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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

心印です。
 
久々の音楽ブログです。座禅に関係ないです()
でも座禅道場でライブをやるのは、若い人にも都内に本格的な座禅道場があることを知ってもらい座禅をしたことがない方にも座禅の良さを伝える活動でもあるのです。
 
4月15日は理事会がありまして、その後、夜は懇親会だったのですが、私の方は中島春香さんがライブをするのでそちらに行くことにしていました。
 
中島春香さんはピアノの弾き語りの方で、夏頃に擇木道場でライブをしてくれることになっています。前回の玉村梨紗さんの次に2番目にOKを頂いた方です。玉村梨紗さんはうちのライブに出られてから一気に人気が出てきましたね。ブログのアクセス数が335件とこのエントリだけダントツです。
 
最初はツイキャスで弾き語りをしていたのを拝見して声をかけてみました。その後、3月19日に代々木の森 リブロホールのライブを見に行って初めてお会いしてライブをお願いしたのです。
 

代々木の森 リブロホール 中島春香さん
 
さて4月15日は、国分寺でライブってことで理事会が17時半に終わったのですが、出番は19時ってことで1時間半あれば十分間に合うと思っていたら・・・日暮里、国分寺の距離をわかっていない関西人(大阪です)でした。
 
Yahooナビで検索したら一般道路は19時過ぎてしまうってことで、首都高速を使ってぎりぎりって感じでした。でも高速に入ったら渋滞していてほとんど動けず、次のインターで降りました。結局、19時15分くらいで最初の曲は聞けませんでしたが、よくYoutubeで見ている「ハナミズキ」をリアルに聞けたのでよかったです。
 

 
国分寺GiveHearts‏
 
さてこのライブは、山城優平さんというギター弾き語りの方が自主企画されたもので、タイトルがすごくて「初心と過信」。

 

企画された山城優平さん ギター弾き語り
 
この方の歌もとっても素晴らしくて、全体にアコースティックな方ばかりのライブだったので、バラードが好きな私にはとっても嬉しいライブでした。
 
一緒に出演されていた里穂さんと言う方はちょうど誕生日だったそうで、里穂さんのライブの途中で突然ハッピーバースデーが流れて、一体何が始まるのか?と思ったら、
山城優平さんがケーキを持って現れました。
 

里穂さんと山城優平さん
 
お祝いの場、それから音楽仲間を思いやる、その気持ちに触れて、こちらも幸せな気持ちになりました。
 
 

 
里穂さん Anemone
 
ライブ終了後、中島春香さんとライブの打ち合わせを少しして、里穂さんを紹介してもらいました。座禅ライブのことを伝えておきました。里穂さんもいい歌を歌われるので、出てくれたらいいなと思いつつ。
 
心印セレクション() まだ公表はできませんが、6月3日午後、6月25日午後の2本が決まっています。5月になったらどなたか発表しますねー。
 
心印 拝
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心印です。
 
久しぶりにブログを書きますが、東京で夜一番遅い座禅会を開催しました。
初めての方は3名いらっしゃいまして、うち一人が香港から来られた方でした。
 
参加者は3月末の期末の多忙さから、だんだん増えてきていますが、4月も新しい仕事や役割、期初の慌ただしさもあるのか、まだ3列にはなっていませんでした。
 
本当はあわただしい時ほど、座禅をして落ち着きを取り戻した方がいいと思うのですが、金曜の夜は皆さんヘトヘトなのかもしれません・・・。
 
さて座禅後の勉強会では、恒例の老師の書かれた「人間形成の禅 その効用・効果について」から「その1 直ぐ仕事に勉強に取り掛かれる効果」を読んで勉強しました。
 
全文はこちらにあります。
http://takuboku.ningenzen.jp/modules/pico09/index.php?content_id=1
 
でも、毎回読んでいて思うのですが、同じ文章を読んで、同じことを説明しているのに、やはり前回、説明したことと違ってきているのですね。平易なわかりやすい言葉で書かれているのに、それを読む自分の修行のレベル(これを禅では境涯(きょうがい)と言います)や、仕事の状況が、変化しているからだと思います。
 
