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擇木道場

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東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

女性部静坐会は晴れ女が多いのでしょうか?
と思ってしまうくらい、傘がお守り程度です。
 
6
24日(土)の女性部静坐会では、初めてのご参加の方1名、常連の方3名、会員6名の合計10名で坐りました。
 
女性部では静坐30分、5分の休憩の後にもう一度30分ほど坐ります。
静坐の後はほんのちょっとのお勉強タイム。
この日は、了空庵老師の法話集を読みました。
その中で私が気になった言葉は
 
「あるべきようにある
 なるべきようになる」
 
というもの。
今の私の心境と重ね合わせて「そっか、これでいいんだ」と、ストンと納得してしまいました。
 
お勉強の後は、各自でお抹茶を点ててお菓子とともにいただきます。
今日のお菓子は会員(この日は欠席でしたが)の新潟土産でちょうど10個入り!
まるで今日の参加人数を把握していたかのよう。
 
お抹茶をいただきながら、各々近況を話します。
常連の方の「考えすぎてしまう・・・」という言葉に、会員の一人が「直感力だ!」と。
そんなやりとりを聞きながら、
「考えすぎてしまうのも、あるべきよう なんだろうなぁ。
直感力で動くのも、なるべきよう なんだろうなぁ」
と、思いましたとさ。
 
 
土曜日の朝、9時30分からの静坐会にご参加お待ちしております。
 
   合掌 翡翠 拝
 
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6月25日 日曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/26 11:16
625日 日曜座禅会
 
初めての参加    1
2回以上の参加  7
会員            4
合計            12
 
読経    「般若心経」
一行物  「識得醍醐上味」
人間禅では食事の前に『食前の文』を唱える。その中の第三条にある「雲門和尚の曰く、識得すれば醍醐の上味、識得せざれば、かえって毒薬と」が出処。識得するのは本当の自分。浅深の違いがあるものの、見性によって本当の自分を確立したうえでの食物は法体を養い道心を堅固にする無上の滋養になるが、それ以前の状態ではかえって迷いを深めてしまう。
科学上の発見も、それを使う人間の心の状態で人類を救済する薬にもなるが、人類を滅ぼす毒にもなる。
醍醐とは
牛乳を精製した最も美味しいもの。現代では、レアチーズ、バター、ヨーグルトのようなものでは?
案内
7/17/8 擇木道場で摂心会があります。期間中に静座会は開催していますが摂心会の日課になります。そのため7/2日曜の朝の座禅は5:30から7:00です。10:30から座禅の時間がありますので、ご都合がよければご参加ください。
14:3017:00 講演会「心のマネジメント」をやっています。
講演会に参加すると、それに続く摂心会には何回でも参加できます。夜は提唱を聞くこともできますので、宜しければご参加ください。
龍泉 拝
 
 
 
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6月22日(木)荻窪座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/24 20:42
6月から開始した荻窪座禅会も、4回目となりました。
初回から熱心に参加されている方や新規に来られた方等を含め、合計8名で座りました。
今回から、座禅終了後に総裁老師の書かれた「人間形成と禅」~その効用・効果について~のシリーズを読むこととし、まずは、ゼロ回の「禅の功徳、効用を説くと云うことは」を読みました。
このシリーズは、「禅の功徳は無功徳」と云われ、それ自体は正しいのだが、それを振りかざしているばかりでは、悩んでいる人に希望の光を見せてあげられないということで、主に、座禅の効用に焦点をおいて書かれたものです。
「無功徳」・・・口にするのは簡単ですが、それを実践するのは本当に難しいですね。人に親切にするときに、本当に何も見返りを求めていないと言い切れるか?と自分の胸に手を当てると、親切にした自分をほめてほしい、私が困ったときには今度は助けてくれるかも?等といった気持ちがどこかにあるように思えてしまいます。自分がそのように思っていると、他人も同じように考えているのではないか?と勘ぐってしまいます。

そんなことを考えていると、初回から参加されている方が、「確かに無功徳ですよね。座禅して何かが得られるわけではないですから。」と言われました。

確かにその通り!単純明快! いろいろ考えていた自分がばからしくなってしまいました。

スタッフで来てくださった法照さんも、「ここで座って、要らないものをどんどん捨てていってください。」と言われ、なるほどその通り!とこちらも感心しました。

物を捨てるのが断捨離なら、余計な思考を捨てるのが座禅だと言えます。

捨てて、捨てて、もう捨てるものがないことも捨てていくと、一体、どんな自分に出会えるのでしょうか?

