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擇木ブログ - 【荻窪通信】遍参録「湘南ダンマサークル」さん

【荻窪通信】遍参録「湘南ダンマサークル」さん

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/5/20 20:53
 「湘南ダンマサークル」さん(以下「ダンマさん」)は、日本テーラワーダ協会傘下の「上座仏教の在家の実践者方の集まり」です。
https://ameblo.jp/shonan-dhamma/
 ダンマさんは、心の広い代表者のY氏の包容力、温厚かつ堅実な世話人N氏による厳格な自主瞑想会運営のバランスがよく取れています。

居心地のよい団体なので、私は、昨年12月頃から、都合がつくときにはよくお邪魔させていただいています。
 当たり前のことですが、改めて「組織って、人なのだな」と思います。
 私が、人間禅の会員であることをわかって受け入れる懐の深さがあるのですが、いい加減という訳ではありません。

自主瞑想会は、無言行として厳格に運営されている上、代表者のY氏のほか数名の会員の方は、パーリ語を勉強し、原典から仏教を学ぼうという人たちです。
 

人間禅の禅堂ですと、久参の方には、どうも「自未得度先度他」という言葉を頭で知っていても身についていないのか、おそらく御自身の三昧を優先されるためだと思うのですが、周囲の方に不快感をもたらし、三昧を中断させてしまうおそれのあることを気にせずに、坐禅中、げっぷや放屁などをすることを躊躇なさらない方が少なくありません。

ダンマさんの自主瞑想会では、そのような方はいらっしゃいません。

人目がある方が集中できるけれども、静謐な環境で坐禅をしたいという方は、坐禅と坐る瞑想に坐相としての相違はありませんから、お願いをして、ダンマさんの自主瞑想会の末席で坐禅をさせていただくのもよいかもしれません(実際、私もやっています。もっとも、私は、厚かましいので、堂々とやらせていただいていますが……)。
 
 私は、救済の技術である以上、仏道は易行として実践される必要があり、実際に易行であるからこそ、素晴らしいと考えております。

しかし、こんな私ですら、ダンマさんにいらっしゃる方々が真摯に行じ、学ばれている場に一緒にいると、何やら高まるものを感じます。

自分勝手な解釈ですが、こういう感覚も「正聞薫習」と言ってよいのではないかと思っています。
 
 ダンマさんには、専用の施設がなく、神奈川県東部から南部地域の公共施設を借りて、自主瞑想会や勉強会を実施なさっています。
今年4月に入ってから、自主瞑想会のスケジュールの中に交流会を設けるようになり、瞑想会参加者の人的交流にも力を入れています。
 私は、坐禅を通して、人間関係を豊かにしたいと思っているので、うれしいことです。
 
 5月の本部摂心が終わってから約2週間後、東戸塚地区センターで実施されたダンマさんの交流会にお邪魔しました。
 当日の参加者は、私のほかは、代表者のY氏(40代)、世話人のN氏(50代)、30代の女性2名、40代の女性1名でした。
 テーラワーダの実践をする人たちは、比較的若い方が多いです。
 ただ、20代の方の定着率は低い傾向があるとのお話でした。
(ちなみに、70歳代の久参の方も少なからずいらっしゃいます。日本に、テーラワーダの「テ」の字もないような時代に、東南アジアの国に行き、お坊様を呼んだりした黎明期のお話を聞くと、考え方が違うとはいえ、胸打たれ、やはり「正聞薫習」という感じが致します。)
 アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書やユーチューブの動画でのクリアかつ説得的な言葉のほか、瞑想実践を通しての「実証性」を重視し、信仰を強調せず、頭ごなしのおしつけとは感じられないところが、若い人たちから支持されているのではないかと思います。
 私も、著書の中の「仏教では、信仰は邪魔です。障害です。」という言葉(注1)に惹かれたのが、初めてダンマさんの勉強会に行ったきっかけです。
 また、瞑想会の雰囲気としても、人間禅とは異なり、体育会系的な鍛錬というよりも、厳格なものではあるとはいえ、実践を通して参加者自身の救済を図るというソフトなスタンスで臨んでいるところも若い人たちから支持されている理由なのではないかと感じます。
 
 当日の交流会では、少し問題意識を持って臨みました。 
 しばらく前に、荻窪支部の静坐会の会場の一つである荻窪剣道場の近くの古書店(D老居士も利用)で、文庫版のアーチャン・チャー『手放す生き方』が100円で売っていたことから、購入して読んで見たところ、禅の本と言ってもよいような記述がいくつかあり、このような考え方がテーラワーダで一般的なものなのか聞いてみたかったのです。
 たとえば、こんな記述です。
「ブッダとは、時を超え、不生であり、いかなる身体、歴史、イメージと関連ないものだと理解できます。ブッダとは、あらゆる存在の基底であり、不動の心という真理の表れであると言えます。(中略)この、時を超えたブッダこそが、私たちの本当の家であり、不変の空間なのです。」(同書242頁)
 
 テーラワーダの実践をする人たちが拒絶反応を示す大乗仏教の考え方がいくつかあるのですが、悉有仏性論はその最たるものです。
 しかし、このアーチャン・チャーが言うことは、悉有仏性論そのものではないか。
 そこで、Y氏に聞いてみたところ
「これは、文学的な表現ですね。」
とつれない言葉。
 少しY氏と話していたところ、N氏が、
「ダルマ(法)については、こういう言い方するよね。」
とおっしゃるので、私も
「それならわかります。悉有仏性論でいうところの仏性とはダルマと同義で、あらゆる存在にダルマが及んでいるという考え方ですから。」(注2)
と応じて、納得。
 
