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擇木ブログ - 老師通信カテゴリのエントリ

座禅と追憶

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/8/18 23:27

座禅と追憶

丸川春潭

 ネット布教のリーダーから、座禅という文字をブログにできるだけ入れるようにといわれましたので、座禅を入れたタイトルにしましたが、昨日の日峰さんの「追憶はいらない」を読んで考えたことは云うまでもありません。できるだけ「座禅」を使います。     

 「追憶」の記憶は薄いのですが、同じような光景で、「カサブランカ」で元カレのハンフリーボガードが、やっと巡り会えた元カノのイングリッドバーグマンが幸せな家庭人になっているのを知って、後ろ向きに手を振って別れる最後のシーンは嗚咽するほど泣きました。男気の美しさ・厳しさ・辛さに感動したのでしょうね。やはり追憶はいらない!でしょう。

 日峰さんの過去を引きずらないで、今に集中するはまさに禅者の正当な着眼です。

 この観点はそれはそれとして、自分にとって返して反省してみて、「追憶もいいものだ!」を天邪鬼的に考えてみたいと思います。

磨甎庵老師に叱られ100日間参禅不可!をみんなをわざわざ集めて宣告され、3回の摂心会を参禅なしで座禅だけで過ごしたことを夏が来るたび追憶します。

初恋に破れた青春の追憶もあります。

自分のせいで人の心を傷つけた悔恨はしばしば追憶してしまいます。

追憶にはほとんどがつらい追憶なのですが、「追憶もいいものだ!」と思えるのは何故か?です。

座禅を長く続けていると、追憶しても今に集中するという肝心な点はぴたっとして動かなくなるものです。

追憶が「今」の足を引っ張ることはない。過去の悔しい自分を肯定的にしっかり受け入れてしかもそれに「今」が引きずられることはない。

座禅を長く続けることによって自分に定点ができ、過去の追憶を余裕を持って振り返り見られるからでしょうか。

掛け替えのない二度とない「今の立ち位置」がしっかりしてくるのでしょう。

座禅的見方は、失敗を繰り返し悔恨を積み重ねた結果としてある現在の自分をそのまま掛け替えのないものとして看ることです。

それらは失敗であり悔しいことではあるが、忘れたいとは決して思わない。

それは好きとか嫌いとかではなく貴重なもの、一種の勲章というか財産としてとらえているのかもしれない。

座禅をすることによって、むしろ過去にいろいろあったものが、今を深く味わいそしてこれからの行動の糧になることもあり得るかなです。

いろいろ考えを巡らせましたが、今に焦点があるということが肝心であり、この点で日峰さんと結局は同じです。

お盆休みの昼下がり、忘れてかけている亡き人達の追憶を探すのもいいかな。

(了)


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続・敷居の高さ

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/8/16 9:46

続・敷居の高さ

丸川春潭

 在家禅においては禅修行への入門の敷居を低くしなければならないということを前のブログで書きました。その補足が少しありますので続を書きます。

 敷居を低くしてどんなレベルでもどんな考えをしていても本人が禅修行をやりたいんだと明確に意思表示すれば、全てしっかり受け入れるのが我々の変わらぬ態度です。 そして個々人の意向を尊重しつつその人の器量を勘案して、世のため人のために役に立つ人物になるように指導育成するのが人間形成の禅であり在家禅の使命です。

 敷居を低くすることをもう少し仕分けて見ますと、一つは道を求める志がそれほど高くなくてもと云う意味があり、もう一つは数息観座禅が未だしっかりできていないと云う意味もあります。後者の数息観座禅が未だしっかりできていないレベルでもというのは小生になってからの特徴と思います。小生が入門した頃のこれに対する敷居の高さは、一週間の摂心会をしっかり3回経験(約1年間)し、日常の静座会にしっかり参じている者という入門における内規的なものが厳密ではありませんでしたがありました。小生の判断は、現代の若者にこれを適用するのは敷居が高過ぎでありこの基準ではほとんどの人は来なくなってしまうと考えました。 

現代の若者は都会ほどそうですが、ネットで検索してくる場合がほとんどになっており、座禅の経験も全くない若者がネット情報を頼りに道場に足を運んで来るのです。この若者の最初の応接は極めて大切であり且つ大変難しいものです。したがってできるだけ小生がこの任に当たることにしています。(この観点はかって第二世総裁の妙峰庵老師も「新到が来たら儂のところに一番に連れて来い!」と云われていました。)この貴重な機会を生かすために、師家面談を明確化し原則にしました。