荻窪道場で要らないものを捨てていきませんか?

御待ちしています。

合掌 香水 拝

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心印です。
 
最近、珍しくリアルの本屋さんに行ってきました。いつもはアマゾンでほしい本をあらかじめ決めてから買うパターンがほとんどだったのですが、リアルの本屋さんで、何かいい本はないかなぁと探すのも好きな時間です。
 
でもお金を出して買いたいと思う本にはなかなか出会わないのも事実で、なんでも無料で手に入るネット時代で、お金を使うということの敷居が相当高くなっていると思います。
 
でも特集のコーナーでパッと目についたのは、「定年後 50歳からの生き方、終わり方」楠木新 著 でした。
 
これも座禅のおかげか、実年齢より若く見えるせいで「え? 心印さんが定年?」って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今年で56歳、普通に行けば後、わずか4年で定年なんですな、これが(爆)
 
著者は60歳で定年した際、65歳まで、嘱託のような形で働くこともできたが、あえて普通の定年にしたとのこと。10年くらい先に本を書く二足のわらじでやってきたこともあるのでしょうし、早くから定年をテーマに書かれているので、定年を自分で経験してみたとのことでしょう。それをまた著者はネタに書くわけですから、元が取れるというものです。
 
しかし、いざ定年してみると、今までの朝起きて、家を出て満員電車に揺られて会社に行くというのが、すごいシステムだったのだと気づかされます。云く、朝ちゃんと起きる理由があるわけで、定年すると予定がないので二度寝してしまうことが増えたとのこと。
 
手帳も予定がびっしり書かれていたのが真っ白になる、所属する会社や部署名が書かれた名刺もなくなる、人に自分を説明する機会がなくなるとのこと。
 
女性はもともと会社に依存せずに、会社以外の人間関係を持っているので、会社を辞めてもお友達と会ったり、旅行に行ったりと楽しくやれるのですが、男性は会社以外の人間関係をほとんど持たずに、会社に依存してしまっている、定年すると一気にそれがなくなってしまうのです。
 
そう言えば定年して奈良に帰られた先輩に一度も連絡を取っていない自分に気づきました。在職中はあれだけお世話になったのですから、連絡してもいいようなものですが。Facebookでもやっているのなら、近況くらいはわかるのですが。
 
そこで行くあてのなくなった男性はどこにいるかと言うと、図書館か、スポーツクラブ、喫茶店、パチンコ・・・という感じだそうです。
 
私は、座禅はもとより、バイクも乗りたい、ピアノやギターも練習したいと、やりたいことがたくさんあるのですが、座禅をしているからで、座禅をしてないとかえってなにもしなくなると思います。・・・いつでもできると、人間しなくなるもので、すぐそこにあるスカイツリーに未だに登ったことがないように。
 
ちなみにライブを擇木道場で始めて、ピアノ弾き語りの方を呼べるように激安価格で買ったジャンクの電子ピアノですが、分解して修理をしたら見事になおりました。ネットでBJ-AKIさんと言う方の作曲された「飛簾(ひれん)」という曲が弾きたくて、PDFの楽譜を購入してダウンロードしました。またブックオフでポールモーリアの楽譜が安かったのでとりあえず買ってみました。
 
嫁さんには「相変わらず形からそろえる人やね」と笑われましたが、確かにそうかも。・・で練習する時間はないのですよねぇ・・・
 

 
さて「定年後」の本に戻ると、こんなことが書いてあります。
 
ひとりの人が20歳から60歳まで働いたとすると、日本人は1年間で約2000時間働くそうなので、60歳の定年までに働く時間は、2000時間×40年=8万時間になるとのこと。SEの場合、残業や休日出勤を入れると、もう少し長くて25003000時間くらいになるかと思います。そうすると10万時間ですね。
 
