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擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
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当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

玉村梨紗さんギター弾き語

 

玉村梨紗さんギター弾き語

 

玉村梨紗さん ファンクラブ限定ライブとゲームと座禅体験会

 

               7月22日(土) 13時開場 13時半開演

 

日暮里 擇木道場(たくぼくどうじょう)

         
  


  

  

20170312232515image001.jpg
  

 擇木道場では音楽をやっているアーティストとファンの方に向けて、ミニコンサートと座禅体験のコラボイベントを行っています!!

これで4回目となりますが、記念すべき初回に出演して頂いた、ギター弾き語りのシンガーソングライター 玉村梨紗さんがまた来られます。この日はファンクラブ限定で、ライブだけでなく、ゲームも予定されています。ファンクラブが昼寝部と言うことで昼寝の時間もあります()。まだファンクラブに入っていない方も、当日入会できます!! 

スケジュール(途中の時間は進行の状況で前後する場合があります)
 開場   13時

 開催挨拶 13時30分   玉村梨紗さんと擇木道場の紹介
 座禅体験 13時30分   座禅指導:緒方心印
 昼寝タイム 14時30分
 ゲーム大会 15時

 ライブ   15時30分 玉村梨紗さんのギター弾き語り
 ライブ後は物販タイム、ファン交流、座談、グッズ、CD販売等


参加料金 4、000円(ファンクラブへ入会の方は1,000円追加)
 
予約はこちらから
  擇木道場ホームページ http://takuboku.ningenzen.jp
  人間禅 東京支部 擇木道場 緒方心印              

                 
    
  
  
  
     
    
  
    
  
  
  
     
    
  
 
 
 

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摂心会が終わって、祭りの後の

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/7/10 22:08
心印です。
 
一週間前の土曜日から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という参禅(老師のところへ、入室独参して行う本格の禅の修行のこと)をともなった特別な修行期間でした。
 
摂心会は私たち禅の修行をやっている者にはとても重要な期間です。人間禅は人間形成の禅を略した名前ですが、この人間形成をする為の期間です。定例の座禅会での数息観ももちろん人間形成のベースになるものですが、摂心会では老師から直接指導を受けるので、スピード感と緊張感が段違いです。
 
でもこの摂心会も擇木道場だけだと年に3回、3週間しかありません。お寺で修行する人は365日毎日が修行ですが、社会人の我々はそうはいきません。たった3週間で人間形成をしようと言うのですから、その分集中すべきものなのですが、仕事や家庭を持つ身には難しい、そのバランスを工夫するのも修行だと言われています。
 
摂心会の1日目は結制と呼ばれ、老師からどんな摂心にするかが発表され、これからの一週間、禅に没頭する決心をするものです。一人ではなかなか弱気でできないことも、みんなと一緒ならできるものです。これに出席しないと決心もないまま、漫然とした摂心会になってしまうので、必ず出るものです。
 
また最後の日は円了と言って、一週間の摂心会がどうだったかが老師から発表されます。
 
この結制と円了は、身体が動かなくても道友に担架でかつがれてでも出席するものだと言われています。
 
この一週間は道場で寝泊まりして、仕事も道場から行くのが基本になります。もちろん家庭持ちの方や、子供が小さいなど、泊まれない人はいますから帰宅しますが、心は道場に置いておくと言われます。
 
苦しいときもあり、楽しいときもあり、工夫のしどころもあり、この一週間が人生で起こることの縮図のような気もします。さて一週間で人間形成は少しはできたのだろうか?
 
老師からは、「特に旧参の者がよく頑張って参禅した、それに引かれて新しい者も良く参禅した」と言われました。先輩の気合いが伝わってきた摂心会だったと思いますが、それに引きずられて(?)私も参禅するかどうか迷った時、結局参禅して、その結果が良かったと思うことが数回ありました。やはり行こうかどうか迷った時の、態度や心構えや行動が人間形成につながるのかなぁと感じています。
 
大変な摂心会が土曜の夕方に終わり、楽しく懇親会をやって、私は奥村チヨの「恋の奴隷」を歌ったら大うけしました() 小学生くらいだった時に流行った歌だと思いますが、こういう古い歌を最近Youtubeで仕入れていますw
 
次の摂心会は9月です。今から参加できるように工夫したいものです。
 
心印 拝
 
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この日の午後から人間禅東京支部摂心会が始まるということで、前日お泊りになっていた総裁老師が女性部静坐会のお抹茶タイムにご参加くださいました。
 
