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擇木道場

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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

仏教講座中止のお知らせ

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座禅ブログ
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擇木道場 2019/10/11 5:30

緊急連絡です。

当道場に於いて10月12日開催予定の仏教講座の中止をお報せします。

台風19号の接近により首都圏にも多大な影響が予想されます。


大変貴重な勉強の機会を心待ちにし、予定を組んで下さっていた方々には、大変心苦しいのですが、安全を第一に考えやむなく中止を決定いたしました。

何卒ご了承くださいませ。


次回の開催は、決定次第お知らせいたします。

どうぞ皆様、台風被害にあわれませんよう、

心よりお祈り申し上げます。

先ずはお報せまで。


合掌 

山田妙玲 拝


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Zen2.0に参加しました③

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/9 19:52

 擇木道場の風印です。

 鎌倉の建長寺で921日、22日に開催されたZen2.0に参加しました。

 当道場では、座禅の他に参禅(公案を用いて禅問答によって境地を開く臨済禅の修行)することも出来ます。その時は一毛呑海(いちもうどんかい)という、飲んだり食べたりすることに関わる公案を頂いていたので、良い見解(けんげ)が出てくるといいなと思って食べる瞑想に参加しました。

 以下、食べる瞑想の内容を記載します。乏しい理解のため、誤解を生じている点があるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。


Zen20に参加しました③


921日 「食べる瞑想」:島田啓介様


 弁当の中身が見えるように開いてみる。

 私たちはこれが食べるものだということを知っている。口の中に入れて身体の中に入れることを知っている。

 食べ物がやってきた経路を想像してみる。

 全ての過程において、様々な人の手がかかっている。そのプロセスを信頼するから食べられる。

 前のセッションで大地に完全に身を任せる瞑想を行ったが、それと同様に食べることは身をまかせることである。

 食べる瞑想をすると、身体に良いものだけでなく、そうでないものも入ってくることに自覚的になる。ある程度身体に毒でも、免疫によって身体が取り込んでくれる。

 当たり前のことを、それが新たに生まれたことのように新鮮に体験してみる。

 他の人と一緒にいただくことが身体や心の栄養になる。

 食べることで様々なものとつながることができる。


 最初に一つの品目を選ぶ。

 それがどこからやってきたか想像する。どのような経路を経て、どのように調理されたのか。

 ゆっくり口の中に入れて、50回カウントして噛んでみる。

 そうすると、ふたくち目以降も味わい深くなる。

 15分間無言で食べてみる。


○こどものための食前の祈り

 食べ物は宇宙全体のめぐみ

 関わった人に感謝

 食べられる分だけ無駄にしない

 いただいた分だけ人を大切にする

 仲良くなれるように感謝していただく


 早く食べるときも、丁寧に食べることが大切。

 早歩きに気づいてゆっくり歩くと心も穏やかになる。

 ある瞬間だけでも良いので、あえてゆっくり歩かないと周りの状況が見えてこない。

 切羽詰まった時にあえて脱力すると、妄想から目覚めて現実の世界が見えてくることがある。それは日頃から心がけていないと難しい。普段から微笑む呼吸を心がけてみる。

 

 イライラしていると、料理を作るのもなげやりになってしまうことがある。そんな時にみじん切りや千切りに集中してみると、気持ちがおさまることがある。


922日 「叡智ある思いやりの連鎖~コンパッション・食べる瞑想~」:荻野淳也様


 私たちは頭だけで考えがちだが、そうすると身体が求める意図を無視して頭だけで動いてしまうことになる。自分自身とつながるには、マインドフルネスや座禅をすると良い。

 働くことは一人一人の自己表現でもある。自分の内から立ち上がってくること(価値観、使命感、ワクワク、楽しいなど)と普段から意識してつながってみる。

 マインドフルネスで思いをとどめたり、思い出すことによって、自分が何を求めているのか、何を自己表現したいのかに気づくことがある。また、自分の身体感覚、感情、長所、短所を知り、自己認識力を高めることができる。