一方、定年後の時間はというと、いま日本人の男性の平均寿命は80歳で、124時間のうち、睡眠や食事などの時間を引いた時間を11時間とします。11時間×365日×20年は約8万時間です。
 
えっ嘘って感じなのですが、会社に勤務していた時間と同じ時間が老後には残っているという計算です。法照さんのブログでは人生の一升瓶はもうすぐ空になる・・・とありましたが、実はまだまだ時間があるのです。
 
これは仕事なら月に20日勤務で土日、祝日は休むのに対して、老後は生きる限り毎日、月に30日、年に365日あるわけです。日に11時間とありますが、歳を取ると睡眠が短くてすむようになるし、通勤時間が不要ですから、1518時間くらいは確保できるかもしれません。
 
確かに定年した人の話を聞くと、ものすごい時間があるとのこと。
じゃあ好きなだけ座禅ができますね(爆
 
いや真面目な話、男は会社以外の付き合いが下手ですから、社会性を保つためにも定年前から座禅しているのはきっといいと思います。
 
しかし、いくら座禅したところで8万時間も使い切れるわけがないのです。
 
社会性はともかく、定年したら家族と、特に配偶者のある方は、奥さんとの関係もうまく再構築できずに煙たがれるご主人が多いとのこと。
 
道場に来て自分の座禅会でも主催してみませんか?
定年した後のこと、あなたは考えていますか?
 
 
心印 拝
 
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6月21日 さいたま参禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/22 15:49

皆さまは暴風大丈夫でしたか?電車も随分おくれていたようですね。

 

昨日は第34回のさいたま参禅会、浦和市民会館の座禅をする45畳の和室から短い廊下の先の15畳の参禅室が雨漏りで使用出来ず、エッ、でも、なんら動ぜず急遽、和室とパーテーションで区切ってある隣の和室45畳の部屋を参禅室として使用。なんと広い参禅室でしょう。いつもと変わらず真剣にそして無事に終了しました。

ただ、全体90畳の端と端での開催とはいえ、壁でなくパーテーションだから、他の人に参禅の内容が聞こえてはまずいので、声を小さめに参禅というつもりが、いつしか途中でヒートアップ!(私だけ?)

いつもよりは少ないメンバーでしたが、落ち着いて坐ることができました。

 

円了後に、仰月庵老師より宿題が出ました。①まもなく擇木道場で摂心が始まるので、各自十分に坐りこんでおくこと。②毎回面談者がいるように努力すること。③会場探しは急務。ひと月に一か所は会場をあたり、報告すること。

 

どれも簡単ではありませんが、常に頭に置いて行動しなければなりません。

 

日暮里の擇木道場は、市民会館や公民館で坐るのとは、また違う雰囲気の中で厳粛に 坐禅することができます。さいたま座禅会に参加して下さったことのある皆さんはもちろん、初めての方でも、随時坐禅の組み方等をご案内しますので、ご心配なさらずにいらっしゃって下さい。お待ちしております。

 

尚、28日(水)のさいたま座禅会は仲町公民館での実施となります。

ココです。 http://www.city.saitama.jp/urawa/001/001/005/009/p034136.html

お越しになるのを楽しみに待っています!!      翠香 拝

 


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仏教講座 番宣いろいろ(玉溪)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/22 10:30
おはようございます。

慧日庵玉溪です。皆さん、ご機嫌いかがですか~~?