71日(土)の女性部静坐会では、土曜日は初めてという男性がお越しくださいました。
ありがとうございます!
女性部静坐会という名称の静坐会ですが、女性部が主催しているだけで、女性限定ではありません。
大事なことなので、もう一度言いますね。
「女性限定ではありません!」
男性の皆さんもぜひご参加くださいませ~。
 
さて、女性部静坐会では静坐30分、5分の休憩の後にもう一度30分ほど坐ります。
いつもは静坐の後にほんのちょっとのお勉強タイムがありますが、この日は総裁老師がいらっしゃいますので直にお話を聞くことができるという非常に貴重な時間となりました。
 
たくさんのお話をしてくださいましたが、その中でも「一日一炷香の大切さ」と「耕雲庵立田英山老師についてのお話」が一番心に残りました。
改めて、今の私には一日一炷香以上数息観をすることが必要なのだなぁと思い知らされました。
 
貴重なお話をお聞きした後で、さらに「警策(けいさく)で打つときのコツを教えてください」とお聞きしてしまいました。
というのも、女性部静坐会で助警(じょけい)という「警策を持ち堂内を回って坐っている人たちの姿勢を直す役目」を任されることが増えてきたからです。
警策とは長い棒なのですが、剣道をしたことがない私には力の加減や姿勢などがまったくわからないのです。
ですから先輩方に打ってもらい、また打っている姿を見て学ぶしかありません。
(総裁老師に警策で打ってもらう機会があったのですが、逃してしまいました。残念!!)
 
私の質問に対して総裁老師からのお答えは、
「骨にひびかない程度に、おもいっきり!」
 
おお!なるほど。
あーじゃない、こーじゃないと頭で考えてしまっていた私は目からウロコ。
 
「手首をやわらかく」とのご指導もいただきました。
総裁老師、ありがとうございました。
よっし!これからはおもいっきり打っていきますよ!
 
といっても、警策で打たれることは自己申告制ですので「打ってちょうだい」の合図をした人以外には打ちませんのでご安心を(笑)
 
ところで、座禅を体験したことがなかったり、警策で打ってもらう経験がなかったりすると「アレって痛いんでしょ?」と思いがちかもしれませんね。
私の感覚では「痛いと気持ちいいが拮抗している」ような気がします。
背中をパシーンと打ってもらうと、じっと坐っていることで固まっていた筋肉がほぐれてスッキリしますよ。
 
「一度、パシーンを体験してみようかな?」
「本当にスッキリするの?」
と思った方は、まずは体験してみましょう。
やみつきになるかもしれませんよ。
 
土曜日の朝、9時30分からの静坐会にご参加お待ちしております。
 
   合掌 翡翠 拝
 
 
 
 
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6月28日 さいたま座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/29 11:24

昨日は、座禅会場の公民館に行ったら外で知った顔が立っていて、聞けば他の団体が使っていて、どうもこちらの予約が洩れていたらしい。

全く動ぜず、歩いて3分の「しみん会館うらわ」に電話。「そちらを貸してください。」「いいですよ。」との即答。

 遅れて来た方には、公民館の係の方には伝言しておいたけど、座禅会はないと、帰ってしまったかもしれない。大変申し訳ないことをしました。

 みんなで歩いて到着、久しぶりの「しみん会館うらわ」の12畳。先週は雨漏りで使えなかった和室は、鴨居や天井、もちろん畳にも大きな染みが数か所、でもこの座敷こそが「さいたま座禅会の原点」。静かな2回の座禅の時間が流れていきました。

終了後は、茶菓は公民館の部屋に置いたままだから、茶菓なしの茶話会。

 テーマは、「安楽の法門」

 『数息観のすすめ』の冒頭には、

「数息観(すうそくかん)というのは、坐禅を組んで、静かに自分の息を勘定する修養の方法であります。これは印度において古くから行われた観法で、安楽の法門なりともいわれています。」とあります。

 道元禅師のいう「安楽の法門」と同じ意味なのかは、『数息観のすすめ』には書いていないけど、坐禅は、マニュアルに従って身体と呼吸と心をコントロールして管理(マネジメント)するものでしょうか? それとも、自分とかコントロールとかマネジメントを手放したものなのでしょうか?