 本当の自分自身を知っていくことができ、自分自身の最適化を図ることができる。


 人は一人では生きられない。社会の中で人として生きていくためにはコンパッション(思いやり、相手に寄り添う能力)が必要である。マインドフルネスとコンパッションは切っても切れない関係にある。

 リーダーシップ、マネージメントの分野でも、セルフコンパッション(自分自身が自分に対して思いやりを持つこと)が注目されている。

 うつ病の人が真面目さゆえに自己批判して、「自分なんてダメ」とダウンしてしまうように、自分には価値が無いと自己批判することが、燃え尽き、うつ、自殺に繋がることがある。これらは世界的な問題となっているが、改善されていない。


 これらの問題を解決するには、これまで生きてきた次元の中ではなく、より高い次元、メタな視点で物事を見ていくことが必要である。

 私たちは、何かをやり続けて社会から認められる成果を出さないと価値が無いと考えがちである。しかし、家族や友達が側にいるだけで有り難いように、そのままでも価値があるのである。

 DoingからBeingへの転換が必要なのである。


 ペアを作って、お互いに「あなたの素晴らしいところはどこですか?」と繰り返し問いかけてみる。

 その問いに答えることで、自己認識やセルフコンパッションを高めることができる。また、問いかけた人は、相手が「こんな素晴らしい人、温かい人なんだ」と知ることができる。


 ネガティブな感情が湧いてきたら自己認識を高めるチャンスである。なぜその感情がわいてきたか振り返ることで、宝物がみつかるかもしれない。


 弁当を開いて、今ここに注意を向ける。どんな気づきが立ち上がってくるか。五感を開いていく。視覚で味わう。

 余計なジャッジメント、批判、批評を手放して、食べ物の色、食材、調理法などを観察する。


 初めに一つつまむ。

 つまむ瞬間の触感を感じながら観察する。食べ物の重さを味わう。持ったものを眺める。色、形を観察する。におい、臭覚を感じ、口の中に唾液が出てくる感覚に気づきを向ける。

 早く食べさせてくれという感情を味わう。


 口の中に入れて舌の上にのせる。味覚や口の中から鼻に通ってくるにおいを感じる。

 ゆっくり、少しずつ噛んでいく。

 味の変化を感じつつ飲み込む。噛むとき、飲み込むときの音を感じる。

 におい、味、音、視覚、触覚、五感をフルに使って味わって食べる。


 瞑想する時間の長短が問題では無い。今ここに気づく深さで、主観的な時間が変わる。

 何種類の食材があって、何人くらいの手がかかっているのか。注意を向けて食べる。

 生産者→収穫→農協→検品→箱に詰める→運送会社→市場→作る人、と一つの食材に10人以上の手がかかっている。

 私たちは自分一人でコントロールしていると思いがちだが、色々な人に支えられているのである。

 インタービーイング、即ちお互いに関係性のある存在であることに気づきを向けると感謝がわいてくる。

 人の有り難み、つながりを感じる。食べながらわいてくる感情、言葉を観察する。

 おなかの満たされ具合、空腹感、満腹感を感じる。


 食事は2食で十分。3食摂ると、糖をエネルギーにする身体になる。

 脂肪をエネルギーに変えるには食事の間隔を1215時間あけることが必要である。そうするとエネルギーを効率的に燃焼でき、エネルギー切れになりにくい身体になる。


 ゆっくりしたペースで食べると満腹感が出てくる。庭を見ながら食べる。


Zen20に参加しました③


 気づきの力が高まると自己認識力も高まる。

 ベクトルが合ったとき、共感やコンパッション、美しいものがみられる。観察力を高め、人間性を取り戻すのがマインドフルネスなのである。


 コンパッションの「コン」は苦しみ、「パッション」は共にいることを意味し、それは本能に基づくものである。

 苦しんでいる人を助けると、「良いことをした」と感じ、オキシトシン(幸せホルモン)が分泌される。オキシトシンは、誰かを大切にしたり助けたりしたときにわいてくる。

 しかし、「恥ずかしい」「誰か見てる」などの思考が邪魔になって躊躇してしまうこともある。そのような評価判断をせずに動ける習慣をつくるのが、マインドフルネスである。


 YouTubeがより長く滞在してもらえるように動画をアルゴリズムで操作しているように、私たちの感情、脳や思考はハック(操作)されている可能性がある。

 デジタルと離れて自然な感覚を取り戻し、本当の自分の感覚に帰るのがマインドフルネスなのである。


合掌 風印 拝


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秋といえば食欲の秋ですが、芸術の秋、読書の秋でもあります。
夏や冬は暑かったり寒かったりで集中力がなくなりがちですが、秋は気温も程よくて勉強にも集中できそうです。