 

私、ただいま土曜日の「仏教講座」に向けて、200ページに膨れ上がったテキストを2時間に収まるように20ページに縮小している最中です。

(ッ、ツライ。だってほんとは全部大事だから削りたくないんだもん。それに削らないで全部大事よ、と言った方がラクだし・・・

 

ところで、昨夜の法照さんのブログは良かったですね。

とても重要なことがいくつもさりげなく書かれていました。

 

中でもストレスや悩み事に対し、現在の心理学や精神的なアプローチでは当然のことになっているけれども、禅や仏教ではまさにそこを数千年にわたって提供してきたうちのひとつが、

 

問題が直接私の心を攻撃してくるわけではないんです。

問題が「恐ろしい」と受け止める私の心が私を攻撃してくるんです。

 

というところですね。今では「認知」とか「メタ認知」「認知療法」などと言いますが、お釈迦様は2500年前に、

 

走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人──かれをわれは<御者>とよぶ。他の人はただ手綱を手にしているだけである。 (ダンマパタ 17章「怒り」222

 

と説かれています。私たちの心には、止めようと思っても止まらず言うことを聞いてくれない自分と、こんな悩みなんてなくなればいいのに、と感じている自分がいます。

「坐」の字のように、ひとりの身体にふたりが乗っているようなものなのです。お釈迦様は、ほとんどの人が止めることもままならず、呆然とストレスや悩みに自分が占拠されていくのをなすすべもなく見ている人がほとんどだ、と言われているんですよ。

 

この八方塞がりの状況で、私たちは普通ひたすら解決を求め、自分の外へ探しに出かけます。

いろいろ本を読んだり、人に尋ねたり、占いをしたり。

でも、第一に、「あ、自分は悩んでいるんだな。苦しいと感じているのだな」と認知することが大切なんです。

これで最初に御者は感情が暴走している状況だと「気づいた」ことになります。

ここからは、御者は自分に対して何をしていったらいいのでしょうか、という問題になります。この道筋は大切です。

どうすれば「坐」の字のふたりは、心破れることなく統合し調和しいくことができるのでしょうか。

 

ここからは自分への心の態度を変えること、そして実践。

まさに禅の得意分野です。

 

あ、もっと書きたいけれど、仏教講座のテキストを仕上げなければ!

今回一から勉強してみましょうと取り上げたのは「般若心経」です。

般若の智慧が手に入れば一切の悩みから解放される、と説かれています。

確かに難しいですが、できるだけ初めての方にもわかりやすくお伝えしたいと思っています。きっと何かしら「な~るほど」と思っていただけると思います。ぜひ気軽においで下さいね。

 

まるで番宣でしたね。笑 ごめんなさい~~ でも時間がないの~~

 

そして7月2日の講演会では、もっと具体的に「感情をどうしたらコントロールできるか」というお話をしたいと思っています。

 

それから。

ご無沙汰の方へ。私、この数か月で10キロ減量しました!パチパチ 

座禅は思いっきり役に立ちましたよ。特に食べたい欲求に対して「気づく」こと、受けとめること、自分に共感すること、そして自分を応援すること。

実験のつもりでやってみました。ライ○ップ状態ですので、気になるぞ、と思われた方は見てやってくださいませ! 合掌

 

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法照です。
 
「人生一生 酒一升 あるかと思えばもう空か」
 
いきなりですが…
どこかのお坊様が言われた言葉らしいですが。
沁みますね。特にもうすぐ誕生日の身には…
 
あれこれと悩んだり迷ったり苦しんだりしているうちに人生半世紀も過ぎ…(いや…、いいこともありましたよ)
「もう空…」というほどではないですが、だいぶ減りましたね。(笑)
 
苦労自慢ではないのですが、まあ、いろいろありました。
というか、今もいろいろありますが…
若い頃はいろいろあっても、「いつかなんとかなる!」とか「寝ちゃえば忘れる!」(笑)とか思っていれば何とかなったわけで、心の自然治癒力が高かったように思うのですが、歳を取るに従ってそういう力が衰えてくるようです。
若いうちは未来がたくさん残っているのでいつか変われるのでは、という期待でその日をやり過ごせるということでしょうか。
やり過ごせているうちはいいのですが、消耗が激しいとだんだんやり過ごせなくなっていきます。
激しいストレスにさらされたりすれば消耗も激しくなりますよね。消耗が激しければ歳を取っていなくてもやり過ごせなくなる人もいらっしゃるでしょう。
 