 ほかにも、『手放す生き方』には
「ありのままの現実を直視することを通じて、やがて智慧、喜び、他者を助けるための類希なる能力などが育っていくのです。」(26頁)
「仏教の比丘たちは、利己的な目的ではなく、自分自身を知り、どうすれば平安かつ賢く生きられるのかを他人に教えられるようになるために、瞑想を実践するのです。」(171頁)
などの記述があります。
 Y氏は、「アーチャン・チャーは、禅をする人に好かれる長老ですよね。」ともおっしゃっていましたが、確かにそのとおりだと思いました。
 テーラワーダでは、慈悲の瞑想(心の中で、「生きとし生けるものが幸せでありますように」などと念じながらする瞑想)をしたり、スマナサーラ長老は、在家の日常生活での心得について、「ほかの人の役に立つ生活をしなさい。」などとおっしゃったりします。
 ダンマさんにいらっしゃる方々と対話をしていると、テーラワーダとの相違を意識することを通して、漠然と抱いていた禅のイメージが明確化するだけではなく、テーラワーダには、大乗仏教の基盤があるのではないかと感じることがよくあります。
 禅の指導者の方には、「よくテーラワーダ(上座仏教、小乗仏教)は、自利しか考えていない。」などということを言う方もいらっしゃいますが、このような考え方は、無理解による対立しか生まない、つまらない分別というべきものであり、嫌う底を回向せずに、大乗仏教というのはおかしいのではないかと思っています。
 
 この日の交流会では、参加者の方の質問に、瞑想実践の進んでいるY氏やN氏が答えることも行われました。
 私も、テーラワーダの瞑想法のいくつかを試したものの、怠惰な私には面倒臭く、脳の作為的な活動をしない「只管打坐」でよしとしてしまっているのですが、それでも新たな発見があり、面白かったです。
 人間禅にも、テーラワーダの瞑想実践の経験があり、今でも継続していらっしゃる方がいるところ、次の2つが余り本には出て来ない話だと思うので、参考にしてみてください。
 
(1)ラベリングで重要なことは、身体感覚を感じることなので、たとえば、足を降ろすということであれば、足を降ろした感覚のあったときに、ラベリングをする。
 足を降ろす前に、ラベリングをすると、足を降ろすことを指示したことになってしまい、ラベリングではなくなってしまう。
 ラベリングは、感覚のあったときに同時にされるべきだが、感覚があった後で、ラベリングするというイメージでやった方がやりやすいと思う。
(慧日庵老禅子は、数息観について、数を数えることが重要なのではなく、呼吸に意識を向けるためのものであり、呼吸の感覚のあったときに数を数えるのだとおっしゃいますが、それに近いものを感じました。)
 
(2)慈悲の瞑想の中で、自分の嫌いな人をイメージして、その人の幸せを祈る瞑想があるところ、自分の嫌いな人をイメージするのがどうしてもつらい人については、この瞑想はしない。却って、憎しみの感情が高まってよくないから。瞑想実践が進んで、自分の嫌いな人をイメージすることができるようになってから、やればいいという長老の話があった。
 
 ほかにも書きたいことはいろいろあるのですが、既に、相当量になってしまったので、別の機会に取り上げたいなと思います。
 Y氏、N氏、ほかのダンマさんのメンバーのみなさん、今後ともよろしくお願いいたします。
 
合掌 英風 九拝
 
(注1)アルボムッレ・スマナサーラ『これでもう苦しまない』45頁
(注2)釈宗演『最後の一喝』226~227頁
「法は始めなく終わりなく、今も目前にあり又後にもあるもので、よく過去、現在、未来の三際を貫き、大は日月星辰より、小は針の目までも行き亘って居るのだ、一切の事実は悉く是れ法の顕現である。一切の因縁には法が交って織られ、因の中にも法あれば縁の中にも法がある。然し法は決して因縁に束縛されるものでない、大自在である大自由である。円転滑脱の作用がある。この法が即ち仏性とも称せられるのぢゃ、されば仏性は生きとし生ける人、鳥、獣、草、木などの有機物のみならず、金石国土の如き無機物にも猶お宿って居る。萬有の本体は、帰するところ一の仏性である。即ち法が是れ事物の本然という事になる。この法は万古不易の人力を以て如何ともする能わざるもので、人間は総て皆這箇の法の支配を受けねばならぬのである。」
 
【坐禅会のお知らせ】
*私は、(だいたい)毎週次の人間禅坐禅会で坐禅をしています。 
 私と一緒に坐りませんか(°∀°)
1 月曜日19時(初回1830分)から20時 
 場所:東京都台東区谷中7-10-10擇木道場 
 連絡先:TEL 03-3823-7647
2 木曜日1930分(初回1915分)から21時 
 場所:東京都杉並区荻窪4-30-10 トヨタマビル5階「荻窪道場」 
 連絡先:中川香水(090-5827-7004kousui.nakagawa@gmail.com
*参加費1、2とも 初回(指導料込み)1000円、2回目以降 500円
【東京荻窪支部摂心会のお知らせ】
*私の所属する東京荻窪支部では、来る5月29日から6月2日にかけて第5回摂心会を実施いたします。
 会場は「善福寺清明庵」となります。
*伝法の師家による参禅(公案修行)の機会もあります。
 詳細は、後日お知らせいたします。
 連絡先:中川香水(090-5827-7004kousui.nakagawa@gmail.com
<善福寺清明庵のご案内>
 東京都杉並区善福寺3-8-5 清明庵
 善福寺公園の上池ボート乗り場東横の家です、大きな欅が目印です。
 荻窪駅から南善福寺行のバス乗車、善福寺公園下車(約15分)

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