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擇木道場

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東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

6月17日 早朝座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/18 2:54

6月17日 早朝座禅会

 

初めて参加 5名(坐禅体験3名、記者、撮影者が各1名)

リピータ  0名

会員    6名

 

毎日やっている早朝座禅会に関して、サンケイリビング新聞社の取材を受けた。City livingは会社に配達される情報紙で、特集に朝の座禅を取り上げたとのこと。記者1、撮影1、座禅体験3名が道場を訪れた。全員30代の仕事をしている女性で、全員が揃ったのは5:55だった。座禅のやり方を15分説明して、6:15から6:50まで坐った。終了後は居士寮でハブ茶と菓子をふるまい、質疑に回答して取材を受けて以下のようなことを話した。

「数息観」は数字を思い浮かべて数えるのではなく、意識を呼吸に集中して呼吸していることを観察しながら、心の中でそれを数える。数字を思い浮かべるのではなく呼吸に集中する。自分は今、ここに在るのであって、昨日や明日には居ない。今、ここにある自分を観ることにより三昧力(集中力)が養われる。三昧力が養われると明日の不安を悩んだり、昨日の失敗を後悔することはなくなる。もし、不安が有ればその基を今、ここで確認して対処するので失敗はなくなる。その結果、行動力、判断力が増強され、仕事のパフォーマンスが向上する。それは人間力の向上につながる。

擇木道場は社会人が座禅の修行によって培われた人間力を社会で発揮できる自分になるための修行道場です。入門している我々は、老師の指導のもとで、生涯を通じて人間らしい人間になることを目指して毎日の生活に座禅を取り入れて実践している。具体的には、摂心会という一週間の修行期間もあります。

坐っていると色々なことを思い浮かべる。祖母のことが浮かんできた。どうすれば無くせる?

今やっている「数息観」以外は全て雑念です。雑念に気付いたら意識を呼吸に戻せばひとりでに消えます。雑念を無くそうと努力するのは、かえって雑念が渦巻いてしまう。雑念が湧いてしまう自分を否定したり、批判するのはいけない。呼吸とともに雑念を流すようにします。

どのくらいやれば、できるようになりますか?

数ケ月、毎日やっていると「数息観」のやり方、コツのようなものは掴めます。私も座禅を始めたころは腰が痛くなって困った。背筋をのばしたために腰椎が前に出過ぎたことが原因と思われたので、臍を少し後ろに引いて坐ったり、腰当ての形状や、厚さを工夫して落ち着いた。

6/23の「チェンジ ユ―」講演会と擇木道場のチラシを渡した。講演会は「座禅に関する初期の疑問について、座禅の目的や効果について判りやすく説明され、実習があります」と案内した。今週の土曜日から来週の土曜日までやっています。都合のよい時間帯に参加できるので、興味が有りましたら参加してみてください、と案内した。龍泉
 

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不動の居合

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/15 20:37
 
 よく武道、とりわけ合気道や居合や法定など、精神性の高い武道を「動く禅」と表現することがありますが、わたしからすると、坐禅の静坐こそが「動かない武道」であり、「不動の居合」といっても過言ではないのです。数息観をつうじて、イーチ、ニーイと息を数える、あれなどは無心で素振りをする、型の稽古をするときの感覚と同じなのです。
 
 とくに、居合は別名を「鞘の内」とも申して、刀を鞘から抜かないさきに、既に勝敗は決しているといいます。抜かずして勝つという不戦勝が、居合に限らず日本の古武道の理想でありますが、そのためには相手に敵愾心を抱かせず、「コイツに挑んでも負けるな」というくらい主賓歴然とした¨気¨で相手を制する必要があります。古人が「木鶏」ですとか、「猫の妙術」という寓話で示したかったのはそこなのでしょう。置物のようになった闘鶏や、そこにいるだけで家中のネズミが静まり返るネコというのは東洋的な道の究極です。
 
 その気や胆力を養うため、もっとも有効なのは坐禅であり、黙想であり、内観であり、澄心静坐であります。王陽明が「山中の賊は破り易く、心中の賊は破り難し」と言っているように、ひとり己を知り、己に克ちうるものは、いかなる敵が来ようとも百戦殆(あやう)からざるものです。
 
 さあ、いま線香をたき、蒲団のうえに静かに腰を据えました。するとドウでしょう、八万四千の煩悩の魔軍が攻め寄せ、潜在意識の古井戸をかき回し、十重二十重(とえはたえ)に功業名利の火矢をはなち、敵は諸仏や諸天に変身して有難いサトリや信仰を手にして投降するように誘惑してきます。
 