3年ほど前は、メンタル的にもひどい状態でかなり辛い時期でした。
そんな中で大きい病気をしてしまいました。
ICUに入って、「死んじゃうかも?!」と思ってドキドキしながら過ごしていましたが、幸い回復して退院することができました。
退院した日のことは今でもよく憶えています。
とてもよいお天気の日で、暑くもなく寒くもなく、よい日和でした。
病院を出て徒歩で駅まで向かいましたが、それがもう楽しくて仕方がないのです。
入院していた最初の頃は、トイレさえ自由に行けなくていちいち看護師を呼んで付き添ってもらわないと行けないような状況でした。
それがもう、晴天の中を自由に歩ける、それだけで本当に幸せな気持ちになるんです。
入院前に抱えていたメンタル面の問題はどこかに消えてなくなってしまったかのように。
でも、消えてなくなってはいないんですよね。
晴天の中、立ち止まって心の中を見つめてみれば、問題は問題としてやはり心の中にあるんです。
退院の喜びでイヤなことは忘れてしまっているということではなくて、ちゃんと心の中には問題は残っていて、明確に感じることができます。
でも、心の持ちようがかわると、問題の感じ方もガラッとかわるんです。
例えば子供の頃恐ろしかったものが、大人になって見ればそれがなぜ恐ろしかったのか不思議に思うような、そんな感覚でしょうか。
 
「なんだ、自分の心の問題だったのか!」
 
一言でいうとそういうことなんです。
問題が直接私の心を攻撃してくるわけではないんです。
問題が「恐ろしい」と受け止める私の心が私を攻撃してくるんです。
 
とはいえ、このいい状態がずっとは続かないな、という予感はありました。
今のこの心の状態は、危険な状態を越えて退院できた!という特殊な状況から来ているもので、この感動が薄れてくればもとに戻るだろうな、と感じていました。
今のこの状態を持続させて、なにか問題が起こっても受け止められるようにはなれないのか?
退院後、この答えをいろいろと探して、行き着いたのが禅だった訳です。
 
どうして禅なのか?というのは、私のレベルだと法(簡単に言うと仏の教えでしょうか)を説いてはいけないので、詳しくは書きませんが、上記の問題と心の関係などは、禅は明確に、そして理論的に答えてくれています。
「理論的に」という部分が私には重要でした。
なんだかわからないけど神を信じていればなんとかしてくれる!みたいなのは受け付けない体質なので…
 
そんなわけで人生半世紀あたりでまさかの禅の修行をしている訳です。
一升瓶が空になる前にどこまで修行がすすめられるかはわかりませんが。(苦笑)
 
 
「どうして禅なのか?」というお話は、6月24日に仏教講座がございますので、興味があれば受講してみてください。
「般若心経(1) ~心と身体はどこにある?~」ということで、般若心経についての講座になります。
 
修行歴35年以上の慧日庵笠倉玉溪老禅子がわかりやすく解説してくださいます。
 
仏教講座については下記をご覧ください。
 
 
7月1日~7月8日は摂心会といって禅の修行期間になります。
志ある方は一般の方でも正脈の師家に参じて修行ができます。
また、修行を体験してみたい、老師のお話しを聞いてみたいという方でも参加できます。
上記でも書いた心の状態を持続できるようになるためには、理論だけではダメで、修行を行って会得していく必要があります。
摂心会は特に重要な修行期間になります。
 
・詳細は下記のページをご覧ください。
・摂心会についての詳しい説明は以下をご覧ください。
 
 
法照 拝
 
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来月からの仕事がない・・・どうするんだ?というサラリーマンだと普通はなかなかない貴重(?)な経験を、ここ1、2年で3回も経験した心印です。
 
SE(システムエンジニア)という仕事をしていると、システム開発のプロジェクトは以下のように進んでいきます。
 
1.システム提案 営業さん、営業系のSEが中心
2.システム受注 営業さんの土壇場
3.要件定義 開発系のSEがここから入る
4.基本設計 SE(システムエンジニア)の土壇場 その1
5.詳細設計 SE(システムエンジニア)の土壇場 その2
6.開発 PG(プログラマー)の土壇場
7.単体テスト PG(プログラマー)かテスターの土壇場
8.結合テスト PG(プログラマー)かテスターの土壇場
9.総合テスト
10.カットオーバー 本番稼働
 