先日の女性部主催の座禅会に英語を話す方がご参加されました。
座禅会に初めて参加された方には座り方や禅堂での作法などをお教えしていますが、英語はほとんど話せない私は日本語が話せる方しか対応していませんでした。
しかし、先日は何故だか私が対応してしまい。。。
「英語、話せますか?」と聞かれても「アイ キャント スピーク イングリッシュ」というのが精いっぱい。
英語で書かれている座禅の方法を音読して何とか説明を終えましたが、やはり英会話ができないと迷惑をかけてしまうのだな、、、と改めて実感しました。




禅ではよく「冷暖自知」という言葉は使われます。
お湯が熱いとか雪が冷たいなどとは違いますが、「言葉が通じない」ということを身をもって知ってしまったわけです。
裏返せば、いつか「言葉が通じる!」ということに感動する可能性があるということでしょう。

(このあたりの話は女性部ブログにも書きました)

今までもですが、これからもっと外国の方が座禅を体験しに来られるのではないかと考えられます。
そうすると、やはり私が座禅を続けるためには英会話ができることが必要なようです。
さて、秋の夜長に英会話。。。
  合掌 翡翠


女性部ブログはこちらからどうぞ

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座禅会便り

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/6 23:04

10月6日

 

日曜朝座禅会

初めての参加  0

二回以上の参加 6

会員      4

 

5分の休憩を挟んで、40分、35分の坐禅、2回目の35分の座禅中に10分の経行、終了後に読経(般若心経、座禅和讃、四弘請願)10分を行った。終了後は居士寮で、抹茶とお菓子で座談会をした。

 

案内事項:

10/12  14:00から仏教講座、19:00から第152回摂心会が始まり10/19に終了。摂心会とは5:00起床から22:00就寝まで、日課に従って行う座禅修行の集中期間です。

10/13に「AI時代こそ禅が生きる」~数息観座禅と公案修行~ と題して葆光庵老師の講演会を予定しています。

摂心会期間中も通常の座禅会は開催していますが、摂心会日課が優先されて、10/13の朝7:00は朝食の時間になります。座禅会参加を希望される方は5:30(6:00)でもOK、または、10:30の座禅の時間にどうぞ。

 

座談会

岡山土産の「キビ団子」、川治土産の「鬼怒の清流」と抹茶をいただいた後で『人づくり肚づくりと禅』のP5861を読んだ。

10/13講演会のテーマに近い部分です。人間禅で公開している200の公案は「瓦筌集」に納められている「瓦筌集」の瓦は案内を乞うために門をたたくもの、筌は魚を捕る籠。公案修行は自分が絶対の存在であることを端的に覚る(見性する)手段であり、公案はそこに行きつくための手がかりです。覚りには浅深があって一つの階段を上れたら、その手掛かりに用は無いので捨ててしまう。「瓦筌集」の公案を読んでも何のことだか判らない。座禅して公案を「何だ?何だ?」と疑問を持って考え、公案三昧にならないと腑に落ちない。何かを掴んだら、老師に参禅して判定してもらう。禅に指導者が必要なのはそのためである。

 

日曜夕方座禅会

 

新到者、リピータもいないため、一人で思う存分坐った。休憩を取らずに一時間を続けて坐った。広い禅堂を一人で占有するのはいいものでした。

しかし、禅堂の入り口に人の気配を感じた。誰かが階段を上って禅堂の引き戸を開けてから閉めた。そして、静かに階段を降りてトイレで用を足した後、道場から出て行った。ずっと坐っていたので誰かは判りませんでした。

龍泉 拝
 

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アフリカの障害者と禅

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/6 18:17

中央支部の岩村富嶽です。

先日行われた日暮里擇木道場の禅フロンティアの講演のテーマが「アフリカの障害者と禅」。講演していただいたのは戸田美佳子上智大学助教。


カメルーンの森で暮らす障害者との出会いから 3年にわたってカメルーンやコンゴでフィールドワークを行ってきた自身の体験からお話を聞かせていただきました。


皆さんはアフリカの障害者と言われてどんなイメージを持ちますか?

