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擇木ブログ - 「第3期仏教講座 維摩経第7回」を受講しました(・∀・)

「第3期仏教講座 維摩経第7回」を受講しました(・∀・)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/7/2 22:29
 東京荻窪支部の英風です。
 
 今年6月23日の慧日庵玉渓禅子による「第3期仏教講座 維摩経第7回」を受講していたところ、確か翌日、M禅子から「昨日の仏教講座のこと、擇木道場のブログに書いてくれない?」と頼まれました。
 経緯はわかりませんでしたが、私自身、この回の仏教講座の内容については、勇気づけられること大であり、自分自身何らかの形でブログに書きたいなと思っていたので、快諾させていただきました。
 
 維摩経の仏教講座も、七回目ということで、「香積品仏品第十」が扱われました。
 この部分のテーマは、「この娑婆世界とそこではたらく菩薩の意味と菩薩であるための心得など」です。
 
 禅修行の目的は、衆生済度ですから、私たちは、「自未得度先度他」の精神の下、己のことはさておいても、どうやったら他の人の幸福を実現できるか悩み、反省しながら、短者は短法身とはいえ、他の人の幸福を実現する活動に日々邁進しているところです。
 今回の仏教講座では、その実践の上で、大切だと思われる心得に触れられたことが、私にとって、とても意義深いことでした。
 
「衆生のためにはあらゆる利益になることをするが、果報を望まないこと」(レジュメ12頁)
 
 利他行為をするに当たっては、この“果報を望まないこと”ということが、まず大切だと思っています。
 人間禅は在家禅であり、日々の仕事をするなかで、利他行為をはしてはいるのですが、それは、「売上」「報酬」「給与」等の対価に結び付いたものであり、それを期待しながらやってしまうきらいがありますから、そのことに問題意識を持たねばならないところです。
 「売上」「報酬」「給与」等の対価を期待する限り、私たちの心は現在の行為を離れ、不確実な将来にある結果の有無に一喜一憂し、自己を離れた存在である他者に自己を委ねざるを得なくなります。
 本当に自由自在、独立独歩で生きるためにも、「果報を望まない」ことはとても大切なのではないかと思っています。
 
 釈宗演老師も
“徳行とは即ち善い行いで換言すれば解脱の道である。(略)
 宗教的善行は隠徳に属するものであって、報酬を求むる心の無い善行が隠徳である。然るに人の情として、小善も広く伝わらんことを希い、大悪も人に知られざらんことを望むの弱点がある。(略)
 左手に善事を行うて右手に知らしむる勿れと云う箴言もある位で、隠れたる善行は絶対的に善行である。右手に与えて左手に受けんとする相対的善行を卑しむべきものである。”
(釈宗演『最後の一喝』129~130頁)
と仰るところです。
 
 しかし、このような「果報を望まない利他行為」などは、非現実的なものだと思う人もいるかもしれません。 
 なぜなら、私たちが実際に生きている世界が弱肉強食の競争社会であることも明白な真実だからです。
 禅堂の中では、座禅をして心の波立ちを押さえ、分別はよくない、謙虚でなければならないと口では言っていても、禅堂から一歩出れば、他人を蹴落とし、自分や家族の食いぶちを確保することに窮々としているのが、私たち一人一人の“真実の姿”なのではないでしょうか。
 そのような私たちの“我他彼此根性の塊である真実の姿”からすると、果報なしに、利他行為をするなど述べることは、私たちの“真実の姿”から目を背けた不遜なことではないかとも思われます。
 
 私は、今回の仏教講座を聞いて、維摩経には、この点に対する答えも書いてあるのではないかと思われました。
 維摩経では、「菩薩がなすべき十法」というものが語られているそうです。
 
「布施をすることで、貧乏な者を導きます。
 戒を守ることで、戒を破る者を導きます。
 常に耐え忍ぶことで、怒りを懐くものを導きます。
 精進することで、怠ける者を導きます。
 禅定に入ることで、心を乱す者を導きます。(後略)」(レジュメ11頁)
 
 慧日庵老禅子は、この十法について
 
「菩薩は衆生にこのように接しなさい、という方向だけでなく、菩薩道を歩むものはすべからくこの行為によって自らが救済されるのだという方向も押さえておかねばなりません。
 未熟であろうとも菩薩道を歩み始めたものは、この善法をよすがにするべきですし、これによって救済が成就されます。逆に読めばわかります。」(同12頁)
 
と指摘された上で 
 
「貧困にあっても布施を積む
 戒を破る存在だからこそ戒を積む
 憎悪を抱くときは忍辱を積む
 怠惰であるからこそ精進を積む
 心が散乱するからこそ禅定を積む……」(同12頁)
 
と解説をなさいました。
 
 ここでレジュメから離れておっしゃっていたこととして印象に残った内容は、大乗仏教における戒についてのことでした。
 
「戒は禁止事項ではなくて、禁止できないことを前提とする。
 たとえば、不殺生戒についても、日常生活で徹底することできない。
 戒は、できない自分を省みるためのもの。
 できないとして、ではどうするか?を考えて実践するのが大乗仏教」
 
との趣旨のお話でした。
 
 私たちは、実社会生活の中では、他人を蹴落として生きる至らない存在であるからこそ、どこかで埋め合わせをしなければならない。
 人格的に優れているから、利他行為をするのではなくて、人格的に至らないからこそ、利他行為をしなければならないということなのではないか、と捉えました。
 
 利他の精神が端的な思いとして自然と現れるのが本来的なものだとは思います。
 しかし、なかなかこのような境涯までは至らないでしょう。
 おそらく、私たちの多くは、このような境涯に至る前に死ぬのです。
 至らないとして、「できないとして」、どうやったら利他行為に邁進していけるのかの気持ちの整理としては、このような考え方でもよいのかなと思っています。
 
 こう考えると、利他行為の実践といっても、理想の高い遠いものではなくて、身の丈にあった身近なものに感じ取れるような気がするのです。
 
 利他行為に邁進する元気の出るよいお話で、次回の講座も楽しみです。
 
 ちなみに、今回、聴講者に配布されたレジュメはオールカラーでした。
 擇木道場のコピー機でカラー印刷すると費用がかさむことから、これまで白黒印刷だったようなのですが、R前支部長がカラー印刷をした場合の費用が擇木道場でカラーコピーするよりも安くなる印刷業者を見つけてくれたそうでして、低価格でカラー印刷が実現したとのことでした。
 これまでも慧日庵老禅子の手持ち資料としてはカラーのものがあったようなのですが、私たちも、カラーの美しい資料を手にすることができ、講座終了後、G禅子が「『空』の泡の図が新しくなりましたね!」との感動の声を挙げたのに対し、速攻で、慧日庵老禅子の「変わってないから、今まで白黒だったのがカラーになっただけだから」とのツッコミが返されるほほえましいやり取りもあったところです。
 カラーの資料というだけでも気持ちが変わるところもありますから、これを安くできる手段があるということもご参考までに。
 
合掌 英風 拝
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