ということで、一番人がおおぜい必要なのは5~7あたりで、後は少人数で行われるのです。開発プロジェクトは山の形と同じように真ん中あたりが一番人が多くなり、始めと終わりは人が少なくなっていくのが普通です。このように人が増えたり減ったりするわけなので、派遣の形で応援に来てもらう協力会社の方達が絶対に必要なのです。
 
人が増えるときはいいのですが、減るときは必要のない人がその対象になります。残念ながら(仕事ができないせいなので本人のせい)、その対象に3回もなってしまったということで、サラリーマンは宮仕えで気楽な稼業なんて今はとても言えない時代です。
 
私の場合、経験だけはあるものの、技術レベルは若い人と変わらない、お客様や他の人とうまくやっていけない、マネージメント力がないということで、これは私が座禅を始めた理由でもあるのですが、その力及ばずってところですか、あるいは座禅をしていなかったらもっと最悪のリストラってことになっていたかもしれません。
 
1度目は次の月からのプロジェクトにちょうどスキルがはまって、そこに入れてもらえました。2度目は次の月から、それを担当する人が辞めることになり、それをやることになりました。
 
3度目は5月末でその仕事が終わって用無しってことになったのですが、結局は他の若いSEさんがお客様とうまく信頼関係を結んでいる、技術でもスキルや業務知識がある、注意深さ(私は注意力が足りない、チェックが甘いと)に負けているのです。それは認めざるを得ません。
 
さすがに今度ばかりは前の2回のようにうまくは運ばないだろう、会社をリストラされてしまうかもしれない、そうなったらクビになったら単身赴任しているので、東京にはいられない、大阪に戻って仕事を探すしかなく、SEの仕事なんか大阪にはないのでスーパーやコンビニの店員さんか、でも腰痛持ちなので肉体労働する自信ないなぁと思っていました。
 
また大阪に帰ることになったら擇木道場でのことも後輩に任せるしかないし、人間禅には関西道場もありますが、下手したら人間禅を辞めるか、長期に休むことになるかもしれないとは考えていたのです。
 
しかし・・仏様がいらっしゃるかどうかわかりませんけども、そうなったらお前の人間禅での仕事は終わったのだと受け止めようと思っていました。
 
自営業の方にはこういうのは当たり前の状況かもしれませんが、サラリーマン生活の長い私には結構きつかったのはありますが、さすがに禅者の端くれの端っこですから、こういう状況に追い込まれても、あわてることも、焦ることもなく、心がブレない状態を保っていられたのです。これは座禅のたまものですね。
 
すると、なんと最終週、ギリギリになって仕事が決まったのでした。
 
あぁ、これで家族と一緒に暮らせる日々は遠くなったなぁと思いつつ、仕事があることにはもちろん感謝です。しばらくは人間禅の仕事もすることになったのでした。
 
「土砂降りの雨が降っていても止まない雨はないよ」・・・かって、某銀行のプロジェクトがキツ過ぎて、死にたいと思っていた頃に嫁さんに言われた言葉です。それで何とか死なずにすみました。
 
今は曇りにあたると思いますが、座禅をこのまま続けていけば、いつかは晴れるかもしれない、仰月庵老師が言われた言葉に「座禅をすると人生がバラ色になるんだよ」と言うのがありますが、いずれはそういう境地に行けたらと思いつつ。
 
もし同じようにリストラやパワハラの危機にあっている、仕事がきつくて死にたい、そういう方がいたら私と一緒に座禅してみませんか?
 