上がっていればいいのですが、こればかりは下がることもあり得ます。
 
でも、こうして勉強会をやるのも自分の境涯を下げないようにする工夫でもあるのですが、レベルが下がるようでは金曜の深夜(勉強会は座禅後なので、なんと22時頃からですから・・)に、わざわざ時間を取って参加して頂ける方に申し訳ありません。
 
さて今回は、仕事で問題にぶつかった時の話をしたのですが、SEである私は毎日が問題にぶち当たる、問題を解決するのが仕事であるような感じなのですが、禅がどれだけ、この問題解決能力を上げているかを説明しました。
 
禅をやる前の自分の能力は自分が一番よくわかっていますから、今の禅をやっている自分の能力と比べやすいですね。
 
でも数息観だけの座禅では、雑念を落とし、本来の自分を取り戻すところまでですから、能力を上げる方向にはなかなかつながらないとも思います。老師に参禅して直接指導を受けていることから来る問題解決能力の向上であることは間違いないのです。
 
ということで、主に数息観の効用、効果を書かれているこの文章は、座禅の入り口であるということですね。それで最後の方に「その14 座禅の功徳は無限大」という文章があるのです。でも私のレベルではまだ、ここまで説明できないので、さらに自分の境涯を上げる必要があるということですね。
 
この文章は自分の座禅のレベルがどの辺にあるかがわかる文章でもありますね。
 
さて次の日は道場で理事会というのがありまして、そこで次の摂心会(せっしんえ)での講演会の話をしました。昨年度は「心がブレないシリーズ」だったのですが、今年は「心のマネジメント 感情をコントロールするには」になりそうです。
 
そこで座禅会のタイトルも「東京で夜一番遅い心のマネジメント座禅会」にしようかと()長すぎるかもしれませんね。
 
来週は老師がいらっしゃって、老師の禅の話を聞くことができます。
本格の禅の修行に興味のある方は是非、老師のお話を聞いてください。
 
心印 拝
 
 
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昨日は、さいたま座禅会

 

浦和に着いてお茶菓子とお茶を買って公民館の会場に。

すでに会場設営を済ましてあって、そこにいたのは仰月庵老師、ギョッ!!

翠香さんは見当たらない・・・・私の和服の風呂敷に置手紙・・・見たら

「設営はしましたが、具合が悪く坐れないので帰ります。」と。

三行半でなくてよかった。()

 

私も風邪で坐れそうもないので言付けをして帰ろうかな、と思っていたの

ですが、そうもいかないぞ、と。

そのうち、さいたま初参加で擇木、市川と坐って来られ八王子の摂心にも通しで参加してきたよ、という方が来訪。二回目の方と、いつもの剣道家の女性も来られ、祖芳さんはデパートで買ってきたといって、宮城県のうまいお菓子をお土産に、南苑さんも風邪をおして来てくださいました。

途中、仁雲さんも参加。結構大勢での会となりました。

 

あっと言う間に2回坐ってお茶タイム。仙台のゴマをまぶした「ゆべし」と鳴子温泉の餡の入った小さな大福のようなのを食べながら、しばし、歓談。

老師がいらっしゃると、場の雰囲気がいいですねぇ。禅のことなど全くいわないのに、みなさんニコニコと。これなんですね・・・座禅は、人を作るのだなぁ、そして周りもよりよくする。

 

来週の水曜日、19日も座禅会です。仲町公民館。

423日は、日暮里の擇木道場を借りて参禅会。14時からです。

どなたでもご参加になれます。夕方からは懇親会もあります。

 翠香さん、早くよくなるといいなぁ。

 

さいたまで、座禅会やってます。どうぞおいでください!!