私はなんとなく救済されずに若くして命を落としてしまうイメージがあったのですが、少なくとも戸田先生の行ったカメルーンの土地の障害者の方は私の勝手なイメージを見事に打ち砕くものでした。

スライドの中で紹介されたアフリカの障害者の写真がこちら。


アフリカの障害者と禅


なんとまぁ、明るく陽気な写真だこと。

日本と比べてもアフリカの障害者は陽気な方が多いようです。

左上の方の乗っているのは三輪車というか車椅子というか、おそらく自転車を改造して造られたのでしょうが、これはこれでユニークですね。


下の写真はなんだかわかりますか?


アフリカの障害者と禅


アフリカの障害者が乗る車椅子です。

先程の左上の方の写真がヒントにもなりますが、やはり自転車を改造して造られているようで、手でペダルを漕いで動かすそうです。

しかし、アスファルトではなく森の中をこれで進むというのだから、大丈夫なのだろうかと心配になります。

ちなみにこれ、カカオ畑で畑の所有者は車椅子の障害者。そして下の写真がその方。


アフリカの障害者と禅


なんともたくましい。

障害があってもちゃんと生活していける仕組みがあるんですね。

自分の畑のカカオを収穫し、自分では採れないところは手伝ってもらう。

アフリカにはアフリカの仕組みがある。


僕は就労移行支援事業所という障害者の方の就職をサポートする仕事をしているのですが、通所者さんはほとんどが発達障害か精神障害の方々です。

そのあたりからしてアフリカとは違うところもありますが、アフリカの障害者の方の姿を見ていると障害を障害と感じさせないものを感じます。

つまり健常者と障害者という枠組みであまり捉えていないシステムがあるなかで、生活が送れているというように感じました。


講演の中で「共存感覚」という言葉が紹介されました。いがみ合ったり、無視したりもしながらも他者と一緒にいる感覚にみられるアフリカらしさに惹かれたことが戸田先生がアフリカの研究をするきっかけになったと話していましたが、この「共存感覚」という「共に在る」ことを大事にすることが、今の日本社会の中における障害者の在り方のヒントに繋がるものがあるように感じました。

相手と自分を分けて考えない。「自他不二」の精神が、禅とこのアフリカの「共存感覚」には通じるものがあるなぁと感じ、これを日本社会でも活かせるようにしていくことがこれからの社会におけるテーマの一つかもしれないと思った講演会でした。


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旅行記

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/5 23:43

温泉旅行記 9/3010/1

久しぶりに川治温泉に一泊温泉旅行をした。川治温泉卿は五十里ダムから派生する男鹿川に面し、山に囲まれた静かな町です。男鹿川は川治ダムから派生する鬼怒川に合流して大きな川となっていく。男鹿川には山女だろうか? 遊歩道から魚影を確認できる。釣り人2人、フライフィッシングをしていた。ここでは「キャッチ&リリース」がマナーのようで、釣った魚を持ち出してはいけないという立て札が立っていた。鬼怒川と男鹿川が合流するところに源泉かけ流しの露天風呂「薬師の湯」があった。男女混浴だ。鬼怒川に沿って龍王峡に繋がるハイキングコースがある。

18年前から4年間、毎年通っていた「東山閣」というホテルは既に無く、所在地と思われる場所は更地になっていた。この宿の山菜料理は私の好みに合っていた。両親を伴って2回訪れたが、群馬県出身の父親も気に入っていた。「東山閣」の姉妹宿に「伝七の湯」というホテルがあったが、そこは星野リゾート 「界 川治」というホテルになっていた。湯めぐりで「伝七の湯」に行ったことがあるが、とても良い宿だった。今回はリニューアルされた「一柳閣」に泊まった。上野からここまでは送迎バスを利用した。電車を使わないので荷物の持ち運びも無く、楽な移動だった。