 自分とか、コントロールとか、マネジメントとか、は坐禅の世界ではない、というのが道元禅師のようですが、さて、みなさんはどう思います?というところでお開き。
 

先週、身内が死んで思ったのは、有名な人が言ういろいろな「死」の概念を知ったところで、自分自身で心底わからないと安心できるものではないですね。若いころ思っていた死と今では違うように、「安楽の法門」も大禅師の文字や説明を聞いてわかるものではなく、坐って、坐って、ああ、そうか、というものではないでしょうか。                    海香

 

遠くその顔人の顔消えて風吹く 井泉水        
 
 

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心のマネジメント

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/29 1:26
 
法照です。
 
私の前回のブログ「人生一生 酒一升 あるかと思えばもう空か」
 
 
で、
 
問題が直接私の心を攻撃してくるわけではないんです。
問題が「恐ろしい」と受け止める私の心が私を攻撃してくるんです。
 
という内容の話を書きましたが、今回はもう少し突っ込んで具体的な例を交えながら書きたいと思います。
 
例えば、下記のような4つのシーンがあるとします。
 
1.夕立にあって、傘もなくずぶ濡れになった。
 
2.道を歩いていたら、道路に水をまいている人に水をかけられてずぶ濡れになった。
  水をまいていた人は「申し訳ない」と言って謝罪してくれた。
 
3.道を歩いていたら、道路に水をまいている人に水をかけられてずぶ濡れになった。
  水をまいていた人はなにも言わずに家に戻っていった。
 
4.道を歩いていたら、道路に水をまいている人がいて、うっかりぶつかってしまった。
  ぶつかったことを謝ったが、水をまいていた人は怒ってバケツの水をかけてきてずぶ濡れになった。
 
こんなシーンが皆さんに起こったとしたら、それぞれどのような気持ちになるでしょうか?
 
どれも不愉快な気持ちになると思います。
 
1.の場合に思うのは、「しまった、傘を忘れた!」とか「服が濡れて気持ち悪い…」とかそういう不愉快さだと思います。
2.については人によって考え方は異なるかもしれません。
人に対しては「謝ったから許す」と思える人もいれば「なんで周りをよく見てから水をまかないんだ!」と許せない人もいるでしょう。
許せる人は1.と同じ程度の不愉快さだと思いますし、許せない人は1.よりももっと不愉快な気持ちではないでしょうか。
3.、4.に関してはたいていの人は腹が立ちますよね。人に迷惑をかけて知らんぷりや意図的に不快なことをされれば誰でも腹は立つでしょう。
 
たいていの方は1.→4.に従って不愉快さは増していくと思います。
 
でも…
 
1.~4.のいずれも、結果としては「ずぶ濡れになる」という点では同じなんです。
しかし、どれくらい不愉快に思うかはそれぞれだいぶ違うと思いませんか?
みんな同じ結果なのに、どうしてこれほど感じ方が違うのでしょうか?
特に1.とその他の2.~4.との間には感じ方に大きな違いがあると思います。
それは「人が介在しているかどうか」だと思うのです。
相手の対応の仕方が、自分をどれほど不愉快にさせるかを決めているのです。
特にそれがわかるのが2.と3.の違いです。
謝罪されれば不愉快さも軽減されますが、謝罪もなく無視されれば不愉快さは増すと思います。
 
結局、これらを言い換えれば「人に振り回されている」とも言えます。
 
これは人に自分を尊重してほしい、と思う自分の気持ちから来ているように思います。
自分に注意を払わなかったり、無視したり、怒ったりされることに対するやり場のない怒りが結局自分を不愉快にしていく元になって自分を苦しめるのではないでしょうか。
 
自分を尊重してほしいという心、仏教で言うところの「我」を捨てられればもっと心は軽くなると思うのです。
でも、これは簡単な事ではありません…
まずは、自分の心についてちゃんと理解して、どうしていけばよいのかも正しく理解して実践していくことが必要だと思います。
では、どうしていくか、は私のレベルではとてもご説明できることではございません。
しっかりと修行されて来られた方に伺うのが一番だと思います。
 
7月2日(日)に、講演会「心のマネジメント ~感情をいかにコントロールするか~」がございます。(受付午後2時開始)
禅の修行歴35年の慧日庵笠倉玉溪老禅子が心の問題を詳しく解説してくださいます。
是非こちらに参加してみてください。
 
詳細は下記をご覧ください。
 
 
法照 拝
 
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心印です。
 
今週の土曜日から一週間、擇木道場では摂心会(せっしんえ)という参禅(老師のところへ、入室独参して行う本格の禅の修行のこと)をともなった特別な修行期間が始まります。
 
この摂心会となると、普段は座禅に来られている一般の方があまり来られません。
 
会員の修行の邪魔をしてはいけないと遠慮されるのか? あるいは鐘を鳴らしてどたどたと走っていくのがうるさいと思われるのか、そこはわかりませんが、数息観だけの方は集中できないと思われるのかもしれませんね。
 
でも実はそれは違うのです。私はよく家で座るより、道場の禅堂で座る方が何倍も集中できて効果があると言っていますが、それと同じで、普段の座禅だけの会よりも、摂心会の中の座禅の方が何倍も濃く集中して座れるはずです。
 
こればかりは実際に来て頂いて体験されるのが一番いいので、一度も摂心会に参加されていない方は、今回、参加されませんか?
 