この師家面談で、それまでに座禅経験がない人であってもやりとりの中で判断して入門を許す場合もあります。これは敷居が低い典型的な例になりますが、その真意は初めての数息観座禅の指導も師家がやるということであり、数息観座禅が確立してから公案修行を始めるということではなく、数息観座禅と公案修行を平行して師家が両方を指導するということです。ここまで明確に意図して敷居を低くしているのです。そのために数息観座禅の指導ツールとして数息観評点基準と評点記録も開発しました。

 師家が学人(入門してきた人)を室内(参禅室)において公案修行の指導・育成するやり方は、師家それぞれの人柄・家風を反映して千差万別であります。小生は生涯3人の師家に師事(参禅し指導を受ける)しましたが、その指導の仕方は三人三様でした。

 小生の学人に対する指導の仕方は小生が参じた三人のお師家さんのいろいろな点を少しずつ取り込み吸収し、師家15年にして少しは自分流が確立してきたかと思います。人様に云うほどのことではありませんが、敷居の高さとの関係で少しだけ書きとどめておきます。

 敷居を下げることに徹した在家禅で且つ世界楽土の建設を大目標に掲げた人間禅が200則の公案を駆使してあらゆるレベルの学人を学人毎にどう指導し道力・道眼を付けて世に送り出すかというマクロ設計であります。

 古来より禅門ではこの人物育成のマクロ設計として、見性入理・見性悟道・見性了々の三段階をイメージしています。これに沿って云えば、見性入理は瓦筌集の大体半分の100則までで、その人の個人的な独立自尊の境涯をつくる段階です。これを昔から自利の完成としています。そしてここまでで参禅弁道の修行は終わってあとは数息観を中心にした修行になってもいい人が何割かはいます(勿論本人の意向を尊重しますが)。逆に言うと難遭遇のこの仏縁に恵まれたのであるから何が何でもここまでは修行を継続して到達していただきたいと思うところです。そしてここまではできるだけ丁寧に導く指導を心がけています。すなわち悩み苦しんだ状態から脱却ししっかりと自利を完成するこの段階は人間形成の禅の中で救済の趣を持つところと考えています。

次が見性悟道ですが、瓦筌集の後半100則から150則くらいまでがこの段階です。この段階までで生き馬の目を抜く実社会でどんな逆境にもへこたれず、どうどうと個性を発揮して活躍できる人間力を身に付けます。誰でもがここまでとは考えておらずある意味エリートの育成の趣があります。そして在家禅が人間形成を標榜し人づくりをして世に送るというのはここまでで十分だと考えています。有力(うりき)の人物はここまでは現役の間に到達して実社会で活躍して欲しいと思います。小生がこの段階で一番力を込めているのが142則「五蘊皆空」の則であり、先人の誰よりも綿密に厳密に徹底させているつもりです。

最後の見性了々は、150則から200則までおよび200則以外の公案と見直しの研鑽になり、この段階は社会で活躍してもらうと云うより、師家および特任布教師として人間禅の精神を挙揚することと人間禅に滴々相承で伝わった法の深さ高さを次代に繋ぐための人物づくりになります。この段階では兎に角厳しくに徹して説得するのを旨とし、宗旨を明確に掴まないと絶対に許さないことを徹底しています。特に嗣法者の打出という点になると、高い敷居で入門者を厳選して伝法を守ってきた明治以前の臨済僧堂と全く同じやり方になります。

入門の敷居を低くして縁ある人を全て受け入れそしてそれぞれの器量に応じて人間形成を積ませて世に送り出す。社会で活躍した後にその実社会でもまれ錬成した経験も踏まえて見性了々の厳しい修行を徹底する。この見性了々の深さ高さには最初の敷居の高さは関係ありません。すなわち低い敷居で入った人物でもその到達した境涯はかっての僧堂の嗣法者の境涯と全く変わらないということです。最初の敷居の高さの違いは最も深い人間形成の境涯には関係ないということですが、最初の敷居が低くかったからこそここまで至り得たということも大いにあり得るのです。(了)

 

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敷居の高さ

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/8/13 2:18

敷居の高さ

丸川春潭

 敷居が高いと外からの人が入って来にくく、敷居の高さが低いと外からの人が入りやすい。これは一般的に使われている言葉ですが、禅門への入門に対してもよく使われる言葉です。

