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擇木道場

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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

日々の生活の中で、解決困難な状況が発生することはしばしばあります。あらゆる手を尽くしても、どれほど努力しても、状況は改善しない。むしろあれこれ動いた分、状況を悪くしたような気さえする。

もうダメだ、と思いつつも立ち向かって行かざるを得ない。そんな苦しい状況の中で頑張っているうちに、不意に扉がぽん、と開くように何かを悟ることがあります。「ああ!そうだったのか」と不意に開いた扉の向こう側の世界に圧倒的に理解させられる。私の経験では、多くの場合それは問題解決に直接つながる扉ではありません。でも、この困難な問題に立ち向かわなければ、その扉は私の前に永遠に閉ざされたままだったのです。

この苦しい状況にさらされなければ、こんな大切な事に気付くこともなかったはず。そう思ってみると、つらいと思っていた状況に、感謝の気持ちさえわいてきます。「解決困難な問題」さん、私のところへやってきてくれてありがとう。思わず握手したいくらいの気分になってくると、それはもう「解決困難な問題」ではなくなります。

あれほど困難に思えていた問題が、自分に気づきのチャンスを与えてくれた有難い存在に感じられ、特に悩みとして気になる事柄ではなくなるのです。気にしなくなる、というのも悩みから脱する方法のひとつです。気にしなければ特に問題ではない、ということも世の中には多い。

それでついつい悩みを抱えている人に周囲の人は「そんなに気にしなくてもいいんじゃない」などと言ってしまうのですが、気になって仕方がない事を悩んでいる当の本人が自分の力で乗り越えてこそ「気にならない」という状態になれると思うのです。

ついこの間、気になって仕方ない解決困難な悩みが私を訪れました。こうしてみたら、いやこのほうがいいか。あれこれやっているうちに状況はこじれ、もうダメだ、となった頃、たまたま日頃から尊敬する人生の先輩とお茶を飲む機会がありました。愚痴をこぼすのはよくない、と思いつつ気付いたらとめどもなく愚痴をこぼしていました。

でも、出口が見えないほど悩んだら、人に話を聞いてもらうというのも大切なこと。誰かに聞いてもらうというのも有効な手段なのだと実感する結果となりました。その方は、「気にしなければいい」とも言わず私の話を聞いて、その後でご自分の体験談をさらりと話してくださいました。深く感銘を受けるようなお話なのにあまりにもあっさりと語ってくださったのが印象的でした。きちっとした方というのは本当に無駄がないなあと感じ入ったものです。

だらだらと愚痴を言った自分を反省してピリッと背筋が伸びる思いでした。そして話を聞いてくれる人の存在をしみじみ有難いと思いました。         

重大な出来事はその日家に帰ってから起こりました。今までにないくらい重要な扉がそれこそ不意に開いて、それまで気づかなかった事に気づかせてくれたのです。かなりの感動とショックを受けました。もっと早く気付きたかったと思いました。いやいや今だからこそ気づけたのだ、とも思いました。そうだったのか。

そうだったのか。何度も胸の内で叫びました。こんなに悩まなければ気付けなかったこと、と思うとやはり「解決困難な問題」と固く握手して仲直り。気づけば悩み事からも解放されていました。絶妙なタイミングで話を聞いてくれた人生の先輩にも感謝の気持ちでいっぱいになりました。

悩み事のない人生なんてあり得ない。生きている限り様々な事に悩んだり苦しんだりするに違いないのですが、もしかしたら何が起きても大丈夫なのかも、などとお気楽な事を思います。悩み事を抱えたら、それが仕事と思って一生懸命悩もう。

悩んで悩んで悩み尽くした頃に、また何か大事なことに気づけるかも。どうしても解決できないことは人に相談すれば良いし。そこからまた新しい事に気づくきっかけが生まれるかもしれません。

自分の力で全力でぶつかって、人さまのお力もお貸りして、悩みに悩み抜くうちに思いがけない扉が開いて、そうだったのか、と大切な事に気づく時。私にとってそれがまさに、今、ここに、自分は生きているなあと実感する瞬間なのです。