                               海香

 

 



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桜色は何で染まる?(玉溪)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/4/11 1:00

花一分 枝にひそめる 残り九分

  

いきなり駄作で申し訳ないが、私は子どもの頃、桜の季節になると枝の中がどうなっているのかとひたすら考えていた。きっと小さな桜の花びらが枝の中に小さく小さく畳まれて収納されているのに違いない、枝を開けてみればピンク色でいっぱいなのだ、それが順番に外に押しされてきているのだ、いつかきっと「よいしょ、よいしょ」と押し出されてくる瞬間を見るぞ、と心ひそかに願ってきた。さなぎが蝶になるとき、羽を大きく広げて出てくるのと何か同じように感じられてならなかったのだ。

今でもどうしてもその感覚がどこかしら抜けない。一分咲いた桜を見ると、枝の中で窮屈そうに、しかしいよいよ外に出る期待でワクワクしながら順番を待っているたくさんの可愛い花びらが隠れているように感じて心楽しくなり、つい花よりもそこに目も心も吸い寄せられてしまう。

  

この非科学的な理科系能力ゼロの私の感性が、あながち、そう、あくまであながちだが間違っていないかも、と思える文章にあるとき出会った。

染色家の人間国宝志村ふくみ氏の話をご存知の方もいらっしゃるのではないだろうか。あるいはその話に感動してさらに「言葉の力」という文章を書かれた大岡信氏をご存知の方もいらっしゃるかもしれない。

あるとき大岡氏に志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれたという。「そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた」そうで、氏はこの色が桜の花びらを煮詰めて染めたものだと思ったという。

ところが、それはあの黒くごつごつした桜の皮から取れるのだという。しかも一年中どの季節でもとれるわけではなく、桜の花が咲く直前のものだけだというのである。

  

大岡氏はその話を聞いて「体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。」と書いている。

  

大岡氏はこのことを、「言葉の力」という文章に引用し、「言葉はそれを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにある。・・・このように見てくれば、言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。・・・全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。」と書いている。

  

もう少し敷衍してみると、私にはこれは『般若心経』の「色即是空 空即是色」のように感じられる。個々の命は川に浮かんだ小さなあぶくのように、縁が整った時に現れる。釈尊が説かれるように、人間は「名称と形態」、つまり形あるものを五官を通じて認識するだけで、その母体となっているものを見ることはない。桜で言うなら「ピンクの花」という形あるものだけを見る。しかしピンク色は循環する時間の流れの中で根枝に充満し、あるとき花として押し出されたほんの一部の現象でしかない。  

現象に捕らわれずに命全体を見る目で見れば、冬の間枯れたように見える幹や枝の中で、着々と力強いピンク色が実際に作られていて、気候と時間の縁が満ちたとき花となって押し出される、そんな全体を把握する直観と感性が、現実の桜の花の意味を見逃さないことになる。

世界が一本の桜の木であるとしたら、私たちはひとりひとりが一枚の花びらである。大きな共通するものから生れ出た現象なのである。日当たりやら様々な条件で同じような色や大きさとはかぎらない。しかしその母体の「いのち」とひとひらひとひらがつながっている。『般若心経』は、形ある現象である「色」しか見えないと、断絶した「個」の意識しか持てず孤独と不安で苦しむ。しかし、母体である「空」を知れば「やすらか」な境地を得る、と説く。

  

千利休は大禅者であったが、お茶の極意を訊ねられて「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」の歌を挙げた。

花とは目に見える春の事である。しかし桜が咲いてやっと春だな、というような目ではお茶はわからない、と言うのである。春は雪の下で芽吹いた小さな緑に早や充満している。「兆し」の中に全部を感じる悟性を求めているのである。

茶道は「和敬清寂」を旨とするが、特に「寂」は悟りの境地の事であり、これ抜きには、というかこれを基盤にして初めて真の和敬清が成り立つ。悟りとは「色即是空 空即是色」つまり現象と空が同時に見えている目のことである。「空」を基盤に「色」を見よ。いや、それでは遅い。「空」と「色」は「即」の関係であることを把握せよ。ふたつの異なった姿が同時に紙の裏表のように起こっていることを見る目、そういう清らかな目でなればどうして花びら一枚一枚が敬い合い、和することができようか。どうして一座建立の茶席が成せよう。どうしてこの世がそのまま仏国土となることができよう。

