メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2013 7月 » »
30 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 1 2 3
擇木道場

〒110-0001
東京都台東区
  谷中7-10-10
TEL 03-3823-7647

当直が座禅中や作務中は、電話には出られません。このホームページからお問い合わせお願いします(回答は夜以降になります)

検索
カテゴリ一覧

擇木ブログ - 【荻窪通信】「東山絋久『プロカウンセラーの聞く技術』」を読む(その1)

【荻窪通信】「東山絋久『プロカウンセラーの聞く技術』」を読む(その1)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/7/17 6:07
“人間は自分中心でものごとを考えています。

そのくせに、あるいはその罪滅ぼしのゆえに、他人に何かをしたくなります。

しかし、相手がしてほしいと思っている肝心のことはなかなかできないのです。“

(東山絋久『プロカウンセラーの聞く技術』65頁)
 
 東京荻窪支部の英風です。
 
  傾聴のボランティアを始めようと考え、自死した方のご遺族などからお話を聞くボランティア団体の活動に参加するようになりました。
  禅の修行の究極的な目的は、衆生済度、今風に言えば、「愛すること」です(注1)が、どうもやり足りない。
  しかも、そのための十分な時間もないのではないかという気がして、仕事以外でも何をかやらなければならないと思ったからです。
 
  一月ほど前、勤務先で受けた健康診断の便潜血反応検査の結果が「FF」という最悪のもので、「再検査」を受けました。
 ネットで調べると、統計的には、便潜血反応が出た人の50人に1~2人が大腸がんなのだそうです。
  再検査の結果は、担当医曰く「盲腸から直腸まで、とても綺麗で健康そのもの。ただ、処置の必要はないけど『ぢ』がある」とのことでした(/ω)

とはいえ、検査をする前には、「ついに、我が道力を試すときが来たか!」と心湧き立つものがあり、身の回りのことを少し整理しました。
 50人に1~2人でも、四十代半ばの私がその立場になってみると、50人に48~49人のような感じがしたからです。
  また、同じころ、以前の勤務先でお世話になった方が、散歩途中に突然生じた脳梗塞により48歳で亡くなりました。
  こんなことがあったので、以前より「いつ死んでもおかしくない」という気持ちが強くなりました。
 
 生きるとは、愛することです。
 
 私にとって、座禅を含めた禅の修行は「愛するための訓練」です。
 座禅は、周囲のものに手を出さずありのままでいさせてやるという意味で愛する行為ではありますが、やはり、本質的には「修行」にすぎない。
  私は、とても好きなのですが、厳しい見方をすれば、所詮は「訓練」にすぎず、「実戦」ではない。
  「訓練」のない「実戦」は、不安定だが、成立し得る。
  しかし、「実戦」のない「訓練」は、無価値だ。
 
  生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人
 
 人生は、いつ終わるかわからない。
  「訓練」に力を入れすぎて、「実戦」不足のまま人生を終えるのはつまらない。
 
 「境涯」は魅力的だ。
 よい心持の方がよいように思うし、何らかの「境涯」があった方が愛しやすくなりそうな気がする。
 そこに、私が禅の修行を続ける価値がある。
 
 とはいえ、「境涯」は、心の問題にすぎない。
  仏教によれば、心は、単なる現象であり、実体はない。
  現代的にいえば、心と称する現象は、脳の神経系の電位変化により生じる電気信号にすぎないのだから、確かに実体はないのだろう。
  そうであれば、こだわる必要はなく、愛することができれば、何らかの「境涯」に至ることによる人生の満足は後回しでもよいと思う。
 
 境涯の至らない者には、何が本当に愛することになるのかは、きっと、わからないのだろう。
  だから、愛することは、究極的には、独りよがりだ。
  独りよがりだから、対価を求めてはならない。
  独りよがりだから、本当に望まれることは何なのか悩み、迷い、苦しむべきだ。
  さしあたりの所で決意してやる以上、やった後も、それが本当によかったのかを反省し、悩み、迷い、苦しむべきだ。
 
 愛することは、悩み、迷い、苦しむことだ。
 したがって、人生とは、悩み、迷い、苦しむことだ。
 というより、死ぬまで、悩み、迷い、苦しむべきなのだ。
  仏教で、一切皆苦といい、その第一に、生きることの「苦」を挙げたのは納得が行く
 この「苦」を解消しようとするのは誤りだ。
  「苦」を引き受けることの中にこそ、私の真の人生があるのだと思う。
 
 釈宗演老師が
“迷いが怖ろしいから、悟りの中へ逃げ込むというのではありませぬ。迷いの中へ飛び込んで、大自在を得る。”(『無門関講話』39頁)
とおっしゃり、釈宗活老師が
“大に有事にして過ごす處の人間、今日の生存競争場裡の働きが其儘無事底の境界で、何程どんちゃん働いて居ても無事じゃ。朝から晩まで、あくせくと働いて其上が、しかもそのまま無事じゃ。世間から離れる意味ではない。”(『臨済録講話』221222頁)
とおっしゃる趣旨はそこにあるのだと思う。
 
 そんな考えで、自分なりに始めてみることにしました。
 
合掌 英風 拝
 
(注1)「衆生済度」がこのように広く解されるべきことについては、釈宗活老師が
「禅の目的は畢竟如何と云えば、上求菩提下化衆生に外ならぬのぢゃ。(略)斯う云うと、否な吾々は在俗であるものを、下化衆生抔(など)と云う者があるかも知れぬが、夫れは飛んだ心得違いぢゃ、下化衆生と云うても、経を読んだり、法話を為したりする許(ばか)りが、衆生済度でない、大乗仏教を修したら、修し得た丈けの得力を、直ちに仁義道中の上に用いて、士は士として、農は農として、工は工として、商は商として働かすので、婦の夫に仕うる、子の親に孝たる等、是れ皆大乗門中の説法と云うものぢゃ。」
とおっしゃっています(『悟道の妙味』5~7頁)。
 
【東京荻窪支部主催・坐禅会のご案内】
 私の所属する東京荻窪支部では次の座禅会を定期的に設けています。
<荻窪剣道場坐禅会>
・日時 毎週木曜日 午後7時30分~
・場所 東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」 

JR荻窪駅東口より線路沿いの道を新宿方面に歩いて5分です。

ビル1階奥のエレベータ脇のインターホンで501号室を呼び出して下さい。
<善福寺清明庵坐禅会>
・日時 毎週土曜日 午前9時00分~
・場所 東京都杉並区善福寺3-8―5 清明庵

善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)
*初めての方は事前に御連絡の上、座り方を説明しますので、15分前にお越しください。
*参加費 初回1000円(坐禅指導料込)、2回目以降 500円(善福寺清明庵では、抹茶・お菓子代+300円)
(連絡先)中川香水
 090-5827-7004 kousui.nakagawa@gmail.com

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (64)

よければこちらをクリックお願いします(日本ブログ村のランキングに参加しています)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ
にほんブログ村

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://takuboku.ningenzen.jp/modules/d3blog/tb.php/2007
最新のブログ記事