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「日々の生活こそ」       

主婦を長くやっていて、ふと気づけば主婦の三大業務である炊事、洗濯、掃除どれをとってもいまだそれほど好きでも上手でもない自分がいる。けれども夜が明けて陽が昇るがごとく、三度のご飯を作り、洗濯物を洗っては干し取りこんでは片付け、部屋に溜まったごみほこりを掃除している自分がいる。

専業主婦ではないので、仕事へ出る前と、帰宅してからの夜の時間で全てをやっつけている状態だから、専業主婦の方たちとは比べるべくもない荒っぽい仕上がりだけれど、いつの間にか体が動いて知らぬ間にさまざまなことが片付いてゆく。そんな状態が何だか好きでたまらない。


禅の修行をしているので、毎日ほんのわずかでも坐禅をするし、お茶のお稽古もほんの少しの時間を見つけてはお点前のおさらいをする。家事と仕事と修行。これらの散りばめられた普段の日常がとても楽しい。時に旅行へ行くのもいいだろう。外へ食事に行くのも悪くないだろう。けれど一番好きなのは慌ただしい日々の日常。ちょっぴりの時間しかない中で

何とか工夫して切り抜ける小さなスリル。買い物に行く時間がなくてあり合わせの材料で作った夕食が案外とごちそうになってしまった時の達成感。生活スタイルがシンプルだと、ごく普通の出来事に幸せを感じるようになるなあと実感する。大それた事贅沢な事を望まなくなる。

時に自分がこまねずみのようにちょこまかと家の中を動き回っているときに、他の家族メンバーがソファーの上なんぞでごろごろしている時もあります。が、そんなとき頭の中に浮かぶのは「やることがあるって幸せなことだ」という言葉。本当に「やることがある」っていうのは幸せなことなんです。

やることが何もなくなったら、何を楽しみに生きてゆけましょうか。もちろん、手伝ってもらえるときは喜んでお任せしますが、誰も手伝ってくれなくとも、それはそれでよし。やるべき事に満ちている日々の生活ほど素晴らしいものはありません。そんなごく普通の暮らしの中で見つけるささやかな幸せ。


これこそ人生の味わいなんじゃないかと、今日もささやかな暮らしをちょこまかと切りまわしながら小さな幸せにうきうきとして、そんな自分をつくづく幸せ者だなあと感じるのです。



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心印です。

8月に入って最初の金曜静坐会でした。
夏は新しい人来ないな~ 暑いから坐禅ってのも流行んないのかな~とか思っていたら、あれよあれよという間に、新しい方が4名も!! 対応は剣雲さんにお願いしました。

しかし、スタッフは用事や仕事でなかなか集まらない、結局、心印と剣雲さんの二人で直日(じきじつ 前で時間を計って合図する役)と助警(じょけい 警策で叩いたり姿勢を直す役)をやり、聖侍(しょうじ 出入りを司る役)なしで始めました。

そして21時になり坐り始めたら、後から、後から来るという感じで、結局スタッフも揃って聖侍役は春光さんに、あうんの呼吸で頼み、1列と2列がいつもは坐らない位置までいっぱいに坐っていっぱいになり、ついに3列目ができてしまいました。計25名の参加でした。

でも写真はありませんw

先週が禅フロンティアで参禅会だったし、その前の週は京葉支部の摂心だったので、通常の金曜が久しぶりだからかな?

久々に来られた忙しい女性の方が休みだったのでと来られたり、直前に電話で年齢層と来られる時間が遅いのでと気にされていた女性が懇親会から来られました。・・・のでいつもと違って女性比率がだいぶ上がったような???