そのとき、あなたは大力量底の英霊漢、手にひっさげているのは、公案と数息観の大小の刀です。仁王のような気魄で、キッと尽十方世界を睥睨(へいげい)して、馬に触るれば馬を斬り、人に触るれば人を斬る。すこしでも知解分別(ちげふんべつ)が頭をもたげ、分った積りになろうものなら、八識田中に一刀を下し、構わず斬って打ち捨てる、常在戦場、常住死に身。神も仏も、悟りも迷いも、男も女も、宇宙も吾も、千錬万鍛斬り尽したところに、新しい世界が光明を放ってくる。

 

そのようにして、剣と禅は別物にあらず、剣を修するとき禅定にはいり、禅を修するとき心刀を練る。幽顕一如、動静不二。むかし伊弉諾(イザナギ)・伊弉冉(イザナミ)の尊が、高天原より矛を垂れ持ちて、海月(くらげ)なす漂える現象世界を修理固成したように、この己が心の刀をもって、自由に色と空、事と理の世界にまたがって、世界楽土を建設し、斬り拓いてゆく。これこそ禅者たり剣士たるものの本領であります。

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6月14日金曜青年部座禅会
新到者     0人( ;;)
2回以上参加  3人(^^♪ 『夜ゼミ』のみ……1
会員      7人
 
 直日は、K道居士に頑張っていただきました。
 非会員の参加者については、新到者の方はいらっしゃいませんでしたが(広報それなりに頑張ったつもりでしたが……更なるパワーアップが必要ですね)、非会員の方3名がいらっしゃいました。先週は1名でしたので、うれしいですね。
 午後10時過ぎに、座禅が終わった後は、かねてから企画していた『禅を、ビジネス、人間関係、人生に活かす大人の夜ゼミ』の初回です。
 K道居士が流れで『夜ゼミ(よぜみ)』とのよい略称を考えていただき、これからは、『夜ゼミ(よぜみ)』でお願いいたします。
 おつまみについては、K星居士が薬味を工夫されたそうめんです。
 『夜ゼミ』には、会員6名、座禅会参加の非会員の方1名のほか、『夜ゼミ』のみの参加の方1名が参加。
 既に、3回擇木道場にいらっしゃったことがある方とのことで、今日は、金曜日なら、夜遅くまで座禅会をしているという話をしていた記憶があり、思い立っていらっしゃったということでした。
 そうめんや若干のアルコールを喫しつつ、意見交換をするはずだったのが、とりあえず、企画した人間が話さないとと思った私(英風)が少し話過ぎ……( ノД`)頃合いを見て、F嶽居士が「非会員の人に話をしてもらったほうがいいのでは……」当然のことながらの声掛けをして、若干強引に私に話を打ち切らせ(スミマセン)、話を非会員の方に振っていただきました。
 
 ……終始真面目に意見交換ができたという感じで、よい時間を過ごせました。
 以前、この金曜日の夜の青年部の座禅会を担当していたS印居士から「座禅して飲み会で、仲良く楽しくは会員にしか通用しない。会員が仲良くワイワイやっていると、その中に入りにくく居心地の悪い思いをしている。」とのアドバイスをいただいていたので、トーンを落として話をしたのがよかったかなと思います(まあ、H禅子からは、「(英風は)アルコール飲んでいないのに、よくあれだけしゃべれますね(苦笑)」とは言われましたが……)。
 ほかのメンバーも同じように感じたようで、発泡酒を用意したりもしたのですが、『夜ゼミ』の後片付けをしているとき、「アルコールがあった方が話しやすい時もあるけど、今日みたいな感じでやるなら、お茶でいいよね。」という話が出て、『夜ゼミ』は「真面目に対話」路線で行きそうな感じです。
 
合掌 青年部 英風 拝
 
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 先日、「湘南ダンマサークル」さん主催の出村佳子先生をお招きしての「第2回 八正道勉強会」にお邪魔させていただきました。
  出村先生にお会いしたのは、このときが初めてだったのですが、予め何人かの方から「かわいらしい感じの人です。」とお聞きしていたところ、本当に、かわいらしい感じの人がいらっしゃって癒されました。
 よく「法話を聞いて癒される」と言ったりしますが、この種の集まりに参加して「話の内容とは関係なく、癒される」経験は初めてでした(もちろん、お話も勉強になるものでした。)。 

