内部の面では通知や連絡がほとんどメールで来ます。ExcelやWord,PDFファイルで添付されてくるので、これが読めないと困ります。ここまでは2年前と変わりませんが、会員限定のSNSがスタートしていて、人間禅内部のいろんな議論や雑談がSNS上で行われています。
 
最近は書くのに気を使うメールよりも、一言、二言で大切なポイントだけを書けるSNS経由の指示や相談の方が多くなってきています。
 
さらに擇木道場に限って言えばこんな変化が起きています。

いいところで次に続く(笑)

心印 拝
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