金曜の夜21時 「東京で夜一番遅い座禅会」でお待ちしています。
 
心印 拝
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法照です。
 
人間禅擇木道場では、奇数月に禅セミナーを開催しています。
禅セミナーでは、金曜日~土曜日の二日間で勉強会、講演会を催しています。
5月20日に開かれた講演会『「心療内科」と「禅」』をYoutubeにアップしたご紹介を6月9日のブログで行いましたが、今回、
岩村富嶽居士が感想を書いてくださいましたのでそれも併せて改めて掲載いたします。




Youtubeへはこちら

岩村富嶽居士は、ご自身も「実践心理学講座」を矢切の本部にある人間禅道場付属「宏道会剣道場」で月一回主催されています。
次回の
実践心理学講座は7月9日(日)の予定となっております。詳細は下記URLを参照してください。
https://momofunks.wixsite.com/yagiri
よろしければそちらもご参加ください。


以下、
岩村富嶽居士の感想です。

毎度禅フロンティアに参加できているわけではないけれど参加して毎回思うことは、ここで話される方々は“皆一様にして「在り方」が素晴らしい”と感じます。
まぁ、そういう方々なので講演をしていただいているとも言えるのでしょうが。
今回の中井先生もやはりそのお一人。様々な肩書きを持ちながらも驕らず、謙虚で柔和な印象を受けました。
話の内容もさることながら、その人としての在りよう、いわゆる人格という部分の印象を今も強く記憶として思い出します
 
毎度毎度講演者の在り方の素晴らしさを感じながらなぜ今回敢えて口に出したのかというと、私自身の過去のメンタル不全の経験として通院した心療内科は、中井先生とは程遠い存在であったからです。
かといって、その医師が悪いのかというと日本の医療制度上致し方ない点は多分にあるのでその医師達を責めることはできないかなと思います。
短い診療時間。表面的な症状に対する処方としての薬の処方箋。メンタル不全の根本原因はそんなところにはなく、まるで応急処置を施して良しとするかの治療方針が功を奏す気がしないことに気づくのにさして時間は必要としませんでした。。ある意味、自分がメンタル不全から脱却できたのは、医者に見切りをつけて「自分でなんとかするしかない」という点があったからなのではないかと、皮肉にもそう思い返します。
決して悪い医師達ではなかったのですが、これが心療内科の現状なのだと感じました。
わずか僕が経験したことを十把一絡げにどうこういうのはよろしくないのは承知の上で、そう思います。
逆を言えばそれだけ中井先生は素晴らしく、かつ稀有だということ。
人生とは誰と関わるかで大きく変わる。こういう人と関われた人は幸せなのではないだろうか。
だが、治療者としてこれが実践できていると言える人は一体どれくらいいるのだろう。
医療従事者に「かくあってほしい」という願いと、治療者として「かくありたい」という
想い、そして「かくあろう」という志の芽生えた講演会だった。
 

手前味噌な話ですが、僕は現在カウンセラーとして活動し、本部道場にある剣道場で「実践心理学講座」という講座をやらせていただいている。
過去のメンタル不全と自殺未遂の経験から、微力でも同様の境遇の人々の力になれたら。
心の捉え方や講座を通して参加者同士のかかわりでより元気に、幸せになる場の提供ができたら。
そんな想いで講座を月に一度開催させていただいている。
 
この講座の発起人であり、
僕の師匠である椎名先生には8年のメンタル不全の経験と自殺未遂の経験があり、今回講演された中井先生には三度に及ぶ生死の境を彷徨った経験をお持ちだと伺った。
 
「仕事」を「志事」にしていける人というのは、
その人の人生の中で強烈な「修羅場」の経験を持っていることが多く、
そこを乗り越えて今目の前に存在しているからこそ、影響を与え、「志」を「かたち」に変えられるのではないかと感じます。
 
トントン拍子にうまくいく人生などあり得ないでしょうが、
できるだけ僕らは苦しみ、悲しみ、痛みなどを避け、できるだけ楽しく、幸せに、無事に、うまくいくことを望んで生活をしている。
だが、人としての成長をする瞬間というのは実は「平穏無事」のなかではなく、地獄のような「修羅場」を乗り越えたところにあり、そこにドラマがあり感動があるのではないかと思う。
だからといって自ら進んで修羅場に飛び込む気もないしできるだけ平穏無事に過ごしたいわけだけど、中井先生がいうマイナスの出来事に光をあてる「逆観」、「出会いに偶然はない」というその「意味」はそんなところに共通するものを感じます。
 