 勉強会終了後の懇親会で、以前、私が書いたブログの記事
「遍参録『湘南ダンマサークル』さん」
/modules/d3blog/details.php?bid=1954 )でも、触れたテーラワーダの長老の一人であるアーチャン・チャー『手放す生き方』の悉有仏性論的な記述について、出村先生を含め、何人かの方と話題になりました。
 そこで、私の知識の限りではありますが、少し整理して取り上げたいと思います。
 禅にしろ、テーラワーダにしろ、実践的な部分には、余り関係のない豆知識ということで、気楽にご覧いただければ幸いです。

 まず、問題の記述を改めて、取り上げます。

 「ブッダとは、時を超え、不生であり、いかなる身体、歴史、イメージと関連ないものだと理解できます。ブッダとは、あらゆる存在の基底であり、不動の心という真理の表れであると言えます。(中略)この、時を超えたブッダこそが、私たちの本当の家であり、不変の空間なのです。」(アーチャン・チャー『手放す生き方』242頁)
  

 この記述を頭に少し入れた上で、次の人間禅の源泉でもある所の円覚寺の管長でもあった釈宗演老師の著書の次のような記述をご覧下さい。
 以前のブログでも取り上げましたが、以前のブログでは注にいれていただけでしたので、再掲します。

 「法は始めなく終わりなく、今も目前にあり又後にもあるもので、よく過去、現在、未来の三際を貫き、大は日月星辰より、小は針の目までも行き亘って居るのだ、一切の事実は悉く是れ法の顕現である。一切の因縁には法が交って織られ、因の中にも法あれば縁の中にも法がある。然し法は決して因縁に束縛されるものでない、大自在である大自由である。円転滑脱の作用がある。この
法が即ち仏性とも称せられるのぢゃ、されば仏性は生きとし生ける人、鳥、獣、草、木などの有機物のみならず、金石国土の如き無機物にも猶お宿って居る。萬有の本体は、帰するところ一の仏性である。即ち法が是れ事物の本然という事になる。この法は万古不易の人力を以て如何ともする能わざるもので、人間は総て皆這箇の法の支配を受けねばならぬのである。」(釈宗演『最後の一喝』226~227頁)
(戦前の本であり、旧仮名遣いは適宜改めました。なお、著作権が切れているため、国立国会図書館のデジタルコレクションから無料で全文を閲覧できます。urlも載せようとしたのですがうまくいかず、国立国会図書館のホームページからアクセスして見て下さい)

 若干長いですが、言っていることは全く同じであるという。
 このように仏性を捉えると、前記の著書で記述されているとおり、仏性は、法と同義のものになっていきます。
 
 このような悉有仏性論の捉え方が日本では一般的ですが、これは日本独自の捉え方であるとよく言われます。
 
「インド仏教において、『一切の衆生に悉く仏性有り』(一切衆生、悉有仏性――『涅槃経』)というときの衆生は、人間であった。しかし、日本では『衆生』の中に生命あるものすべて、さらには山川草木をも含めてしまった。
 樹や石も仏性を備えており、やがて成仏する、という日本仏教の考え方は、自然のもの一つ一つに霊が宿るという神道の考え方と合流して、神仏習合の理念的基礎となった。」(立川武蔵『日本仏教の思想』32~33頁)
 
とされています。 
 
 悉有仏性論は、大本はこのような考え方ではなく、次のようなものだと言われています。
 
「インドの如来蔵思想、および中国禅宗(達摩・道信・弘忍・神秀・慧能・神会等)の基本的立場は、この「仏性内在論」(引用者注:仏性は衆生の中に常住なる純粋精神としてあるという考え方)である」(松本史朗『仏教への道』240頁)
 
 仏教の基本原理は、「諸法無我」のはずですから、インドの如来蔵思想や中国禅宗の基本的立場とされる考え方に対しては、次のような批判がされます。
 
「日本の主要な宗教である大乗仏教でも同じことです。(略)「如来蔵」、「仏性」、「法身」(略)などと言葉を作っていろいろ概念を入れ替えるのですが、結局は「真我」とか「魂」とか、何か永遠に変化しない実体・絶対的な存在がある・いると考えているのです。」アルボムッレ・スマナサーラ『ブッダの実践心理学 第二巻心の分析』18頁
 
 しかし、この批判は、先のような日本的な意味での悉有仏性論には妥当しません。
 このような捉え方の大本は道元禅師のようですが、それ自体、如来蔵思想を否定するものだからです。
 
「悉有は仏性なり。……衆生の内外すなわち仏性の悉有なり。
 
 これは、「衆生の中に仏性が内在する」という如来蔵思想の一般的な考え方を否定したものである。仏性は衆生の内だけではなく外にもある。そればかりか一切の存在(悉有)はそのまま仏性なのだというのである。つまり、仏性は衆生の中に常住なる純粋精神としてあるというのではなくて、精神にも肉体にも、一切の存在に仏性が顕れているというのである。」(松本史朗『仏教への道』240頁)
 スマナサーラ長老は、駒澤大学で道元の研究をされていたとのことで、この点をどのように考えていらっしゃるのかは、実践の問題とは離れた好事家的興味が湧くところです。
 
