東京で座禅しよう!人間禅 擇木道場 - 座禅ブログカテゴリのエントリ
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擇木ブログ - 座禅ブログカテゴリのエントリ

ブログ引越しのお知らせ

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2020/1/8 20:34

いつも擇木道場のブログをご覧くださり、誠にありがとうございます。
このたび、擇木道場のホームページを引越しすることになりました。


ホームページの引越しに先駆け、最新のブログは新しいホームページからお読みいただけるようになります。
そのため、お気に入りにご登録していただいている場合は、ぜひ新しいホームページ・ブログのURLを改めてご登録くださいますよう、よろしくお願いいたします。


下記のページをお気に入りにご登録いただけると幸いです。


社会人のための坐禅道場 [人間禅]
https://r.goope.jp/ningenzen1948


ブログは上記ページの3つの項目の3番目「禅文化の修養機会を提供」にあります。
「~ 活動の様子 ~」から「修行報告ブログ」をクリックするとご覧になれます。


新しいホームページもどうぞよろしくお願いいたします。
  合掌 翡翠

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気付きは、一日一炷香の裏付けがあって初めて本物になる。

その一日一炷香を練り直し、深める起爆剤になるのが・・・


TEN to FIVE

月に一度の

ザ ・ テン トウ ファイブ

午前10時から午後5時までの一日座禅会

次回(第12回)は 1月13日(第2月曜・祭日)開催です

日常の様々な束縛を一時離れ、心おきなく思う存分座ってみませんか?

60畳の静謐な空間がお待ちしています。月に一度、開催日は、月毎に変わります。坐禅経験者を対象としますが、あまり構えずご参加ください。ご自身の体調や都合に合わせて入堂、出堂、坐を解くのもご自由です。

座禅経験のない方は毎日行われている他日座禅会で座禅指導をお受け下さい。

詳しくは人間禅・擇木道場のホームページの座禅のご案内をご覧ください

/index.php

参加費:初回は1000円、二回目からは500円以上の喜捨をお願いいたします。

・時間: 下記時間割にそって所定の時間に鳴り物で合図をします。

・昼食: 各自ご用意下さい。居士寮に茶菓子を用意しております。ご利用ください。

直日担当・・・ 浅川翡翠 禅子

今回は、いつも道場内の気配りがとても細やかな浅川翡翠禅子が直日担当です。

また、人一倍しっかり座ることを旨としている方です。

一年の始まりの回、是非ガツンとご一緒に坐ってみませんか!(でも、何ら縛りはありません。ご自分のペースで坐を深めて下さい。)

先ずは、お気軽にご参加ください。お待ちしております。

山田妙玲 拝

時間割・・基本の時間を記載します。

10:00 ~ 11:00 


11:00 ~ 12:00 


12:00 ~ 13:00  昼食休憩


13:00 ~ 14:00 


14:00 ~ 15:00 


15:00 ~ 16:00 


16:00 ~ 17:00 最終回


・その後時間のある方は茶話会にもどうぞご参加ください。18時までに解散。      


◎今後の開催予定日を記します

2月24日(月・祭日)龍泉(直日担当)

3月15日(日)   雲泉(〃)

4月 1日(水)   翠松(〃)

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忘年会に参加しました

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2020/1/1 4:52

 擇木道場の風印です。

 1228日に当道場の忘年会に参加しました。

 前日の「東京で夜一番遅い座禅会」から参加して、助警(じょけい)を務めさせて頂きました。




 助警は座禅の姿勢が悪ければ指導したり、警策で背中を叩いて修行者を励ましたりします。いきなり叩く訳では無く、雑念が湧いたり眠気が出たりした人が助警が目の前に来たときに合掌しますので、その時に叩きます。

 皆さん同じ様に手加減せずに叩いたら、座禅の後の懇親会で参加者の方に「滅茶苦茶痛かった」と言われてしまいました。道友に年齢や性別に応じて叩く強さを変えると教えて頂いたので、もう少し工夫します。分別しなければ良いと言うわけではないのですね。


