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擇木道場

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擇木ブログ - 201307のエントリ

ホームページ物語 その2

カテゴリ : 
ホームページ運用
執筆 : 
擇木道場 2013/7/30 16:53
心印です。

ホームページ物語の続きです。

前回のあらすじ
「あちらこちらの坐禅ができるお寺を回っていた心印ははてさて?」

全生庵は近所にあり、ホームページにもうちの道場へのリンクがあったりするのですが、それを見落として、この道場のホームページを見ることはありませんでした(笑)

ちなみに全生庵には私とほぼ入れ違いに人間禅から、出家されて僧堂へ修行しに行った瞬道さん(人間禅での道号なので今は名前違うと思いますが)がいらっしゃいます。この前、全生庵にあいさつに行ったらお元気そうでした。

だんだんあちらこちらへ行くうちに曜日とお寺が決まってきて、日曜は全生庵、月曜は長谷寺、水曜は林泉寺か大道学舎、金曜は成願寺、土曜は東照寺とぐるぐる回りながらほぼ毎日坐禅しているという感じになっていました。

火曜がないなぁとネットで調べていると谷中の全生庵のそばに天竜院というお寺があり、そこへ行ってみたのですが、今はやっていないと言われてしまいました。

そこで日暮里駅の方へ帰る途中で、達磨さんの描かれた座禅会の看板に目が止まりました。入っていたチラシを見たら・・・火曜日の18時半から・・・まさにその時間ではないか!

その時、偶然ではないなにかを感じたような気がします。


行って「すみません。初めてです」と行ったら、事務室に通されて、接心会中だと言うので、「知らずにとんでもない時に来てしまいました」と言ったら、かまわないよと言われました。それが京葉支部長である無刀さんとの出会いでした。

普通、接心会は出入禁止で泊まり込みで修行すると思ったのですが・・・

提唱の時間がきたので皆さんにまじって、2階へ上がり座禅をしました。その時に親切に教えて頂いたのが秋香さんとの出会いでした。

座禅が終わると、道場の後ろに大きく高い椅子が置かれ、そこにつかれた老師の提唱が始まりました。この時、丸川総裁老師を初めて見たのですが、恰好からてっきりお坊さんだと思っていました。

・・・が、お坊さんが言われることとなんか違う???

禅の話が脳科学の話になっていて、坐禅すると頭頂葉がサイレントになり、前頭葉が活性化するんだ!、とこうでしたからビックリして、こんな話をする和尚さんは初めてだと思いました。(在家の方で和尚さんではなかったのは後で知ったw)。

それから擇木道場に通うようになりました。こちらでは木曜は出られませんでしたが、火、金、土、日と週末は道場にずっといる感じになっていて、その流れで禅フロンティアにも出席するようになりました。


続く・・・


心印 拝
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磨甎庵白田劫石老師様の講演録「人身得ること難し」を発信することにしました。
 磨甎庵老師様は、2009年94歳で亡くなられましたが、一生現役とされ、最後まで学人を相手に、厳しく導いてくださいました。
 この講演録は、ある企業で行われたもので、市販されてはいません。
道場で売られたもので、購入してから私は、バイブルのように持ち歩いてきました。これから少しずつ、紹介させていただこうと思っています。
             
                                  西東京支部 加藤紫光                


「はじめに」
 坐禅というものは、元来、言葉で言うよりも、むしろ、日常の実行が大切であり、一つ一つの事柄、一日一日の行というのを、その人がどういうふうにやっているか、ということが実は問題なのであり、言葉でうまく言うとか、そういうことよりも、実はその人の行を見て頂くということが本筋だと思うのです。あまり禅では言葉をもって色々語らない。
 しかし、最近のような情報化社会では、なかなかそういうことを言っても良く分からない人が出てきております。そこで、止むなく言葉を使って色々と申しあげますが、初めに、そういう基本的な物の考え方を、一つご理解願いたいと思います。
 私は、坐禅の修行をやりながら、色々の人の経歴なり、境涯というものを見ておりますが、どうしても本当の自分を取り戻すということのためには、ある大きな壁ー近代的な表現ですと、限界状況ーというものに当って本当にそれを命がけて越えていくという、作業を続けていかなければ、ほんものにはならない、そう思います。
 外から与えられたもの、知識として持つのとは違って、本当に自分で命がけで取り組み゛これでいいんだ。これがほんものなんだ゛ということを、自分自身に納得させることができるというのは、やはり大きな壁にぶつかって、苦心しながらそれを突き破ることによって以外はできません。そうしないと、本当の自分というものが甦って来ないのです。
 つまり、大きな平坦な道ではなくて、非常に厳しい状況の中にそれを耐えながら、そういうものを突き破っていくという過程を通じて、己の殻が破れ、本当の己れ自身というものが甦ってくると思うのです。そういうことを経ない人は、却って非常に不幸で、結局は自分というものを本当の意味で取り戻し、本当の自由を体験することはできない。
 坐禅ということは、そういう自己を殺すことを積極的に身に引き受けて、それを敢行してゆく道です。
私達は臨済系の禅ですから、一人で静かに坐っているのではなくて、室内に身を投じて師家と一対一に相対して、真剣勝負の商量をする参禅弁道をするわけです。それを通して命をかけて真実の自分を取り戻すわけです。布団の上において坐禅して、自分と言うものを限界状況まで追いやって、自分という殻を突き破る。そして、自分自身の本来の姿というものを取り戻していくのです。