ここに到って私たちはひとりひとりの絶対孤独を認識し、同時にすべてとつながっていて決して孤独ではないと知るのである。一は全体であり、全体は一でもあると納得するのである。これは『華厳経』の説く大乗仏教の精髄でもある。

  

大岡氏が言われるように、私たちが何かを話したり行為をするとき、実は全体を表わしてもいるのである。枝葉末節とはよく言ったもので、先端を調えるだけではまさに小手先である。身口意の三業が闇でなく光となるには、心を調え浄らかであることこそ肝要である、と釈尊は語られた。

私たちの身体の中にはまだまだ眠っているものがたくさんある。縁に随って表に出てくるものの色は心次第である。外に出るのを待っているたくさんの花びらをすこやかに成就させたいものである。 合掌

  

  

 

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先週は三分咲きだった日暮里・谷中の桜が満開です。
満開とともに散り始めるその花に少しばかりの口惜しさと大いなる自然の潔さを垣間見る思いです。
 
今週の女性部静坐会には、金曜夜の「東京で夜一番遅い座禅会」に初めてお越しくださった方が擇木道場に泊まってそのままご参加くださいました!
その他に常連の方が3名、会員7名の合計11名で坐りました。
雨と桜の降りしきる中、お越しくださりありがとうございました。
 
女性部静坐会では30分坐り、数分の休憩の後、皆で坐り方を確認してから再度30分ほど坐ります。
そして、その後、車座になって老師のお書きになった文章を味わう時間があるのですが、今日は金峰庵老師の「坐禅の効用と本格の修行」から「本格の修行について」の一節でした。
本格の修行というと難しく感じそうですが、その後のおしゃべりでの話題と相まって、私には深く心に入ってきました。
各々でたてたお抹茶をいただきながらのおしゃべりなのですが、さながら議論。
 
少し長くなりますが金峰庵老師の文章を引用いたします。
 
“私達が一生の中で何を置いても決着しなければならないことは、人として生を受けた私たちが、自分自身の人生をどのようなものとして受け止め、どのようなものとして生きていくのかということであります。ふつう、「人生とは何ぞや」と問う訳ですが、ここで問われるべきは、人生一般ではなく、正に自己の、自分自身の人生であり、一人一人が自らに向かって自分の一生をどのようなものとして受け止め、それを実践していくかということであります。”
 
私たちは一人ひとり、体格も違えば性格も違います。国や地方によって似たような性質と思えても誰一人として同じ人間はいません。
では、私とは何なのでしょうか?
私の人生とは何なのでしょうか?
例えそれが明確にならずとも、坐禅をすることによって、その大きな問いを考えてゆくための道は開けるのではないでしょうか。
そして、自分の人生との向き合い方もおのずと体感できてくるのではないでしょうか。
 
自分とは?
自分の人生とは?
なぜこのように生まれついてしまったのか?
と考え込んでしまう方は少なくないでしょう。
また、新しい環境になって悩みなども出てくるとき。
坐禅でざわついたこころを落ち着かせてみましょう。
 
土曜日の朝、9時30分からの静坐会にご参加お待ちしております。
 
   合掌 翡翠 拝
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4月9日 日曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/4/9 9:54

49日 日曜座禅会


初めての参加       0

2回以上の参加      5

会員               5


読経         「座禅和讃」

一行物    「下喬木入幽谷」 「喬木を下りて幽谷に入る」

『孟子』「滕文公上」の章にある「吾れ幽谷を出でて喬木に遷るものを聞くも、未だ喬木を下りて幽谷に入る者を聞かず」という言葉にもとづくもので、禅語ではありません。

禅者の修行目的は「上求菩提、下化衆生」、つまり自分とは何かを悟り安心を得るとともに、現実世界で悩む人々に安心を得るための行を教えていくことで、お釈迦様をはじめ歴代の祖師方が行ってきたことです。禅者が好んで揮毫するのはそのためとのことです。