 忘年会では、皆で餃子を作りました。




 320個作ったのですが、一人ではうんざりするような量でも、皆でやると楽しいのはなぜでしょうね。




 上の写真はクラッカーにチーズやフルーツなどを乗せたものです。ただのクラッカーも一手間かけることでちょっと贅沢なお菓子になります。




 上の写真が焼き上がった餃子です。手作りの餃子はとても美味しかったです。


 翌日に催されたお茶会では「銀椀裏盛雪(ぎんわんりにゆきをもる)」という掛軸が掛けられていました。

 白銀の碗に純白な雪を盛ったとすれば、碗と雪とはそれぞれ別個の二つのものであるが、ともに白いためにその見分けがつきがたく、同じ一つのもののように見える。しかし全く同じものかといえば、碗は碗、雪は雪でそれぞれ独立した二つの別個のものである。(芳賀幸四郎『新版一行物』より)

 当道場の師家から、「色即是空 空即是色」を端的に表したのが「銀椀裏盛雪」であり、私達は皆仏性を備えている点で平等であるが、平等な中にも人種・性別・身分などの区別がある。その区別も含めて皆平等である。という説明がありました。

 皆繋がっていることが腑に落ちれば喧嘩することも無くなると思うのですが、中々難しいですね。

 「銀椀裏盛雪」を頭に入れて工夫して行きたいです。


合掌 風印 拝


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 擇木道場の風印です。

 鎌倉の建長寺で921日、22日に開催されたZen2.0に参加しました。

 大変更新が遅くなりましたが、今回は北アメリカに座禅を普及された曹洞宗の秋葉玄吾老師の講演の内容を記載します。乏しい理解のため、誤解を生じている点があるかもしれませんが、どうぞご容赦下さい。




■「縁と円~北米仏教から観るサスティナビリティ~」:秋葉玄吾老師


 つながりは仏教の基本の教え、縁起のことである。

 全ては関係性によって成り立ち、時間が経てば変化する。

 自分も現象によって成り立っているに過ぎない。皆他との関係によって形となって現れている。条件が変われば全て消えてしまう。


 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 三法印


 全てこの世の中はつながりによって成り立っていることが分かると、他のものが大切に思えてくる。

 自我もつながりの中で成り立っているに過ぎず、実体は無い。

 感覚も知識も身体も皆つながっている。父母から受け継いだり、食べ物を食べることで成り立っている。

 縁起の理法を知ることが悟りに繋がる。

 人間だけでなく、他の動物もつながっている。

 知性は頭で考える能力であり、迷いの原因となる。それも含めて人間である。

 能力をより良く使うことが必要。考えることが悟りの邪魔となる。

 全てを含んだものが命であり、命はあらゆる関係の中に成り立っている。

 縁起を見るものは法を見る。法を見るものは仏を見る。

 この世界は全て現象世界である。


 これあればかれあり、

 これ生ずるが故にかれ生ず。

 これなければかれなし、

 これ滅するが故にかれ滅す。


 なぜこの世界があるのか。なぜここに我々がいるのか。

 存在するが変化してやまない、絶えず変化している現象世界。

 自然科学は宇宙全体のことを捉えられるようになってきているが、宇宙に存在すると考えられる物質やエネルギーのうち、説明可能なのはわずか5%と言われている。

 私達がここに現れていること自体が奇跡である。

 私達はつながりの中で生きている。一人一人が他を大切にする。人、物、出来事をより多く自分が取らずに楽しく生きる。サスティナビリティ(持続可能性)が課題となっている。


 禅は心を正しく用いる修行であり、座禅は心を開き解放できる場所である。

 座禅は100年前に北アメリカのサンフランシスコにもたらされ、個人主義で個を確立したアメリカで、新しい文化として広まった。

 かつて永平寺で修行していた時に、寝不足と栄養失調から急性肝炎になり、伝統から抜け出す難しさを感じた。アメリカの禅寺では食事は栄養学に基づいた合理的なものとなっている。

