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擇木ブログ - 【荻窪通信】「松本史朗『仏教への道』」を読む

【荻窪通信】「松本史朗『仏教への道』」を読む

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/6/9 1:33
「われわれがこの苦の世界に生まれ生きているのは
 愛するためであり
 働くためであって
 苦から逃れるためではない。」
 
 東京荻窪支部の英風です。

禅宗史について、きちんと勉強する気になり、東京荻窪支部の木曜日座禅会に行くついでに、会場の荻窪剣道場の近くにある古書店「ささま書店」に立ち寄ったところ、売られていたのが、この本でした。
 松本史朗先生については、袴谷憲昭先生と並び「本覚思想」、「如来蔵思想」に否定的な立場を取られている程度のことは知っており、妥協のない研究姿勢をとられているのではないかと好印象をもっておりました。
 立ち読みで禅宗を取り扱っている箇所に目を通したところ、簡潔にまとまっており、わかりやすく、また、400円という手頃な値段が付けられていたので、買い求めました。
 
 この本は、本文259頁という薄さの中に、「原始仏教から鎌倉仏教に至る(略)重要と思われる基本的教説や思想について(略)解説」(「まえがき」1頁)した本、つまり、一言でいえば、歴史的観点で整理された仏教の知識本です。
 私自身も、まあ、そんな本であろうと思って買ったわけです。
 確かに、知識面も面白い。
 きっと、高度な内容を水準を落とさず、平易に書いたというものなのだと思う。
 しかし、実際、読むとエラく「アツい」。
 鎌田茂雄先生とかと比較しても、「アツい」。
 
「自利利他の円満とはいっても、自利と利他を半分ずつ行って、その調和をとるという意味では毛頭ない。

それはまったくの利他、完全な自己犠牲なのである。

完全に自己犠牲的な一つ一つの行為に、成仏の可能性を

いな、成仏それ自体を見出そうとする生き方こそ、真の慈悲であり、菩薩道なのである。」(109頁)
 
 ……これはしびれますね。
 利他が自利に一致するというくらいでは弱すぎる。
 利他三昧、こういう生き方を目指す……“実際にする”のでないと、禅をしてもつまらないじゃないですか!
 
 読み始めたときには、単に知識を仕入れることしか期待していなかった分だけ、「これがくるか!」というインパクトを感じる言葉が多かったです。
 
「人間がさとりに至るための手段にすぎないとすれば

なぜ人間は苦しむために、愛するために、この世界にみずから生まれてきたのであろうか。

また、人間がさとりに至ろうとして、それができなかった場合

彼のいっさいの労苦とその生活に、どのような意味があり得るのか。

さとりを一つの客観的な目的として設定し、それに向かって進んでいくという直線的思考は、結局のところ、小乗と呼ばれたものと同じではないのか。」(138頁)
 

「さとりに至ろうとして、それができなかった場合、彼のいっさいの労苦とその生活に、どのような意味があり得るのか。」

……禅の修行をする者は、まず、この問題について、自分なりにでも、きっちり答えを出さなければならないでしょう。

私なりの解答がこれまでブログに書き散らしてきたことなのですが、どの程度成功しているでしょうか。
 松本史朗先生は、「批判」のイメージが強かったのですが、読み進める中で、仏教に対する熱い思いが「批判」の原動力になっているのかなと思いました。
 
 私は、知識を求めて、この本を読んでいました。

しかし、私は、仏教書、ひいては仏教の言説において、究極的に重要なことは、内容の正確性や、内容の真実性ではないと考えています。

重要なことは、魅力的な世界観の提示だと思っています。
 
 釈尊は、約2600年前にいた人物にすぎず、その発した言葉とされるものが初めて経典化されたのが、釈尊が入滅してから数百年後のことです。

情報流通が発展した現代においても、マスコミが情報を発した数日後には、真実が違っていたとわかることは少なくありません。
 それなのに、釈尊とされる人物の言説が現代まで正確に伝わっているなどという方がおかしいというべきでしょう。
 それは、近代における仏教史の研究が教えるところでもあります。(注1)
 