 明治以前の禅宗の寺院での入門は、庭詰め・旦過詰めと云って修行を志して入門をお願いする際になかなか入門が許されない。先ずは庭先で数日、そして門内に入って数日、更に玄関で数日と云う具合に志の堅さを試されてからやっと入門の座につけるという手順がかっての僧堂では遵守されて、それは今日まで形式的になっているようであるが続いているようです。まさに敷居が極めて高い見本です。

 この敷居の高さの源流は、6世紀に菩提達摩がインドから中国に渡って来て仏心印(言葉では届かないお釈迦様の悟り)を中国人の二祖慧可に伝えたのですが、慧可が達摩大師に入門するに際して有名な二祖の断臂が行われた故事がまさに敷居の高さの源流になっています。道を求める志の覚悟の強さを示すために慧可は自分の臂を絶って示したのです。

 もう一つ、この二祖の断臂と並んで敷居の高さ・入門の厳しさを教える故事として有名な故事に雲門の折脚があります。これは9世紀の終わり頃の話で雲門が命をかけて禅門に入ろうとして寺の扉に足を挟んで折ったという故事です。

 これらの故事は氷山の一角であり、その精神が中国から日本へと連綿として守られ遵守されてきました。この敷居の高さの厳しさがあったからこそ正脈の法が1500年間絶えることなく21世紀の今日まで生きて伝えられたと考えられます。この精神というものの中身が問題ですが、それは後から詳しく延べるとして、ここでは表面に現れた敷居の高さに戻りたいと思います。

 すなわち現在の人間禅においての敷居の高さはどうかと云えば、極めて低いと認識しています。人間禅という名前に変わってからもそうですが特に小生が総裁を務めた期間は一段と低くなったと思っています。意識して低くしたのです。

 ではその精神はどうなったのか?ということが懸念されますが、これを考える前提として、伝統的禅宗の僧堂が禅修行を志す者に対して敷居を高くしてきた意味は何だったのかと云うことを先ず考えましょう。それが次の4項です。

 (1)本当の人物を求めるため。狙いは嗣法者たり得るかの選別をする。

 (2)不退転の強い志を決意させるために。高い敷居に立ち向かう中で醸成させる。

 (3)滴々相承された法を軽忽にしないため。軽々になると禅学になり法は断絶する。

 (4)裕福な外護者がない場合(布施だけ)で修行する寺院は、物理的と運営面で人数制限をする必要性があった。

 これらは明治以前の禅宗僧堂での敷居の高さについての意味でありますが、明治以降の在家禅の場合にはこの4項目がどうなるかを注意深く検証する必要があります。

 在家禅の誕生は明治8年東京の湯島の麟祥院に蒼龍窟今北洪川禅師(円覚寺初代管長)を拝請して奥宮慥斎・山岡鉄舟・高橋泥舟・鳥尾得庵・中江兆民等10数名(全て一般社会人)が参禅弁道の修行をすることで誕生した両忘会に起源を発していますが、これは僧堂中心であった臨済禅に一時代を画する歴史的な在家禅の誕生でした。

 この両忘会を起源として始まった在家禅は、第二次世界戦争の終結まもなくの昭和23年に人間禅に引き継がれ、更に一段と在家禅の特徴を明確にして創立されました。その特徴は、『立教の主旨』に明記されているように、江戸時代までの禅宗が「伝法のための伝法」であったのに対して、在家禅が「布教のための伝法」に進化した点であります。

 もともとのお釈迦様の原点では、一般社会人の教化・救済が前面に出ており、伝法はそのために必要なものと云う位置づけでした。これは形として「布教のための伝法」であり、まさに在家禅は釈迦の原点への復帰であります。そうすると結果的ですが明治以前の僧堂禅の「伝法のための伝法」は一般社会人の教化・救済を先送りしていた時代であったと考えられます。伝法さえ続いておればいつかは教化・救済が全面的に可能になる時代が来るという見方です。まさにその先送りされたのが明治以降の在家禅であり、人間形成の禅が社会教化・救済そして正しく・楽しく・仲の良い地域社会づくりをする時代になったのです。

 この僧堂禅の時代から在家禅の時代になって、敷居の高さに対する考え方もガラッと変わるべきであります。すなわち先述の(1)、(4)は在家禅においては不要でありあってはいけない項目です。すなわち在家禅は宗旨として教化・救済すべき一般社会人を取捨したり、選別してはいけない(全て受け入れる・来る者は拒まず)のです。