 ですから、外から見ていると、坐禅なんてものは大変に暇で、ただボンヤリと坐っているように見えるでしょうけれども、そうではない。実は一点に向かって己れを集中し、そういう限界状況を越えていく、という非常に苦しい営みを勇気を持って行っているのです。にっちもさっちもいかない、そういう状況の中に自分を追い込み、終に、小さな自分というものの我見を破る。
 苦しみを通して得たところの、本当の人間として甦ってきた人間性、そして、人間としての慈悲や勇気や戒、そういうものを本当に取り戻した時に出てくる悦びによって祝福されない満足や幸福というものは、ほんものではない。神聖で荘厳ないのちの光を認めることができないからです。どのような宗教を信じておろうと、そういうことを経験しない人は、ほんものの幸福をつかむことはできない。つまり、本当の自己を取り戻し、生きることの神聖さを体得しなくてはだめだ、と思うのです。










 
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今日は、予約が3名ほど入っていたのが、用事が入ってしまいました等で取り消しが入り、結局、来られたのは1名でした。

それでも17名来られて坐禅、参禅を行いました。
老師との面談は2名でしたが、初めての方はまだ参禅は許されないので面談のみ。
もうお一人の方はもう何度も来られている方なので初めて参禅に挑戦されました。

初めての公案をせっかく頂いたわけですが、一生のうちに禅の老師から直々に公案を授かる方がこの世に何名いらっしゃるのか?

ましてやこんなに気軽に(?)公案を授かれる道場は、世界中探してもない、日本のおそらくこの人間禅の道場だけです。普通は公案などそうそう授かるものではないので、とても貴重なものなのです。

明治の頃の、山岡 鉄舟や勝海舟 、夏目漱石、もう少し時代は下がって平塚らいてう等、さまざまな人が老師に参禅しています。

このような巨匠の方達と同じ体験ができるのはとても貴重~
頑張ってくださいねっ(と自分にも言っているがw)。

心印 拝





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加藤・相島・児玉・松田

児玉 最近は夜寝る前に坐禅をしてから寝ています。それをすると快適に眠  
    れます。

松田 そうなんだよね!坐禅をしてから寝ると快適に寝れるこれは、リラックス
    してから寝るから快適に寝れるんだと思うよ。

加藤 現代人はなかなか坐禅をしてから寝るという事ができない現状です。

相島 私は朝起きてから坐禅を組むと一日最高に過ごせます。

松田 人それぞれの時間の都合などがあるから簡単にはできないかもしれな
    いけどする事で体調管理もできるよね。

児玉 そうですよね。

加藤 なかなか一人では座れないなら是非、毎週やっている禅東院の坐禅会
    に参加してみるのもいいかもしれませんね。

松田 坐禅をして、ガンが治ったとか不治の病が治ったとかいうのはほとんど
    が嘘です。体調管理は自己責任ですが、坐禅をする事でリラックスする
    事は本当です。ただし人まちまちなので「ぜんぜんリラックスしないじゃ 
    ん」
    という人もいるかもしれません。
    
    ほとんどの人がリラックスして今日あった事を頭の中で整理できると思 
    います。
    一度体験してみる事が一番なのですが・・・
    








 
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ホームページ物語 その1

カテゴリ : 
ホームページ運用
執筆 : 
擇木道場 2013/7/24 15:06
心印です。

ホームページ物語とか書くと、私は「スチュワーデス物語」を思い出すのですが(これだけでも年齢ばれますな(笑) これでも青年部(爆笑) だいたいスチュワーデスなんて今は言わない、キャビンアテンダントですね)。

人間禅ではいろんな支部や禅会がそれぞれ独立して個性豊かなホームページを作っています。それとはまた別に全体のホームページもあります。

私がなぜホームページを担当することになったのか?