H29年度から日曜座禅会では「経行」を取り入れます。

今日は以下の時間割でやりましたが、「経行」をもう少し長くしてもよいと思いました。

40分坐禅、5分休憩、15分坐禅、5分経行、20分坐禅、5分読経(般若心経、座禅和讃)


本日は、座禅会員の西○禅子から、手作りのお菓子(夏みかんの砂糖煮)をいただきました。無精製の砂糖で煮ている為、茶色に近い通称オレンジピールです。微かに感じる苦みが抹茶にはとても良く合います。ごちそうさまでした。合掌 龍泉




 

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入会式、道号授与式、お花見会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/4/6 0:10

法照です。

 

41日土曜日、擇木道場は一日フル稼働。

土曜朝の座禅会、女性部の座禅会と続き、午後には入会式、道号授与式、お花見会。

全て終わって道場が閉まったのは夜の11時をまわってからでした。

 

入会は、正式に人間禅の会員となって修行をしていく方で今回は3名いらっしゃいました。

また、我々会員は公案という禅の問題を授かって、その答えを老師に見ていただいて教えを受ける、ということを行って修行を進めていくのですが、その最初の公案の答えを老師に認めていただくと、道号という禅の修行をする上での名前を老師から授かるのですが、その道号を授かる式典もあり、1名の方が道号を授かりました。

道号を授かるというのは、禅の修行では大きな節目であり、非常にめでたいことです。

 

下記の写真は、今回道号を授かった佐藤夢月(むげつ)禅子の写真です。

(「夢月」というのが道号です)

 


(左が夢月禅子)

 

夢月禅子は一般社団法人ドリームマップ普及協会の代表理事で、精力的に活動されている方です。

 

◆ドリームマップについては下記を参照してください。

http://www.dream-map.info/subcontents/dreammapis.html

 

 

入会式、道号授与式とおめでたいことが続き、その後はお花見会へと続きました。

うちの道場の花見会は、外で桜の下でブルーシートを広げてお酒を飲むわけではありません。

まず道場周辺を散策して桜を観賞し、その後道場での宴会へと続きます。

まずは総裁老師を先頭に上野まで足を伸ばして桜を見ていきます。

 


(中央が総裁 葆光庵丸川春潭老師)

 

下記の写真は、割と咲いていた木を撮りましたが、全体的には咲いても4分咲き程度というところでした。

 


 

谷中、上野周辺は外国人観光客も多いのですが、総裁老師は着物姿なので、外国人観光客からは注目の的でした。

スマホで写真を撮る外国人の方も何名かいらっしゃいました。

 

桜が4分咲き程度で残念、と思うのはほんのわずかの間。

道場に帰れば、そんなことはすぐに忘れて懇親会が始まります。(笑)

入会、道号授与も重なったので、楽しい宴会となりました。

 


 

下記は初関会のメンバーが集まっている写真で、相談役の慧日庵老禅子を囲んで話をしているところです。

 


(左が相談役の慧日庵老禅子)

 


(初関会メンバーが老師方にご挨拶)

 

初関会とは、老師から最初の公案(禅の問題)をいただいて入門された方、道号授与されて間もない方が対象となる会です。

入門されて間もない方は、「禅の修行はどうやって進めていくの?」とか「座禅を深めて行くにはどうすればいいの?」など、いろいろわからない事が沢山あると思います。

初関会は、そういった方々をフォローするために総裁のご提案で始まりました。

一般の方々は、修行というのがとても敷居が高くて「とても自分には修行なんて…」と思われる方も多いと思います。

今までも、そういった方々にフォローはしてまいりましたが、これからは初関会で更に手厚くフォローしてまいります。

初関会は月に1回以上、慧日庵老禅子を囲んで定期的に集まりをもっています。

そこではいろいろな質問や相談をすることができます。

他の方の質問を聞いているだけでもためになることがたくさん聞けますし、会話が弾めば同じ会員同士のつながりも深くなっていきます。

一人で修行をしていると、なかなか厳しいものがありますが、こういう集まりがあれば「皆で一緒に修行しているんだ」という連帯感も出てきます。

もし、「禅の修行に興味をもっているけど、続けていけるか不安…」という方がいらっしゃいましたら、東京支部ではこういった制度もありますので、安心して修行を始めることができます。