 とはいえ、なぜ、道元禅師が「仏性」という用語法を残されたのかは、問題としてもよいようにも思います。
 禅道修行到らず、禅学修めるに至らずの者としては、真意はつかめないといわざるを得ませんが、座禅・瞑想により入力を試みる事前情報というプクティカルな意味を考えると、法に「仏性」というプラスのイメージのある言葉を当てて、それが全世界に及んでいるとすることで、世界を肯定的に捉えさせようとしたのではないかなと考えています。

 
「禅堂における生活のすべてが坐禅である、とよくいわれる。人間や草木が仏性であるばかりではなく、食事や雑務、あるは睡眠等あらゆる行為も仏性なのである。人間の在り方によって、世界の中のあらゆるものに「仏性」という「聖なる」意味を与えること、これが道元の目指したものであった。」(立川武蔵『日本仏教の思想』158頁)
 
と言われるところです。
 
 私たち一人一人も世界を構成しており、私たち一人一人は過去と連続性のあるものとして自己を構成しているのですから、世界を肯定的に捉えるとは、この目前に迫っている事物を肯定すると同時に、それを見ている私たち自身を、その私たちにあったと感じている過去を、すべてを肯定するということです。
 もちろん、懇親会の席でO女史がおっしゃったとおり、「そもそも世界を肯定する必要はあるのか?」という疑問は湧きます。
 肯定も否定も評価の問題にすぎません。
 現象として目前に迫っている「世界」も、それを感じている「私」も、「私」に属しているような気になっている「過去」も、内容中立的なものであり、そこには良いも悪いも、本来ないはずです。
 肯定も否定も、良いも悪いも、私達の認識の枠組み、すなわち、自我と呼ばれる現象が作り出した虚偽のものにすぎません。

 思考の枠組は私たちの作り出した虚偽のもの。
 このことは、前提として、私たちに思考の枠組みを自ら作り出す能力があることを示しているのだと思います。

 一切皆苦は、私たちの思考の枠組みの作り出したもの。
 それなら、全てを楽にすることもできるのではないかと思うのです。

 一気に変えるのは難しいけれど、ちょっとの工夫で少しずつならできるのではないかと思うのです。

 何か失敗をしたりしたときに、後悔したり、憤るのではなくて、生じた心の波を乗り切る道力を試したり、心の波を観察して、波が収まるのを感じたり、そうしていれば、きっと仏道実践の成果をかみしめる喜びを感じると思うのです。

 
 そのような喜びはほんの一瞬のものです。
 しかし、喜ばしいことに、私たちの目の前には苦があふれてくれているのです。
 もとより、喜びが生じた瞬間、それが苦に変わってくれるのです。
 私たちがそれぞれの実践で培ったものを試す機会には事欠きません。
 
 一瞬一瞬自分が仏道の実践で培った成果の喜びをかみしめていく。 

 人生は長く感じてしまいがちなので、このすべてを肯定していけるのか自信が無くなります。
 しかし、本当にあるのはこの目の前の一瞬一瞬だけ。
 一瞬一瞬、自分の仏道の実践をしていくだけです。

 一瞬一瞬、仏道の実践の成果を試す喜びを得ることが出来た理由は、どこかで仏道に出会ったから。
 そして、私たちは、どこか辛いところがあって、そこから救われようと考えて、仏道に出会ったのだと思います。
 私達が仏道に出会った原因は、それぞれがほかの人には分からないような辛い事情だったかも知れない。
 けれども、この一瞬一瞬の仏道の実践による成果をかみしめる喜びを得ることができた原因の大元を探っていくと、きっとその辛い出来事があるのです。 

 軽々に言ってはいけないと思うけれど、そういう視点をもったとき、きちんとその過去の出来事に向き合うことが出来るようになった自分の成長の喜びもかみしめることができ、そして、そんな過去も含めて自分の全てを肯定でき、さらに、そんな自分を生み出したこの世界も、肯定して慈しむことができるのではないかと思うのです。

 悉有仏性とは、こういうことを称してもいうことなのではないかと思っています。

合掌 英風 拝

 
【東京荻窪支部主催・坐禅会のご案内】
<荻窪剣道場坐禅会>
・日時 毎週木曜日 午後7時30分~
・場所 東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」