時々話をすることはあるのですが、文章にしたことはなかったので、つれずれなるままに書いてみたいと思います。

入門する以前の様子や経緯がわかると、これから人間禅の門を叩く方の何かの参考になるかもしれませんね~

さて私は職業はSE(システムエンジニア)なのですが、SEと一言で言ってもいろいろありまして、セールスエンジニアもサービスエンジニアもSEと言います。私はインフラ系、ネットワーク系のSEでして、サーバーやネットワークの設計、設置、運用を担当しているのでホームページは実は専門外なのです。

とは言え、まだインターネット黎明期の頃、初めてモザイクという世界初のWebブラウザを触って、それまでの文字だけのパソコン通信と決定的に違うとを感じました(約20年前)。

それからHTMLを独学で勉強して初めてホームページを作ってみたのはいつの頃だったかすっかり忘れてしまいましたが、今の会社に転職して初めて担当した仕事がその頃はまだ珍しかった、WEBで動く掲示板システムでした(約15年前)。

今ではImpressCMSのような、いちいちHTML言語なんて書かなくてもいいシステムで簡単にホームページが作れる便利な時代になりました。

さて話を戻すと、1年半ほど前に初めて擇木道場に来た時はホームページで検索したのではありませんでした。「東京 座禅」で検索しても見つからず、検索できたお寺を中心にうろうろと坐禅できる場所を探しておりました。

その頃、行ったのは全生庵、長谷寺、林泉寺、東京禅センター、成願寺、長光寺・・・と、一時は坐禅会の費用と交通費で月1万円くらい使っていた時もありました。

続く・・・


心印 拝

 
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心印です。

道場に来られる方はいろんな方がいらっしゃいますが、みな共通しているのは何らかの悩みごとや苦しみ、迷いがあるということです。

と言うよりも、悩み事や苦しみごと、迷いがない方は、坐禅しに来ようとは思わない。
また、悩みごとや苦しみごと、迷いのない人はいない(目をそらしたり、気づいていない人は多いと思うが)。

春先は坐禅や写経が流行っているらしいし、どんなものなのか一度体験してみたーいというノリだけで来られる方も多いのですが(私は雰囲気組とひそかに呼んでいます)、そういう方達は一度だけで二度目は来られないので、暑い夏になっても道場にいらっしゃる方はそれなりに真剣に坐禅に取り組んで問題を解決したいと思っている方でしょう。

ちなみに雰囲気組とは、「湾岸ミッドナイト」という漫画があり、スカイラインGTR(まあ速いスポーツカーだと思ってください。通はR32と言いますが)に走り屋の腕もないのに乗っているドライバーのことを指す言葉です。

私自身、坐禅で問題を解決してきた口なので、この傾向は良いと思うのですが、坐禅が直接問題を解決するわけではありません。

この道場は人間形成の道ということで人間禅という名前がつけられていますが、人間力が坐禅で向上した(少しは向上したのかなぁ???)結果、相対的に問題が小さく感じられるようになったと思います。

また悩みごとや苦しみ、迷いは二元的で相対的な心の働きから起きます。例えばお金は少ないよりも多い方が良いとか(大小や長短)、きれいだとか醜いとか(美醜)、勉強や仕事ができるとかできない(優劣)、そういう二元的なものの見方や対立から迷いが起きます。              

坐禅はそういう二元的なものを離れ、とらわれや執着から離れ、絶対的なものをつかむことに主眼があるので、いつのまにか迷いや苦しみがなくなっているのだと思います。

慧日庵老禅子が前に「禅では得るものはなにもありません、生まれた後からついたよけいな荷物を下ろして、捨て去ることで、その人の真の個性が輝くのですよ」と言われていたことを思い出します。

全ての迷える人に禅を。

心印 拝



 
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参加者

松田 峰岸 児玉 森島 加藤の5名(茶話会:相島)

<一週間の振り返り> Good&new 

今自分が関わっている、仕事の変化、ボランティアの活動、テーマについて新しいチャレンジを考える。来週までに取り組む課題を明確化してみましょう。

森島 西東京支部摂心会で、二回、朝のお茶のお点前をさせていただいた。前回に比べ、手の動きがスムーズになってきた。2、3ヶ月の成長はあった。また、来週中大五葉会で、お茶会と、拓大教授の呉善花先生の講演会があり、準備した。段取りが悪く、てんやわんやしている。國領君、森島君、そしてOBの中山さんで準備している。他の会員はあてにならない。残された時間、お茶の準備をし、お点前の練習をする。7月には前期試験の準備をする。

峰岸 摂心会で、お茶デビューしたのが大きい。今まで練習していた場所以外で初めて人にお茶をふるまうことができ、貴重な体験をした。相島先生や中島さんがいて、安心感があった。美味しいお茶をふるまおうと努力した。作法はスムーズにできたと思う。今週のテーマは、坐禅をすること。先週はほとんど坐ることができず、それが反省点。

児玉 チャレンジは、早起き。自堕落、惰性で起き、惰性で寝る。めりはりの無い生活をしてきたから。あとは、卒論。新学期に入って、担当の大学教授が変り、テーマを決める段階で詰まっている。テーマの設定までは、面倒見切れないと言われた。これからやみくもにやっていても、上手くいかないと思い、これはどうしたものかと思っているのかが、最近の状況。打開する一つのきっかけとして、早起きをしようと思う。生活を正せる、小さなことを、きちんと取り組んでいこうとの決意。