「病気」はできることなら避けて通りたいものも、そこに「意味」
がある。
「どんな患者さんもその病気には意味がある」
中井先生にはそれを信念として強く持っているのを感じました。
 
「人生の苦難にいかに向き合い、そこにどんな意味を見出すか」
人生とはその追求であり、そこにその人の大いなる価値はあるのではないか。
そう強く感じた講演でした。
 
岩村富嶽
 
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心印です。
 
日曜日は龍泉支部長と雲泉さんが新潟支部の60周年記念式典に行かれるとのことで、紹滴(しょうてき)さん、海香さん、翡翠さん、私と、いつもと全く違うスタッフで座禅会を行いました。初めての方は1名、海香さんに指導をお願いしました。
 
座禅後、紹滴さんのお話があり、『坐禅和讃』をとてもゆっくり、味わいながらとのことで唱えました。こんなにゆっくりと読んだのは初めてでした。お茶の時間は紹滴さんの昔からの修行の話、闘病のために、座禅を長く休んだが、また再開したこと、いろんなお話を伺うことができました。
 
日曜の7時となると家に帰ると絶対に起きれない自信のある私はw、前の夜から道場に泊まりました。金曜の夜21時の座禅会後も泊まっているので2泊3日ですね。
 
土曜は早朝6時の座禅会後、ガストへ行ってみんなと一緒にいろいろ話をしながら朝食をとりますが、これもまた楽しみだったりします。道場に戻るとちょうど9時半からの女性部の座禅会にも出ました。
 
女性部は座禅後に抹茶をたてて歓談しますが、そこで常連さんの方が買ってきてくれた鎌倉は豊島屋の鳩サブレ。これを見ると過去の恋の古傷がちょっとだけ痛みます(爆)
 
とは言え、私は禅者の端くれの端っこw 恋の古傷は痛めども、それで迷うことはないのです(迷う歳でもないわなw)。鳩サブレに罪はないので、おいしく頂きました()
 
土曜の夜は池袋へ行って、さのめいみさん、咲耶さんのストリートライブを見てきました。
 
         

町田出身の咲耶さん。私は初めて拝見しました。   

  
咲耶さんツイッター
https://twitter.com/sakusong_398
 
山梨出身のさのめいみさん。19歳のシンガーソングライターさんです。一度ライブに行ったので、この日が2回目です。

  
  
さのめいみさんツイッター
https://twitter.com/Sanomeimi
 
最初は町田で夕方にストリートライブをやったそうですが、私は池袋から参加しました。20時頃から開始の予定でしたが、警察の方が来られてあちらこちらで歌っているのを止めて回っていました。21時過ぎから場所を変えて開始になり、22時頃まで歌われていました。
 
最後に座禅ライブの宣伝をしておきました。
 
お二人ともまだ若いながら、自主企画のライブをするそうで、ライブハウスを借りて、出演者の交渉をして、いろいろと調整もしなければいけないし、宣伝も集客もありますから大変です。音楽が好きだ、歌うのが好きだだけでは、やれない事情も出てくるのが常。
 
「最近の若い人は」なんていつの時代にも言われることなのですが、こういうやる気のある若い人を見ると日本もまだまだ捨てたものじゃないと思いますね。擇木道場はこういう若い人の応援もしながら、座禅も広めたいと考えています。
 
ライブ後、後片付けをちょっとだけお手伝いして、撤収するまでまわりをうろうろしていました。週末の深夜だから危ないよなぁと思っていたら、案の定、学生さん達が数名が酔っ払っていて、一人が噴水の池に飛び込んでました()
 
危ない人たちではなかったのでほっとしましたが、まあ元気でいいことですね()

撤収されたので道場に帰りましたが、0時近くになっていたのですぐ寝ましたとさ。
 
心印 拝

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