通常は座禅して、参禅の順番ですから、座禅の回のところから座ると、公案を持ち、参禅しようと言う会員の気迫と覚悟が禅堂内に満ちているのが伝わるかと思います。
 
普段の座禅会が数息観だけに集中して、どちらかと言うと癒しの安心の時間だとすると、摂心会の中の座禅と参禅は、ピーンと張りつめた糸が弾かれるのが、今か、今かと言う感じになるでしょうか?
 
私の場合は、擇木道場に来て1ヶ月くらいで公案を授かりましたが、普段の座禅会では仕事の後で疲れてるのもあり、半分寝ているような時もあるのですが、摂心会の時は、特に次回参禅しようと言う時は寝るなんてとんでもないという感じになります。
 
これぞ本格の禅修行、禅には厳しい雰囲気という側面があるのですが、それが存分に発揮されるのが、この摂心会です。
 
さて、なぜ公案を授かって、しなくてもいい苦労までして、わざわざ厳しい禅の修行をしようと思ったのか?
それは人それぞれ理由があるでしょうけど、私個人の話をすると人間関係に欠陥を持っている自分をなんとかしたいと思ったからです。老師の話を聞いたとき、数息観だけの座禅で解決しようとしたら10年かかる、そんなに時間をかけたら定年してしまって、今の問題は解決しないと思ったからです。
 
その結果、公案の修行に飛び込みましたが、私はこれで仕事中心の人生が座禅中心に一変してしまいました。それくらい人生の転換とも言えるインパクトがあったのです。それに仕事や会社以外の、例えば単身赴任しているわけですが、家庭や家族と言うものを改めて見直すきっかけにもなりました。
 
それも仕事中心ってカッコよく聞こえますが、仕事もろくにできない男が仕事中心って言っても全く説得力がないってものです。蛇足で付け加えると、座禅中心って言えるほど、禅に打ち込んでもいないので、これも説得力がないかもしれません()
 
さてあなたも何か解決したい問題がないでしょうか?
本当はあるんだけど、目をそらして、日々の楽しいことだけ考えようとしていませんか?
そして、それって本当に楽しいですか?
 
禅をやると楽しいときは心から楽しめる自分が発見できますよ。
もし何かこの文章を読んで思うところがあれば、今週末の「東京で夜一番遅い座禅会」から老師がいらっしゃるので、お会いしてみませんか?
 
あなたの人生も私と同じように一変してしまうかもしれません。
 
心印 拝
 

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心印です。
 
6月23日 金曜の夜 東京で夜一番遅い座禅会を開催しました。初めての方は3名いらっしゃいました。予約は5名でしたが、お二人ほど見えられず・・・。予約があるのに来られないと、座禅を教えるのをしばらく待ってしまうので、早く来られている方にご迷惑をおかけしてしまいます。
 
平日の夜なので、突然の残業とか仕事の都合もあるでしょうから、来られなくなるのは当たり前だと思っているので、できればキャンセルの連絡でも入れて頂ければと思います。
 
さてこの日は、いつもの「座禅の効用」を先に進めて、「その5 身体機能への効果」を読みました。ここは座禅をすると分泌されるセロトニンという物資が精神的な安定をもたらす効果があることが書かれています。
 
また葆光庵老師がよく言われる、座禅をするとデジタルコンピュータに例えられる頭頂葉がSilentになり、代わってアナログな前頭葉が活性になると書かれています。これは初めて聞いた方にはピンと来ないのですが、座禅をして考えることを停止し、数息観に集中することだと言えば分りやすいと思います。
 
今までは学校や会社でデジタルで考える力は訓練しているのですが、座禅ではアナログで考えない力を養うのです。それは感性を磨くと言ってもいいでしょう。
 
もちろんこれが精神だけでなく、身体的にも良い効果をもたらすわけですが、その効果があることは最近の脳科学の研究で解明されているのです。
 
さて勉強会の後は時々おいでになる埼玉のIさんがホタルに詳しくて、鑑賞会などを時々されているのですが、それを道場までお持ちしてくれました。
 
約3,40匹は入っているらしいです。電気を消すと真っ暗になった室内に、ホタルの黄色い光が幻想的な空間を作り出しました。これを見て数息観をすると癒されるということですが、ほんと癒しと言う感じでした。
 