 なぜ座禅がそのように広がるのか?つながりを基本に置いた宗教だからである。つながりは文明の活動に重要な理念である。

 座禅を23年やると、全ては縁によって成り立っていることが独りでに分かってくる。

 私の意見、私の物、私の好みという私の世界から離れて、客観的に見られるようになってくる。

 人間は他との関係に因ってしか成り立っていない。知識を手放せば、自分が怒っていることを客観的に見ることができ、他を大切に出来るようになってくる。


 文明社会の行き詰まりをどう転換するか。皆が食べられる世界を模索する。それには他との関わりを重んじる仏教が役に立つ。

 自動車は6550万年前に絶滅したと言われる恐竜と同じである。

 どう変えれば地球が長持ちするか。エコロジー、持続可能な社会を目指すにはどうすれば良いか。

 一人一人の意識が無いと変えられない。つながりは無住(むじゅう:心の中の一切の束縛を断ち切った、とらわれのない状態)の円である。変わることに囚われず、命一つを良きように使う。自分の頭だけで考えずに、伸び伸びと生きる。

 使い捨てのナプキンも一人一人が注意して無駄にしない。それがマインドフル、正念である。


 最後にサプライズで老師の奥様が踊りを披露され、仲の良い御夫婦の微笑ましい姿を見せて頂きました。

 素晴らしい講演を有り難うございました。


合掌 風印 拝


Zen2.0ブログへのリンクです


Zen2.0に参加しました① オープニングセレモニー

Zen2.0に参加しました② Homeとつながるマインドフルネス~呼吸の中のわが家へ戻る~

Zen2.0に参加しました③ 食べる瞑想

Zen2.0に参加しました④ 縁と円~北米仏教から観るサスティナビリティ~


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座禅を続ける理由

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座禅ブログ
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擇木道場 2019/12/29 14:21

 擇木道場の風印と申します。

 私は4年半以上前に人間禅東京支部に入会しましたが、その後4年間一度も道場に顔を出さなかった幽霊会員でした。

 なぜ道場に顔を出さなくなったのか。一言で言うと仕事や人間関係の悩みに囚われてそれどころではなかったのです。


 しかし、道場に行かなくなってからも一人で座禅を続けていました。

 その当時は職場で怒鳴られたり、人格を否定するようなことを言われ続けていましたが、座禅をすると不思議と恐怖心が和らぐのです。

 また、ミスが多く仕事が遅いと言われ続けていましたが、座禅を続けることによって、ミスはかなり少なくなり、仕事も時間内に終わるようになってきました。

 今も苦労していますが、過去の失敗や言われたことなどの記憶が頭の中で渦巻いているために目の前の仕事に集中できず、ミスをしたり時間が掛かってしまうのではないかと思います。

 ストレスのためか嘔吐して心療内科に掛かったこともありましたが、数種類の心理テストを受けて、とてもストレスに強い性格という結果でした。

 今も仕事を続けられているのは、座禅によって強いストレスに対処できたお陰だと思います。


 そのように仕事上の必要に迫られて座禅をしていた訳ですが、一人でやっていると行き詰まりを感じることもありました。

 そこで、あちこちのお寺で座禅をしたりテーラワーダの瞑想会などに参加するようになりました。そこでお会いした方々の中には、今もお付き合いさせて頂いている方もいます。


 道場に再び顔を出すようになったのは、当時東京支部の支部長をされていた先輩の影響でした。

 道場に行かなくなった後もメールなどでやり取りさせて頂いていたのですが、辛い状況をお話してもいつも温かい声を掛けて頂き、擇木道場のホームページにブログを書いたり、禅フロンティアにも参加してみようという気持ちになりました。


 再び道場に顔を出したのは、今年の323日に行われた禅フロンティア「人生100年時代と禅」でした。私の父親の介護の問題もあり興味のあるテーマでした。

 講師の先生には親の介護は一人で抱え込まずに社会資源を活用することが重要と教えて頂きました。

 大変久しぶりにお会いした名誉総裁老師には、親の介護には本人の尊厳を重視することが必要。貪瞋痴の三毒も節度を持って味わえば、三薬、延いては三楽に繋がるとお聞きしたのが印象に残っています。


 職場で部署の一時的な異動があったため、時間と気持ちに少し余裕が持てるようになった事もあり、それからは摂心会などに顔を出すようになりました。

 最近は通常の座禅会にも顔を出すようになり、道場の皆さんと時にはお酒も交えつつ歓談するようになりました。

 仕事や人間関係で悩んでいても、道場に行くと小さな事になってしまいます。


 今年の6月にタイの山奥にあるスカトー寺というお寺の瞑想合宿に参加したのですが、一緒に参加された方々が、最終日には輝くような笑顔をされていたのが印象に残っています。