この方には道場は0時くらいまで開けているので入れるし懇親会して、宿泊して翌朝の坐禅会に出られたらいいですよとお伝えしていたのです。

宿泊組は8名くらい? 翌朝6時からも朝来られた方もいれて10名くらい??で坐禅しました。私は休日出勤だったので、坐禅後仕事場へ向かいました。

心印 拝
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8月4日 日曜静坐会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2013/8/4 16:49
参加者  18名
初めての方 1名
読経 般若心経
一行物 月落不離天(月は落ちて天を離れず)
「水流れて元と海に入り、月落ちて天を離れず」の下の句
「水や月などの自然の万物は変化してもその本分を離れることはない」という意味。
人間の場合は、日常の諸般の動作は総て自己本心本性のはたらきであるということ。

人間の60兆もの細胞は、毎日新陳代謝されて6年で総て入れ替わる。物質的には6年前と今の自分は異なる個体であるが、自分は繋がっていると思っている。妄想ではなく、本来の自己を認識することを見性と言う。本性を知ることによって、人生をどのように生きるべきかを自分で決めることができる。
地球が誕生してから現在まで、さまざまな生物が絶滅しては誕生してきた。人間は母胎内で魚類、両生類、ハ虫類の形態を経過してこの世界に出てくることを思うと、命の不思議さ、尊さを実感できる。

案内 ①8/30~9/1 No.34回禅セミナー
  9/1  13:30 「漢方と禅」 講師 大友一夫さん
②8/11日曜静坐会はやります。
  直日 鸞膠庵老居士
  龍泉は帰省のため不参加です。
龍泉 拝





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心印です。

道場に来られる方はいろんな方がいらっしゃいますが、みな共通しているのは何らかの悩みごとや苦しみ、迷いがあるということです。

と言うよりも、悩み事や苦しみごと、迷いがない方は、坐禅しにこようとは思わない。また、悩みごとや苦しみごと、迷いのない人はいない。

道場に来られる方の中には恋愛問題で悩む方が意外と多いのです。あまり細かいことまで聞きませんのでわかりませんが、別れたばかりだとかそういうことなのでしょう。

さて禅は恋愛問題に効くのか? もちろん坐禅をしたからと言ってすぐに恋愛が成就することはありえません(きっぱりw)。

神社では恋愛成就のお守りを売っていたりしますが、お守りはそれはそれでいいかと思います(気持が変われば、成就するかもしれないし)。

でも怪しい宗教には(いや有名な宗教でも)入会しないと、幸せになれないよと脅かすようなものもあります。

でも坐禅を長くすると男性は凛々しく男らしくなり、女性は美しく女らしくなるというのはあるようです(特に道場で着物を着るとかっこいいですw)。

坐禅をすることで余計な執着や迷いが落ちて、気持がスッとまっすぐになります。そして息を数える数息観をやることで普段の浅い呼吸が自然に深くなり、身体も健康になります。

そうなると顔つきや物腰も余裕が生まれ、魅力的になってきます。
その結果、恋愛が成就しやすくなることは十分に考えられます。

別れた苦しみや悲しみも坐禅することで気持ちの整理がつき、自分が見えてくることで、相手への執着も(これはなかなか離れることは難しいですが)、ある日、解決していることに気づくことでしょう。