翌日、チェックアウト後で小網ダムまで龍王ハイキングコースを歩いた。人はほとんど通らない道で、落ち葉、倒木もあって、少し歩きにくいところもあったが、30代のころ山に入ってテント生活をしていた私は懐かしかった。ハイキングコースに入って直ぐに、反対側から歩いてきた地元の方から、猪がいるので奥にはいかないようにとの注意を受けた。天気も良く清々しいので、家内と一緒に先に進んだ。獣の糞を見つけた。それは真新しく、近くに獣が居ることが暗示された。暫く行くと右手の山側で「ガサガサ」という音を聞いた。猪だと思う。直径3㎝ほどの木枝を手に取り用心深く進んだ。しかし、こちらに来る気配はなく山の上の方に移動したようだった。さらに進むと珍しい茸を見つけた。

一時間ほど歩いて小網ダムから川治温泉駅に至った。帰りは国道121号線を歩いて「一柳閣」に戻った。途中の蕎麦屋で昼食を摂ったが、上手い新蕎麦だった。いつか、連泊したときに龍王峡まで歩いてみたいものだ。紅葉の時期はきっと美しいだろう。龍泉

 

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擇木道場で金曜夜に開催している青年部座禅会「東京で夜一番遅い座禅会」は、座禅が終わった後にお茶を飲みながら話をする時間を設けています。
座禅についての本を読んで感想を述べ合ったりもしますが、この日は初参加者もいたので、いろいろとおしゃべりをしました。

初参加の方から「皆さん、どんな理由で座禅を始めたのですか?」という問い掛けもありました。
これ、初めて参加される方からよく聞かれる質問です。
その場に集まった会員や会員以外の座禅会常連の方にも始めた理由をお話いただくと、さまざまな理由があることがわかります。
「悩みを解消しようと調べたら『座禅が良い』とあった」
「昔、座禅をする機会があって、その時にスッキリしたのを思い出して、また始めようと思った」
「瞑想やヨガをしてきて、その流れで座禅をしたら自分に合っていた」
「友達に付き合って体験として座禅をしたらハマってしまった」
などなど。

初参加の方は「仕事が忙しいので脳を休ませたかった。座禅は以前から興味があったが、体験する機会がなかった。今日は思い切って参加してみた」
とのことでした。
座禅をしてみて「座禅ができて良かった。座禅の後にいろいろな人と話ができるのも楽しい。」
というようなことを言ってくださいました。
悩みごとなどを友達に話すと少々重い雰囲気になってしまいがちですが、擇木道場で話すとそこまで重苦しい雰囲気にはならないのが不思議です。
また、宗教について日本人はあまり友達同士では話さないのかもしれませんが、擇木道場では宗教そのものに関心を抱いている方も多いためか、話が盛り上がってしまうこともしばしば。
盛り上がりすぎると、終電を逃すのでは?と他人事ながらヒヤヒヤしてしまったり。
(仕事で忙しい人にこそ座禅をしてもらいたい話は、人間禅青年部のブログにも書いています)

草, 屋外, 建物, 家 が含まれている画像

自動的に生成された説明

この日は、公案という修行についてや、来週から始まる摂心会について、一週間道場に寝泊まりすることなどについても話をしました。
10月12日(土)から19日(土)までの東京支部摂心会は、座禅修行の合宿です。
道場に宿泊し、朝起きたら座禅をして仕事に行き、仕事が終わると道場に帰って座禅をする。。。
それを一週間!!
疲れるけれど、充実した日々を過ごすことができる期間でもあります。

今回の初参加の方のように
「興味があっても機会がなかった」
「興味があっても知らない場所に一人で飛び込むのは不安だった」
という話は結構聞きます。
座禅に限らず、えーい!と飛び込んでしまえば案外なんでもないもの。
行こうかどうしようか考え中の方はぜひ、えーい!と飛び込んで来てください。
ハブ茶を用意して待っていますよ♪
  合掌 翡翠