2)については、そうあるに越したことはないのですが最初から高く強い求道心を入門の条件にせず、入門してから徐々に醸成してゆくのもしかたがないとして許すのが在家禅の慈悲であります。従ってこの項も在家禅では消されることになります。人間禅の創始者である耕雲庵英山老師は入門の動機は何でも良い、神経衰弱を直したい、こころを落ち着かせたい、書道家が良い字を書きたいから等まさに些細な動機から入っても良いとはっきり言われておられました。

また(4)項においても多々ますます弁ずである在家禅では人数制限はありません。そうすると残るは(3)項だけになります。

 この(3)項「滴々相承された法を軽忽にしないため。軽々になると禅学になり法は断絶する。」は、在家禅といえども欠くことが出来ない必須の事項であり、これさえあればあとは何とでもなるというものです。在家禅の「布教のための伝法」においても当然伝法は不可欠であり、これが途絶えたら教化・救済はできなくなります。ここでは簡単に延べておき後述で詳しく述べますが、人間禅の公案集「瓦筌集」の後半になるほど、そして200則終わってからの聖胎長養に及ぶまで、その質とともに厳格さは絶対に保持されなければならないものです。

 選別せず来る者は拒まずで敷居の高さは極力下げて、しかも「法を軽忽にしない」ことを在家禅では両立させなければならないのです。そこに師家の力量がより高度に厳しく求められており、また支部長・禅会長の苦労するところです。

 在家禅では、社会に役に立つ人物をつくることを第一目標にしており、この中には情報社会においての厳しい精神状況にあってともすれば精神疾患に陥りやすい状況の中で正常な精神状態を常に保持するという役目を担わなければならない。と同時に有力(うりき)の人物の更なる見識を高めまた人間力を養成し社会で役に立つ人物を輩出しなければならないという役割も合わせ担っています。すなわち在家禅は対象者に対して幅の広い対応が求められているのです。従ってかっての僧堂での高い敷居ではサッサと弾かれているような人も手を広げて受け入れ、また同時に本格に道を求めて来る人物をも同じく受け入れるのです。

そして更に肝心なことは、この事の修行は長年月にわたる継続が前提であり肝要であるだけに、僧伽(修行集団)の形成が不可欠であります。選別していないから様々なレベルの人が来る、また多様な文化と思想の違いを持った人たちが来参する。こういう様々な人たちをまとめ、求心力を持った組織として行事を運営しなければならない困難さを在家禅会は大前提としているのです。

 困難を伴うといえども多様な重い使命を果たすべく我々は極力敷居を低くし、低くしたための困難性をしっかり克服してゆかねばならないのです。(つづく)

 

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同調圧力

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/8/6 20:32

同調圧力

丸川春潭

 前のブログで、最近人間禅の修行をはじめてまもなくして来なくなった人の言い残した「幸せそうな顔をしている人がいない」ということについてブログしましたが、この人はもう一つ来なくなった理由を挙げていました。

「ここに来なければ、道は開けない」というような、「正しさ」がそこにあり、そこに行かない人は救われない。というような(あくまで感覚です)同調圧力を感じ、足が遠のきます。

これがその全文です。今日はこれについて考えてみたいと思います。

「ここに来なければ、道は開けない」に近いニュアンスで、「東京に座禅するだけなら数百のお寺があるでしょうが、見性し道眼を開くことができるのは人間禅の他に数カ所あるだけです。」という言い方はしています。短く云えば「ここに来なければ、見性できない」ということになり、大体その通りだと云っても良いでしょう。

また「「正しさ」がそこにあり」も臨済的伝の正脈の法がわれわれにはある、と常日頃自負しているところであり、これも大体その通りと云っても良いでしょう。しかし表現に底意が含まれてきていることも感じます。

これに続いた「そこに行かない人は救われない。」になると若干誇大妄想的に認識のズレが大きくなっているように思います。見性し転迷開悟を図って人間形成を積んでゆくことが正脈の法が伝わっている人間禅ではできますとは云いますが、同時に世間一般においての精神的救済には、法然上人の浄土宗とか親鸞聖人の浄土真宗をはじめとして歴史的にはいろいろの宗派がありどれも素晴らしい救済方法を持っていること(特に他力宗には自力宗にない優れた救済方法があること)、また仏教のみならず孔子の儒教にしてもキリスト教にしても、2000年以上の世界宗教は多くの人を救済してきているということを最初の師家面談の段階でもまた法話やブログなどでも枚挙にいとまがないくらい人間禅は発信しています。すなわち「そこに行かない人は救われない。」は認識にズレがあるというのか大きな誤解があると思います。