JR荻窪駅東口より線路沿いの道を新宿方面に歩いて5分です。

ビル1階奥のエレベータ脇のインターホンで501号室を呼び出して下さい。
<善福寺清明庵坐禅会>
・日時 毎週土曜日 午前9時00分~
・場所 東京都杉並区善福寺3-8―5 清明庵

善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)
*初めての方は事前に御連絡の上、座り方を説明しますので、15分前にお越しください。
*参加費 初回1000円(坐禅指導料込)、2回目以降 500円(善福寺清明庵では、抹茶・お菓子代+300円)
(連絡先)中川香水
 090-5827-7004 kousui.nakagawa@gmail.com

 
 

 

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 禅と聞くと、日常生活とはかけ離れたどこかに行くようなものだと思っていませんか?
 実は、禅というものは、日常生活とかけ離れたものではありません。
 むしろ、日常生活にしっかりと根を下ろしながら、向上心を持ち、前向きに人生を歩んで行くための方法論なのです。

 皆さんもご存じの山岡鉄舟、西郷隆盛、勝海舟、夏目漱石、平塚らいてうなどの歴史上の人物も禅をやっていましたし、日本の歴代首相にも、禅をやっていた方は少なくありません。
 最近では、スティーブ・ジョブズも禅をしていたということを聞いたこともあるのではないでしょうか。

 みなさんの中には、「マインドフルネス」などといった言葉を聞いて、座禅に興味を持っている方もいるかもしれません。
 座禅会を実施しているお寺も少なくありませんが、ビジネスパーソンなど多忙な社会人の方は、平日は、どうしても残業をしなければならなかったり、土日も、しっかり休養したり、家族サービスをしたりなど、興味があっても、なかなか座禅をしに行くのも難しいのではないでしょうか。
 学生の方も、大学の講義のほかにも、部活動、アルバイト、恋愛♪など多忙な方が多いのではないかと思います。
 そのような多忙な社会人や学生の方なども、会社や学校帰りに立ち寄って、気軽に座禅ができるようにするために、人間禅では、都心部にある日暮里擇木道場で、毎週金曜日午後9時から
「東京で夜一番を遅い座禅会」と銘打って、30分間座禅を2回実施する座禅会を実施しています。

 このたび、この座禅会終了後、
『禅を、ビジネス、人間関係、人生に活かす大人の夜ゼミ』と題して、軽食をつまみながら、参加者相互に、禅をビジネスや人間関係などといった実社会生活にいかに生かしていくか、その実践的な成果などを語らい情報交換をする場を設けることといたしました。
 参加者には、学生時代から社会人として活躍する現在まで20年近く禅の修行を続けている者もおり、座禅に興味があり、これを日常生活に生かしたいと思っていたり、本を読んでやってはみているけど、自己流のやり方でよいのだろうかなどと悩んでいる方には、話を聞くだけでも、参考になるのではないかと思います。
 また、人間禅のホームページのブログを見ればわかるとおり、人間禅には、人間禅以外のお寺の坐禅会やテーラワーダ等の瞑想会に参加している者もおり、どんなところに行ったらよいかなどと悩んでいる人にも、アドバイスが出来るのではないかと思います。
 参加者の職種は、会社員だけではなく、公務員、教員等幅広く、異業種交流のよい機会にもなるかと思います。

 あなたも、私達と一緒に、座禅を通して、自分磨きをしませんか?

 

合掌 青年部 英風 拝

 

(追伸)

 【場所】東京都台東区谷中7-10-10擇木道場

【電話】03-3823-7647

 【料金等】

  初参加   1、000円(指導料込みです。)

   2回目以降   500円

  初めての方は、座禅の指導を致しますので、30分前(午後8時30分)までにいらっしゃって下さい。

  夜遅い座禅会なので、擇木道場に宿泊可能です。

  その場合には、喜捨として2、000円程度をよろしくお願いいたします。

  宿泊した場合、引き続き、土曜日朝の「土曜日早朝座禅会」(午前6時~)にも参加できます。

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6月11日 円覚寺暁天座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/11 11:23

6月11日 円覚寺暁天座禅会

老父母の介護のため、昨日から東戸塚の実家に来ている。実家に来ているときはいつも東戸塚発5:35の横須賀線に乗って、北鎌倉の円覚寺に行くことにしている。6:00-7:00の暁天座禅会に参加します。