 自分が所属する社会・集団の価値観への囚われが悩みの一因であって、異国の山奥のお寺で自分を縛り付ける価値観から解放されたために、気持ちが楽になったのではないかと思います。

 同じ様に、職場で否定されても、道場に行けば認めてくれることもあるのです。仕事とは別にそのような場を持つ事はとても大切と感じます。


 道場で学ぶのは何も特殊な事ではなく、人付き合いや後片付けと言った当たり前のことです。そうして学んだ事は社会にそのまま還元出来ると思います。本番への予行演習のようなものです。


 皆で座禅をするようになって、以前より言いたい事を我慢せずに言えるようになってきました。禅の修行は我を薄めるものかもしれませんが、その前段階として健全な自我を育むことも必要と思っています。


 ブッダは、苦しみに圧倒されている人々のための洲(避難所)を説いたと言われますが、私にとって座禅はそのようなものかもしれません。

 人生の荒波も、座禅を続けることで乗り切って行ければ幸いです。


合掌


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京都に行ってきました

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座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/12/26 16:14

 擇木道場の風印です。12月初旬に京都に行ってきました。

 まず初めに訪れたのは妙心寺です。


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京都に行ってきました


 今回は座禅体験と法話を聞きに行きました。

 朝6時から座禅しましたが、とにかく寒かったです^^

 法話は無門関(むもんかん)から世尊拈花(せそんねんげ)でした。


京都に行ってきました


 お釈迦様が説法を聞きに来た大勢の弟子の前でただ花を一本手に取って黙っていた。弟子達は意味が分からず黙ってしまったが、ただ一人迦葉尊者だけがにっこり微笑んだというお話です。

 お釈迦様が花を手に取っていたということだけが真実であり、説明したら真実で無くなってしまう。自分を利口と思うこと自体が愚かであり、そこから我こそはという愚痴が出てくる。涅槃とは貪瞋痴(とんじんち:貪り、怒り、愚かさ)の三毒が永遠に消えた状態であるが、そのように澄み切った心になれば、寒さも鳥の鳴き声も鐘の音も紅葉の美しさもそのままを鮮明に味わうことができる。

 寒さを言葉で説明し尽くすことは出来ない。それが不立文字である。


 法話の後は雲龍図を見ました。写真撮影禁止だったので、パンフレットの写真です。


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 見る角度によって龍の表情が変化し、昇り龍、下り龍にも変化するそうです。


 次は仁和寺に行きました。


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 仁和寺は将棋の竜王戦の舞台になるということでした。豊島さんが竜王になったんですね。


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 仁和寺を見た後、関西道場の方々と合流して、「歴史ウォーク:十牛図と京都の紅葉を巡る」に参加しました。


 初めに信長の墓所があるという阿弥陀寺に行きました。


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 上の写真が信長の墓所です。本能寺の変の直後、信長とかねてから親交のあった阿弥陀寺の清玉上人が、信長の遺骸を運び込み、埋葬したと言われているそうです。


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 近くには森蘭丸らのお墓もありました。


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 上の写真は松尾芭蕉の名を世に広めたとされる蝶夢和尚のお墓です。こういう名所には個人では中々辿り着けませんね。


 次は相国寺に行きました。


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 相国寺承天閣美術館では十牛図の展示を見ました。撮影禁止だったので上はパンフレットの写真です。

 十牛図は悟りに至る十のプロセスを示した図と言われています。中々素晴らしい展示でした。


 散策の後は関西道場にお邪魔して、座禅の後、おでんを振舞って頂きました。おでんはとても味が染みていて美味しかったです。


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 とても立派な道場で、京都や大阪に行く際にはまた立ち寄らせて頂きたいです。


 翌日の朝は吉田神社に行きました。


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 次は白隠禅師に軟酥(なんそ)の法(自己暗示によって潜在意識を変えさせる精神療法)を授けたと言われる白幽子(はくゆうし)の墓所に行きました。


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 白隠禅師は若いころ、禅に打ち込むあまり「禅病」(現代で言うところのノイローゼや肺患)に苦しんだが、白幽子から軟酥の法を授かって禅病が癒えたそうです。