加藤 先週は一週間の摂心会があり、典座長をやった。大変だったが、力がついたと思う。良いことは、ダイエットで板井トレーナーがついてから、寝る2時間前以降は食べない、そして間食もあまり取らなくなり、調子が良くなってきた。一ヶ月で1.5キロから2キロ位減った。

松田 ベースは、一日一炷香の三昧。坐禅の修行を続けさせていただいているが、本当に、自分の実になって毎日の生活の中で、三昧力を続けているかというと、反省ばかり。しっかり坐ると、そういう状態に入り易くなり、実践しやすくなる。毎日自分と向き合って坐る。

私自身も5月、6月と、仕事が忙しく、引っ張りまわされ、摂心の準備

もバタバタであった。老師様からも厳しく指導を頂いた。今まで一人

で抱え込んでいた役割を、加藤さんや、相島さんなど、道場の皆さんに  分担し、相島さんも茶席を一週間担当下さり、びしっと詰めてくださった。道場では、皆で連携して運営していけるように、時間や情報を共有しながら、協力して進めていきたい。仕事と家庭、道場の修行とを、一日一炷香で、三つのバランスをとっていく。週一回、皆さんと坐る機会を大事にしたい。

来週は、皆さんとソーメンをつくって食べる予定です。

 

 

 
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 松田 児玉 加藤の三名

『時間について』

児玉 一日は人間の一生のようで、朝は希望にあふれている、夜は死を連想する。人生においても、残り時間が少ないという状況下、どう残りの人生を生きれば悔いのないような生き方ができるか。本来、時間という人間に与えられたものを、有意義に使おうか、だらだら過ごそうが、時間は時間であって、何色でもなく、どんな形をしているわけでもなく、良い時間も悪い時間も結局は同じ時間になってしまうもので、あせるだけでも駄目だし、どうでもいいやと手放しても駄目だ。時間・生活・自分のあり方を考える時に、切羽詰っている。残りの時間が限られている。そういう状況下に置かれて、初めて思うようになった。時間を無尽蔵に与えられているころは、そういう事に気づきさえしなかった。どうでも良いことだと思っていた。


加藤 以前ある優れた女性修行者が、仕事の都合で、道場から少し離れる時、磨甎庵老師という方に「今日死ぬ日」という言葉を紙に書き、家の分かり易いところに貼りなさい、と言われた、という話を思い出した。限られた時間の中で、納得した人生を歩めるか、充実した、悔いの無い人生を送れるか、児玉君の問題意識は良いと思う。


松田 そういう問題意識に気づきもしない状況というのは、忙しさに振り回されたり、だらだらした日常に埋没したりでは、見えない。流れていく一瞬一瞬は、振り返ってみれば大事だ。今、立ったり歩いたりしゃべったり、色々なものを見て感じたり、表現したり、気持ちを分かち合ったり。


   だらだらして、ぐずぐずしているのは、恵まれ過ぎている状況。同じ時間でも、ゴミにするか宝にするか。一刻一刻、取り返しのつかない時間が過ぎていく。宝物を大切にしていく生き方をしなければならない。同じ時間でも、ゴミになるか、宝になるかの鍵・分かれ目は、自分の心をどう使っているか。どういうふうに心の状態を維持しながら、一瞬一瞬を味わったり、取り組んでいるか、ということになる。坐禅の数息観で心を少しずつでも着実に作っていく。芽が開けるようになる。

 
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正しい拝座の仕方 人間禅

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2013/7/21 21:13
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7月21日 日曜静坐会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2013/7/21 9:45
本日の日曜静坐会参加者  14名
初めてのご参加はなく、常連の方々の参加でした。ひさしぶりに、参加者は少なかい静坐会になりました。夏休みが始まってすぐの日曜日でもあり、家族旅行などの予定もあったのでしょう。
今日は比較的涼しい雰囲気の中での坐禅でした。読経の後、居士寮で冷たい抹茶を頂きました。

読経  「坐禅和讃」
一行物 「渓深杓柄長」 渓深ければ杓柄長し
禅語には表と裏の意味がある。
遠い水源から水を汲むときは柄の長い柄杓を使う、また、相手に応じた 対応をすることに通じる。
禅誌vol.41の記事を紹介しました。
「弓道と禅」 能代實心さん
「人間形成の禅」 ~その効用と効果~ 葆光庵丸川春潭老師
平塚らいてうと禅の修行 川口妙慧さん

連絡事項
1.第33回禅フロンティア
 「瞑想する映像」と「禅」
 7/28の日曜静坐会は6:30からの開始です。
 入門者は7:30から参禅があります。

龍泉






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