坐禅の目的は恋愛成就ではありませんが、人間形成の禅をやっていくことで、人として成長するのです。それで恋愛も成就するなら言うことはありません。

全ての迷える人に禅を。

心印 拝

 
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非常に興味深い内容で、日頃忙しさに埋没して気づいていない事を気づかせて頂きました。
最初の映像『桜』から『飛ばない鶴』『月と刑場』『shadow影』を見てゆく内に、数々の事に気づかされた。
『桜』では、何気ない現実の映像(橋の横にある桜と女性の通勤風景?)から、映像だけの世界に引き込まれ、次々と映像が変化してゆく。現実世界の変化と心の中の変化。現実世界の変化は自分ではどうする事も出来ない事。心の変化は自分の事なのに、瞬時に変化している。その事すら忘れて(気付かず)毎日を過ごしている。気づいてみると橋と桜。さっき見た場面だけれど、一瞬の事?。〔今〕
『飛ばない鶴』、人工物で無機質なはずの鶴の噴水。でも確かに生きている。もしかすると噴水の水が勢いよく出ている事がそう感じさせるのか?いや違う、、、噴水の水が冬の寒さで氷つき、鶴の翼が伸びて羽ばたいている。そうか!時間が経過しているのだ。その間、全てのモノが生命活動をしている。〔山川草木悉皆成仏〕
『月と刑場』、映像と音声。音声は詩の朗読だけど内容が重い。死刑囚の数、死刑判決の数、死刑囚の心の叫び、そして関係する人々の数。淡々と朗読される詩に映像が重なる。電車がホームに到着して乗客の乗り降り、そしてブザーが鳴り発車。朗読されている詩の内容と何の関係があるのだろう。何も関係ない。我々が日々生きているこの現実社会。考えている事と“見ている(見えている)”事が一致しているだろうか。当然一致している筈もなく、見えている映像と関係なく思考している。電車が発車して当たり前の雑音が聞こえている。「ガタン・ゴトン・ガタン・ゴトン・ガタ・・・―――」音が消えた。映像は変わらない、見えている。でも音はしない。その瞬間、詩の内容が頭に飛び込んでくる。深く考えている。そう!これが〔三昧〕か。
最後に見せて頂いた『shadow影』。見ているのは影?見えているのは影が映っている石垣?
黒い影が光によって色が変化する。赤・青・黄色・白。白い影って成立するんだ!!光の強弱で影が変化する。影が表情を持つ。生きている影。影をそうさせるのは、見えている石垣の為なのか。10分間の沈黙。・・・なんだったんだ今見ていたのは?〔人間五十年、夢幻のごとくなり〕
 
龍石拝 

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 参加者 松田大愚 T崎 S藤 M岸 加藤紫光の5名
 
 来週の摂心の話になり、参禅・公案の工夫等、大愚さんからの説明がありました。摂心や静坐会のポスターも大愚さんが漫画等で作って下さったのを皆で見ました。可愛らしいです。

 T崎さんは、茶と禅を楽しむ会にも参加され、摂心にもいらっしゃるかもしれません。佐藤さんは久々に参加されました。

 来週からの摂心、実りのある摂心となるよう頑張りましょう。


紫光九拝








 
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磨甎庵白田劫石老師様の講演録「人身得ること難し」を発信することにしました。
 磨甎庵老師様は、2009年94歳で亡くなられましたが、一生現役とされ、最後まで学人を相手に、厳しく導いてくださいました。
 この講演録は、ある企業で行われたもので、市販されてはいません。
道場で売られたもので、購入してから私は、バイブルのように持ち歩いてきました。これから少しずつ、紹介させていただこうと思っています。
             
                                  西東京支部 加藤紫光                


「はじめに」
 坐禅というものは、元来、言葉で言うよりも、むしろ、日常の実行が大切であり、一つ一つの事柄、一日一日の行というのを、その人がどういうふうにやっているか、ということが実は問題なのであり、言葉でうまく言うとか、そういうことよりも、実はその人の行を見て頂くということが本筋だと思うのです。あまり禅では言葉をもって色々語らない。
 しかし、最近のような情報化社会では、なかなかそういうことを言っても良く分からない人が出てきております。そこで、止むなく言葉を使って色々と申しあげますが、初めに、そういう基本的な物の考え方を、一つご理解願いたいと思います。
 私は、坐禅の修行をやりながら、色々の人の経歴なり、境涯というものを見ておりますが、どうしても本当の自分を取り戻すということのためには、ある大きな壁ー近代的な表現ですと、限界状況ーというものに当って本当にそれを命がけて越えていくという、作業を続けていかなければ、ほんものにはならない、そう思います。
 外から与えられたもの、知識として持つのとは違って、本当に自分で命がけで取り組み゛これでいいんだ。これがほんものなんだ゛ということを、自分自身に納得させることができるというのは、やはり大きな壁にぶつかって、苦心しながらそれを突き破ることによって以外はできません。そうしないと、本当の自分というものが甦って来ないのです。
 つまり、大きな平坦な道ではなくて、非常に厳しい状況の中にそれを耐えながら、そういうものを突き破っていくという過程を通じて、己の殻が破れ、本当の己れ自身というものが甦ってくると思うのです。そういうことを経ない人は、却って非常に不幸で、結局は自分というものを本当の意味で取り戻し、本当の自由を体験することはできない。
 坐禅ということは、そういう自己を殺すことを積極的に身に引き受けて、それを敢行してゆく道です。
私達は臨済系の禅ですから、一人で静かに坐っているのではなくて、室内に身を投じて師家と一対一に相対して、真剣勝負の商量をする参禅弁道をするわけです。それを通して命をかけて真実の自分を取り戻すわけです。布団の上において坐禅して、自分と言うものを限界状況まで追いやって、自分という殻を突き破る。そして、自分自身の本来の姿というものを取り戻していくのです。