 次は真如堂に行きました。


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 上の写真は涅槃の庭です。お釈迦様が入寂され、その周りを弟子達が囲んで嘆き悲しんでいる様子が表現されているそうです。


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 上の写真は随縁の庭です。「随縁」とは、事象が縁に因って様々な現れ方をすることを言うそうです。


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 次は金戒光明寺に行きました。


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 上はおばんざい定食です。おばんざいとは、京都の日常的な総菜のことを言うそうです。なかなか美味しかったですよ。


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 上の写真は金戒光明寺の山門です。中は撮影禁止でしたが、天井には「蟠龍図(ばんりゅうず)」が描かれ、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されていました。

 中で詳しい説明があり、お寺の門は浄土宗では寺院は元来、山中に建てられたことから山門、禅宗では空・無相・無作(三解脱)を象徴して三門と言うそうです。

 また、お寺に龍の絵が多いのは龍が雲を巻き起こし、雨を降らせてお寺を火事から守るためと、慈悲の雨を降り注がせるため。蟠龍図はこれから空に舞い上がろうとしている図、雲龍図は空を自在に駆け巡っている図ということです。

 十六羅漢の説明もあり、神通に長じたという「おびんずるさま」の像をなでると病気が治るとされるそうです。


 次は平安神宮に行きました。


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 私はお寺専門で神社にはあまり行っていなかったのですが、二礼二拍手一礼という作法があるのを知りました。


 次は無鄰菴(むりんあん)に行きました。


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 山縣有朋の別邸だったそうですが、紅葉と苔の見事なお庭でした。


 最後は南禅寺に行きました。


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 関西道場の方々には、個人では中々辿り着けないような名所や素晴らしい紅葉を見せて頂き有り難うございました。

 また機会があればよろしくお願い致します。


合掌 風印 拝


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急告「新春スペシャル座禅会 絶対に眠ってはいけない禅堂24/2時!」のご案内


急告「新春スペシャル座禅会 絶対に眠ってはいけない禅堂24/2時!」のご案内


擇木道場では、毎週金曜日の夜と土曜日の朝(基本宿泊)にかけて「東京で一番遅い座禅会」と題して、青年部主催の座禅会を行っています。
 新年令和2年の初回は、1月3日(金)から4日(土)にかけて開催します。


 新春を迎え、年初に1年の座禅修行の気合を入れると共に、交友を深める目的で、
「新春スペシャル座禅会 絶対に眠ってはいけない禅堂24/2時!」
と題し(念の為ですが、タイトルは、某大晦日お笑い特番の「オマージュ」です)、徹宵静坐(夜通しの座禅)をしつつ、参加者同士で「ご供養」を持ち寄り、歓談をすることを企画しております。
1月3日午後7時、座禅開始以後、禅堂で座禅を一炷香(45分間)した後、居士寮で休止(懇親会)を一炷香(45分間)し、これを夜通しで翌1月4日朝まで繰り返します。全て参加すれば6時間座禅ができます!
 新春から気合を入れて坐りたい、道友と交流を深めたいと思われる方は是非ご参加下さい。



〈スケジュール〉
*途中参加、途中退出が可能です。ご都合のよろしい時間帯にご参加下さい。
 (令和2年1月)
(18:00)実務担当者・有志 集合準備
 19:00 静坐一炷香目 
 19:45 休止
 20:30 静坐二炷香目
 21:15 休止
 22:00 静坐三炷香目
 22:45 休止
 23:30 静坐四炷香目
1/4 
  0:15 休止
  1:00 静坐五炷香目
  1:45 休止
  2:30 静坐六炷香目
  3:15 休止
  4:00 静坐七炷香目
  4:45 休止
  5:30 静坐八炷香目
  6;15 片付け・掃除
  7:00 解散


 〈参加条件〉
・会員 参加費不要。
任意で、ご供養(飲食物、アルコール可)を持参していただければ幸いです。
なお、蝶野正洋の如く、気合の入った警策を打てる助警のできる方は大歓迎。
・一般 参加費 500円 ただし、初回の方は座禅指導料込1000円。日をまたいで参加される方は、宿泊費として2000円の喜捨をお願いいたします。