人間禅青年部のブログはこちら



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Zen2.0に参加しました②

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/2 17:37

 擇木道場の風印です。

 私は当道場で座禅するだけでなく、各地の座禅会などにも参加しています。今回は鎌倉の建長寺で921日、22日に開催されたZen2.0に参加しました。

 以下、前回のブログの続きを記載します。乏しい理解のため、誤解を生じている点があるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。


Zen20に参加しました②


■「Homeとつながるマインドフルネス~呼吸の中のわが家へ戻る~」:島田啓介×神久美子 様


 今、ここで呼吸が起こっている。その不思議と奇跡を感じて息を深く吸う。

 笑顔で周りの人と挨拶する。


 行き詰まりや絶望から新しいつながりが生まれる。

 マインドフルネスは絶望を助けてくれるか?


 呼吸すること、微笑むことで身体の力が抜け、自分の中にスペースが生まれる。手放すことで見えなかったものが見えてくる。


 心地よく横たわって、大地に全身を委ねる。吐く息とともに疲れを手放し、吸う息とともに大地に滋養をもらう。

 今ここにいる不思議。微笑みと気づきを感じる。


○重病の人に立ち会うことのように、答え(オチ)が出ない状況でどうあれば良いのか?

 死にゆく人(死ぬ方向=本来全てがそこに向かう)とどうあるか?


 私たちは死んではいけないという呪縛に囚われている。

 重病の人に「良くなるといいね」などと声をかけるのは、自分の安心のためではないだろうか?

 そのような声かけをされても、完全に直ることはなかなか無い。期待に応えられない。

 言葉で通じ合うことは難しい。それよりも一緒に呼吸する。たとえその人の呼吸が止まっても共有されている呼吸は続いていく。共有されたものは無くならない。思いは生きている。


○マインドフルネスブームがつまらない

 役立つ/役立たないという二分法で考えている。

 ○○にならないのは○○していないから(ちゃんと○○していればそうなるはず)という呪縛に囚われている。

 人に吹き込まれた思い込みに基づいて、行き詰まり絶望してしまう。

 裏切られる現実、失望は絶望に繋がる。

 マインドフルネスは良いものなのか?

 思うようにならない。どうにもならないことがある。


○べてるの家(1984年に設立された北海道浦河町にある精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点)の絶望体験

 治らなければならないという呪縛。こうあるべき、こうあってはいけないという呪縛に囚われていた。

 思うようにならず、自分自身が絶望したときに初めて当事者の苦しみが分かった。その時に初めてつながれた。

 弱さを絆に、無力さでつながる。


 自分を諦めて自殺未遂をしたが、助けられて帰ってきた。他力に助けられた。

 自分が完全に無力になったときに受け止めるものがあり、そこでつながりを見いだした。


○ブッダの絶望とブレイクスルー

①お城の中の生活の虚偽性への絶望

 四門出遊~出奔(古い価値から立ち去る)

 ディズニーランドから出る。ネガティブなことを無視して、夢、幸せを受け取れない。

②苦行の絶望~悟りの不可能性

 スジャータに粥をもらう(他者の慈悲を受け入れる)。

 許して緩む。

③伝えることの絶望~一般人の救いを諦める

 梵天からの説得で考え直す(苦しみへの共感)。

 至らなさへ降りていく決意。これが無いと次に転換して行かない。


○絶望から開けてくる世界

・弱さに開かれたとき、集合的な心の痛みが見える

・ハッピーエンド(オチ)を作らずに「待つ」胆力

・プロセスに委ねる信力

・弱さでつながる力

・切羽詰まって「観念」する

・世界が壊れ、新たな認知(世界)が生まれる

・成るべくして成るを知る


 私たちは絶望を感じたときに、「イライラした」で終わってしまいがちだが、絶望の裏側には自分が変わりたい気持ちがある。

 絶望を感じたときに、「苦しいからそこに留まれない」(アクセル)という気持ちと、「やってもどうにもならない」(ブレーキ)という気持ちが生まれる。そのようなことを繰り返していると、「疲れるけどどこにも行けない」ことになってしまう。