 ですから、外から見ていると、坐禅なんてものは大変に暇で、ただボンヤリと坐っているように見えるでしょうけれども、そうではない。実は一点に向かって己れを集中し、そういう限界状況を越えていく、という非常に苦しい営みを勇気を持って行っているのです。にっちもさっちもいかない、そういう状況の中に自分を追い込み、終に、小さな自分というものの我見を破る。
 苦しみを通して得たところの、本当の人間として甦ってきた人間性、そして、人間としての慈悲や勇気や戒、そういうものを本当に取り戻した時に出てくる悦びによって祝福されない満足や幸福というものは、ほんものではない。神聖で荘厳ないのちの光を認めることができないからです。どのような宗教を信じておろうと、そういうことを経験しない人は、ほんものの幸福をつかむことはできない。つまり、本当の自己を取り戻し、生きることの神聖さを体得しなくてはだめだ、と思うのです。










 
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今日は、予約が3名ほど入っていたのが、用事が入ってしまいました等で取り消しが入り、結局、来られたのは1名でした。

それでも17名来られて坐禅、参禅を行いました。
老師との面談は2名でしたが、初めての方はまだ参禅は許されないので面談のみ。
もうお一人の方はもう何度も来られている方なので初めて参禅に挑戦されました。

初めての公案をせっかく頂いたわけですが、一生のうちに禅の老師から直々に公案を授かる方がこの世に何名いらっしゃるのか?

ましてやこんなに気軽に(?)公案を授かれる道場は、世界中探してもない、日本のおそらくこの人間禅の道場だけです。普通は公案などそうそう授かるものではないので、とても貴重なものなのです。

明治の頃の、山岡 鉄舟や勝海舟 、夏目漱石、もう少し時代は下がって平塚らいてう等、さまざまな人が老師に参禅しています。

このような巨匠の方達と同じ体験ができるのはとても貴重~
頑張ってくださいねっ(と自分にも言っているがw)。

心印 拝





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加藤・相島・児玉・松田

児玉 最近は夜寝る前に坐禅をしてから寝ています。それをすると快適に眠  
    れます。

松田 そうなんだよね!坐禅をしてから寝ると快適に寝れるこれは、リラックス
    してから寝るから快適に寝れるんだと思うよ。

加藤 現代人はなかなか坐禅をしてから寝るという事ができない現状です。

相島 私は朝起きてから坐禅を組むと一日最高に過ごせます。

松田 人それぞれの時間の都合などがあるから簡単にはできないかもしれな
    いけどする事で体調管理もできるよね。

児玉 そうですよね。

加藤 なかなか一人では座れないなら是非、毎週やっている禅東院の坐禅会
    に参加してみるのもいいかもしれませんね。

松田 坐禅をして、ガンが治ったとか不治の病が治ったとかいうのはほとんど
    が嘘です。体調管理は自己責任ですが、坐禅をする事でリラックスする
    事は本当です。ただし人まちまちなので「ぜんぜんリラックスしないじゃ 
    ん」
    という人もいるかもしれません。
    
    ほとんどの人がリラックスして今日あった事を頭の中で整理できると思 
    います。
    一度体験してみる事が一番なのですが・・・
    








 
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