〈その他〉
・徹宵静坐なので、禅堂ではしっかり坐っていきますが、適宜、途中で休まれたり、居士寮、禅子寮等で睡眠をとっていただいて結構です。
・「何事をやろうとするにも能く働き、そして能く休まねばならぬ。」(釈宗演『禅学大衆講話』57頁)というところで、スケジュールに余裕を持たせています、「こんなイベントを自分でやりたい」というアイディアがあれば、実務担当者(英風)までご連絡下さい。

〈担当者〉
・麻生古道(金曜座禅会主担当者、青年部) 
・折原英風(本座禅会実務担当、青年部。連絡先ayitmita@yahoo.co.jp



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 擇木道場の風印です。1215日~22日に開催された第6回本部臘八摂心会に参加しました。臘八摂心は128日に仏道を成就されたお釈迦さまの座禅を追慕する期間として行われるそうです。


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


 本部道場の紅葉はだいぶ散ってしまいましたが、まだ少し残っていました。


 摂心の作務では石段の積み上げと竹細工をしました。


第6回本部臘八摂心会に参加しました


 石段は石を下から並べていきますが、石の向きを考えて配置するのは難しいです。


第6回本部臘八摂心会に参加しました


 竹細工は花差しや棗(なつめ:抹茶を入れるのに用いる茶器の一種)、茶筅(ちゃせん)、楊枝などを竹を加工して作りました。

 作務で普段使わない頭を使うのも良いものです。


 摂心中の食事の写真を撮ってみました。


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


第6回本部臘八摂心会に参加しました


 今回タンパク質を多めにと言うことで、豆や豆腐などが多めに使われています。私は沢山食べたので、ちょっと太ったかもしれません。


 摂心の最後には徹宵(てっしょう:徹夜で座禅すること)をしました。


第6回本部臘八摂心会に参加しました


 今回私は助警(じょけい:警策(けいさく)を持ち、修行者が懈怠(けたい)なく坐禅しているかどうかを見廻る役目の人)を務めさせて頂きました。

 助警は座禅の姿勢が悪ければ指導したり、警策で背中を叩いて修行者を励ましたりします。いきなり叩く訳では無く、雑念が湧いたり眠気が出たりした人が助警が目の前に来たときに合掌しますので、その時に叩きます。

 寝てしまうと座禅にならないので、徹宵では寝ている人を見つけたら叩きに行きます。私も最後の方にうとうとして他の助警に叩かれました。

 結果として、皆さん寝てしまうことも無く朝まで座禅することが出来ました。


 座禅は自分と向き合う時間のように思います。色々悩んでも問題は自分の中にあるのだと反省しました。


 禅は無功徳(むくどく)と言いますが、座禅に何かを求めても良いのだと思います。座禅の修行をしても見返りを求めている人もいるような気がして、それを修行が足りないと思うのも自分の修行の足りなさだと思いました。


 厳しい修行の後は懇親会で大いに飲み食いしました。

 徹夜明けのお酒も格別ですね。


合掌 風印 拝


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4期仏教講座 第9

「大乗の心を付嘱する」嘱累品第十三


弥勒菩薩よ、ありのままを大らかに怖れず安らかに生きるために、究極の経を汝に託そう

byブッダ


いよいよ最後の章です。この世の真理を解き明かしてきた『維摩経』。人間とはどんな存在か、世界はどのような姿をしているのか、ではどのように生きることが本当の幸せなのか・・・

難解な空の理論を日常に活かすためのお経です。

最後の2回は別版でイッキに1年分を振り返ります。禅に興味のある方には古来必須の教科書でした。

お待ちしています。

講師:慧日庵笠倉玉溪

禅の修行歴35年 人間禅特命布教師。

お経の講座、いす座禅講座など 多数主宰。

講演、禅書道、企業顧問


<日付> 1214()