最後に、「同調圧力を感じ、足が遠のきます。」ですが、これは若干難解です。ここでしか見性できないと云うことを知って、ここで見性できるんだ!と喜ぶ人も大勢おられるわけで、人間禅には正脈の法が伝わっている希少な在家禅会であることは説明しなければならない事柄です。「同調圧力」は強制感覚なのでしょうが、師家面談では必ず「座禅するだけの修行と更に師家に参ずる修行もあります・・」と、その選択には本人の意思を尊重しており、しかも「来る者は拒まず去る者は追わず」が人間禅の信条であるとも常々云ってきています。

同じ水を飲んでも蛇が飲むと毒になり牛が飲むと乳になるという禅語もありますが、自分たちは間違ったことを云っているのではない(正しいことを云っている)のに、ねじ曲げて理解する人は仕方がないと相手の所為にして突っぱねることは簡単ですが、こういう希少な意見に謙虚に耳を傾けて、より注意深く独善に埋没しないように反省することも必要です。すなわち同調意見だけを歓迎し相反意見は遠ざけるようなことがあってはいけないと思っています。

「正しさ」が硬直化して押しつけになっていないか?入門や入会にいささかの精神的圧力をかけるというようなことになっていないか?と。ただしこの反省や慮りが布教に対して怯んだり消極的になってもいけないのであります。どちらかに偏ることがなく真っ直ぐに対応する、まさに日々時々刻々自分の本物さが、そして一日一炷香の座禅の質が問われていると考えました。


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懇親会の効用

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/8/4 19:28

懇親会の効用

丸川春潭

 最近、人間禅の修行をはじめてまもなくして来なくなった人が、その理由の一つに、人間禅の摂心会に集まってきた人を見ていると「幸せそうな顔をしている人がいない」ということをその理由に挙げていました。

 自分はどっぷりそういう雰囲気に浸かっているからこの感覚は新鮮であり、なるほどなあと納得しました。そして二つのことを考えました。

 一つは、6月の初め頃の小生のブログ「道力(胆力)を付けるには」(その1)で書いていますが、世に数多ある瞑想法には癒やし系と修行系があることに触れそれぞれを仕分けましたが、我々の摂心会は修行系の最たるものです。しかし擇木道場には癒やし系の方向性を持って道場に来られている人も結構多いと思います。その人たちが公案の工夫に苦虫を噛みつぶしたような面々を見ると確かに幸せそうな顔とは見えないでしょうね。

 先師磨甎庵劫石老師は、摂心会中は白い歯を見せるな!と何度も繰り返し云われていました。白い歯を見せるなと云うことは、笑ったり談笑するなということですが、摂心会中は静座や参禅の時間のみならず食事の時も作務の時もその休憩の時も、道場に一歩入ったら正念の工夫を断絶しないようにと小生も申してきました。新到者の目から見てみんなが幸せそうな顔をしていないというのは本格の良い摂心会をしていると云うことになるわけです。この人は人間禅の摂心会を自己変革の場ではなく癒やしの場くらいの認識だったのかもしれません。しかし全ての新到者に対してニコニコする必要はありませんが、丁寧な親切な応対をしなければいけないし、間違っても大きな声で注意するなどはやらないように気をつけなければなりません。

 もう一つは、この人は日頃の静座会にはほとんど顔を出さず、いきなり摂心会に何回か来て入門し、何回か参禅をしたのですが、懇親会に参加したことがない人でした。東京支部の内外でも、静座会とか摂心会には参加するが懇親会にはほとんど出ないという人は結構おられるのではないでしょうか?

 小生は和歌山で支部を立ち上げ、また転勤で鹿島に来ても支部を作りましたが、摂心会円了懇親会のみならず月例静座会でも懇親会は必ず実施してきました。そしてこれが支部づくりに繋がったと思っています。

 耕雲庵英山老師は、「摂心会の打ち上げ懇親会がしっかりできない者は一週間しっかり修行していないからだ!」と云われておられました。懇親会は付け足しの+αではなく、大切な行事と捉えるのが人間禅の伝統なのです。旧参は特に利他のために、また支部づくりのために懇親会には積極的に出席して場を盛り上げてほしいものです。そして新到者には、厳しい修行の一面だけではなく、和やかな楽しく仲の良い懇親の面も併せて見せて、我々の人間禅の修行を認識してもらいたいと思います。まさに仲間作りの絶好の場が懇親会ということになります。小生は会社勤めでしたが、会社でもこの精神でアフターファイブを捉えてやっていましたが、禅の仲間との懇親会がやはり一番楽しい場でした。

 

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(続)人は何を遺すか?