20分座禅、5分休憩、20分座禅、15分読経のような時間割りでやっている。北鎌倉から徒歩5分で行けるのでアクセスは良い。座禅は山門をくぐって、目前の仏殿でやっている。大きな釈迦牟尼仏を囲んで、三面に配置された長椅子の上に座布団と腰当を敷いて坐る。経験の浅い人は釈迦牟尼仏に向かって右側に、古参の人は左側に坐る。左側奥が最古参で正面、右側に順次坐っていくようです。決まっているわけではないので、どこに坐ってもよいのですが、どうも、そのようです。

仏殿はとても広く天井が高いので読経の声がよく響いて、気持ちが良いです。建長寺と比べて、アクセス、山の懐に抱えられているような雰囲気が在って、円覚寺のほうがよいですね。人間禅の源流でもあるし、私はここが好きです。人間禅に入る前から観光目的などで数えられないくらい来ています。

今朝、久しぶりに丸〇〇石さんに会った。ここ3ケ月間会っていなかった。私は毎週火曜日にきているので、他の曜日に来ているのかもしれないとは思っていた。仕事などで来ないときがあるが、大体きているとのこと、今朝は私に会うのではないかと思ったそうです。

今朝、丸〇〇石さんは読経中に大きな木魚を叩く役位を務めた。なんでも暁天座禅会を取りまとめている居士が、参加している人を見て指示を出しているとのことです。私は毎日行っているわけではないので、その当番が来るとは思いませんが、機会が有ったらやってみたいですね。

丸〇〇石さんは西鎌倉に在住です。バイクで通っているとのこと。再会を約束して横須賀線の踏切前で別れた。龍泉
 

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6月10日 月曜朝座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/11 11:07

6月10日 月曜朝座禅会

新到者    4人

2回以上参加 0人

会員     3人

前日の夜、早朝座禅会の申し込みが入ったとの連絡を受け、受付対応をしたが、座禅会は6:00から7:00なので、5:30までに来てくださいというべきところを、6:30までにと書いてしまった。間違いに気づいて直ちに訂正をHPツールから発信したのですが、先方には届かなかったのかもしれない。

6月10日私は5:20に入山して待機していたが、5:35になっても来られなかった。雨が降っていることだし来ないのではと思って、禅堂で坐り始めました。6:00ごろ雲〇、松〇居士が入堂して受け入れ態勢は万全になったが、新到者は現れなかった。やはり今日はこないのだと思って坐り続けた。すると、6:20玄関で「ごめんください」の声、私は直ちに下に降り、新到者4名を受付け座禅のやり方を説明した。説明も早々に禅堂に上がって6:40から新たに始め、7:05に終了した。5分間の質疑時間を設けて質問に応えた。座禅の最低時間をなんとか確保することができた。感想をきいたところ、「難しい、30までしか行かなかった」「集中力がたいせつなのですね」「早朝に有意義な時間を過ごせた」とのことだった。火曜日を除いて、私は毎朝ここで坐っているので、お住まいが近いようだし、いつでも参加してくださいと言って、「擇木道場のチラシ」「摂心会講演会のチラシ」を渡して別れた。

受け入れメールに失敗したが、初めてこられた方からの感想に私も良い時間を過ごせたと思って、嬉しかった。多分、また来られると思う。龍泉
 

 
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6月9日 日曜朝座禅会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/9 10:57

6月9日 日曜朝座禅会

初めて参加  2名

2回以上参加 5名

会員     5名

7:00-7:35 座禅

7:35-7:40 休憩

7:40-8:00 座禅

8:00-8:10 経行

8:10-8:20 座禅

8:20-8:30 読経

終了後は居士寮で茶菓子をいただき懇談した。

 

『茶掛け一行物 下巻』吸尽松風意不塵を読んで、言語の意味を説明した。

法嗣(はっす):法を嗣ぐべき次の人、初代から二代の場合は二代目の人。一休には次ぐべき人が居なかった。

禅機:禅の修行によって培った人間力。我々の立場では、仕事に反映できる座禅によって培われた三昧力。

乾坤:天と地、一切の世界。

活発々地:その場その場で臨機応変に活動すること。新しいアイデアを閃くとか、人と意思疎通を十分働かせて交渉するなど。

松風:釜でお湯が沸いてくると聞こえる「シュー、シュー」という音。ちょうど海辺の松林が風に吹かれて出す音に聞こえる。お茶席では狭い部屋の中に大自然の物語を思って楽しむ。茶筅を洗う音は、さらさらと