<時間>2時開始。230分まで前回の復習。参加する方は145分に受付開始します。

<受講料>1回 3,000

<場所>擇木道場

110-0001 東京都台東区谷中 7-10-10 TEL:03(3823)7647 FAX:03(5815)5921


*禅の指導者、老師も参加されます。本格的な禅の話も聞ける勉強会です。


ご予約はこちら

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第7回『人間形成と禅』輪読会

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/12/8 21:04

第7回を迎える今回の内容は、「C.ほんとうの宗教の在り方-Ⅰ 客観的情勢からみた新しい宗教-16.教理の合理性」がメインでした。


「人類の幸福のために、世界楽土を建設するの、正義・自由・平等・平和を目途として一致協力するのと申せば、新しい世代の人々は、決して反対しないで、しょうが、その反面、それは何も宗教に限ったことではない。だから、宗教そのものに関心を持つ要因にはならないと言うでしょう。ですから、宗教は一方に於て、どうしても宗教でなければならないという力強い特異性を示さなくてはなりません。それが、夫々の宗教の教理なのであります。教理とは、その宗教がよってもって立っているところの原理つまりは教義とか宗旨とかいわれるものですが、ここでは一般的に教理と申しておきます。その教理にはどこまでも合理性がなくては、新しい宗教としての資格はありません。」

名誉総裁老師も、まずしっかりとした教理があることが宗教の大前提であると話されておりました。
それぞれの宗教に盤石の教理があり、かつ、それが現代人にも受け入れられるような合理性を兼ね備えているかということだと思いました。

「それなら一体、どんな風に教理を説いたらよいでありましょうか?信じなければ最後の裁きに遇うの、無間地獄へ堕ちるのといっては、尚いけません。反感を抱かせるばかりです。ただ信ぜよ、信ずる者は救われんといっても、救われたいの、恵みを受けたいのということ自体が、奴隷根性であると軽蔑している現代人には、もっと自主性の尊厳を傷つけないような説き方をしなければなりますまい。

たとえば、これもほんの一例で、こういう説き方をせねばならぬと申すのではありませんが、こういう説き方もあるということをご参考までに申してみましょう。こんな風に説いてみたらどんなものでしょう?

超人間的の神仏の存在に対する解説ですが、無から有が生ずる筈はない。然るに現実は存在する。その在るべくして在り、成るべくして成らしむるところの何物かがなくてはならない。いわゆる物あり天地に先だって生じてはいるが、われその名を知らずである。しかし、名のないのも不便であるから、仮リに名づけて神仏というのであると説明したらどんなものでしょう?ですから、必ずしも神仏と名づけずともよいので、大道といいたければ大道ともいうし、真理といいたければ真理というもよかろう。その他天命・エホバ・天之御中主命・仏性・命体なんと名づけてもよいので、夫々の宗教の伝統に従って、都合のよい呼び名をもって呼んだら宜いでしょうが、要するに、唯一絶対の根源、第一原因たるそのものを、ここでは神仏と名づけるのであると申したら、どんなものでしょう?つまり、神仏とは絶対者そのものに名づけたのであると説けば、現代人も納得がいくのではないでしょうか?

又霊魂も、甲の人の霊魂乙の人の霊魂というような数量的ないい方をするから物議をかもすので、霊魂とは宇宙生命そのものである。脈々として活動している大自然の生命そのものを、宗教的に霊魂という名によって呼ぶに過ぎない。だから人間の生命も元より霊魂の然らしむるところであるが、山川草木も皆な悉く宇宙生命なる霊魂の現われであると説けば、誰でも納得がいくのではないでしょうか?そして、この霊魂とも呼ぶ宇宙生命こそは、不生なるが故に不滅であるから、敢て未来世を想像してまで、生きながらえることを願う必要もないのであるが、同時に、天国や極楽を否定する必要もなくなります。」
今回の内容で最も心打たれたところです。特に、霊魂とは、宇宙生命そのものである。脈々として活動している大自然の生命そのものを、宗教的に霊魂という名によって呼ぶに過ぎない。と何とも明快で、何の不可思議もありません。宗教によってそれを呼ぶ名前は異なれど、指し示すものは同じなんだと。そして、我々の禅の修行もこれを悟ることであると思いました。