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/7/22 22:34

(続)人は何を遺すか?

丸川春潭

 恩人のご逝去に際し、「人は何を遺すか?」を自分に当てはめて考えはじめ、人間形成の禅をもってひとづくりをして「人を遺す」ということになったのが前のブログです。

この「人を遺す」ということに似たものは、職人が弟子を鍛え育てて後継者を残すのにも見られます。陶工の楽家の伝統もその一つでしょう。明珍の火箸を先年かっての同僚と姫路まで見学に行きました。ほとんど家内工業ですが技術の伝承が脈々と平安時代から900年間にわたって繋がっているのを目の当たりに見ました。ここではその伝統の火造技術を身に付けた人を遺し続けているのです。

昨日、擇木禅フロンティアで新しい禅の講演を聴きました。講師は数奇な人生経験者であり話は面白いし凄い人であり、やられていることも立派なことをやられていると感銘を受けました。未だ70歳だし多くの現代人を救済しまた熱烈なファンを持ち財もなされるであろうと思いました。

しかし昨日拝聴した限りでは、自分と同じような後継者を遺すことはお考えにないように思いました。悩み迷っている多くの人を救済するという実績は遺されるでしょうが、向上心のある人物をそれぞれの個性に応じて年月かけて育成する人物づくりの視点はお持ちでないようです。あまりにも非凡な講師と同じような後継者は出て来にくいと云うこともあるでしょうが、あくまで自分一人の個人プレーで終わりになるでしょう。一人が一代でやられることとしては大きいでしょうが、次には繋がらないということです。

人を遺すということは、遺した人がまた次の人を残すということによって永遠につづくその端緒を残したということであり、一代でなすことへの視点だけではなく、未来への視点を持ちつつ「今」をやっているところが、彼我の違いです。

しかも我々の人間形成の禅の歴史を振り返るとこの道の端緒は2500年前のインドのお釈迦様が遺したものからであり、6世紀1500年前の菩提達摩が中国へ渡って来て中国にそれを伝え遺し、さらに13世紀大応国師が中国からその法を継承して日本に保ち帰って来て今日にまで到ったものです。したがってこう見てくると、先ほど端緒と書きましたが、現在はその歴史の先端部分と捉えるべきでしょう。

ただこの人づくりのための伝承は、臨済禅の歴史の最初からあったわけではない。従来からの僧堂の禅は一個半個の「伝法のための伝法」が第一であり、その時その時代での広がりよりは将来への視点が強く、またその伝承は個でなされたものでした。しかし明治以降に誕生した在家禅は「布教のための禅」となり、そして更に71年前の人間禅の誕生により「布教のための伝法」が確立した。そこからは個ではなく集団(僧伽)で布教し、集団(僧伽)で法(嗣法者)を遺すことになったのです。

昨日の講演者は一人で布教をやられていましたが、人間禅の場合は師家も布教師も輔教師も総勢200数十名が一斉に全国各地で今の布教をしています。また戦前までの禅界においての伝法は個から個でしたが、人間禅になってからは集団で個(嗣法者)を遺すという体制になりました。特に伝法を組織的に行うと云うことにより法の断絶という危険は減じ、未来への布教が盤石になったのです。すなわち禅による人間形成を社会に広げ、正しく楽しく仲の良い社会をつくる志とシステムを未来へ確実に遺すことが可能になったのです。

人は何を遺すか?において、人を遺すと云うことの素晴らしさに気づき、またそこに個の名前ではなくみんなと一緒にその一端を担えることの痛快さをつくづく噛みしめることができた次第です。(おわり)


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人は何を遺すか

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/7/18 21:55

人は何を遺すか

丸川春潭

 住友金属時代の大先輩であり恩人である栗田満信氏が4月にご逝去された。享年94歳でした。氏は多くの部下に慕われ、氏を中心に年に2回の懇親会を永年にわたり東京と関西で一回ずつ開催されてきました。これほど多くの部下をこのお年まで慕い続けさせ、死して尚その薫陶を及ぼし続ける人徳は、小生寡聞にして他に知りません。私も薫陶を受けた多くの部下の一人でしかないのですが、自分も多くの知友と一緒に自分が死ぬまでその薫陶を抱き続けるでしょう。

