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擇木ブログ - 嬶まんがいい(その4)

嬶まんがいい(その4)

カテゴリ : 
老師通信
執筆 : 
擇木道場 2019/4/11 0:25
嬶まんがいい(その4)
 
 「嬶まんがいい」とは、「良い嫁さんに恵まれて運が良い」という意味であり、これを言い切れる人は滅多にいません。これを言った和歌山の和尚の境涯についてブログを3回書き、その第4回目です。今回で多分終わりです。
 自分に対して厳しい目を持ちなかなか自分を肯定的に頷けが得ない人は、当然他人にも厳しく見てしまい人間関係がうまくいかない傾向にもなります。
しかしこういう人には宗教的な求道心を持つ人が多く、求道の道に巡り会えることができるかどうかが古来大変大切であり且つ難しいのです。大勢の悩み苦しむ人の中で真剣に道を求める人はその中の数%の人にしか過ぎない。大多数はいい加減なところで自分をごまかして人生が終わりになるものです。妥協できずあくまで道を求める数%の人においても、正しい道に巡り会えることすなわち明眼の師家に出くわすかどうかはここから更に少なくなる。これを読経の最初に唱える「開経偈」では、「百千万劫難遭遇」と述べているのです。
 正師に巡り会えて転迷開悟し見性してから更に師家の指導の下に後悟の修行によって差別の妙所を徹見し、そして更に進んで悟りの臭みをすっかりそぎ落とし悟了同未悟の境涯に進む。そうして初めて「わしは嬶まんがいい!」と言い切れるようになる。この境涯の人はどういう境涯なのでしょうか?貴賎貧富を問わずみんな何がしか持っている人格的欠陥とか好きずきを含めて不満足な点をどう見そして対処しているのでしょうか?これが大きな問題です。
 見性入理の当初は人の短所とか癖とかが見えないとか直視せずに逃げているという段階でしょうが、達道の人にはそれははっきり見ていてしかもそれを個性として面白がっているようなのです。自分の含めて人の欠陥をマイナスに見るのが普通で、それを許容するのが次で、達道の人はそれをプラスに見るのです。達道の人である山岡鉄舟居士の作られた句に次のものがあります。
 「晴れてよし曇りても良し富士の山もとの姿は変わらざりけり」
「曇りても良し」であり、「雨もまた奇なり!」なのです。これを自分にも他人にも心の底から言い切れるかどうかが肝心なところであります。観念として肯定する人は多く居ますが、これを実践の上で平然と実践している人すなわちこの境涯が身についている人はほとんど居ない。人間形成としても最後の仕上げのところであり大変難しいことです。理屈で判っている人はたくさん居ますが、この境涯に本当に至っている人はほとんど居ないといっても過言ではありません。
 「亦風流」「也風流」
耕雲庵英山老師はこの字をよく揮毫されておられました。どんな不風流なことでも「亦風流!」と言い切る。やせ我慢しているわけでも大目に見ているわけでもなく、それも亦風流!と文字通り心底思っているのです。とても難しいことです。凄いことです。恐ろしいことです。しかし人間形成の目指す先にはこういう境地があるのです。
 お酒を召し上がって真っ赤な顔をして、「わしは嬶まんがいい!」と高言されていた声が心地よく耳に残っています。合掌
 春潭 
 

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