「仏教では古来、理釈と事釈と申しまして、教理の解釈を二通りにしております。理釈とは、その言葉の精神を汲んでこれを合理的に解釈する方法です。事釈の方は事実そのままと解して、ただ有難く受けとるのです。今『観音経』の一節に例をとって説明を試みるならば、同経の中に【若し復た人有って、当に害せられるべきに臨んで、観世音菩薩の名を称せば、彼の執る所の刀杖、尋いで、段々に壊して解脱を得ん】という一節があります。これを事釈に従えば、お芝居にもある日蓮上人竜のロの御難ともなって、あの通り観音様の霊験はまことにあらたかである。‘‘あら有難や南無観世音菩薩”ということになりますが、これを理釈によると、趣きが違って来ます。そもそも観世音菩薩とは、智慧・慈悲・勇猛心という心の三つの徳を人格化したものであるとします。そして刀杖とは‘樫貧の,心を指しておる。ですから、この一節の意味は、相手が樫貧の心をもって向って来ても、こちらが慈悲の心をもって、柔和な態度で対すれば、尾を振る犬は打たれぬ道理で、さすが振り上げた拳もやり場がなくて自ら下ってしまうであろう。これを解脱を得たというのであると説きます。これなら若い世代の人々にも納得がいけましよう。これも一例に過ぎないのですが、すべてこういうような解説の仕方や説明の仕方を教理の合理性と申して、文化人の新しい宗教としての条件に数え挙げておるのです。人を見て法を説けで既成の宗教なら、相手によっては、今まで通りの説き方でも差支えないと思いますが、相手によってはこんな説き方の脱皮を試みるのも一案でありましょう。もし、新しく創設される宗教なら、初めから堂々と合理性を打ち出した方が旗職鮮明です。世界楽士の建設に当って、専らその精神面を受け持つ宗教であると説くのもよいし、絶対者の中に自己を正しく位置づける教えであると説くのもよいでしょう。或はほんとうの人生を味わう為であるとか、俺はこれでよいのだと満足し納得して生き甲斐を感ずる為であるとか、いろいろありましょうが、とにかく合理的な教理を高く掲げれば、文化人は飛びついて来るに違いありません。ほんとうのものを文化人は心から求めているからです。」

教理の解釈には事釈と理釈があり、理釈とは、その言葉の精神を汲んでこれを合理的に解釈する方法で、事釈は事実そのままと解して、ただ有難く受けとる。とありますが、どちらからでもアプローチできるようにしておかないといけないと思いました。相手によっては、事釈のほうがしっくりくる場合もあれば、理釈の方で初めて納得する場合もあると思います。
そのため、こちら側は、相手によって臨機応変に教理の説明をできないといけません。勉強の必要を感じました。
 この輪読会では、毎回心を打つ内容を味わうことができます。次は新年明けて118日(土)になります。一緒に「人間形成と禅」を味わってみませんか。お待ちしております!     玉道 記

              




第7回『人間形成と禅』輪読会






『人間形成と禅』輪読会発足にあたって 

                人間禅総裁 葆光庵丸川春潭

この著書は人間禅第一世総裁である耕雲庵立田英山老師が、『立教の主旨』が宣布されてから10年間構想を積まれて出版されたものであり、人間形成の禅とはどういうものなのか、すなわち「人間禅」とはどういう会なのかを世界に開示された著作であります。

その当時の会員(会員番号が400番未満)は全員、座右と書かれた右に自分の名前も書かれた老師署名の『人間形成と禅』をいただきました。小生もまだ道号のない本名を書かれご著書を頂きました。エピソードですが、その当時の旧参の者が所用で老師に相見した際、老師から座右と書いて渡しているのに鞄の中にこの本を入れていないと厳しく叱られたことがあったようです。ことほど左様に耕雲庵老師は、人間禅の会員はこの『人間形成と禅』を常に生活の規範にしてほしいと願われていたのであります。

小生が総裁になっての最初の年頭の垂示(平成19年1月3日)において会員の皆さん全員に、この『人間形成と禅』をもう一度読み直すようにお願い致しました。しかるにそれ以降に入会した方は既に450名余にのぼり、この垂示を直接聞いていない方の方が現在の人間禅では多くなっているのです。

座右の教えをしっかり将来に引き継ぐために、青年部が中心になって人間禅の原点たるべき『人間形成と禅』を読み且つ味わう勉強会を立ち上げてほしいと先日お願いし、禅セミナーの一コマに入れさせていただいた次第であります。



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