 ナマケモノは、天敵に捕まって食べられようとするときに、完全に身体の力を抜いて脱力する。完全に脱力すると苦痛が最小限になるそうである。

 人も、行き詰まって追い詰められたときに、「諦めたからなんとかなった」「人とつながる体験」のように、それまでと違った体験をすることがある。


 精神障がい者の施設では、絶望した仲間同士の生活が救いとなることがある。自堕落な生活をしていても、病気だけじゃなくて楽しいこともある。

 「まあいいじゃない」とお互いの弱さを認めることで、つながりが生まれることがある。

 相手が苦しみを話してくれたとき、自分も苦しみを話して、お互いの心の内を正直に語り合う。そして、一緒に涙を流したとき、つながりを感じることがある。


 ただ黙って聞くことが大切。変容を期待することが苦しみになってしまう。

 人は置いてきぼりを食ったときに寂しくなる。でも、本当は皆置いてきぼりを食っている。

 人を信頼して委ねることで、信力が育まれる。

 弱さをごまかさずにそのまま見せ合える関係が出来れば、大丈夫力が育っていく。

 念定慧の精進とも言える。


 大地は弱さでも強さでも、全てを受け止めてくれる。大地とつながることが出来ればそれを感じられる。

 自分が心を決めてそれに向かって歩いて行くには、その前提として個として立ち上がっていくことが必要である。人と仲良くなる前に自分と仲良くなることが必要なのである。


 右手に自分の良い所、それを受け継いだ親や先生などを思い浮かべる。

 左手に自分の悪い所、自分にそうせざるを得なかった周りの苦しみを思い浮かべる。

 そして、両手を合わせて合掌する。自分の強みも弱みも全て自分のものと受け入れてみる。

 同じように、全員で輪を作って左右の人と手をつないでみる。


合掌 風印 拝


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10月1日 火曜座禅会のご報告

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/1 23:49

 今夜の火曜座禅会は、会員4人、常連のかた6人で座りました。

何カ月ぶりかのかたが来られました。

 

2炷香しっかりと座ってから、居士寮で読書とお茶。

今日は 『正法眼蔵随聞記』 六章の4.

 

貧しくて、まことに質の悪い紙を求めて、着物や袴を作った僧が

立ち居振る舞いのたびにガサガサ音がしたり破れたり・・・

遠い故郷に帰って身なりを整える時間を惜しんで「学道せしなり」と。

 

道元禅師は「学道はすべからく貧なるべし」と云われ、

磨甎庵老師もこの言葉がお好きだったそうです。

 

参加者の佐藤さんから伺った話ですが

和紙をこよりによって、それを織り上げた「紙布」で仕立てた着物、

骨董品のような素晴らしい着物があるそうです。

私だけ知らないのかな・・・

 

         (秋香)

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第4期仏教講座第9回「維摩経」(9)

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/10/1 1:58

「大乗の心を付嘱する」嘱累品第十三

 

弥勒菩薩よ、ありのままを大らかに怖れず安らかに生きるために、究極の経を汝に託そう

byブッダ

いよいよ最後の章です。この世の真理を解き明かしてきた『維摩経』。人間とはどんな存在か、世界はどのような姿をしているのか、ではどのように生きることが本当の幸せなのか・・・

難解な空の理論を日常に活かすためのお経です。

最後の2回は別版でイッキに1年分を振り返ります。禅に興味のある方には古来必須の教科書でした。

お待ちしています。

 

講師:慧日庵笠倉玉溪

禅の修行歴35年 人間禅特命布教師。

お経の講座、いす座禅講座など 多数主宰。

講演、禅書道、企業顧問

 

<日付> 1012()

<時間>2時開始。230分まで前回の復習。参加する方は145分に受付開始します。

<受講料>1回 3,000

<場所>擇木道場

110-0001 東京都台東区谷中 7-10-10 TEL:03(3823)7647 FAX:03(5815)5921

 

*禅の指導者、老師も参加されます。本格的な禅の話も聞ける勉強会です。

 

ご予約はこちら

 

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