 

バンザイで締めくくって、懇親会は終了しました。

 


 

終われば皆で仲よく片付けをして終了です。

 

◆おまけ

 


飲み足りない人は、1階の居士寮で二次会もありました。

 

合掌

法照 拝

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   4月1日  女性部静坐会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/4/3 2:09

 ここ谷中の墓地の桜花、冷たい小雨に濡れながら

初々しいさくら色の顔を見せてくれました。

今年もまた会えました。

 

少人数の座禅会になりましたが、昨晩からお泊りの総裁が

初めての参加者に面談をしてくださいました。

 

座禅後、隠寮で大海さんお手前のお茶席に皆んなで伺いました。

今日のお軸は、「晴れてよし曇りてもよし富士の山・・・」で

今夕、道場で催されるお花見が、この午前の小雨がやまずとも

「雨でも良し桜かな」との総裁のお気持ちの掛物でした。

 

午後、3名の入会式、1名の道号授与式がありました。

上野公園までのゆったりした観桜道中のあと、道場へ戻り

花見の懇親会になりました。

 

席上で入会者の話された言葉が心に残ります。

何年も座禅に来られ自分を問い続けてきた方が、もう一歩

進めて老師の前で自分を見極める道を選ばれたこと。 

慎重な生一本な様子をずうっと拝見してきたので感無量です。

女性の方がやはり入会の想いを話されましたが

こんなに真摯な想いの方々を迎えるにあたり

自分が当初何を求めてここに来たかを思い起こし、しっかり

坐らなければ申し訳ないと痛切に思いました。

 

静坐会の常連の方々も背中がすっと伸び、頭がしゃんと上がり

坐相に気を付けて居られるのがよく分かりました。

 

4月は最終週まで常の座禅会です。

皆様のご参加をお待ち申し上げております。 (秋香)

 

 

 

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心印です。
 
先日、擇木道場で行われた玉村梨紗さんの座禅体験会+ミニコンサートに参加して頂いた仙台禅会の先輩 祖芳さんがブログに書いて頂きました。
 
「玉村梨紗さんのミニライブ択木道場(谷中)にて行われる」
http://sendai.ningenzen.jp/modules/d3blog/details.php?bid=200
 
是非ご覧ください。
 
擇木道場で歌ってくれる座禅に理解のあるアーティストさんが続々と決まりつつあります。心印セレクション()ではありますが、またご参加ください。
 
心印 拝
 
 
 