 この大先輩の遺されたものをつらつら考えて、人は死んで何を遺すのかを考えました。

 ニュートンは万有引力を遺し、アインシュタインは相対性原理を遺し、ピカソは前衛絵画を遺し、トルストイや夏目漱石は文学を遺し、利休は佗茶を遺し・・・と見てくると、その人のなしたものが後世に大きな影響を及ぼしたからそれを遺した人の名前が残ったと考えられます。

更に考えを進めて、名前はどうでもいいとして、人は生を受けてこの世に生きて後に何を遺せるのか?の考えに到ります。子供を産んで育てて孫が生まれてと云う子孫を残すという遺し方もあります。先の栗田先輩は多くの後輩に薫陶を遺されました。芸術家はその作品を遺す。その遺した物の大きさとか価値は時代背景もジャンルも違いますので容易に比較したり尺度したりすることはできません。しかしその影響がいつまで残るかはある程度尺度できます。

芸術家の作品はそれが時代を超えて感銘を残すものであれば人類が生存するかぎり残ると云えます。先生からとか親から受けた教えや愛情や薫陶のような対人関係で遺されたものは、それを与えた人と受けた人の関係性でできたものですので遺されたものを受けた人が死ねばそれはほとんど消えます。しかしそれが受けた人の人格形成にまで大きく関わるものであれば、受けた人の働きや遺した物に与えた人の影響は必ず及ぶと考えられます。

しからば振り返って、「人間形成の禅」でもっての人づくりの場合はどうかを考えてみたい。人づくりは人物づくりであり人間力が付きます。これによりその人の持って生まれた資質と個性が最大限に発揮されることになります。そのジャンルは政治・経済・科学・芸術全てのジャンルに多面的に及びそれぞれの職業や居場所で光を放つことになります。更に人を育てて残すと云うことは多面的な影響と云うより次々に人づくりが伝承するということになり、未来への繋がりと発展の可能性が広がります。すなわち人づくりによって人物を遺すと云うことは、芸術家の遺す作品とか科学者の発明と同じように人類がつづく限り残るものです。

人間形成の禅を進める人間禅はまさに人づくりをするために創られた集まり(僧伽)であり、人を育て人物を遺して来た伝統を受け継ぐものであります。この人づくりの伝承は少人数の師家だけでできるものではなく同じ志を持って集う僧伽全体でなされるものです。私はその多くの道友の中の一人としてそれに関与していることに思いをいたすとき、はじめて大きな生きがいを感ずるのであります。すなわち一人ではできない人づくりの伝承の一端を担ぎ、みんなで人づくりの輪を広げ、また未来へ向かってこの伝統を遺すのです。(つづく)


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チェンジ ユー(その3)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/7/11 22:12

チェンジ ユー(その3

丸川春潭

  自分を変えたいがだんだんと深まって本当の自分探しまで行き着き、本当の自分を掴むことで根本的に自分を変えるという観点を前のブログで書きましたが、「禅は君を変える!」というキャッチコピーからもう一度、何を変えるのかと考えたときのそのanswerの一つを追加しておきたいと思います。

 小生のいつもの相対樹と絶対樹の図を先ず掲げてそれで説明します。

一般的に変わりたいという場合はその99%がこの図の左側の相対樹での思考になっているのですが、禅を修する(座禅において数息観三昧になる、あるいは公案修行において公案三昧になる)ことで、感性の場にはじめて入り込むことができます。すなわち禅をやることによって、相対思考(知性)に加えて絶対思考(感性)も併せて持つことができるようになる。これは大きなチェンジです。

チェンジするユーが多く集まって社会現象になれば、世の中がチェンジすると確信します。みんなで把手供行して、相対樹から絶対樹に渡り、正しく楽しく仲の良い社会にチェンジしましょう!!合掌
 


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チェンジ ユー(その2)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/7/10 12:16

チェンジ ユー(その2

丸川春潭

 自分の顔や容姿のような外見的な皮相のことではなく、自分に自信が持てない自分をなんとかしたいとか対人関係における拙劣さを変えたい、落ち着かない性癖を何とかしたい等の自己の内面的な観点から自分を変えたいと本気で思うことは、人間形成の第一歩になる大切なことです。この思いの背景をよくよく考えてみると将来何かになりたいという思いが出てくるその前に自分を反省した結果であることに注目します。深く反省しているからこそ、これではだめだと奮起し向上心をかき立てるのです。