 現代に仏教として伝わっている考え方の一つとして、私たちの考え方の枠組みが、私たちの思い込みによって作られた仮のものにすぎないというものがあります。
 そのことは、逆に、私たちには、よりよい生き方を実現するため、自由に自分の考え方の枠組みを創り出すことができる能力があることを意味しているのではないかと考えています。
 
 たとえば、原田祖岳師が
「闘争も不幸もすべて心の持ちよう=解釈=一つ、同じ事実も見ように依って蓮華にもなれば汚物ともなる。(中略)五十年の人生も、人の心の持ちよう、即ち解釈、見方一つで地獄にもなれば極楽にもなる。およそ誰でも自分は最も幸福だと解釈の出来ない人は、まだ正法の理解も信念もない証拠です。正法を信解した人は必ず自己の幸福に目覚めて、その境遇を真の幸福に向上させるものです。然らざれば佛法=真理=の未だわからぬ人であります。」(注2)
というのもこのような趣旨ではないかと思います。
 
 鈴木大拙先生は、禅について
「それはわれわれの心に生まれつきそなわっている創造(略)の衝動を、すべて思うままに働かせることである(略)われわれは自分を幸福にし(略)て生きて行くのに、必要な機能をことごとくそなえている」(注3)
と言いますが、「自分を幸福」にするための「創造」とは、考え方の枠組みを自分自身で創り出すことなのではないかと考えています。
 禅の修行の中で、考え方の枠組みを解体すると同時に、「創造」する作業が繰り返されるのは、そのためでしょう。
 
 そうすると、仏教の言説において、重要なことは、かつての古い考え方の枠組みを否定した後の新しい考え方の枠組み、すなわち、魅力的な世界観を提示するということになるのではないかと思います。
 坐禅の実践は、私たちの感受性を高めますが、その狙いは、このような新たな枠組みを自分たちに刻み込むためなのであると思います。
 「虚実の間に遊ぶ」と言いますが(注4)、日々より魅力的な生き方を求めて新たな世界観を創造しながら、人生を送ることを称しても、言うことなのではないかと考えています。
 
「地上のいっさいの悪を、またいっさいの自分の過去を方便として、試練として認める(略)
 われわれはその苦しみが大きければ大きいほど、そのあとで得る実りもまた大きいのである。

それゆえに、かつてこの地上でどれほどの悪がなされようとも、われわれはなお、世界を愛することができるし、また愛さねばならないのである。」(258~259頁)
 

この松本史朗先生の提示する世界観は、私にはとても魅力的に映るのですが、いかがでしょうか。

 

合掌 英風 拝
 
【引用文献】
冒頭部 松本史朗『仏教への道』146頁
(注1)たとえば、松本史朗『仏教への道』218頁
(注2)原田祖岳『白隠禅師坐禅讃講話』108~109頁
(注3)鈴木大拙『禅』42頁
(注4)立田英山『人間形成と禅』44頁
 
【東京荻窪支部主催・坐禅会のご案内】
<荻窪剣道場坐禅会>
・日時 毎週木曜日 午後7時30分~
・場所 東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」

JR荻窪駅東口より線路沿いの道を新宿方面に歩いて5分です。

ビル1階奥のエレベータ脇のインターホンで501号室を呼び出して下さい。
<善福寺清明庵坐禅会>
・日時 毎週土曜日 午前9時00分~
・場所 東京都杉並区善福寺3-8―5 清明庵

善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)
*初めての方は事前に御連絡の上、座り方を説明しますので、15分前にお越しください。
*参加費 初回1000円(坐禅指導料込)、2回目以降 500円(善福寺清明庵では、抹茶・お菓子代+300円)
(連絡先)中川香水
 090-5827-7004 kousui.nakagawa@gmail.com

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