座禅を続けているとこういう良い事もあるのです。
 
心印 拝
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女性部静坐会は晴れ女が多いのでしょうか?
と思ってしまうくらい、傘がお守り程度です。
 
6
24日(土)の女性部静坐会では、初めてのご参加の方1名、常連の方3名、会員6名の合計10名で坐りました。
 
女性部では静坐30分、5分の休憩の後にもう一度30分ほど坐ります。
静坐の後はほんのちょっとのお勉強タイム。
この日は、了空庵老師の法話集を読みました。
その中で私が気になった言葉は
 
「あるべきようにある
 なるべきようになる」
 
というもの。
今の私の心境と重ね合わせて「そっか、これでいいんだ」と、ストンと納得してしまいました。
 
お勉強の後は、各自でお抹茶を点ててお菓子とともにいただきます。
今日のお菓子は会員(この日は欠席でしたが)の新潟土産でちょうど10個入り!
まるで今日の参加人数を把握していたかのよう。
 
お抹茶をいただきながら、各々近況を話します。
常連の方の「考えすぎてしまう・・・」という言葉に、会員の一人が「直感力だ!」と。
そんなやりとりを聞きながら、
「考えすぎてしまうのも、あるべきよう なんだろうなぁ。
直感力で動くのも、なるべきよう なんだろうなぁ」
と、思いましたとさ。
 
 
土曜日の朝、9時30分からの静坐会にご参加お待ちしております。
 
   合掌 翡翠 拝
 
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6月25日 日曜座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/26 11:16
625日 日曜座禅会
 
初めての参加    1
2回以上の参加  7
会員            4
合計            12
 
読経    「般若心経」
一行物  「識得醍醐上味」
人間禅では食事の前に『食前の文』を唱える。その中の第三条にある「雲門和尚の曰く、識得すれば醍醐の上味、識得せざれば、かえって毒薬と」が出処。識得するのは本当の自分。浅深の違いがあるものの、見性によって本当の自分を確立したうえでの食物は法体を養い道心を堅固にする無上の滋養になるが、それ以前の状態ではかえって迷いを深めてしまう。
科学上の発見も、それを使う人間の心の状態で人類を救済する薬にもなるが、人類を滅ぼす毒にもなる。
醍醐とは
牛乳を精製した最も美味しいもの。現代では、レアチーズ、バター、ヨーグルトのようなものでは?
案内
7/17/8 擇木道場で摂心会があります。期間中に静座会は開催していますが摂心会の日課になります。そのため7/2日曜の朝の座禅は5:30から7:00です。10:30から座禅の時間がありますので、ご都合がよければご参加ください。
14:3017:00 講演会「心のマネジメント」をやっています。
講演会に参加すると、それに続く摂心会には何回でも参加できます。夜は提唱を聞くこともできますので、宜しければご参加ください。
龍泉 拝
 
 
 
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6月22日(木)荻窪座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/6/24 20:42
6月から開始した荻窪座禅会も、4回目となりました。
初回から熱心に参加されている方や新規に来られた方等を含め、合計8名で座りました。
今回から、座禅終了後に総裁老師の書かれた「人間形成と禅」~その効用・効果について~のシリーズを読むこととし、まずは、ゼロ回の「禅の功徳、効用を説くと云うことは」を読みました。
このシリーズは、「禅の功徳は無功徳」と云われ、それ自体は正しいのだが、それを振りかざしているばかりでは、悩んでいる人に希望の光を見せてあげられないということで、主に、座禅の効用に焦点をおいて書かれたものです。
「無功徳」・・・口にするのは簡単ですが、それを実践するのは本当に難しいですね。人に親切にするときに、本当に何も見返りを求めていないと言い切れるか?と自分の胸に手を当てると、親切にした自分をほめてほしい、私が困ったときには今度は助けてくれるかも?等といった気持ちがどこかにあるように思えてしまいます。自分がそのように思っていると、他人も同じように考えているのではないか?と勘ぐってしまいます。

そんなことを考えていると、初回から参加されている方が、「確かに無功徳ですよね。座禅して何かが得られるわけではないですから。」と言われました。

確かにその通り!単純明快! いろいろ考えていた自分がばからしくなってしまいました。

スタッフで来てくださった法照さんも、「ここで座って、要らないものをどんどん捨てていってください。」と言われ、なるほどその通り!とこちらも感心しました。

物を捨てるのが断捨離なら、余計な思考を捨てるのが座禅だと言えます。

捨てて、捨てて、もう捨てるものがないことも捨てていくと、一体、どんな自分に出会えるのでしょうか?

荻窪道場で要らないものを捨てていきませんか?

御待ちしています。

合掌 香水 拝

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