流れる小川の音になぞらえるなど。

村田珠光と一休との関係は1400年中期のことで、当時から茶道と禅は深い関係を持っていた。茶禅一味とは、人間形成を目指す座禅も茶道も目的は同じであるということ。

6/22仏教講座、6/22-6/29東京支部摂心会、6/23「チェンジ ユ―」講演会について説明した。

本日、初めて参加された方は、お茶の水でギターのお店をやっているので、講演会のチラシを15部ほど、お店に置いてもらうようお願いした。快く了解いただいた。

とても快活な方々でした。再度ご来場くださることを期待します。龍泉
 

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6月8日 土曜夕方座禅会

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/9 10:52

6月8日 土曜夕方座禅会

初めて参加  1名

2回以上参加 2名

会員     3名

17:00-17:25 座禅

17:25-17:30 休憩

17:30-17:50 座禅

17:50-18:00 読経

終了後は居士寮で茶菓子をいただき懇談した。

6/22仏教講座、6/22-6/29東京支部摂心会、6/23「チェンジ ユ―」講演会について説明した。

6/23「チェンジ ユ―」講演会の趣旨は、私が座禅を始めたころのテーマそのものです。入社して7年の30歳前半。仕事が多忙で、夜遅く退勤する。職場とアパートを往復する毎日、仕事以外の人と関与しない狭い人間関係。仕事上で上司、関連部署の人とやり取りをするが,何か、いつも人の言葉や印象を気遣って悩むことの多い毎日でした。こんな状態で定年まで、また、それ以降も生きていけるのかな?何かをして、自分を変えなければならないという気持ちになりました。色々と経過して座禅に行きつき、人間禅に入ってから20年。やっと安堵した状態になりました。①自分を変えられた。②住む世界が広がった。当初、私が目指した二つのテーマを確保できた。初めて参加された方にそんなことを話して、摂心会と講演会への参加を促した。龍泉
 

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「われわれがこの苦の世界に生まれ生きているのは
 愛するためであり
 働くためであって
 苦から逃れるためではない。」
 
 東京荻窪支部の英風です。

禅宗史について、きちんと勉強する気になり、東京荻窪支部の木曜日座禅会に行くついでに、会場の荻窪剣道場の近くにある古書店「ささま書店」に立ち寄ったところ、売られていたのが、この本でした。
 松本史朗先生については、袴谷憲昭先生と並び「本覚思想」、「如来蔵思想」に否定的な立場を取られている程度のことは知っており、妥協のない研究姿勢をとられているのではないかと好印象をもっておりました。
 立ち読みで禅宗を取り扱っている箇所に目を通したところ、簡潔にまとまっており、わかりやすく、また、400円という手頃な値段が付けられていたので、買い求めました。
 
 この本は、本文259頁という薄さの中に、「原始仏教から鎌倉仏教に至る(略)重要と思われる基本的教説や思想について(略)解説」(「まえがき」1頁)した本、つまり、一言でいえば、歴史的観点で整理された仏教の知識本です。
 私自身も、まあ、そんな本であろうと思って買ったわけです。
 確かに、知識面も面白い。
 きっと、高度な内容を水準を落とさず、平易に書いたというものなのだと思う。
 しかし、実際、読むとエラく「アツい」。
 鎌田茂雄先生とかと比較しても、「アツい」。
 
「自利利他の円満とはいっても、自利と利他を半分ずつ行って、その調和をとるという意味では毛頭ない。

それはまったくの利他、完全な自己犠牲なのである。

完全に自己犠牲的な一つ一つの行為に、成仏の可能性を

いな、成仏それ自体を見出そうとする生き方こそ、真の慈悲であり、菩薩道なのである。」(109頁)
 
 ……これはしびれますね。
 利他が自利に一致するというくらいでは弱すぎる。
 利他三昧、こういう生き方を目指す……“実際にする”のでないと、禅をしてもつまらないじゃないですか!
 
 読み始めたときには、単に知識を仕入れることしか期待していなかった分だけ、「これがくるか!」というインパクトを感じる言葉が多かったです。
 
「人間がさとりに至るための手段にすぎないとすれば

なぜ人間は苦しむために、愛するために、この世界にみずから生まれてきたのであろうか。

また、人間がさとりに至ろうとして、それができなかった場合

彼のいっさいの労苦とその生活に、どのような意味があり得るのか。

さとりを一つの客観的な目的として設定し、それに向かって進んでいくという直線的思考は、結局のところ、小乗と呼ばれたものと同じではないのか。」(138頁)
 

「さとりに至ろうとして、それができなかった場合、彼のいっさいの労苦とその生活に、どのような意味があり得るのか。」

……禅の修行をする者は、まず、この問題について、自分なりにでも、きっちり答えを出さなければならないでしょう。

私なりの解答がこれまでブログに書き散らしてきたことなのですが、どの程度成功しているでしょうか。
 松本史朗先生は、「批判」のイメージが強かったのですが、読み進める中で、仏教に対する熱い思いが「批判」の原動力になっているのかなと思いました。
 