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インドラの網

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/3/24 0:45
「法照」です。
自分の道号に括弧をつけている理由は、また後ほど。
さて、来る3月26日は
『華厳経』を読む② 「真実を求めて~善財童子の旅」
がございます。
一年かけて慧日庵老禅子がお送りした仏教講座も第一期はこれが最後になります。
これに関連したお話しをしたいのですが、善財童子については前回のブログ
「善財童子」
で記載しましたので、今回は講座で取り上げられると予告されている宮沢賢治について書きたいと思います。
第5回の仏教講座でも慧日庵老禅子が少し触れられましたが、宮沢賢治と華厳経のつながりというと「インドラの網」になります。
「インドラの網」をお読みになったことはございますでしょうか?
読んだことのない方は、下記の青空文庫から無料で読むことができます。
青空文庫「インドラの網」
※青空文庫は著作権が消滅した作品を無料で公開しているサイトです。
「インドラの網」は、ネットなどで調べると「童話」として紹介されていますが、「童話」というにはかなり難解です。
第5回の講座でも少しご説明がありましたが、「インドラの網」とはインドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網のことで、結び目にそれぞれに宝珠がついていて、その一つひとつが他の一切の宝珠を映し出すという深遠な世界を現しています。
また、ストーリーは于闐(こうたん)という都市(華厳経の経典が秘蔵されていた都市)にあった于闐大寺を発掘した青木晃が、ひどく疲れて倒れていたところ、気づくと壁画にあった三人の天の子供たちに会い、幻想的な世界の中で天の子が指し示すインドラの網を見て…、と続いていきます。
宮沢賢治といえば、詳しい方は「なぜ法華経を信仰している賢治が華厳経を題材にしたのか?」と思われたかもしれません。
調べてみると賢治は法華経を深く信仰していたようですが、それ以外の知識も広い分野から得ていたことが宮沢賢治が残した蔵書目録から見て取れます。
文学(日本、世界文学)、古典、思想、仏教書、聖書、数学、化学等々。
宮沢賢治には「四次元」に関する著作もありますが、相対性理論などの本も蔵書目録の中にあります。
(「インドラの網」の中にも「重力」という単語が出てきます)
それほど賢治の知識は多岐にわたっています。
自身の信仰のみならず、あらゆる分野の知識を貪欲に吸収して独自の世界観を構築していったことが蔵書目録から想像することができます。
膨大な知識と賢治の感性から作られたこの物語は出てくる言葉の一つ一つが荘厳な世界を想像させますが、それが最終的に何を現しているのかを読み取るのは非常に難しい作品であると感じました。
賢治の世界観は先ほど「読み取るのは非常に難しい」と書きましたが、結局「読み取る」ということで理解できるものではなく、最後は読む側の感性を最大限に使って感じ取るしかないものではないかと思いました。
そう考えると、この物語は「公案みたいだ」ということも言えるように思います。
「公案」というのは禅の問題で、私たち禅の修行をする者は老師から公案を授かって、答えを考えて師である老師に見解(答え)をもっていきます。
「答え」とは書きましたが、公案は理屈で考えて答えの見つかるものではなく、理屈以外の、感性からでてくる閃きといった形で現れてくるように思います。
「インドラの網」も理屈で考えると、「結局何が言いたいの?」で終わってしまうような終わり方です。
言葉で考えるのではなく、宮沢賢治の「世界観」のようなものをいかに感じ取れるかでこのお話しを深く受け止められるかどうかが変わってくるように思いました。
皆様、もしこの物語をお読みになりましたらどのように感じられますでしょうか?
無料で読めますので、是非、読んでみていただければと思います。
さて、冒頭で自分の道号を括弧で括っていた理由ですが…
道号とは最初の公案を透ると(正しい解答をすると)老師からいただける名前になります。
「法照」という道号をいただいたときは驚きました。
「法」といえば、ざっくり言えば仏の教えというものでしょうか。それを「照らす」…
いやいやいやいや、ちょっと待ってください…
そんな大それた道号、いただいてよろしいんでしょうか?
正直、うれしいよりも怖かったです。
が、そんな大それた道号をいただいたからといって、いきなり法を説けるわけもなく…
(だいたい、修行が一定以上まで進まなければ法を説いてはいけないという決まりもありますし)
自分には過ぎた道号だなと思っていたのですが、仏教講座のスタッフとして関わっていて少しわかってきたように思います。
「インドラの網」は、結び目にある無数の宝珠がそれぞれの光を反射して無限に広がっていきます。
法を光と例えるならば、お釈迦様から始まった光は、弟子達に反射して、更にその弟子達へと脈々と続いてきました。
その降り注いだ光の先に我々人間禅もあり、慧日庵老禅子が仏教講座という形でまた光を反射していきます。
私の役目は、その光が皆様の元に届くように、私自身は光ることができなくとも皆様の元にその光が届くようにするすることではないのかと思いました。
自分は法を照らせなくとも、法を照らす人の元へ皆様をご案内できれば、インドラの網も輝きを増していくのではないでしょうか。
そう考えるようになって、自分の道号もすこしなじんできたように思います。
是非、皆様もインドラの網にある宝珠の一つとして、光り輝いていただければと思います。
合掌 「法照」 拝
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