小生が20歳前後の学生の頃、耕雲庵英山老師の侍者をしていたときに、老師がわしは夜中に2回 目が醒めるのだが、その都度 前日の自分を反省しているんだと諭されました。すなわち反省が成長の前提にあり反省なくして成長はないという教えだったのです。その時老大師は70数歳でした。こういうことは年齢には関係ありません。若くても反省心がなければ成長しないし、年取っても反省して奮起すれば、何歳になっても自分を変えられると云うことです。
 次は、深く自己を反省した上で、今のままではだめだから自分を変えたいと奮起した人がそれを実践的にどう取り組むかということが問題になります。そしてこれにはいろいろな方法手段があり、沢山のハウツウ書籍が出版されています。ここまで追求して来る人も少なくなっていますが、ここから更に正しい解決策に巡り会える確率は極めて低いのが古今を通じた現在の日本の実態です。
 変わりたい自分をもう一度振り返り見つめ直して、変えられる部分と変えようがない自分に先ず分けて考える。そして変えようがない自分を更に詳細に見える部分と見えない部分に分けて追求してゆく。この見えない部分の追求が深まれば自然と「自分は何なのか」という本質的根源的課題に突き当たることになります。これはもうscienceでも知性でも解決できず、spiritすなわち感性の場でそれを探求するしかありません。この本源的な追求になるとひょっとしたら自家の珍宝を発見することができるかもしれません。こうなると自分がチェンジしたいと思っていたどんなことでもチェンジできているでしょう!!なぜなら本当の自分が掴めているのですから。こうなるとその人は全き自由を手にすることができ、はじめて個性が真に発揮できる状態になります。(つづく)

(補遺1)見えない部分の追求の方法が座禅での黙想(数息観法で良い)です。この詳細は、先のブログ「道力(胆力)を付けるには」シリーズ(その1)~(その4)をご参照下さい。
(補遺2)見えない部分の正しい追求の具体的仕方については、同じくブログ「道眼(胆識)を付けるには」シリーズ(その1)~(その5)をご参照下さい。
 


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チェンジ ユー(その1)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/7/6 13:41

チェンジ ユー(その1

丸川春潭

 

 623日に東京支部摂心会における講演会があり、慧日庵笠倉玉渓老禅子が「チェンジ ユー」のタイトルで講演されました。新到者に判りやすく禅の深いところまでを説きそして感銘を与える良い講演でありました。その後小生はこのタイトルで考えるところがあり、全然別の角度からの話をしたいと思いブログを書き始めました。

自分を変えたい!このままの自分では満足できない。その内実はいろいろなニュアンスの違いがありますが、こういう気持ちを持つ若者が多いと言うことを聞きました。自分を変えたいなどと云う気持ちを持つと云うことは人間しか持ち得ない極めて人間らしい気持ちであると思います。

仕事でも事業でもそうですが、現状肯定の場合は新しい展開も飛躍も望めません。今朝のネットのニュースに、トヨタの社長がこの10年間で最高の収益を上げながら、100年に一回の大改革を大々的に打ち出していました。こういう会社は必ず伸び続けると思います。現状を否定するところから将来の目標が明確に出てくるし、現状に対する不満とか危機感が現状打開のドライビングフォースになるのです。

ただ、自分を変えたいという人の内実を踏み込んでいろいろ調べてみると、ほとんどが皮相的で、人それぞれの好みのようなもので、客観的には別に変わらなくても良いのではと思えるようなことを本人は変えたいと思っている場合が多いようです。そういうものはちょっとしたきっかけで気分が変わってどうでも良くなったり、逆に変わる必要が無いことに気づいたりするのです。

数年前まで自分探しと云う言葉が流行りましたが、チェンジ!と出てくる心情は大体同じところからと思います。そしてこちらの方も、それに対する思い詰めも含めて、皮相的な場合が多かったように思います。

しかしわずかな人においては、自分の現状に不満で今の自分を本気で変えたいと思い、いろいろな娯楽とか趣味とか仕事とか恋愛とか結婚とかでは自分探しもチェンジしたい欲求も紛らわすことができず、思い続けている人がいつの時代でもいるものです。自分の現状に満足できない、しかも表面的なところでごまかすようなことをしても納得できないのですが、得てしてこういう人はどう変わりたいかが明確にわからないものです。まさに自分探しと似ているところです。

皆さん!もう少し本気でどう変わりたいのかを、あるいは自分探しをもう少し深く掘り下げてみませんか?

そういう人が出てきた時にどうお話ししどう対応するか、小生なりの見解を次回に申うさせていただきます。(つづく)
 


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