 私は、知識を求めて、この本を読んでいました。

しかし、私は、仏教書、ひいては仏教の言説において、究極的に重要なことは、内容の正確性や、内容の真実性ではないと考えています。

重要なことは、魅力的な世界観の提示だと思っています。
 
 釈尊は、約2600年前にいた人物にすぎず、その発した言葉とされるものが初めて経典化されたのが、釈尊が入滅してから数百年後のことです。

情報流通が発展した現代においても、マスコミが情報を発した数日後には、真実が違っていたとわかることは少なくありません。
 それなのに、釈尊とされる人物の言説が現代まで正確に伝わっているなどという方がおかしいというべきでしょう。
 それは、近代における仏教史の研究が教えるところでもあります。(注1)
 
 現代に仏教として伝わっている考え方の一つとして、私たちの考え方の枠組みが、私たちの思い込みによって作られた仮のものにすぎないというものがあります。
 そのことは、逆に、私たちには、よりよい生き方を実現するため、自由に自分の考え方の枠組みを創り出すことができる能力があることを意味しているのではないかと考えています。
 
 たとえば、原田祖岳師が
「闘争も不幸もすべて心の持ちよう=解釈=一つ、同じ事実も見ように依って蓮華にもなれば汚物ともなる。(中略)五十年の人生も、人の心の持ちよう、即ち解釈、見方一つで地獄にもなれば極楽にもなる。およそ誰でも自分は最も幸福だと解釈の出来ない人は、まだ正法の理解も信念もない証拠です。正法を信解した人は必ず自己の幸福に目覚めて、その境遇を真の幸福に向上させるものです。然らざれば佛法=真理=の未だわからぬ人であります。」(注2)
というのもこのような趣旨ではないかと思います。
 
 鈴木大拙先生は、禅について
「それはわれわれの心に生まれつきそなわっている創造(略)の衝動を、すべて思うままに働かせることである(略)われわれは自分を幸福にし(略)て生きて行くのに、必要な機能をことごとくそなえている」(注3)
と言いますが、「自分を幸福」にするための「創造」とは、考え方の枠組みを自分自身で創り出すことなのではないかと考えています。
 禅の修行の中で、考え方の枠組みを解体すると同時に、「創造」する作業が繰り返されるのは、そのためでしょう。
 
 そうすると、仏教の言説において、重要なことは、かつての古い考え方の枠組みを否定した後の新しい考え方の枠組み、すなわち、魅力的な世界観を提示するということになるのではないかと思います。
 坐禅の実践は、私たちの感受性を高めますが、その狙いは、このような新たな枠組みを自分たちに刻み込むためなのであると思います。
 「虚実の間に遊ぶ」と言いますが(注4)、日々より魅力的な生き方を求めて新たな世界観を創造しながら、人生を送ることを称しても、言うことなのではないかと考えています。
 
「地上のいっさいの悪を、またいっさいの自分の過去を方便として、試練として認める(略)
 われわれはその苦しみが大きければ大きいほど、そのあとで得る実りもまた大きいのである。

それゆえに、かつてこの地上でどれほどの悪がなされようとも、われわれはなお、世界を愛することができるし、また愛さねばならないのである。」(258~259頁)
 

この松本史朗先生の提示する世界観は、私にはとても魅力的に映るのですが、いかがでしょうか。

 

合掌 英風 拝
 
【引用文献】
冒頭部 松本史朗『仏教への道』146頁
(注1)たとえば、松本史朗『仏教への道』218頁
(注2)原田祖岳『白隠禅師坐禅讃講話』108~109頁
(注3)鈴木大拙『禅』42頁
(注4)立田英山『人間形成と禅』44頁
 
【東京荻窪支部主催・坐禅会のご案内】
<荻窪剣道場坐禅会>
・日時 毎週木曜日 午後7時30分~
・場所 東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」

JR荻窪駅東口より線路沿いの道を新宿方面に歩いて5分です。

ビル1階奥のエレベータ脇のインターホンで501号室を呼び出して下さい。
<善福寺清明庵坐禅会>
・日時 毎週土曜日 午前9時00分~
・場所 東京都杉並区善福寺3-8―5 清明庵

善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)
*初めての方は事前に御連絡の上、座り方を説明しますので、15分前にお越しください。
*参加費 初回1000円(坐禅指導料込)、2回目以降 500円(善福寺清明庵では、抹茶・お菓子代+300円)
(連絡先)中川香水
 090-5827-7004 kousui.nakagawa@gmail.com

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